主役に仲間はどのくらい必要か
主人公には基本的に仲間がいる。
仲間とまでは行かずとも、思想だったりを肯定してくれる人達がいる。
その人達のおかげで主人公は目標を達成できる。
しかし仲間がいなくても、応援されなくてもその分努力すれば目標は達成できる。
そんなことは現実世界の私が証明している。
学生時代は嫌われていたし、社会に出てからもその思想が周囲に受け入れられることは無かったが、
それでも才能だったり、自分の理論が正しいと確信し続ける意思だったりで何とかやっている。
『一人でも戦ってやる』という強情さも突き詰めれば成果を出すのだ。
そして「例え味方がいなくても、世界中を敵にしても自分の信じるもののために戦う主人公」
に格好良さを感じている人は私だけでは無いだろう。
だから仲間が多すぎたり、大衆に肯定されすぎる主人公はどうにも好きになれないし、
もっと言えば「作者が自己投影したキャラを作中で肯定させている」ように感じてしまう。
まぁ主人公の行動だったり思想だったりが一般的にも認められているようなものなら気にならない。
「敵を倒さないと人間が滅ぼされる!」という思想で敵を倒し続ける主人公に、
「対話や共生の道もあるんじゃないか」と疑問を抱く人も中にはいるが、
基本的にそういう作品では明確に敵が人間を滅ぼす気まんまんで人間に危害を加えているし、
それで人間が主人公に同調するのは自然なことだ。(都合の良い敵の是非はともかく)
ただ主人公の目標が復讐だったり現実社会においてはバリバリの犯罪だったりするのに、
作中で周囲の人間に肯定されていたりするとどうにも違和感を覚えてしまう。
『読者』が肯定するのは別に構わない。何故なら復讐の動機をずっと見てきたから。
主人公がいじめられる描写だとか、大切な人を殺される描写だとか、
時として敵側が邪悪にゲラゲラ笑う描写だとか、
そういう回想シーンなりを見てきた読者が主人公に同情し復讐を肯定するのは、
色々と危うい気もするがいいとしよう。
ただ作中の人間は読者では無いので主人公の回想シーンなんぞ知らん。
『家族を殺されてしかもそれが隠蔽されてしまったため犯人に復讐することにした』
というのが真実だと知っているのは主人公と犯人と読者くらいなもので、
作中の人間はそれが真実なのか主人公の妄想なのかを基本的に知らないし、
ある程度事情を知っていたとしても主人公目線で見ていない第三者視点だ。
それなのに話を聞いただけで復讐心に支配されている状態の主人公を信用したり同調して
肯定したり協力するのはどうかしているとしか思えない。(恋愛感情とかが絡むと話は別だが)
そんなわけで自分の作品はそんなに仲間はいない。
主人公とヒロイン、2人いれば周りは敵だとしてもラブコメ?は成り立つ。
作中で復讐だったりを正当化することも基本的に無い。
主に自分の作品で復讐をしていたのはエミリーちゃんとここねちゃんだと思うが、
エミリーちゃんは社会を呪いながらも復讐に耐えられる程のメンタルを持っていなかったし、
ここねちゃんは復讐のためにクラスメイトのペットを殺し(実際には主人公がやったが)、
ニュースやネットで叩かれおかしくなって自殺しようとしてしまった。
逮捕されたり社会的制裁を受けることは無くとも、罪悪感や世間の目からは逃れられないのだ。
(代わりに主人公は女の為なら犯罪も平気でするし世間の目も気にしないタイプが多い。作者が割とそういうタイプなので。危険だね)
ちなみにそういうリアリティー? 重視が最新作にも表れている。
『喧嘩して女の子を助ける』というシチュエーションは
自分の作品で人気2位の『ストーカーに餌をあげないで!』に出ており、
その時はヒロインを助けて惚れられてストーカーになってしまうという
フィクション的には王道的な展開だったが、
最新作の『こうしてヒーローはゲーセンに行った』では、
喧嘩をした結果停学になってしまうというある意味当たり前の展開になってしまった。
それでも助けた女の子は感謝しているし、主人公も自分の行動が間違っているとは思っていない。
仲間が少なくても、世間が肯定してくれなくても、物語は成り立つと信じている。