ギルド受付嬢の裏の顔
「いらっしゃいませ。ギルド『ローズテイル』へようこそ」
「こんにちは、アイラさん。いつものください」
「はい! ご用意してありますよ、どうぞ。それよりもどうですかね。やっぱり、うちのギルドには入ってくれませんか?」
真っ赤なストレートのミディアムヘアを揺らしながら期待のこもった声とくりくりとした大きな目が向けられる。
ギルド職員に支給されているであろう制服の上からロゴの入ったエプロンを着ている若い女性。
こちらの素敵な受付嬢さんに癒やされる為にここへ通っていると言っても過言ではなかった。
「集団での活動はまだちょっと。何度も誘ってもらっているのにすみません」
王都で一二を争う大手ギルドである『ローズテイル』の看板受付嬢から手渡された紙袋を小脇に抱えながら遠慮がちに愛想笑いを返し、頭を掻いた。
異世界転生して早四年。今の俺は社畜だった前世の自分とおさらばして、女神様から与えられたスキルで金を稼ぎ、組織には属さずに悠々自適なスローライフを送っている。
「またあいつだよ。なんであんなヒョロイ男を何回も誘ってるんだよ」
「俺もあんな風に誘われてみたかった」
「なんで、あんなおっさんを」
そんな悪口や妬みの声が各所から聞こえた。
俺だって好きで可愛らしい受付嬢のお誘いを断っているわけではない。
前世では大企業に就職したが働き詰めで過労死しているんだ。二度と同じ目には遭いたくない。
それに『ローズテイル』は若くして才能にあふれる冒険者が多く所属しており、反対に俺よりも年上の者たちは体中に傷があって寡黙だ。実にハードボイルドである。
俺もそんな風になれるなら良かったが現実はそう甘くない。転生してからも中肉中背でパッとしない容姿だった。
ふと顔を上げると受付嬢のアイラさんは体を小刻みに震わせていた。
何か怒ってる?
「また持ってきてくださいよ。騎獣《クシャルパルカ》の羽根!」
アイラさんの発言にギルド内が騒然とする。
それは言わないでってお願いしたのに。
「大貴族の無理な依頼をたった一人で完遂した男ってあいつのことかよ!?」
「嘘だろ! ギルマスが出向いても返り討ちにされたのに!?」
騎獣とは、太古からこの世界に存在しているという神のような生命体だ。
俺も最初は信じてなかった。でも出会ってしまった。その上、スキルを使って仲良くなってしまったんだ。
話し合いの果てに羽根の一枚をもらってギルドに提出しただけで別に激戦を繰り広げたわけでもない。
それなのに羽根一枚でギルド内は大騒ぎになってしまったんだ。
「いっそのこと、貴族様に召し抱えてもらえばよかったんですよ。その話も断っちゃって、一体なにがしたいんですか?」
自分のことではないのに、なぜか得意げに語るアイラさんが他の冒険者を威嚇するようにギルド内を見回す。
屈強な男たちも彼女には弱いのか、すぐに目を逸らしていた。
「そういえば、今日もギルドマスターは出張ですか?」
「これから出張に行くかもしれませんね。何かご用ですか?」
「いえ、大したことではないんです。いつも買い物だけで利用させてもらっている上に、高額な仕事だけ斡旋してもらっているのでお礼を、と思いまして。やっぱり一流のギルドになるとマスターには簡単にお会いできませんね」
「そんなこといいんですよ。うちだって手に余る仕事をお願いしている形ですから。持ちつ持たれつですよ。……それに、毎回会ってるし」
「え、なんですか? 最後の方が聞き取れなくて」
急に小声になるから聞き漏らしてしまった。大切なことだったらどうしよう。
「気にしないでください。今日もこれから《はじまりの平原》ですか?」
俺は無言で肯定し、背を向けて出入り口へと歩き出す。
冒険者たちからの視線は痛かったが、気にせず扉に手をかけると背後から「ちょっと出てくる~」という気の抜けたアイラさんの声が聞こえた。
休憩に入るのだろうか。さすが大手ギルド、ホワイト企業だ。
◇ ◇ ◇
晴天が広がり、そよかぜが草木を優しく撫でる丘で岩に腰掛け、『ローズテイル』で購入したパンを頬張る。
この四年で各地の店を回った結果、あそこの喫茶店で手作りしているパンが一番美味いと結論づけた。
それ以来、俺はギルドに所属しているわけでもないのにあしげなく通っている。
「またそのパン食べてんの?」
「こんにちは、ライアさん。一つ食べますか?」
音もなく現れて俺の隣に座った女性の真っ赤なミディアムヘアが活発に外側に跳ねている。好戦的かつ挑発的なつり目。いかにも冒険者らしい服装の襟には七色の羽根が光っている。彼女は俺の数少ない冒険者仲間だ。
「いらない。全部一人で食べなさい。……それ作ったの私だし」
「ん? なんですか?」
「なんでもない。今日も『ローズテイル』に寄って来たんだな」
今日は機嫌が悪い日だ。やはり女性というものは分からん。
そもそも前世で理解できなかったことが、いま理解できるはずがないのだ。深く考えるのは止めよう。
「今日もアイラさんは元気でした。パンが美味しいってのもありますけど、アイラさんの笑顔に元気をもらいに行ってるのもあるんですよね。あ、すみません。三十路手前の俺なんかが気持ち悪いですよね。今のはアイラさんに言わないでください」
なぜかライアさんの頬がピンク色に染まっていた。いや、もうピンクを通り越して真っ赤になっている。今にも髪の色と同化してしまいそうだ。
「どうかしました?」
「うっさい。黙って食ってろ」
やっぱり今日はやけに当たりが強い。たまにこういう日があるのだが、なにか法則でもあるのだろうか。
「ここに来る前にあんたと初めて会った時のことを思い出していた」
「あぁ。俺が『ローズテイル』の受付嬢さんから《クシャルパルカ》の依頼を受けた時ですね。そういえば、あの受付嬢さんは最近見ないけど、辞めちゃったのかな?」
「いや。ずっと働いてるよ。普段は受付してくれてるし」
「へ? ライアさんって『ローズテイル』所属でしたっけ?」
気に障るような質問だっただろうか。
ライアさんは口元を隠しながら顔を背けて、数秒後には怒りだした。
「はぁ!? 違いますけど! 私が顔を出した時は毎回受付してんの! ギルドに所属してないあんただって頻回に顔を出してるくせに文句あんの!?」
「え、あ、ぁ、すみません」
思わず、口ごもってしまうほどの剣幕だ。
聞いたところによるとライアさんはかなり強い冒険者らしく、その噂に納得できるレベルの威圧感を持っていた。
◇ ◇ ◇
俺がライアさんと出会ったのはちょうど一年前。この異世界で有名な大貴族様のわがままな依頼で『ローズテイル』が困っている頃だった。
簡単に金を稼げる依頼を探して各地のギルドを冷やかしていた俺はクエストボードの一番目立つ場所に貼られたその依頼を見つけて、にんまりと笑った記憶がある。
あの時の受付嬢さんの驚きを隠せない表情と素っ頓狂な声は今でも忘れられない。
なんでも『ローズテイル』のギルドマスターが直々に赴いたが、五日経っても帰ってこないとの事だった。「金を積むからギルドマスターの救助も依頼したい」と言われたときは断ろうかと思った。
しかし、前世の悪い癖で強く断ることができずに出立してしまったんだ。
救助対象者であるギルドマスターの身体的特徴を全く聞いていないことに気付いたのは日が落ちてからだった。
俺は二年前に偶然にもクシャルパルカの住処を特定してしまっている。
《はじまりの平原》にある洞窟に向かうと一人の女性がボロボロの状態で壁に背を預けていた。
「こんばんは。大丈夫ですか?」
「はぁ? あんた誰?」
質問に質問で返されてしまった。
警戒されていてまともに会話できる状況ではない。三年も異世界で生活しているとこういう身の危険を感じるときが多々ある。
怖い。逃げたい。でも、俺は笑顔を絶やさない。だって怖いから。少しでも歩み寄りの姿勢を見せた方が危険からの回避率が上がると俺の中で統計が出ているから。
「どうぞ、ポーションです。一流ギルド『ローズテイル』で購入したものなので必ず効きます」
「これ、一番いいやつ」
彼女が言った通りで一番高級なポーションだ。
『ローズテイル』はとんでもない調合師を雇っているようで最初はぼったくりかと思った。しかし、一口飲んで値段以上の価値があると確信してからはあそこ以外でポーションを買わないことに決めている。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
この人、遠慮しないな。
あげたものだから好きにしていいんだけど、そんな水を飲むみたいにされると、うん、ちょっと複雑。
「あんた名前は?」
空になった瓶をポイ捨てしながら女性が問いかけた。まだ警戒されている。
彼女の好感度を上げる為には高級ポーションだけでは足りないようだ。
「ギン=マエダです」
「変な名前。『ローズテイル』の冒険者か?」
失礼な人だな。
俺はポイ捨てされた空き瓶をポーチの中に入れた。
「いいえ。野良です。今は『ローズテイル』から狩猟クエストと救助クエストを受注中です」
「ふぅん。私はライアだ。見た目弱そうだから私が護衛してやるよ。それがお礼でいいだろ」
傍若無人だ。そして失礼な人だ。
こうして俺とライアさんは洞窟の最深部に進み、誰も気付かないであろう隠しブロックを解錠した。
「やぁ、久しぶり。元気してた? 今日はお願いがあって来たんだ」
目の前には巨大な翼を折りたたんだドラゴンのような生命体が鎮座している。
彼がいる場所にだけ光が差し込み、神々しいことこの上ない。
「お、お前! 狩猟ってクシャルパルカなのか!?」
「あれ、言ってませんでしたっけ。すぐに終わらせるので待ってて下さい」
「待て待て! 丸腰でなに言ってんの!? 殺されるわよ!」
「大丈夫ですよ。流石に討伐はしませんが、依頼主が納得できるものを持ち帰ればいいんですよね」
静かにクシャルパルカに歩み寄り、事情を説明する。これが俺の唯一のスキルだ。
この世界に生息するモンスターの中でも上位に位置するものは知能が高く、話せば分かってくれることが多い。彼も快く翼を広げて、抜け落ちた二枚の羽根をくれた。
「ありがとう。これはお礼です」
ポーチの中から金色の草を取り出して彼の口元に持って行くと、何のためらいもなく食べてくれた。
「信じられない。クシャルパルカの狩猟クエストってことは救助対象者は」
ライアさんが呆然と立ち尽くしてブツブツと呟いている。
洞窟の中は真っ暗で気付かなかったが、彼女の髪は燃えるような真紅のミディアムヘアだった。
今は所々が焦げたり、汚れたりしている。元はきっと美しいのだろう。
「よし! これでギルドに提出できますね。あとは『ローズテイル』のギルドマスターを探さないと」
「いや、大丈夫だ。私をここまで運んで来て、さっさと帰って行った。だからクエスト達成だ。早く戻りな」
早口でまくしたてるライアさんに促されて隠しブロックから出ると、無言のまま二人で《はじまりの平原》まで歩いた。
「クシャルパルカの住処については黙っておいて欲しいんです」
「分かってるよ。そもそもあんな場所に行こうと思わないし、扉の開け方も知らないし」
「ありがとうございます。よかったら、これどうぞ。じゃ、失礼します!」
俺は余ったクシャルパルカの羽根を彼女に渡し、意気揚々と帰還して『ローズテイル』の受付嬢さんに依頼品を提出した。
口をパクパクさせながら震える手でトレイを持ち、カウンターの奥へ消えて行く。
やがて、苦笑いを浮かべながら戻ってきた。
「こちらが報酬です。それと当ギルドのギルドマスターからです。遠慮なくお持ち下さい」
とんでもなく重い布袋には大量の金貨が入っていて、それとは別にもう一袋をいただいてしまった。
一生遊んで暮らせるかもしれない額だ。
こういう時に遠慮することが美徳にはならないと学んだ俺は周囲を警戒しながら帰宅したのだった。
◇ ◇ ◇
「そういえば、あの日からアイラさんが受付に立つようになった気がするなぁ」
「……少しでも話したいからね」
ライアさんは遠くの空を眺めながら感傷にふけっているようだ。
そっとしておこう。
「パンが美味しくなったのもその頃だったかもなぁ。もう他のパンじゃ満足できないよ」
「……ありがとね」
耳まで真っ赤なライアさんが更に小さく膝を抱える。
熱でもあるのだろうか。
「なんでライアさんは俺がいる所が分かるんですか?」
「はぁ!? あぁ、まぁ、偶然?」
初めて出会った後から至る所でライアさんと出会うようになった気がする。
クエストでご一緒することもあるし、町中でばったり出会うこともあるし、偶然は重なることがあるんだなぁ。
「俺、アイラさんから『ローズテイル』に入らないかって誘われてるんですよ」
「ふぅん。どうするの?」
「悩んでるんですよね。超一流しか所属していないじゃないですか。俺なんかが馴染めるか心配で」
「きっと大丈夫だよ。後悔しないようにちゃんと考えて答えを出しな」
「はい。ありがとうございます」
やっぱり、いつもの優しいライアさんだ。
◇ ◇ ◇
ある日、アポなしで『ローズテイル』を訪れると受付カウンターにアイラさんの姿がなかった。
特に仕事を受けに来たわけではなかったのでギルド内にある喫茶店で飲み物を注文して待っているとドタドタと足音が聞こえ、雑にコップを置かれた。
今までこんな接客をされたことはない。喫茶店の利用客も多くないし、そんなに慌てて提供する理由もないだろうに。
「いらっしゃいませ。今日はいらっしゃらないのかと思いましたよ」
「こんにちは、アイラさん。午前中は寝ていました。ダメですよね。せっかくの休日なのに無駄にしてしまって」
「そんなことはありませんよ。あの、今日はパンのご用意がありません。今からでも焼きましょうか?」
「いいですよ。また今度買いに来ますね」
何気ない会話を終えて、アイラさんが受付カウンターに戻ろうとしたとき、何かを落とした。
舞い落ちる物体は七色に輝く一枚の羽根だった。
「っ!?」
「クシャルパルカの羽根だ。でも、なんでアイラさんがこれを? 持っているのは貴族とライアさんだけのはず」
落とし物を拾い上げた俺から奪い取るように素早い動きを見せるアイラさんが口ごもる。
まさか、泥棒!? それとも転売!?
「こ、この前、ライアさんがいらっしゃって。忘れ物なんです。次に会った時にお返しするんですよ」
「なるほど! それなら安心しました。勝手に触っちゃってすみません」
「い、いえいえ~。ありがとうございました~」
そそくさと退散するアイラさんがカウンターの奥に消えていく。
さすが超一流ギルドの受付嬢さんだ。動きに無駄がなく、全く反応できなかった。
◇ ◇ ◇
数日間は別のギルドで仕事を請け負っていたので『ローズテイル』に顔を出せなかった。
久々にパンを買いに行くとムスッとした表情で肘をついている受付嬢さんと目があった。
「こんにちは、アイラさん。いつものありますか?」
「ありませんけど。そんな都合の良い店だと思わないで下さい」
めちゃくちゃご機嫌ななめだ。こういう時は素直に回れ右するに限る。
「そ、そうですよね。人気ですもんね。じゃあ、また来ますね」
「……チッ」
舌打ち!?
アイラさんがやさぐれている。だからギルド内の空気もギスギスしていたのか。
俺が入店してから蜘蛛の子を散らすように職員も冒険者もいなくなったから、おかしいと思ったんだよ。
「えっと、お邪魔しました」
「待ちなさんな。せっかく十日ぶりに来たんだ。ゆっくりして行っておくれ。これサービスだから」
俺の背中を押しながら無理矢理テーブル席に座らせたのは『ローズテイル』で働く大ベテランのウェイトレスさんだ。なんでもギルド創設時から勤続しているとか。
無駄のない動きで目の前にコップが置かれ、カウンターの奥に消えてすぐに戻ってきた。
彼女の手には焼きたてのパンの入ったバスケットが握られている。
「いただきます」
勧められるままにパンをちぎって口に放り込む。
美味い。美味いけど、いつもの味じゃなかった。
「これ、いつものですか?」
「おや? お気に召さないかな」
ウェイトレスさんが不思議そうに小首を傾げている。
俺は普段からアイラさんに適当な注文しかしないから、いつものパンの名前を知らない。
いつもので通じるような仲になってしまっているのだと今更ながらに気付く。
そんなアイラさんの姿はなく、受付カウンターは無人になっていた。
「これですよね」
仕方なくパンをかじっていると背後から冷めたパンを持ってきたアイラさんの声が聞こえて振り向く。
さっきと同じように不機嫌な顔ではあるが、いくらか温かさを感じる。
手渡されたパンを一口かじると、より強いバターの脂と砂糖の甘さがじんわりと溢れ出して、口内に旨味が広がった。
「これです、これ! 一番美味しくて一番好きなやつです」
「はは~ん。なるほどね」
ウェイトレスさんが意味深に頷き、不敵に笑い始めた。
「ねぇ、ねぇ。うちのギルドマスターと会ったことはあるのかしら?」
「それがないんですよ。けっこう顔を出しているつもりなんですけど、一度もなくて」
「あら、そうなのね」
にやにやが止まらないウェイトレスさんに対して、アイラさんの顔が引きつっている。
何か触れられたくないものに触られたときのような反応だった。
「うちのマスターってすごく強くて格好いいのよ。それでいて優しくて頼りにもなるんだけど、いつも一人で抱え込んじゃうのよね。で、他のメンバーとの溝が広がっちゃうの。ねぇ、アイラちゃん?」
「そ、そうでしょうか。わたしには分かりかねます」
いつもの元気がないな。もっとハキハキしているのに珍しい。
「アイラちゃんは反対に元気いっぱいで可愛いの。でも特定の人以外には優しくなくて、たまに仕事を放り出してどこかに行っちゃうときがあるのよ。ねぇ、アイラちゃん?」
「は、はい。すみません」
そんな一面があったとは驚きだ。
俺はアイラさんのごく一部しか知らないから当然と言えばそれまでだが、とにかく意外だった。
「そんな人が働いているギルドなんだけど、どう思う?」
「どう、と言われましても。そうですね。ギルドマスターさんの仕事が減ればいいと思いますけど、性格的に難しいのであれば周囲の人も困ってしまいますよね。何かガス抜きできる趣味とか楽しみとかがあれば、それを皆で応援するとか。その時間を作ってあげるとか。部外者の俺が言うのもなんですけど」
「ううん。良いアドバイスだと思うわ。ねぇ、アイラちゃん?」
アイラさんはそっぽを向いて受付カウンターの中に入って突っ伏してしまった。
具合が悪いなら無理に仕事をしないで休めばいいと思う。ギルドから人はいなくなってしまったし、外から入ってくる気配もない。
それなら有給休暇とかどうだろうか。そんなものがあるのか知らないけど。
「今日はどこに行くの?」
「お気に入りのパンを食べられたので帰ります。明日は《希望の街道》で仕事ですよ」
俺は紙袋に入れてもらったパンを持ち、気持ちよく帰宅した。
◇ ◇ ◇
「ってことが昨日あったんですよ。ライアさんは『ローズテイル』のギルドマスターさんと知り合いなんですよね? 何か聞いています?」
「あぁ、まぁね。そうだね。色々と大変みたい。書類業務に追われる日々だし、問題が起これば頭を下げに行かないといけないし、ろくにクエスト受注できないし」
「それは大変ですね。随分と詳しいですけど、ライアさんもどこかのギルドマスターだったりするのですか?」
「はぁ? 違うけど。全部聞いた話だけど」
今日は機嫌が良かったり、悪くなったり難しい日だ。
言葉選びを慎重にした方がいいな。
「上手く仕事を部下に振れるといいですね。そしたら時間ができますし、部下の人も信頼されているって実感できて自信に繋がるかもしれません。どうしても偉い人と話すのは緊張しますし、逆に上の立場になると下に気を遣い過ぎたりするし。人間関係って難しいですよね」
「そうだよな。早く帰らないといつまでも残ってるし、かといって早く帰るとなかなか話す時間がないし」
こんな真面目な表情を見るのは初めてだ。それにこんなに真面目な話をしたのも初めてだ。
いつもはもっと下らない話をして、依頼をこなして帰るだけだからライアさんの知らない一面を見れたな。
「あの受付嬢のこと、どう思う?」
「アイラさんですか? 良い人だと思いますよ。たまに仕事をサボるらしいですけど」
ライアさんの乾いた笑いがどこか寂しげだった。
すっごい今更だけど二人の名前は似ているな。それにどっちも赤髪だ。
この世界の人は髪の色がとんでもなくカラフルなので赤い髪も特段珍しくはない。
「聞いた話ではギルドマスターさんと受付のアイラさんを足して割れば、ちょうどよさそうでしたね」
「か、仮に『ローズテイル』のギルドマスターが女だったとして、お前はどっちの女が魅力的だと思う?」
急ハンドルを切られた。突然始まった恋バナにたじろいでしまう。
前世でも恋愛に無縁だった俺にそんな話をする相手なんていなかった。
なんて言えば良いのだろうか。
「仮にギルドマスターさんとアイラさんの性格が反対だったとしてもウェイトレスさんのように気に掛けてくれる人がいるなら、きっとどちらも魅力的だと思います」
「ふぅん。そっか」
この答えが正解だったのかは分からない。
やけに素っ気ない返事をされたから、ライアさんの望んだ答えではなかったかもしれないが、俺の正直な気持ちを話したつもりだ。
これ以上は捻り出しても出てこない自信がある。
「なぁ、クシャルパルカの一件で高額な報酬をもらったんだろ。何に使うつもりだ?」
「迷っているんですよ。思い切って家でも建てようかな、なんて。でも一人暮らしで王都に一軒家はちょっとなぁ」
「誰かいい人はいないのかよ」
少しライアさんの声が震えている気がする。
これが恋バナをする男女の気まずさか。初めての経験だ。
「お前がよく話題にするあの受付嬢、とか」
「ないですね」
「えっ」
なぜライアさんがそんなにも悲しい顔をするのだろう。
こっちまで胸が苦しくなってしまう。
「だって、俺なんかとじゃ釣り合いませんって。俺は異世界からきた転生者で別に強くもない。アイラさんはこの世界の人で超一流ギルドの職員ですよ。あんなに可愛いなら恋人がいるでしょう」
彼女の口から漏れたため息は呆れたような、安堵したような、そんな複雑な感情を孕んでいるように感じた。
「お前、やっぱり『ローズテイル』に入れ。明日、ギルドに行って試験を受けろ。ギルドマスターには話を通しておいてやるから絶対に行けよ」
打って変わって懇願するような眼差しが向けられ、俺は何も考えずに頷いてしまった。
◇ ◇ ◇
ギルド『ローズテイル』は朝から物々しい雰囲気でいつものように朝から騒いでいる輩が一人もいなかった。その場にいる全ての人が気を引き締めているような様子で空気が重い。
深呼吸をして受付に向かうとカウンターにはアイラさんではなく、一年前に俺にクシャルパルカの依頼の話をしてくれた受付嬢さんが立っていた。
「ギルド登録試験の約束をしているマエダです。よろしくお願いします」
「はい。本日は宜しくお願い致します。試験会場にご案内致します」
受付嬢さんもキリッとした表情で背筋を伸ばして案内してくれた。
廊下を突き進み、扉の前で改めて深呼吸をしてから入室すると眼前にはライアさんが座っていた。
「し、失礼致します。本日は宜しくお願い致します」
頭の中は大混乱だが、この場でいつものように気軽に声をかけるわけにもいかず、脳内シミュレーション通りに挨拶する。
「ギン=マエダ、男性、二十九歳。スキル名は《ザ・テイマー》。これまでに数多くのSランククエストを完遂してきたソロプレイヤー。主に採取や狩猟クエストを得意とし、逆に討伐クエストは受注歴なし。騎獣《クシャルパルカ》の羽根を持ち帰ることができる唯一の人間だ。経歴は申し分ない」
事前に提出した履歴書代わりのステータスペーパーをライアさんが読み上げた。
気恥ずかしさを堪えつつ、彼女以外の面接官二人を見回す。どちらも屈強な男性で飛び掛かられれば一瞬で死しんでしまう自信がある。
彼らはライアさんの言葉に頷くだけで反論しない。つまりライアさんが一番偉いということだろう。
昨日、ライアさんはギルドマスターに話を通しておくと言っていた。
これはやっちまったな。
『ローズテイル』のギルドマスターと馴れ馴れしく説教じみたことを言ってしまった上に、看板受付嬢さんをべた褒めしてしまった。
終わった。
ここに連れてこられたのは、晒し上げて王都を歩けなくするつもりか。それとも脅されて死ぬまで働かされるのか。
「マスターよぉ。あんなに積極的に口説いても首を縦に振らなかった男になんて言って連れて来たんだよ」
「まったくだ。今にも泣き出しそうな顔をしてやがるじゃねぇか」
二人の面接官は見た目よりも優しい御仁だった。
ん? 頻回に会っていたのは間違いないが、口説かれた記憶はないぞ。
誰かと勘違いしていらっしゃるのかな。
「はぁ? 私はうちのギルドに入れとしか言ってない」
「悪いな、兄ちゃん。うちのマスターは不器用なんだ。他のギルドがあんたに声をかけないように牽制したり、無茶苦茶な依頼ばかり頼んだりしてまで欲しかったんだよ」
ライアさんが気まずそうに目を逸らす。
言われてみれば『ローズテイル』から請け負った仕事はどれも面倒で高額報酬なものばかりだった。
俺は女神様から与えられたスキルを使用して割と簡単に終わらせていたが、本来であれば何個ものパーティーで協力するべき案件もあったはずだ。
そういう依頼のときは必ずと言っていいほどライアさんが隣にいた。
どこからか情報が漏れているのかと勘ぐっていたが、本人からの依頼であれば俺がいつどこにいるのかは知っていて当然だ。
「あんたが別のギルドで仕事をしていると機嫌が悪くて仕方ねぇ。俺たちの心の健康面のためにもうちに入ってくれ」
機嫌が悪いと言われて真っ先に思い浮かんだのはライアさんの顔ではなかった。
思い返せば彼女がムスッとしている日は俺が別のギルドで仕事をした日の後だったはずだ。
「ん? んー? あれ、間違ってます?」
挙動不審となる俺を見て、二人の面接官が意味深に頷きながら視線をライアさんに向けた。
彼女はチラチラとこちらを見つめ、机の下でせわしくなく手を動かしいる。
「やっぱり間違っていますよ。不機嫌だったのは受付のアイラさんです」
俺の発言を受けて男性の一人は含み笑いを必死に堪え、一人は呆れ顔でため息をついている。
そして、ライアさんは椅子を倒して立ち上がった。
「どんだけ鈍いんだよ! 分かれよ! どうみても同じ髪だろ。ストレートか外ハネかの違いだろ! メイク落とせばあの顔なんだよ。この羽根を落としたのも目の前で見ただろ! これを持ってるのは、あのクソッタレ貴族以外ではこの世で私だけなんだよ!」
ものすごい剣幕で捲し立てたライアさんが音を立てながら扉を閉め、どこかへ消えて行った。
俺は何度も瞬きしながら男性二人を交互に見る。二人は何も言わずにずっと笑い、ずっと呆れているのだった。
「いらっしゃいませ。ギルド『ローズテイル』へようこそ」
お上品に開かれた扉から可愛らしく顔を出したのは俺が勝手に看板受付嬢だと決めつけたアイラさんだった。しかし、服装が異なる。
いつもの制服の上からエプロンを着ていない。
さっきまでライアさんが着ていたギルド代表としての高級そうな服だった。
「こんにちは、アイラさん。今日は受付カウンターにはいらっしゃらなかったですね。別のお仕事ですか?」
「はい。今日は鈍感クソチート野良猫野郎の面接官を務めていましたよ~。三分ほど前にこの部屋を退出して、たった今戻りました。にぶちんクソ優秀細マッチョ野郎はわたしの前でマヌケ面を晒していますね」
俺は確信した。
なんと、ライアさんはアイラさんで、アイラさんはライアさんだったのだ。
「色々と申し訳ありませんでした」
こうして大手ギルドのマスター直々によるギルド登録試験は無事に、ではなかったが幕を下ろし、俺は晴れて『ローズテイル』の一員になった。
◇ ◇ ◇
「ただいま戻りました。モンスターはただ産卵後で気が立っているだけでした。こちらから手を出さなければ問題はありません。とりあえず、証拠品として卵の殻をもらって来ました。提出した方がいいですか?」
Sランク認定されたクエストを終えた俺は『ローズテイル』の受付カウンターで依頼完了の報告を終えた。
「いらないと思いますよ。その報告だけで上も納得するでしょう。今日はもうお帰りですか?」
「そうですね。早く帰らないと怒られるので」
「いいですね。帝都に新築一軒家なんて羨ましいです」
今では『ローズテイル』の受付にアイラさんの姿はない。
あの笑顔を外で見られなくなったのは残念でならない。
「お帰りなさい」
しかし、こうして変わらぬ笑顔で出迎えてくれるなら、わがままを言うのは止めよう。
今では伝説となったギルド受付嬢の裏の顔を知っているのは俺だけなのだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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