民主主義の敗北
重ねて、本稿はテロ行為を推奨するものではないということを強く主張します。
令和4年7月8日、安倍晋三元首相が銃弾に倒れ亡くなった。
容疑者は山上徹也。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会。以降統一教会と記す)の恨みから、統一教会とつながりがあると考えられた安倍元首相を自作の銃を用いて殺害したようです。
山上容疑者の母親は教団に膨大な献金を行い、その結果家庭崩壊。父兄は自殺(父に関しては母が統一教会に入る前、別の宗教団体に所属していた時に自殺)とのことです。
これを受けて、統一教会教団会長が会見を開きました。
更にその会見をうけ、全国霊感商法対策弁護士連絡会が反論する形で会見を開きました。
特に全国霊感商法対策弁護士連絡会の会見はぜひ見てもらいたいと思います。
一応リンクです。youtubeとニコニコ動画で視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=QQPc644aNMs
https://live.nicovideo.jp/watch/lv337692945
この事件について様々な憶測が飛び交っていますが、今回は統一教会の恨みによる犯行だという推測で事件を考察していきたいと思います。
私がまず感じたことは、犯人は非情に頭が良いということです。これは偏差値の高い学校に通っていたとかそういう意味ではなく、自作で銃を作成する能力や、犯行の手際の良さ、そして何より安倍元首相を狙ったことです。
なぜ教団トップではなく安倍元首相なのかという疑念を持つ人が多いようですが、当初はそのつもりのようで3年前に火炎瓶で襲撃する計画を立てていたが、警備の関係上の問題等で不可能だったとのことです。
そして、安倍元首相を殺害することとなりましたが、これは山上容疑者の目的を達成するのに最適だったかと思います。
その目的とは何なのか、本当の事実は犯人にしかわかりませんが、統一教会の恨みならば、「統一教会をぶっこわす」ことだと思われます。
ではなぜ統一教会を潰すのに安倍元首相を殺害する必要があるのか、ということですが、単に洗脳された母親や、教団の一人を殺しても大した事件性にならない可能性があるからです。
世間は同情してくれるかもしれませんが、一週間もすれば忘れ去られているかもしれません。
しかし、もし岸信介元首相や安倍元首相、自民党とカルト宗教である統一教会がつながりがあるのだとしたらどうなるか?
これは大きな問題です。なぜなら大半の国民は自民党を支持しており、カルト宗教に乗っ取られていたとしたらまずいどころではないからです。
そして、岸信介元首相をはじめ、自民党と統一教会が関わりがあるというのはほぼ間違いないでしょう。
仮に全くかかわりが無かったとしても、ここまで悪名が広まってしまった以上、統一教会は信者獲得は困難になり、新たな被害者が減るとみて間違いありません。今後、教団の勢力は大幅に縮小することになるでしょう。
オウム真理教を見ればわかります。サリン事件を起こしたオウム真理教は、後継団体が作られはしましたがもはや風前の灯火です。統一教会が直接起こした事件ではないので単純に比較できる話ではないですが、統一教会も以前ほどの勢力は取り戻せないでしょう。
これにより、まだ信者であるならば、未だ洗脳から解けていない母親も目が覚める可能性があります。
教団が母親に対して、どのように指示するのか難しいところではありますが、匿って情報を秘匿するか、もう教団とは関係ないと思わせるために関わりを断つかのどちらかでしょう。
仮に匿ったとしても、安倍元首相を殺したのが自分の息子であるのならば、教団内の母親は裏切者扱い、サタンが取り付いたと周りから指をさされることは容易に想像できます。居場所を失った母親は、脱退を試みるかもしれません。
山上容疑者は事件実行前日に、教団の施設に向かって射撃練習を行っています。弾痕も残っています。
教団施設に弾痕があれば、統一教会の根回しが警察にまで及んでいたとしても、警察は教団施設を捜索せざるを得ません。
殺害という悲しい事件ではありますが、犯人の計画性の高さには目を見張るものがあります。
この事件に対して、民主主義への挑戦、断じて許されない、と主張する方が多くみられます。
確かに、人を殺すのはよくないことです。殺された当人が元首相であるという点からも世間の衝撃は計り知れません。
では、この事件が無かった方が良かったと仮定してみます。
山上容疑者が、事件を起こさずに統一教会に立ち向かうというストーリーで考えてみましょう。
山上容疑者は平和的活動で、統一教会の闇を動画や演説、SNS等で主張するとしましょう。
さて、統一教会は活動をやめるでしょうか。
やめるわけがありません。
では、個人では不可能なので統一教会と戦っている組織に頼ることにしましょう。まさに、先日会見した全国霊感商法対策弁護士連絡会がその一つです。
しかし、全国霊感商法対策弁護士連絡会は何年も奮闘し続けていますが、安倍元首相とその事務所にカルト宗教である統一教会にメッセージ等を送るのは止めるようにという抗議文を送ったにも関わらず無視されています。
次に、最も民主主義的な方法に挑戦することにしましょう。その象徴ともいえるのが選挙です。
統一教会とつながりが薄く、政教分離が明確な政党が勝ち取れば統一教会の勢いも衰えるかもしれません。
まず、自民党はあり得ません。統一教会と関係がある考えられるからです。
ではどこに投票するか、N国? 共産? れいわ?
山上容疑者がどこに入れたところで結果が変わるわけがありません。清き一票は一票の価値しかありません。
私には平和的活動で、カルト宗教を根絶する方法は思いつきません。山上容疑者もそうだったのでしょう。何十年平和的活動を続ければ変化があるかもしれませんが、しかしそれまでに膨大な犠牲者が生まれ続けるのでしょう。
トロッコ問題、というものがあります。ざっくり説明するなら、一人を犠牲に多数を救うのは正しいか否かという問題です。これは難しい問題です。
安倍元首相を殺すことにより、早急にこれ以上のカルト犠牲者を減らすか否か。
そして、山上容疑者の年齢は40代であり、一矢報いる最後のチャンスだと考えていたのだと思われます。
平和的活動では生きている間に潰せないかもしれません。
この事件は誰が悪いのか、統一教会か、殺害した山上容疑者か、政治にカルトを持ち込んだ政治家か……
悪い者は誰かという点はここでは語らずに、この事件が意味するところを考えています。
それは民主主義の敗北です。
民主主義による選挙の一人一人の一票ではなく、一人の銃弾が、今まさに政治を変えてしまったのです。
統一教会の合同結婚などの問題は昔からメディアで語られていました。また、自民党と統一教会の関係性も今回の事件で初めて指摘されていたわけではありません。
知っていたのに、知らないふりをして国民は投票し続けてきました。あるいは記憶を風化させてしまったのです。
カルトと関りがあると分かっていながら、他に碌な政党が無いし立ち上がる人もいないという事実から支持し、カルトを背後に抱えた政党を民衆が選び、カルトは必然的に壊滅することはなく、犠牲を生み続けてきた。
そして、民主的な方法で選ばれた政治家にカルト宗教に立ち向かう力がないどころか助長させ続け、ただ一人の暴力行為の方が、カルト宗教を根絶する力があったという事実です。
暴力によって歴史は変化してきました。暴力そのものが歴史と言ってもいいかもしれません。民主主義すらも暴力の末に得たものです。
そしてこの暴力行為が、次の選挙の結果に大きな影響を及ぼす可能性があるのです。今回は事件の詳細が出そろっていなかったのでそれほど大きな影響はなさそうでしたが。
さて、次の選挙では真面目に選ぼうと考えた時に、正しい政治家を見抜く力が民衆にあるかどうか。
無いと思います。どの政党政治家を選ぼうが同じことを繰り返す予感があります。
このご時世で民主主義を疑う人は少ないと思われます。その神話が崩れ去ろうとしているように思えます。
民主主義という神が死んだときに、次に信じるものはなんだろうか。
その時代の境目に我々はいるのかもしれません。