彦根南高校文芸研究部 塩津拓也 高校一年生 夏編
久しぶり投稿です。
彦根南高校文芸研究部 高月ちひろ 高校一年生 夏編と同時投稿です。
どちらから読んでも楽しめる内容になっています。
相変わらず、短編小説なのに長々と書いてしまいました。
読んで頂けると有り難いです。
「高月さん、卒業までよろしくね」
「塩津君、卒業までお世話になるね」
こうして、俺達の期間限定の恋人関係が始まった。
「で、これから私達何をすればいいでしょうか?」
高月さんは俺に疑問を投げかけてきた。
確かに何をすればいいのかと問いかけられば、全く考えていなかった。
少し考えた後、言った。
「名前を呼ぶって、どうかな?」
「それはいいですね」
「じゃあ、どうぞ」
「えっ?」
俺が譲ると高月さんが驚いた顔した。
そして、抗議を受ける。
「そこは塩津君が先に言ってよ」
「俺が?」
「そう」
お願いという顔された、
そんな顔をされるとさすがに断る事ができない。
意を決して言う。
「ちひろ」
「拓也君」
お互い名前を言った。
そして、同時に顔が赤くなった。
「名前を言うだけなのにこんなに照れるとは思わなかった」
「ほ、本当だね」
「と、取りあえず、名前呼びは二人きりの時限定しようか? ちひろ」
「そうだね。塩津君じゃなくて、拓也君」
自然に呼べるまでにはかなり時間掛かりそうだ。
そんな事を考えていると ちひろが聞いてきた。
「クラスのみんなにはどう伝える?」
「わざわざ言う必要は無いよ」
「うん、わかった」
変に言わない方がいい。
女の子はこういう話は好きかもしれないが、男は好む奴と好まない奴が居る。
正確に言うと興味がある奴と興味がない奴って言った方が正しいか。
男は趣味に走るか女の子に気に入られる事ばかり考えているかどっちかだからだ。
ちひろの顔を見ると何か言いたそうな顔をしている。
「どうしたの?」
「これは私の憶測だけど……」
ピンポン。
インターンホンが鳴った。
なんだろう? こっちはちひろの話が聞きたいのに……。
「うん、誰だろう?」
「私が出ようか?」
「いや、俺が出るよ。玄関まで出れないぐらい体調は悪くないから」
ピンポン、ピンポン。
えらい、煽るな。
そんな事を思いながら、玄関に向かう。
ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン。
連打するな。
ドンドン、ドンドン、ドンドン。
ついにドアを叩き出しやがった。
これは文句言わんといかんな。
「塩津! 開けろ! ちひろちゃんが居ることはわかっているだぞ!」
木之本さん?!
どういう事?!
とにかく、止めないと。
「後、一分以内で開けろ! 開けなれば、このドアを破壊する!」
「こら! そんな事するな!」
文句を言いながら、ドア開ける。
しかし、木之本さんは俺の抗議を無視して中に入る。
「ちひろちゃん! ちひろちゃん、どこに居る?!」
もはや、人質救出をするSWATと同じだ。
「ああ、やっぱり入っちゃったか」
真君が呆れながら、言っていた。
「真君、これどういう事だ?」
「どこから、説明すればいいだろうね?」
「他人事のように言うな」
「ちひろちゃん! 大丈夫!? 何もされてない!?」
向こうは向こうでとんでもない事になっている。
こうなると真君も家に上げて、木之本さんと真君とちひろと俺の四人で話をした方がいいな。
リビングに行くと、木之本さんがちひろちゃんに抱き付いていた。
この姿を見ると誘拐されて何年かぶりに再会したシーンにしか見えない。
木之本さんは俺の事を誘拐犯と思っているのだろう。
仕方なく、四人分のお茶と茶菓子を準備した。
落ち着いたところで俺が話を切り出した。
「ところで木之本さん、なんであんな事をしたの?」
「ちひろちゃんを助けるためよ。それ以上それ以下は無い」
ダメだ。わかっていたが話にならない。
真君に聞こう。
「真君、なんでこんな事になったの?」
「放送部の活動していたら、まことが部室に入ってきて『ちひろちゃんが大変な事になった! 今すぐ塩津の家に案内して!』と言われて、無理矢理案内された」
「その口調だと勢いよく入ってきただろうな」
「その通り。さすがに部長が『こら、一年! 部活している教室にいきなり入る奴がいるか?! 失礼にも程があるだろう!』と怒鳴られていた」
「木之本さんの事だから、怒鳴られたところで謝ることはしなかったでしょう?」
「塩津、あたしはそこまで無神経な人間じゃない。ちゃんと『非礼はお詫びします』って、謝ったよ」
木之本さんが言うと真君が首と右手を左右に降りながら言う。
「そんな丁寧に言っていない、強い口調だったよ『非礼はお詫びします!』って」
「まことちゃん、捏造はいけないよ」
「そんなに強くなかったよ……」
木之本さんはちひろに指摘されて、バツが悪そうな顔をする。
この調子だとなかなか話が進まない。
違った角度で木之本さんに話を聞いた方がいいな。
「木之本さん、なんで高月さんが俺の家に居るって知ったの?」
「A組の港さんから聞いた。プリントを届けてほしいと頼んだって事を」
「まことちゃん、それだけしか聞いていないならあんなに慌てて来る事ないでしょう?」
「ちひろちゃん、塩津は中学の時にクラスの女子の家に日替わりでヤりに行っていた話があるの。もしかしたら、ちひろちゃんが塩津の餌食になっているかもしれないと思って慌てて来たの」
「それ本当なの?」
俺を見るちひろの目は疑い丸出しだった。
どうやら、みき姉の話をまともに信じているな。
丁度いい機会だ、説明しておこう。
俺は本当の事を話した。
「わかりました。つまり、まことちゃんは塩津君の中学の時を知っているから私の事を心配して駆けつけてくれた。でも、それはみきさんの作り話だったって事でいいよね?」
「そういう事です」
事実を伝えるとちひろは納得してくれた。
「あたしは一年間、騙されていたの!?」
「まこと、一年前一緒に聞いていたけどどう考えても作り話しか聞こえなかったよ」
「ええ、どの辺が?!」
「色んな女の子の家にヤりに行っていたら、どこかで女の子同士で不協和音が起きて変なもめ事が起きるはずだよ。でも、みきさんからはそんな話が一切無かったからこれは嘘だなと思った」
真君の事の真髄を付くと木之本さんは自らの愚かさに気付いてがっかりしていた。
そして、俺の所に来た。
「ごめんなさい。今まで、嫌な事をして」
正直、この行動には驚いた。
俺が思っている木之本さんかなりプライドが高い。
そのプライドが高い人が頭を下げた。
どうやら、俺は木之本さんの事を勘違いしていたようだ。
プライドは高いが間違いとわかった時は非を認める事ができる人なんだと。
「わかってくれたら、それでいい」
「これからは話を聞いても、一回全部状況を把握してから行動する」
ここまで言う事は本気と認めていだろう。
「まこと、解決したのなら学校に戻るよ」
「真君、待って! もう一つあるの」
「「何?」」
俺と真君は問題は解決したからいいだろうと思いながら、木之本さんの疑問を聞いた。
「塩津とちひろちゃんって、付き合っているって本当?」
「拓也君、それ本当なの?」
それを聞いて内心驚いた。
ちひろを見ると俺から言ってほしいという顔をしていた。
仕方なく、言う事にした。
「本当だよ。付き合っているよ」
「ああ、あの話は本当だったんだ!」
木之本さんは両手を床に付けて倒れ込んだ。
現実を目の当たりにして、ショックを受けたようだ。
ちひろは木之本さんに尋ねる。
「ねえ、まことちゃん。誰から聞いたの?」
「港さん」
「港さん?」
なんで学級委員の港さんが知っているんだ?
これは俺達とD組の加田しか知らないはず。
「まこと、一から順番に喋ってくれない? 前々から気になっていたけど話の途中から始まったり話が飛んだりするから全部わかるの時間がかかる」
真君、よく言ってくれた。
木之本さんの話は本当に補足説明を何度もしてもらわないとわからない。
木之本さんのお父さんからもその事を指摘されていたところを見たことある。
ちひろは再度木之本さんに尋ねる。
「まことちゃん、どこで私達が付き合っている事を知ったの?」
「放課後、クラスの子と喋っていたら『そういえば、木之本さんの友達の高月さん、塩津君と付き合っているだって。どこまで進んでいるか知ってる?』と聞いた」
「クラスの子に聞いたの?」
「うん。C組の女子全員知っているよ」
そうなるとちひろはA組だから、間違いなく一年女子全員知っているな。
「で、あたしはちひろちゃんに真相を聞く為にA組に行ったら港さんが『高月さんは塩津君の家にプリントを届けに行って貰うように頼んだよ』と聞いて慌てて塩津の家に来た」
でも、俺の家に知らないから真君に案内させたんだな。
「でも、私達が付き合っているのはD組加田君だけのはず」
「ああ、なるほど。これで全部わかった」
今まで、疑問も丸出ししていた真君が納得した顔をした。
「何がわかったの?」
「え、わからないの拓也君?」
「すまん、わからない」
「ええ、拓也君は気付いたと思ったのに」
「お願いします、教えて下さい」
さすがにこれ以上じらされても困るので頭を下げて正解を聞いた方が早い。
「加田君が知っている事は自動的に港さんも知る事になるよ」
「何で?」
「港さんは双子なんだよ。A組の港さんは姉でD組の港さんは妹」
「「そうなの!?」」
俺とちひろは同時に驚いた。
対照的に真君は冷静に説明する。
「そうだよ。受験する時に双子の才女が彦根南を受けるって結構話題になっただけどな」
「高月さん、知っていた?」
「全然知らない」
木之本さんにも聞こうと振り向いたら、全く知らないという顔をしていた。
「あれ? 結構有名な話だと思っていたけどな……」
それは真君が勝手に思い込みだ。
それはどうでもいいとして、俺達が付き合っている事が一年女子全員知る事になる理由がわかった。
つまり、こういう事だ。
加田君がフラれる。
それがD君のクラスの連中が知る事になる。
そしてA組の港さんに伝わり、次の日には一年女子全員に伝わる。
それにしても、女子は恋愛関係の伝達スピードは早いとは思っていたがまさかここまでとはさすがに思わなかった。
ちひろの顔を見ると納得した顔をしていた。
多分、同じ事を考えているだろう。
「まこと、高月さんの安否が確認できたからもういいだろう?」
「うん。じゃあ、家に帰ろう」
「何を言っているの? 鞄、学校に置きっぱなしでしょう?」
真君のその一言を聞いて、木之本さんはあっという顔をした。
どうやら、高月さんの助ける事ばかり考えていたようだな。
友達思いはいいが行動する前に思考する事を必要性を覚えた方がいい。
真君と木之本さんは学校に戻った。
家を出る時、木之本さんは俺にほんの少しだけ笑顔を見せた。
少しだけ打ち解けたようだ。
「嵐が去ったね。ちひろ」
「うん。拓也君」
時計を見る。もう少しで五時半になるところだ。
「あ、もうこんな時間か。親父達が旅行から帰ってくるかもしれない」
「そうだ、ご両親、旅行に行っていたんだね。すっかり忘れていた」
「忘れても仕方ないよ。昨日今日といろいろ有ったからね」
本当にいろんな事があった。
正直、昨日今日の出来事の半分ぐらいで丁度いいぐらいだ。
俺はちひろを玄関ところで見送った。
「拓也君、明日は学校来る?」
「明日は来るよ」
「じゃあ、明日学校で」
「ちひろ、今日はありがとう。美味しいかったよ」
「どうもいたしまして。また、作ってあげるね」
「うん、楽しみしてるよ」
そう言って、ちひろは帰った。
俺は部屋に戻りベッドに座った。
その直後にのたうち回るようにベッドの上を転がった。
恥ずかしかった。
女の子の名前を呼ぶってこんなに恥ずかしいとは思わなかった。
ちひろの顔を浮かべながら言う。
「ちひろ」
身体が熱くなってくる。
好きな人の名前を言うだけでこんなに身体が熱くなるんだ。
壁に掛けてあるカレンダーを見る。
今度の休み、ちひろとどこに行こう?
どういう場所が好きなのかな?
明日、聞いてみよう。
そんな事を考えていると駐車場に車が止まった。
親父達が帰って来たようだ。
「ただいま」
みき姉だった。
声からして疲れているようだ。
部屋から出て、様子を見に行った。
リビングに行くと疲れて切ったみき姉が居た。
「お疲れさま。みき姉」
「本当に疲れたよ。交代一時間前に緊急手術が入ったから、その対応に追われた」
「そうか。これでも飲め」
そう言いながら、ホットココアをみき姉に渡した。
「そうかって、もう少し労いの言葉をかけろ」
労いの言葉と言われても、看護師のみき姉に言うのはなんか失礼に感じる。
とはいえ、言わなければ機嫌が悪くなるから取りあえず言っておくか。
「いつも地域医療に貢献してくれてありがとうございます」
「地域医療に貢献しているのは主に医者だけど、まあ、ありがとう」
そもそも、労いの言葉は上司には使わないだけどな……。
みき姉はココアを飲み終わったらしく、台所に行った。
「あれ? 牛丼がある。食べていい?」
「いいよ」
俺が言うとみき姉は牛丼にして食べた。
一口食べたら、首を傾げた。そして、俺に聞く。
「ねえ、この牛丼のどこの店のやつ? 初めて食う味だよ」
「わかるの?」
「わかるよ。夜勤をやっていたら牛丼は夜食定番の一つだからね。だから、三大牛丼チェーンの味は全て把握している」
どや顔で言われても困る。
食べ終えて、みき姉は俺に聞いてきた。
「この牛丼を作った人、誰?」
「ちひろだよ」
「ちひろ?」
あ、しまった。
つい、下の名前で言ってしまった。
「あ、昨日の女の子ね。名前呼びするという事は付き合っているのね」
「う、うん」
「はっきり言いなさい!」
「付き合ってます」
ああ、余計なエサを与えてしまった。
また、からかわれるな。
そんな事を考えていたら、みき姉から出た言葉は意外なものだった。
「そうか。まあ、拓也も普通の男の子で良かった」
「どういう事?」
「いや、拓也ってオタクっぽい感じだから女の子に興味無いのかと思った」
「失礼だな」
「ごめんごめん。何か悩みがあったら相談しに来なさいよ。年上の女性としてアドバイスはしてあげるから」
「いいよ。自分で解決するから」
「そういう事を言う人ほど、別れやすいよ」
「そうなのか?」
「少なくとも、私の周りは多いね」
みき姉の顔を見る限り、嘘は言ってはなさそうだ。
「わかった。その時は世話になるよ」
「うん。拗れる前に頼むね。じゃあ、寝る」
後片付けして、みき姉は自分の部屋に戻った。
俺も自分の部屋に戻った。
それから一時間後、親父達が旅行から帰ってきた。
楽しそうな会話をしている。
余程、旅行が楽しかっただろう。
そうだ、学校のアンケートを書かないといけない。
ちひろが届けてくれたアンケート用紙に目を通し、それぞれ回答をしていった。
アンケートを書き終えると母さんが部屋にやって来た。
「拓也、料理した?」
なんか、あったか?
ちひろが後片付けしていた時、一つも不備は無かったはず。
むしろ、完璧に元に戻したぐらいだ。
だが、ちひろが台所を使った事を知られるのは面倒くさい事になりそうだから俺が使った事にしておこう。
「したよ」
「包丁の向きが逆」
ああ、それか。
いつも母さんは包丁の刃は壁側にしていたな。
ちひろは刃を手前にしていたか。
だけど、ちひろがここで料理した事は言えないから、代わりに謝ろう。
「ごめん、次から気を付ける」
「刃が手前だとケガするから止めて言っているでしょう。本当に」
母さんはいつもそう言うがケガした事は誰もケガをしていない。
すると、みき姉が部屋から出て来た。
「母さん、なんか有ったの?」
「包丁の向きが逆だったの」
「ああ、ちひろちゃんが逆向きに入れたのね」
「ちひろちゃん?」
「拓也の彼女だよ」
あ、バカ。余計な事を言うな。
しかし、俺の思いとは逆にみき姉は更に喋る。
「病気になった彼の為に愛情を込めた手料理を作っただよ」
「おい」
母さんの目つきが変わった。
やばい。
やってしまった。
「何で、嘘吐いた?」
「余計な心配を掛けたくなかったからです」
こんな事を言っても許してもらえるとは思っていないがダメ元で言ってみる。
「そんな事言って許してもらえると思っているのか?!」
頭を掴んで右手をグーにして脳天をぐりぐりやる。
「母さん、そんな事よりちひろちゃんにお礼をしに行く方が先決じゃないの?」
みき姉、助けてくれるのは有り難いが方向性が全く違う。
「あ、そうだね。お父さんも一緒に来てもらおう」
「親父も行くの?」
「当たり前でしょう」
そう言って、母さんは俺を無理矢理親父のところに連れてかれた。
母さんは親父に一連の事を説明した。
「あけみ、行くのはいいが手ぶらでは行けないだろう。なんか、持って行かないと」
「羽合温泉の温泉饅頭でいいじゃない?」
「あれは従業員のだろう。ダメだよ」
「それじゃなくて、家のお土産を高月さんの家に持って行くの」
「それなら、いいか。じゃあ、準備するか」
と、俺の口を挟む間無く話は進んでいた。
無論、俺も案内する為に準備する。
あ、ちひろに連絡しておいた方がいいな。
ちひろに電話をかけたが話し中で繫がらない。
なんでこのタイミングで話し中なんだ。
本当についていないな。
取りあえず、LINEでメッセージだけでも送っておこう。
準備も整い、親父、母さん、俺はちひろの下宿先に向かった。
ちひろの下宿先に着いて、母さんがインターンホンを鳴らす。
「はい、どちらさまでしょうか?」
「塩津拓也の母の塩津あけみでございます。今日、ちひろさんが息子に料理を作って頂いたと聞いて、お礼に来ました」
「少々、お待ち下さい」
ドアが開くと母さん少しだけ若い女性が出迎えてくれた。
この人がちひろの叔母だな。
ちひろの彼氏(役)として恥ずかしい行動は控えないと。
「お待たせしました。塩津さん、ここで話もなんですから、お上がり下さい」
「いえ、お礼に来ただけですから」
「そう言わずにお上がり下さい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
なんで、こういうやりとりって必ず一度は断るという事をしないといけないだろう……。
時間の無駄にしか感じないのだけどな……。
そんな事を思いながら、家に上がった。
応接間に案内にされた。
三人分座れる長ソファ一つと一人が座れるソファが三つ有った。
長ソファには俺達が座り、ちひろとちひろの叔母がそれぞれ一人が座れるソファに座った。
ちひろは何かそわそわしている。
この様子だと詳細は聞かされてないようだ。
「すみません。今、娘にお茶を出すように言ってありますので」
「いえ、お構いなく」
「どうぞ。粗茶でございますが」
そう言いながら、若い女の人がお茶出してくれた。
この人ちひろの従姉のあかねさんか。
優しそうなお姉さんだな。
お茶を出し終えると立ち去ると思いきや、ちひろに話しかける。
「なかなか良い男の子じゃない。ちひろちゃんもやるね」
右肘でちひろの肩を突く。
「もうからかわないで」
「あかね、今はそんな事しないでいいから」
今はしないでって事は後でしていいって事だな。
多分、ちひろもその辺の言葉は勘付いているだろうな。
あかねさんは退室した。
「えっと、主人なんですけどもうすぐ帰って来ますので、それから話を進めた方がいいですかね?」
「いや、ちひろさんにお礼をしに来ただけですかから」
母さんはそう言いながら、羽合温泉の土産の温泉饅頭を差し出した。
「ありがとうございます」
と、ちひろさんの叔母さんは迷わず受け取った。
こういう性格の人、嫌いではない。
「そういえば、自己紹介がまだでした。私はちひろちゃんの叔母の唐崎ようこです。主人は唐崎哲夫です」
自己紹介を受けて、俺の両親の頭の上に疑問府が出たように感じた。
それに気付いたようで、補足説明をしてくれた。
「ちひろちゃんは私のお兄さんの娘なんですよ。彦根の高校に通う事になったので、親戚である私の家に住んでいるんですよ」
「ちひろさんの実家はどこなんですか?」
「長浜です。と言っても浅井なんですけどね」
「浅井なんですか。毎日通うのは厳しいですね」
「そうなんですよ。だから、叔父さんの家にお世話になっています」
「礼儀正しい子だね。拓也とは大違い」
余計なお世話だ。
「えっと、自己紹介が遅れました。僕は塩津拓也と申します。いつも、高月さんのはお世話になっています。こちらが父の塩津哲也、こちらは母の塩津あけみです。以後、お知り置きをお願います」
俺は礼儀正しくないイメージを払拭する為に両親よりも先に自己紹介してやった。
母さんはしてやられたと顔をしていた。
親父は何か考えているようで心ここにあらずという感じだ。
「ただいま」
玄関から男の人の声が聞こえた。
多分、ちひろの叔父さんだろう。
「『お客さんが来ているから、急いで帰って来て』って、あかねからメールが来たんだけど……、あれ、塩津さん!」
「唐崎さん! お久しぶりです!」
「本当ですね。九年ぶりですかね?」
「そうですね、九年ぶりですね」
親父と唐崎さんは九年ぶり再会を喜び会っていた。
話を聞くと唐崎さんは昔ライダーだったらしくよく親父の店にも出入りしていたようだ。
しかし、子供の教育費などでバイクが維持できなくなったから手放したらしい。
まあ、確かにバイクは車と違って趣味的要素が強いから家計から一番始めに切られても仕方ない。
それを考えたら親父の店は経営が安定しているから、かなり顧客を持っていると言っていいだろう。
本当にバイクが好きらしく話が止まらない。
そして最近始めたバイクレンタルの話を聞いて唐崎さんの興味が一段と沸く。
いかん、このままだとバイクの話がメインになってしまう。
「親父、営業に来たんじゃないだろう。高月さんにお礼に来たんだろう?」
「ああ、そうだった。久しぶりに唐崎さんに会えたから忘れてしまった」
「忘れるなよ」
「では、改めて。高月さん、今日は息子の為に料理を作ってくれてありがとうございました。娘に作っておいてくれって頼んでおいたのに、本当に申し訳ないです」
親父は深々と頭を下げた。
母さんも頭を下げた。
俺も一応頭を下げる。
やっと目的が達成された。
これで帰れる。
と思っていたら、唐崎さんが俺の顔を見る。
うん、何だ?
唐崎さんは少し考えた末に意を決して言った。
「拓也君、ちひろちゃんと仲がいいらしいがどういう関係なんだね?」
本来ならちひろの叔父に答える筋は無いが今はちひろの保護者。
更に言うなら、今はちひろの父親同然の人。
質問に答えないわけにはいかない。
「高月さんとはお付き合いさせていただいております」
「ちひろちゃん、本当かね?」
「あ、はい。お付き合いしています」
ちひろが言うと唐崎さんは腕組みして天井を見上げる。
一分ぐらい見上げた後、俺を見て言った。
「拓也君。僕は二人の交際は認める事はできない」
「「?!」」
唐崎さんの言葉に唐崎さんの奥さんとちひろは驚く。
「お父さん、それは酷くないですか?」
「ようこは黙ってなさい」
唐崎さんの奥さんが抗議するが唐崎さんは一蹴した。
「どうしてか、わかるか拓也君?」
「俺が信用に足らない人間だからですか?」
「それは違うな。僕は一目で人間性を見抜けるほど立派な人間でないよ」
「俺が高月さんとお付き合いするにはふさわしくない人間だからですか?」
「それも違うな」
これは難解だな。
そもそも、唐崎さんの心の中を読めて不可能な話だ。
何を考えているんだ、この人は?
ふざけているのか。
「確かに難しいな。普通とは違うからな」
本当に難しい。普通とは違うからなと言われてもな……。
うん、普通とは違う?
どういう事だ?
俺は唐崎さんの顔を見る。
ただ、黙って俺の顔を見ている。
これはふざけていない。
むしろ、答えてほしいんだ。
どうして答えてほしいという理由はわからないが答えなければいけないのだけはわかる。
考えないと。
頭をフル回転させて考えないと。
「拓也君」
「ちひろちゃん、男が真剣に考えている時は黙ってあげなさい」
「はい」
唐崎さんとちひろのやりとりが耳に入ったが俺は答えを出すこと手いっぱいだった。
普通と言われても普通なんてそれぞれ尺定規があるからな。
駄目だ、わからん。
別の角度から考えよう
唐崎さんの言葉を振り返ってみるか。
考えてすぐに疑問に気付いた。
拓也君、僕は二人の交際を認める事はできない。
認める事ができない?
なぜ、わざわざ肯定の言葉と否定の言葉を一緒に言ったのだろうか。
普通なら認めないでいいじゃないか?
親戚でも今は父親同然なんだからそれぐらい言っても……。
うん? 親戚……。
そうか、これか。
唐崎さんはちひろの親戚であって父親ではない。
交際を認める事はできないという言葉は唐崎さん自身に交際を認める権利が無いという意味か。
親戚だったら、中学一年のストーカー被害の事も耳に入っているはず。
その一件があるから交際を認めるもの慎重になるもの無理はない。
もし何か遭ったら全責任が唐崎さん夫妻にかかってくるからな。
唐崎さんの不安要素が無くす事ができたら、交際がで許可が下りるだろう。
さっき、俺はちひろさんとお付き合いするにはふさわしくない人間だからですかと聞いた時、それは違うなと答えていたから、俺に関しては少なくとも悪い印象は無いだろう。
とにかく安心させられる事を言っていくしかないな。
俺は唐崎さんから出された質問に答えた。
四人は驚いたが唐崎さんは冷静だった。
多分、俺なら答えられると思っていたな。
そして俺は唐崎さんに安心できるように提案も出した。
もちろん、唐崎さんの状況を理解した上の提案。
それを聞いた唐崎さんは笑顔を見せて交際を認めてくれた。
正直、これを実行するのは大変だけどやるしかないな。
そんなこんなしている内に十時になっていた。
さすがにこれ以上の居るのは良くないので俺達は帰ることにした。
玄関先でちひろに声を掛けられた。
「拓也君。お土産ありがとう」
「ああ。あれは親父が用意した物だけどな」
「叔父さんと叔母さんによろしく伝えておいて」
「うん、伝えておくよ。いつか、ちひろの御両親の所に一緒に挨拶に行こう」
それだけ言って、親父の車に乗り込んだ。
車が出ると親父が言った。
「これ以上いちゃいちゃしていたら、歩いて帰らせるつもりだった」
「いちゃいちゃしてないだろう。喋ってただけだ」
「それが他人から見たら、いちゃいちゃしているだよ」
そういう事か。
仲良くするのはいいが人に依っては不快にさせる行為になる。
場所と状況を判断して行動しろって事だな。
「わかった。注意する」
「そうしてくれ」
家に戻ると明日の為にすぐに寝た。
次の日。
学校に行くとちひろは教室に居た。
意外と普通だった。
てっきり、クラスの女子がちひろを囲んでいると思ってた。
「高月さん、おはよう」
「塩津君、おはよう」
意識せずに挨拶をしようとするがやっぱり意識してしまう。
ちひろの顔が少し赤い。
同じように意識しているみたいだ。
話をして気を紛らわせよう。
「昨日はごめんね。夜遅く来て」
「ううん、いいよ。別にお礼なんか良かったのに」
「母さん、意外と義理堅い人だからそういう所はしっかりしている」
「それでも後日で良かったよ」
「一度行動を始めると気が済むまでやる人だから。この先も迷惑をかけるかもしれないから先に謝っておく」
「うん、わかった」
そんな話をしているとチャイムが鳴った。
全員が席に着いて、授業が始まった。
いつも通りに授業が進んでいく。
てっきり、俺達を茶化すと思っていたがどうやら杞憂だったな。
しかし、その考えは体育の着替えの時に消えた。
「し、塩津君」
「何?」
朝日君に声を掛けられた。
クラスメイトだが、入学から今日までも直接声を掛けられた事が無かった。
結構大人しい人でいわゆる陰キャラだ。
俺、朝日君に対してなんかしたかな?
考えるが思い当たるふしが全く見当たらない。
息遣いが荒い。
大丈夫か、体が悪いのか?
こっちの身よりも朝日君の身を心配してしまう。
深呼吸して言った。
「高月さんとお付き合いしているって、本当ですか?!」
そんなに大声で言わなくても聞こえるわと、言いたいがさすがに言葉が言葉だけに相当勇気を出したのだから、我慢することにした。
「付き合っているよ」
「あ、ああそうなんだ。あ、ありがとう」
両肩が体から外れるじゃないと思うぐらい落胆して俺の側から離れた。
ああ、ちひろの事が好きだったんだな。
すると、朝日君の周りにクラスの男子が集まる。
「これでわかっただろう」
「諦めついたか?」
「よし、学校が終わったらカラオケ行こう」
朝日君を励ましていた。
でも、この様子を見るとただ単にお盛り上がりたいだけにしか見えないが……。
着替えを終えて大宮君と一緒にグランドに向かって行った。
「塩津君」
「何?」
「高月さんと仲が良いからもしかしてと思っていたら、やっぱりかと思った」
「がっかりした?」
「いや。ただ……」
「ただ?」
俺が問い質すと大宮君は少し考えた後言った。
「うーん、彼女を作るには普段から彼女としたい女の子と仲良くしておくべきなんだと今日改めてはっきり理解できた」
「これはたまたまだ」
「いや、違うな。彼女の作る為の本には普段から仲良くしておくことと書いてあるだよね」
お前、そんな本読んでいるのか?
まあ、高校生だったら彼女が居てほしいよな。
「正直どうなんだろうと思っていたけど、実際にできた人を見ると本当なんだと思った」
「で、どうするんだ?」
答えは決まっていると思うが一応聞いてみる。
「決めた。塩津君を見習って彼女を作る」
「やっぱりか。大宮君が思っているほど簡単じゃないぞ」
「それでも彼女が欲しい」
「頑張れよ。応援はしてやるからな」
「ありがとう」
俺は右手をグーにして大宮君のグーにした左手に合わせた。
今日の授業は全て終わり、後は部室で執筆活動するだけだが俺とちひろは余呉に生徒指導室に行くように言われた。
一年の全生徒に知られていたら、余呉の耳に入るのは時間の問題だがまさかこんなに早く耳に入るとは思わなかった。
そんな事を考えているとドアが開いた。
そこには能登川と余呉、そして教頭の宮司が居た。
能登川の耳にも入っているのは想定の範囲だが、まさか宮司の耳に入っていたか。
宮司は未だに古い習慣にとらわれた考えを持っている人だ。
頭髪はほとんど無く、袈裟を着せたら坊さんに見えてしまうぐらいだ。
これはなかなか厳しい状況になったと思った方がいいな。
三人は俺達の反対側の席に座った。
完全に生徒指導モードの体制に入った。
不安そうな顔するちひろを見て言った。
「大丈夫だ、一つも疾しい事はしていないだ。堂々と先生の質問に答えればいい」
「う、うん。わかった」
できれば、質問は全部俺にしてくればいいだけどな。
宮司を俺の顔を見ながら言った。
「塩津君、高月さんとお付き合いとしていると生徒達が話題していますがそれは本当ですか?」
「はい、本当です」
「高月さん、塩津君とお付き合いとしていると生徒達が話題していますがそれは本当ですか?」
「はい、本当です」
なんだ? 結婚式の神父か、お前は?
「君達は学生だよね?」
「「はい」」
「学生の本分は学業ですよ。恋愛にうつつをぬかしている場合じゃないですよ」
「恋愛が勉学の邪魔になる発想は過去の遺物ですよ」
「遺物って、私をバカにしているのか?!」
「バカにしてません。事実を言ったまでです」
根拠は全くないが言われぱっなしされると相手の言い分が通ってしまうからな。
すると、宮司が余呉に矛先を変えた。
「余呉先生、塩津君にどういう指導をしているですか?」
「大変申し訳ございません。後で目上の対して言葉使いのことは厳しく言っておきます」
さすがに教頭に怒られたので平謝りだ。
「あのお言葉ですが、恋愛が学業に悪影響を与えるのはいささか言い過ぎではないでしょうか?」
意外の言葉が出てきた事に俺は驚いた。
「君は私の意見に逆らうのかね?」
「そんなつもりはないです。事実、三年で何人か付き合っている子達はいますが、それなり成績は上げていますよ」
「でも、一年の時トップクラスだった二人は今は十番台を行ったり来たりですよ。これに関してはどう意見しますか?」
それを言われると余呉は何も言えなくなってしまった。
すると、能登川がその質問に答えた。
「確かにあの二人は十番台に居ます。それは他の生徒達が頑張って勉強して成績を上げたからそのような結果になったですよ」
「それは認めます。他の生徒達はよく頑張りました。ですが、やっぱりあの二人は成績が落ちたのは事実です」
能登川のフォローは宮司のたったの一言で論破される。
それでも能登川はなんとかフォローをするが、ことごとく論破された。
遂に言葉が無くなったのか、能登川も黙ってしまった。
宮司はこの状況なったのは見計らって二人に止め一言を差す。
「もし、この二人が著しく成績が落ちたり問題を起こした時、能登川先生と余呉先生はどのように責任をお取りになりますか?」
なんだ、こいつ。俺達が問題を起こす前提で話を進めているのか?
だんだん、腹が立ってきたな。
更に宮司は喋り続ける。
「若い先生はすぐに恋愛はいいものだと推奨するが私は学生の本分は勉学。恋愛なんか学校を卒業してからでも十分にできます」
どうやら、恋愛自体を反対しているわけない。あくまでも学生は勉強をしろと言いたいだな。
けど、宮司に人の生き方を決められたくない。
「余呉先生と能登川先生は学生の時、何を学んできたですかね? 本当に最近の教育の質が落ちているのはここから来ているのでしょうね」
「ちょっと待て下さい。私は学生の時はちゃんと勉強していました。もちろん、恋愛もしました。でも、それが教育の質が落ちるのは繋がらないと思います」
「では、余呉先生。学生の時の経験を今受け持ち生徒にどのように生かせるか説明してください」
宮司が言うと余呉は何も答えられなかった。
せめて、ある程度の回答をできるようにしておけよ……。
宮司は呆れながら言った。
「担任がこれなら、この二人に期待しない方がいいですね。優秀な人材が失われてしまったか」
「はあ?」
思わず、不満の声を出してしまった。
もちろん、四人は俺を見る。
すぐにちひろが三人が見えないところで袖を引っ張る。
見ると声に出さないか、首を横に振る。
いかんいかん、つい態度が出てしまった。
冷静に冷静に。そう自分に言い聞かせて普通のトーンで話す。
「教頭先生の話を総合しますと在学中の恋愛は認めない。理由は成績が落ちるからでよろしいですかね?」
「そうです」
「わかりました。余呉先生、紙とボールペンとカッターナイフはどこに有りますか?」
「それなら、あの棚にある」
能登川が棚に指を差した。
余呉に聞いているだけどなと思ったが、まあ教えてくれたからいいとしよう。
俺は三点を棚から持ち出して、作業にかかる。
「塩津君、何をしているの?」
「少々お待ち下さい」
余呉の質問には答えずに作業する。
「よし、文章はこれでいいだろう。後はこれで仕上げだ」
カッターナイフを取り出して、右の親指を少しだけ切った。
余呉とちひろは「きゃあ!」と声を出して驚き、宮司と能登川は「おい!」としか言えなかった。
四人の行動を無視して最後の仕上げした。
「よし、これでいいな」
「これでいいなじゃないでしょう?! 血を止めないと!」
ちひろは慌てて止血処置にかかる。
ちょっと切っただけなのにそんなに大袈裟に騒がなくてもいいのに……。
「先生方、これを読んで下さい」
俺は書いた紙を先生達に差し出す。
余呉が読み上げた。
「宣言書。塩津拓也、高月ちひろ両名は学校の定期テストの順位を九番以内の成績を卒業するまで取り続ける事をこの文面を持って宣言します。もし、一度でも十番以下になった時は卒業までは一切交際はしません。成功した時は宮司教頭先生は余呉先生、能登川先生に自分の考えが間違っていたと謝罪する。塩津拓也」
「これどういう意味だ?」
さすがの事態に三人は付いて来れない。
「宣言書です。俺は俺のやり方で証明します。教頭先生の考えで間違っている事」
「私の考えが間違っていると?」
冷静に言っているが内心は怒り心頭だろう。
もっと煽る必要があるな。
「はい。さっきも言いましたが恋愛が勉学の邪魔になるという発想は過去の遺物です。今は二十一世紀です。いつまでも二十世紀の考えていては困ります。事実、我が校もIT先進校してタブレットが導入されました。現実を見て下さい」
「過去の遺物だと! 私の考えは間違っていない!」
よし、これならいける。
「もし、俺達がこの宣言書に書かれた事が達成された時は教頭先生は余呉先生と能登川先生に自分の考えが間違っていたと謝罪しますか?」
「しますよ。卒業式の時に全校生徒の前で謝罪しますよ」
「では、この宣言書に名前を書いて下さい」
俺は宣言書を差し出すと宮司は名前と拇印(さすがに指を切らせるわけにはいかないから朱肉でやった)をした。
宣言書を見ながら言った。
「では、教頭先生約束を守って下さいね」
「それは私のセリフです」
「もちろん、守ります。では、余呉先生と能登川先生も名前を書いて下さい」
「何で、私が書かないといけないの?!」
「何で、私が書かないといかんのだ?」
「証人という意味で書いて下さい」
「そんな重たい宣言書に自分の名前は書けない」
「そうですよ、塩津君。いくらなんでも書けません」
余呉と能登川が猛反発する。
うーん、書いてもらわないとこの宣言書の効力が最大限に発揮しないだけどな……。
仕方なく別紙に書き始める。
「では、こちらに書いて下さい」
三人が覗き込む。それをちひろが読み上げる。
「宣言書(別紙参照)に書かれた約束事に立ち会った事を証明します」
「これなら先生方々も書けますよね?」
「これならいいか……」
能登川がボールペンを持って書こうとしたら、余呉が言う。
「これどうしても書かないと駄目?」
弱ったな。このままだと書いて貰えない可能性が出てきたな。
なんとかして書いてもらう。
真剣な顔をして余呉に言う。
「余呉先生」
「は、はい」
「今回は俺のわがままに巻き込んだ事は申し訳ないと思っています。ですが、俺達にもプライドがあります。先程の教頭先生の言葉は俺達に対する侮辱です。侮辱を払拭するには自ら手でやるしかないです。どうか、名前を書いてくれませんでしょうか?」
「これを書く事で何か不利になる事は無いの?」
あまりにも心配するので、もう一度宣言書を読んでもらうようにお願いする。
「もう一回、読んで下さい。余呉先生に不利になる事がありますか?」
「書いてないね」
「初めから書いていないですよ。それどころか、俺達が成績を維持しないといけないですから、こっちが大変なんですよ」
「わかった。書くよ」
やっと書いてくれる。
書いたのを確認すると俺が宣言書と付属のメモを保管する事にした。
血が付いた宣言書なんか誰も持ちたくないよな。
俺達は生徒指導室を出て部室に行った。
俺達は深々と椅子に座った。
「ふう、疲れた」
「なんで、教頭先生はあんなに恋愛に対して厳しいの?」
「わからない。だけど、俺達に対しては条件付きだけ認めてもらう事ができた」
「あっ、そう言われるとそうだね」
ちひろは言った後、顔が赤くなった。
生徒達だけが認めるカップルはたくさんいるが、先生が認めるカップルはそんなにいないだろう。
しかし、宮司の奴。なぜ、あんなに恋愛に厳しいだろう。
成績が下がるというが、とてもそれだけが理由とは考えづらい。
聞いとけば良かったな。
そんな事より宣言書の事を誤らないと。
「ちひろ、ごめん。宣言書にあんな事を書いて」
「本当だよ。あんな無理難題を勝手に決めて」
「ごめんなさい」
両手を合わせて誤った。
そりゃ怒るわな。あんな事を勝手に決めただから。
「でも、信頼されている以上は私も頑張るよ」
「お願いします」
深々と頭を下げる。
本当に悪いと思っているからだ。
「じゃあ、罰として定期テスト一週間前は部活休んで勉強会するよ。いい?」
「はい。わかりました」
ここは素直にちひろの意見を受け入れた。
こっちが全面的に悪いからだ。
「さて、執筆作業にかかるとするか」
「今からやるの?」
「二日も休んでいたから、遅れを挽回しないと」
そう、二日も休んでしまった。
ただでさえ、ギリギリのスケジュール。
その上に定期テスト一週間前に勉強会がする事になったから完全アウト。
文化祭に間に合わない。
クオリティを落とせば、間に合うがそれは俺のプライドが許さない。
だったら、書くしかない。
すると、ちひろもタブレットを出して作業を始めた。
作業は快調。二日間執筆活動は止めていたが頭の中である程度のシナリオは構築していたので、それを文章にするだけ。
いつもこれができれば、もう少し作業も楽なんだけどな。
ちひろを見る。
ちひろも順調のようだ。
そんなこんなしているうちに時間になった。
「そろそろ、帰ろうか?」
「うん。帰ろう」
部室を出て、門に向って歩いていると俺達を見てこそこそと話す女子が三人が居た。
「あの二人、教頭先生に呼ばれただって」
「ええ、どうして?」
「昨日、彼の家に行ったかららしいよ」
「ええ、それって……」
「それでしょうね」
「「きゃあ」」
わざと聞こえるように言っているのか、俺達にまる聞こえである。
別にそれという事はしていないので、反論する必要も無い。
逆にすれば余計に怪しまれる可能性があるからだ。
女子三人の会話が止まらない。
「でも、それなら停学にならないの?」
「どうやら、教頭先生も確実な証拠を掴んでなかったみたいでそこまでできなかったみたい」
「それでも二人きりだったらね」
「「だよね」」
どうしてもそれをしてる事にしたいらしいな。
「あの二人って、同じ部活で同じ部室に二人きりなんでしょう? それって……」
「いやいや、学校でそれは無いでしょう」
「それは無くても、それに近いことはしているでしょ?」
「あるかもね」
言い返さないと思って言いたい放題だ。
本当は言い返したいが下手に出るとちひろの立場が悪くなる。
ここは早くこの場所は立ち去るのが正解。
俺はちひろの左手を握って、「行こう」とだけ言って少しだけ早足でこの場を去った。
いつもの通り家の前でちひろと別れた。
しかし、今日は家に帰る前に店に寄って行かなければならない。
定期テストの件を言っておかないといけないからだ。
金髪の頭のつなぎを着た男を見つけた。
榎木さんに聞いてみるか?
「榎木さん、親父居る?」
「拓也、オーナーならピットに居るよ」
そう言いながら、榎木さんは周りを見る。
「どうかしたのですか?」
「うん、拓也の彼女が居るのか見ていた」
親父、もう喋ったのかよ。
「残念ながら、居ませんよ」
「なんだよ。連れて来いよ」
「何でですか?」
「見定める為だよ」
「遠慮させていただきます」
早々、話を切り上げて親父をところに行った。
やっぱり、ちひろを連れて来なくて正解だった。
榎木さんは仕事はできる方だけど、女性に関しては問題がある。
要は浮気性。綺麗な人と可愛い人を見るとすぐに口説き(本人はただの会話だと言っているがどう聞いてもどう見てもナンパしか見えない)にかかる。
できる限り、ちひろと榎木さんとの距離を取らないといけないな。
「オーナー、話があるがいいか?」
仕事が関わる時は親父の事はオーナーと呼ぶように言われている。
学校の話だけど、店の手伝いに支障が出るからこれで呼んだ方が正解だろう。
「おう、いいぞ」
親父はバイクのエンジンをいじりながら、俺の方を見ずに返事した。
相変わらずだなと思いながら、放課後の出来事を話した。
話終わると親父は黙ってしまった。
この様子だと駄目だな。と思っていたら予想外な言葉が出てきた。
「で、どこで勉強会をするんだ?」
「え、俺の家だけど……」
「うーん、リビングならいいぞ」
「俺の部屋じゃあ駄目なのか?」
「そんな事したら、中学の時みたいになるぞ。それでいいのか?」
暫く、考えた後答えた。
「それは嫌だな」
「だろう。こういう事は一つでも誤解を招く行為は消しておくものだぞ」
確かに親父の言う通りだ。
うん? これっていいって事か?
一応、聞いておこう。
「念の為に聞くけど、店の手伝いを休んで勉強会はしていい事か?」
「あれだけ喋っていて駄目だったら、会話が成立しないだろう」
「それはそうだけど……」
「それに宮司という奴が絡んでいるから、認めるしかないだろう」
イラつきながら言う。
俺が「なんかあったのか?」聞こうとする前に親父が勝手に続きを喋る。
「本当に宮司という奴は腹が立つ。学業に必要なもの以外は全部不必要という考えが気に食わない」
「何で、教頭先生の事を知っているんだ?」
「入学式の時、呼び出しがあっただろう。あの時に会った」
ああ、入学式の時か。対面したのは能登川だけじゃなかったのか。
更に親父の話は続く。
「人の息子を問題児扱いにしやがって。これから世話になる学校だからがある程度は宮司の言い分を通してやったけど、それでも腹が立つ」
「何を通したの?」
「拓也の免許証は高校卒業するまでは店の金庫に入れておくと約束した」
なんだ、そんな事か。
別にバイクの免許が無くても生活はできるからな。
まあ、親父はとっては店の手伝いに支障が出るから面白くないだろう。
親父はやっと俺の方を見た。
「拓也、卒業まで絶対に九番以内を確保しろ。そして、あいつの鼻をあいつの考えをへし折ってやれ。いいな?」
「わかった。絶対にやってやるよ」
ああ、こういう事か。親父は宮司の事が気に入らないだな。
入学式の時、どんな事を言われたのかわからないがここまで憤慨するという事は相当の嫌味を言われただろう。
だから、俺に宮司を鼻をへし折らせて仕返ししようと魂胆か。
親父の口車に乗るのはしゃくだが敢えて乗ってやろう。
どっちみち昨日の一件がある。やるべき事は同じだ。ただ、約束先が一件増えただけ。
どうせ、この様子だともう一件増えるのは間違いないからだ。
時期はわからないけど……。
親父の承諾も得たので店を出て家に帰った。
次の日。
授業も全部終わり、俺とちひろは部室に居た。
俺達はできる限り作業を進めておかなければならない。。
今日で一旦部室を使えなくなる。なぜなら、来週から中間テストが始まるからだ。
定期テスト一週間前は全ての部活、同好会は活動禁止になる。
それだけならどこの学校でもあることだが、彦根南は更に余計な規則が加わる。
それは宿題が出るという事だ。宿題なら大した事は無いと思うが量が多いのだ。
確実に三時間ぐらい掛けないと終わらないという量。そう、ちょうど部活動をしている時間とほぼ一緒の時間なのだ。
誰が計算したのかわからないが完璧な時間配分。
これには全生徒が不満を漏らすが学校側したら、部活動していないだからその時間を勉強に充てろという無言の圧力である。
いかんせん、滋賀県内なら偏差値が二位の高校。授業を聞いていたらそれなりの点数は余裕で取れてしまう生徒だらけ。テスト勉強なんか夜やればいいだから放課後は遊ぼうと思っている生徒もたくさん居るからこの様な規則ができてしまう。
もちろん、高得点を取るとなるとそれなりに勉強しないと駄目だけど。
それと部活と同好会に所属している生徒には全科目七十点以上を取ることが決まりになっている。
それができないとテスト明けになっても部活、同好会に参加できない。
レギュラーを持っている生徒にとってはこれは致命傷。下手したら、レギュラーを剥奪される可能性があるからだ。
それだけじゃない。部活に所属している生徒の五分の一が七十点以下を取ってしまったら、その部活自体が活動停止してしまう。
例えば、テニス部が五十人の内十人が七十点以下を取ってしまったらその十人が追試で七十点以上取らないと部活が再開できない。
それでも駄目な場合は五十人全員が勉強させられる上に再追試をさせられるという、鬼のような規則が存在するのだ。
まあ、さすがに部活自体活動停止というペナルティは一度も無いようだ。
ちなみ、文芸研究部どっちかが七十点以下を取ってしまったら、活動停止になる。
余程の事がない限り、そんな事は起きないだろう。
それはどうでもいい。
俺は右の方を見た。
そこには余呉が居た。しかも、仕事を持ち込んでいる。
「余呉先生、仕事は職員室でやって下さい」
「そうしたいだけど、教頭先生が『今まで部活動を生徒の自主性に任せていた? 進捗状況だけ確認していただけ? 顧問なんだから、しっかり生徒の指導しないと駄目でしょう』と怒られて、仕事は部活動を指導しなからしなさいと言われた」
泣きそうな顔で言われた。
宮司の言う通りだ。顧問が部をほったらかしている事自体はおかしいからだ。
それに気づいていない、余呉の方がおかしい。
「で、何を指導するんですか?」
俺が聞くと余呉は黙って何も言わない。
やっぱりか。どうせ、答える事ができないと思っていた。
なぜなら何もできないと言った方が正解だからだ。指導する事ができる活動では無いからだ。
野球やテニス等はフォームが変だったら、監督やコーチがフォームを修正する事ができる。
美術だったら、絵をより向上させるのにタッチや画角を教える事ができる。
が、この同好会は小説を書く事を主な活動。なので、教える事が無い。
仮に教えたら、それは執筆者本人の作品では無くなるからだ。
ちひろの顔を見ると呆れ顔だ。
仕方ない、活躍の場を作るか。
「余呉先生は文章チェックを担当してくれませんか?」
「文章チェック? どういうすればいいの?」
「誤字、脱字、そして差別用語等の読み手に不快感を与える文章を調べる仕事です」
「難しくない?」
「国語担当をしている余呉先生しかできない仕事です。どうか、引き受けくれませんか?」
「そう言われると断れないね。わかった、いいよ」
「ありがとうございます。では、部室の鍵を返した後、余呉先生は俺達の作品をチェックして下さい。それまでは職員室で仕事しても大丈夫ですよ」
「わかった。そうするね」
そう言って、余呉は喜んで部室から出て行った。
多少ごねるかなと思っていたのに、こんなにあっさり済むとは思わなかった。
これで余呉が職員室に居ても言い訳が立つ。宮司も文句を言う事ができないだろう。
「拓也君って、余呉先生に優しいよね」
「本当は厳しく行きたいだけど、どうしても命の恩人だから厳しくできない。やっぱり、俺は甘いなとつくづく思う」
本当に厳しくしたいと思っている。だけど、余呉は命の恩人。厳しくできない。
そんな事を思っているとちひろは首を傾げながら言う。
「それは違うと思うな」
「違う? どこが?」
「甘いというところが。拓也君は本当に優しいから本気で厳しくしない。始め頃は私に対してもそういう事があってなんか嫌だと思っていたけど、今は行動一つ一つに私の事を考えていると思うと大切にされているだなと感じて嬉しくなる」
そう言われて、いろんな意味で恥ずかしい気持ちになる。
確かにちひろの事を考えている。が、それは少しだけ邪な考えもある。
しかし、ちひろは純粋に俺の行動を信じている。
その気持ちを裏切る事はできないな。
「その気持ちが下心じゃないともっといいだけどな」
「!」
ちひろは俺の心を見透かしたように言ったので、思いっきり動揺してしまった。
その行動を見ていたちひろはニヤとした後、俺の顔を見ながら言う。
「あ、本当に考えていたんだ。冗談で言っただけど、まさか本当に当たるとは思わなかった……」
「冗談で当てないでほしいだけど……」
「何を考えていたの?」
「セクハラ発言になりますから、コメントは差し控えさせて頂きます」
ちひろ、ここは学校だよ。
誰が聞き耳を立てているかわからないですよ。宮司に目を付けられているから、間違いなく他の先生達も俺達を監視しているんですよ。
なのに、それを言えっていう事は俺の地位がガタ落ちになりますよ。
ちひろの顔を見ると「これは言わないな。じゃあ、いいや」とあまり気にしてなさそうだ。
何にしても諦めてくれて助かった。
「さて、作業を再開するか」
俺は独り言のように言ったが、ちひろは「そうだね」と返事して作業を再開する。
ちひろは本当に俺の考えを察してくれる。
本当にできた女の子だ。
次の日。
授業も無事に終わり、いつもなら部室に行くのだが今日から一週間は部活動は禁止。
全生徒達は足早に学校を出て行く。
「部活が休みになって少しは楽できるな」
「なんで、こんなに宿題があるんだよ!」
「カラオケ行こうか? カラオケ」
と、各々自由な事を言っている。
俺はちひろと真君と木之元さんは四人は俺の家に向かっていた。
なぜ、こうなってしまったかというと、木之本さんがちひろにLINEで「テスト自信無い! 助けてちひろちゃん!」と助けを求めたらしく、その結果四人で勉強会を開くことになった。
「助かったよ、ちひろちゃん。これでなんとかなる」
「まだ、全部終わってないからね」
等々と喋っている。
俺は二人の耳に入らないように真君に聞く。
「なあ、木之本さんの成績ってそんなに良くないのか?」
「この前のテスト、散々だった。正直、進級できるか心配になるぐらいに」
真君は俺に目を合わせずに言った。
この様子だと俺が思っている以上に散々な結果なようだ。
とはいえ、木之本さんみたいな人はどこでも居る。
よく○○学校に入学するとか××会社に就職するとか目標にして実際それは達成するが、それが終着点なのでその後がモチベーションが続かないのだ。
言わば、燃え尽き症候群。
俺とちひろは卒業まで成績を学年九番以内を取り続けるという目標(そうなってしまったというのが正しいが)がある。
真君は彦根南高校の放送部に入部して、そこで結果を残して最終的には放送業界に就職をしたいという目標がある。
それに比べたら、木之本さんは真君と一緒の学校に行きたいというの目標だっただけに、その後が無いのだ。
だから、成績が下がる一方。
だけど、この学校に入学できるだから、なにかきっかけが有ればすぐに上がると思っている。
「ねえねえ、コンビニでお菓子買おう。昨日、CMで見た新作のお菓子買おう」
木之本さんはコンビニを指で差して、催促している。
「駄目だよ。今日は勉強会。遊びに行くじゃないだから」
「ええ、真君の意地悪」
案の定、真君に止められてしまい木之本さんは不満を漏らす。
不満を漏らしたのはこっちだ。
九番以内を維持しないと駄目なんだぞ。
その為の勉強会だというのに……。
そんなこんなしているうちに家に着いた。
母さんの挨拶もそこそこにしてリビングに向かいすぐに勉強会を始めた。
俺と真君は宿題をやり始めて、ちひろは木之本さんに解らないところを教えていた。
「で、この式を使ってやると……」
「ああ、答えが出た! なるほど、そうするか!」
正解が出たことに大層に喜んでいた。
随分始め方から手こずっていたな……。
思わず声に出しそうになってしまった。
真君の顔を見ると左手の人差し指を額に当てて考えてしまっている。
どうやら、同じ考えのようだ。
二時間ぐらい経過したところで母さんが来て「休憩したら」と言いながら、ジュースをお菓子を持って来てくれた。
すると、「うん、休憩しよう休憩」と木之本さんが率先して賛同した。
「一番勉強しないといけない人が休憩したら、駄目でしょう」
「ええ、真君。休憩しないと疲れちゃうよ」
「でも、ここまで頭を使うとさすがに糖分補給したいね」
「でしょでしょ。ほら、ちひろちゃんもそう言っているから休憩しよ」
そう言いながら、木之本さんはお菓子に手を伸ばして、すぐに食べた。
結局、俺達も木之本さんにつられて休憩に入る事にした。
真君が木之本さんに話かける。
「で、まこと、どうなの?」
「え、何が?」
「え、何が? じゃないでしょう! 勉強だよ、勉強! ちゃんと、理解している?」
「理解してるよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「ならいいけど。まこと、これだけは言っておくけど、本来ならこの時間は高月さんは宿題とテスト勉強に充てる時間なんだよ。それをまことの勉強を教える時間に充てているだから、絶対に良い結果を出さないと駄目なんだよ。わかった?」
「……うん、わかった」
真君はかなり厳しめに言うと木之本さんはそれに気づいたようでいつもより声のトーンが低く答えた。
この様子だと、前に真君自身が勉強を教えたようだが結果が出なかったらしい。
いとこ同士なら、結果が出なくてもそんなに気にしなくてもいいけど、さすがに友達に教えてもらって結果が出ないと問題がある。
普通なら、ある程度は曖昧に伝えるものだがここまで直球で伝えるという事は木之本さんの性格をかんり知っているから言うのだろう。
まあ、考えてみたら生まれてから今日までずっと一緒に居るのだから当たり前だな。
俺はジュースを飲もうとしたら、空だった。
おかわりしようとしたが、ペットボトルが無い。
よく見るとちひろも居なかった。
どうやら、ジュースを取りに行ったようだ。
俺はちひろの後を追いに台所に向かった。
台所では母さんとちひろが会話をしている。
「ええ、それでわかったんですか?!」
「そうだよ」
「完璧に元に戻したと思ってたのに……」
「ごめんね。意地悪な姑みたいなことを言って」
何の事だからわからないが入るのは拙い気がして台所には入らなかった。
「いえ、そんな事ないです。それぞれの家のルールがありますから」
「でも、うちの子供達はあんなに綺麗に戻さないよ。拓也なんか、超が付くぐらい適当なんだから、きっとちひろちゃんは苦労するよ」
いや、母さんが超が付くぐらいきっちりしすぎるだよ。
「でもね、そのおかげで拓也が見つかりたくない物はすぐに見付かるけどね」
「どんな物なんですか?」
聞くな。大体わかるだろうか。
「えっちなDVDだよ」
答えるな。せめて、ぼかしてほしい。
「そう、そうなんですか……。まあ、高校生の男の子だったら持っているから別にいいですけどね」
なんかいろいろごめんなさい。
「なん、何ですか?」
「DVDで思い出しただけど、ちひろちゃんの体型って、DVDに出てくる女の子によく似てるなと思っただけ」
「そんなに似てますか?」
「胸を膨らみといい、お尻の大きさといい、本当に似てる」
言わないで。この後、どういう顔で接したらいいの?!
「ちひろちゃん、見て。撮ってあるから」
撮ったの? あれを撮ったの?
「うーん、そこまで似てるとは思いませんけど……」
「この女の子より私の方がスタイルがいいって事?」
「違います! 逆です! 逆!」
「うーん、服装が違うからちょっとわかりづらいね。今度、拓也が居ない時でいいから、セーラー服着て家に来て」
コスプレをする事を頼むな。
「無理を言わないでください」
「それは冗談だけどね。こんな可愛い娘が息子の彼女なんて、私って本当、幸せ者」
「可愛いって……」
「三人目も女の子が欲しかっただけど、男の子だったから正直がっかりしたけど、まさかこんな大逆転が待っているとは思わなかった。育てた甲斐があったわ」
聞きたくない事実を知ってしまった。
「拓也君のこと嫌いなんですか?」
「嫌いじゃないよ。ただ、男の子より女の子の方が良かっただけ」
「そんなに女の子の方がいいですか?」
「私、四人兄妹で男三人女一人だったんだよね。だから、女姉妹に憧れていただよ」
「なんかわかりますね。私もお兄ちゃんだけですから、姉か妹に憧れてましたね」
「わあ、嬉しい。こんなに気が合うなんて凄く嬉しい」
母さん、ちひろはあなたの話に合わせているんです。
それに気付いて下さい。
「ちひろちゃん、拓也は学校ではどんな感じ?」
「拓也君ですか? 至って普通ですよ」
「そうなの? つまんないわね」
悪かったな。つまらなくて。
「あの、拓也君が問題を起こして呼び出し頂いてもいいですか?」
「それは嫌だね。じゃあ、拓也とデートはした?」
「拓也君とは、まだ付き合い始めたばかりですから、どこにも行ってませんよ」
「そうなんだ。まだ、放課後デートしかしていないだね」
「ただ一緒に帰っているだけですよ」
「それが他の人にはデートに見えるのよ。だから、あまりいちゃいちゃしちゃダメよ」
最早、母さんは仲のいい男女二人きりで居たらデートという概念でいるようだ。
「はあ、わかりました」
「それはどうでもいいとして」
じゃあ、そんな会話するな!
「拓也はちひろちゃんに優しくしている?」
「拓也君は優しくしていますよ。最初はなんか嫌だなと思っていましたが、それは私の事を考えての行動だっただなと思うと優しさの表現が下手な人なんだと今はそう感じます」
「そうか、良かった。これからも拓也の事をよろしくお願いします」
「拓也君のお母さん、頭をそんなに深々下げないでください」
そんなに頭を下げているのか?!
「この様子だと、普段から『塩津君』って呼んでいるようだけど、二人きりの時だけ『拓也君』って呼んでいるみたいだね」
「え?!」
声には出さないが俺も驚く。
「その驚きだと正解みたいだね」
「……はい」
「恥ずかしがる事は無いよ。付き合い始めは誰でもそうだよ。それが徐々に普通になって来るんだから」
「でも、どうしてわかったですか?」
「簡単だよ。『拓也君』って言い方が自然だったからね。普通だったら、詰まったり恥ずかしそうになるものだよ」
確かに初めて言った時、恥ずかしそうに言っていたな。
「となると、拓也は『ちひろ』って呼んでいるね」
「……はい」
「どう? 両親、お兄さんやお姉さん以外に名前で呼ばれるって」
「……正直、こそばゆい気分です」
「そうか。うん、良かった。これで嫌な気分だったら、どうしようかと思った」
「それだったら、始めから付き合ってませんよ」
「それもそうだね。もうそろそろ戻らないと拓也が心配しているよ」
勝手に決め付けるな。
「そうですね。そろそろ戻ります」
やばい、早くリビングに戻ろ。
俺は急いでリビングに戻った。
リビングでは木之本さんが半ベソを掻きながら真君から勉強を教わっている。
高校一年生が半ベソを掻くという姿はなかなか見れない。
「ジュースのおかわり貰ってきたよ」
そう言いながら、ちひろがジュースを持って来た。
ちひろの様子を確認したが特に変わった様子は無さそうだ。
どうやら、俺が聞き耳を立てていた事に気づいていないようだ。
「やっと帰って来てくれた。勉強を教えて」
「はいはい。教えますよ」
この光景を見ていると子供の時に見えていたアニメを思い出す。
この調子で勉強会は六時まで続いた。
ちなみに明日からテスト前日までここで勉強会することも決まった。
テストも全て終わり、全生徒は解放感に満ち溢れている。
俺とちひろ、そして真君と木之本さんは部室に居た。
ちひろは木之本さんのテストの解答を採点していた。
「まことちゃん、全教科七十点以上はあると思うよ」
「やった! 頑張った甲斐があった!」
「まこと、高月さんにちゃんとお礼を言いなさい」
「ちひろちゃん、ありがとう」
どうやら、木之本さんも七十点という壁を乗り切る事ができたみたいだ。
ちなみに真君は八十点以上、俺は九十点以上は取れると思う。
それよりもちひろだ。
なんと九十五点以上を取れる可能性があるのだ。
俺が見てる限り、木之本さんに勉強を教えているところしか見てないが、それでも取れてしまうのかと思うと凄いの一言に尽きる。
ここに居る全員無事にテストを乗り切る事ができた事は良かった。
安心した俺は早速作業に掛かろうとすると真君が訊ねてきた。
「拓也君、何を始めるの?」
「執筆活動だよ」
「テスト終わっただよ。遊びに行こうよ」
「どこに?」
「カラオケとか、どう?」
「真君、今日の彦根市内のカラオケ屋は高校生で埋め尽くされているよ」
「ええ、そうなの?!」
「そうだよ」
なぜ、それを言うかというとみか姉もみき姉も高校生の時に同じような行動をしていたからだ。
俺が言うと真君が落ち込んだ。
すると、木之本さんが真君の側に行って言った。
「大丈夫だよ。そんな事をあるかと思って、ネットカフェのカラオケを押さえてあるよ」
「本当?!」
「うん、本当!」
木之本さん、その気遣いは大切だけど勉強も同じぐらいやってほしい。
「まこと、ありがとう。これでテストのストレスが無くなるよ」
真君、君のストレスは無くなったが俺のストレスが増えたわ。
「ちひろちゃん、行こう」
三人か……。まあ、そうなるか。
俺はわかりきった事なので気にせずに作業にかかる。
「塩津、行くよ」
「俺も?」
「そうよ。四人で予約してあるから」
意外だな。俺なんかほかって行きそうなのに。
そんな事を考えていたら、右そでを引っ張られる。
振り向くとちひろが居た。
ああ、これで全てわかった。
カラオケに行く事は前々から決まっていて、木之本さんは三人で行くつもりでいたけど、ちひろが俺がいないなら行かないと言ったから、渋々俺の分も予約を入れたのだろう。
仕方ない。ちひろを困らせるのは嫌なので行く事にした。
国道八号線にあるネットカフェに着いた。
手続きを済ませて、指定された部屋に向かった。
どの部屋見ても高校生だらけ。
ここでこうなのだから、間違いなく他の店も同じ状況だろう。
部屋に入ると早速木之本さんが俺に命令する。
「塩津、ウーロン茶の四つ持って来て」
「……わかった」
こうなる事はわかっていた。
木之本さんは真君と一緒に居たいから真君に頼む事は無い。ちひろも同じ理由で無い。
となると、自動的に俺になる。
仕方なく、ウーロン茶を取りに行く事にした。
「拓也君、私も一緒に行くよ」
そう言いながら、ちひろが来てくれた。
部屋を出るとちひろが誤った。
「ごめんね。もしかして、カラオケは嫌いだった?」
「嫌いではない。ただ、得意ではないだけ」
「私も得意じゃない。だから、『拓也君が居るだったら、行くんだけどな』と言ったら、『じゃあ、塩津も連れてくから行こうよ』と言われたから行くことになっちゃった。本当にごめんなさい」
「いいよ。気にしないで。せっかくだから、この際思いっきり楽しもう」
「うん。楽しもう」
ウーロン茶を持って、部屋に戻ると早速木之本さんが西野カナさんの歌を歌っていた。
相変わらずだな。
真君が西野カナが好きと知った時から歌うようになったからな。
モニターに出ている歌詞を一切見ずに歌っている。
勉強もこれぐらいやれたらいいのに……と真君は思っているだろう。
今、真君がそのような顔をしているからだ。
一曲、歌い終わると俺達は拍手する。
「次は誰?」
木之本さんがマイクを渡そうとするが誰も受け取らない。
どうやら、誰も入れていないようだ。
「じゃあ、続いて歌うね」
すかさず、次の歌を入れる。
この様子だと三曲連続歌いそうだ。
木之本さんが歌っている間に曲の入れようするがなかなか決まらない。
決まっても入れる事ができない。
なぜなら、木之本さんの歌が上手いからだ。
何回も歌っているだけあって、フレーズが完璧。
これの後に歌うのはなかなか、いやかなり勇気がいる。
そう思っていたら、真君がリモコンを持ち出して曲の予約した。
よくこの歌の後に予約入れる事をできるな。
木之本さんが歌い終わると真君がマイクを受け取り、RADWINDSを歌う。
大ヒット映画の歌だけあって、更に盛り上がる。
こうなると俺も歌わないといけない。
とりあえず、無難にスキマスイッチを入れる。
なんとか無事に歌い終える。
再び、木之本さんが歌い始める。
「ねえねえ、拓也君。奏、一緒に歌って」
「奏? いいよ」
「ありがとう。じゃあ、お願いね」
奏か……。良かった、知ってる曲で。
俺は奏を予約した。
奏が流れると俺とちひろは歌い始める。
うわあ、ちひろ上手いな。これは歌いなれている。
このレベルに合わせて歌わないと。
本気を出して歌い、なんとか乗り切る事ができた。
「うわ、デュエットだ。なんかいいな。真君、あたしもデュエットしたい」
「デュエットしたいと言われても、僕は西野カナは歌えないよ」
「真君の得意な歌でいいから」
真君、渋々リモコンを手に曲を探し始めた。
時折、恨めしそうに俺の方を見る。
すまない。絶対的に上手い人と一緒に歌うのは辛いとは思うが耐えてほしい。
悩んだ末にミスチルの365日になった。
真君の親父さんと木之本さんの親父さんはミスチルファン。二人とも子守唄代わりに聞いていたと言っても大袈裟ではない。
一番は真君、二番は木之本さん、三番は二人で歌った。
一見、普通に感じるが実は一切打ち合わせ無しで歌っている。
生まれてから一緒にほぼ居るから、お互い考えている事がわかるのだろう。
あっという間に予約してあった三時間が過ぎてしまった。
店を出るとちひろが喋る。
「最初カラオケは苦手だからどうかなと思っていたけど、やっぱり歌うのは楽しいね」
「でしょでしょ。カラオケの楽しさがわかってきたでしょ」
「う、うん。そうだね」
「ちひろちゃんは歌上手いだから、もっと歌えばもっと上手になるよ。だから、今度の休みカラオケ行こう!」
体のいい誘い文句だな。
これが男だったら、間違いなく俺はキレている。
ちひろは少しだけ考えた後に答えた。
「うーん、いいよ」
「「え、いいの?!」」
これには俺と真君は驚く。
てっきり、断ると思っていただけに余計に驚く。
「やった。ありがとうね。」
俺達と反面、木之本さんは大喜びする。
「次もこの四人で行こうね」
「……、うん。わかった」
ちひろの一言で今まで大はしゃぎして木之本さんのテンションが一気下がるのが目に見えてわかった。
間違いなく、俺が居るのが嫌なのだろう。
まあ、気にはしていないが……。
ネットカフェを出た後、ビバシティ彦根内にあるミスドでお茶をして別れた。
テストも無事に乗り切り、六月になった。
六月と言えば衣替え。
彦根南の男子夏服は白色の長袖シャツ(胸ポケットに校章の刺繍あり)、生地は薄めの紺色ズボン。
と、これだけ。
夏の期間はネクタイの着用はしなくてもいい。
所謂、クールビズ。
始めは先生だけがクールビズを行っていたが、先生がして生徒がしないのはおかしいのではないかという意見が保護者から多数寄せられて、その結果生徒もノーネクタイになった。
玄関を出るとちひろが居た。
もちろん、夏服だ。
「おはよう、ちひろ」
「おはよう、拓也君」
「あれ? なんか、用事あった?」
「ううん、何も無いよ」
じゃあ、なんで朝早く家に来たんだ?
少し考えた後、ある事に気づく。
「ちひろ、夏服に似合うね」
「そうかな?」
「似合っているよ」
「ありがとう」
俺がそう言うとちひろは嬉しそうにお礼を言った。
「夏服って、軽くていいね」
そう言いながら、その場で一回転した。
すると、スカートが捲り上がる。
太ももが見えた。
凝視していたのに気付いたのか、ちひろは慌ててスカートを押さえた。
真っ赤な顔で言う。
「見えた?」
「何が?」
「パンツ」
「見えてない見えてない」
「本当に?」
「本当に見えてない」
「その割には、凄い見ていた」
「うーん、見えるかなと思って見てはいました」
「……えっち」
酷い言われようだ。
パンツが見えて言われるなら納得できるが見えていないのに言われるのはどうかと思う。
「はいはい。そこまでそこまで。朝から玄関先でいちゃいちゃしないの」
二回手を打ちながら、みき姉が言ってきた。
すかさず、ちひろはみき姉に挨拶する。
「みきさん、おはようございます」
「ちひろちゃん、おはよう。夏服、可愛いね。ちひろにぴったりだね」
「ありがとうございます」
「どうせ、拓也の事だから誉めてもいないでしょ?」
「いいえ、似合っていると誉めてくれました」
「おお、ちゃんとできたんだ。えらいえらい」
と、若干バカにした感じで俺の頭を撫でた。
すぐに振り払い、ちひろの手を取り学校に向かった。
「なんか、ごめんね」
「いや、あれはみき姉が悪い。だから、気にしなくてもいいよ。それに良い事の方が大きかったから、あれぐらいの代償は安い」
「良い事って?」
「ちひろの夏服を一番最初に見れた事」
それを言うとちひろは顔を真っ赤になった。
そんなに恥ずかしい事を言ったつもりではないが……。
校門の差しかかったところで後ろから「おはよう」と真君が声をかけてきた。
「真君、おは……何があったの?!」
「木之本君、おは……どうしたのまことちゃん?!」
そこには木之本さんをお姫様抱っこした真君の姿があった。
「悪いだけど、まことを保健室に連れて行くから僕の鞄とまことの鞄を教室に持っていてくれる?」
「いいよ。わかった」
俺は二人の鞄を持つと真君は保健室に行った。
不安そうに二人を見送るちひろに俺は声を掛ける。
「鞄を置いたら保健室に行こう」
「うん」
急いで教室に鞄を置いて、保健室に向かった。
本来なら、行く必要性は無いのだが彦根南は初めだ。多分、起こるだろう。
保健室に入るとベッドに横になっている木之本さんが居る。
真君は養護教諭と話している。
「まことちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「どうしてこんな事になったの?」
「耳貸して」
ちひろが耳を貸すと俺はベッドから離れる。
耳を貸すぐらいだから、他人には聞かれたくない事だろう。
内容はわかっているがここは礼儀として離れておく。
「おい、もう一回言ってみろ」
少しドスが聞いた声で真君が言う。
やばい、どうやら例の事になりそう。
慌てて、真君と養護教諭の間に入る。
「真君、どうしたの? とりあえず、落ち着こうか」
「これが落ち着いていられるか」
ああ、逆鱗触れたか。
女性なのにその辺の事がわからないのかな。
俺は養護教諭を睨みながら言う。
「先生、何を言ったんだ?」
「生理痛ぐらいで保健室に来ないでって言ったら、激怒したの」
「それは怒られて当然です。養護教諭とは思えない発言です」
「てめえにまことの苦しみわかるのかよ? まことは機能性月経困難症という婦人科の医師からちゃんと診断されているだよ」
「真君、これ以上は駄目だよ。したら、暴力行為で一発退学になるぞ」
俺が言うと真君は舌打ちして養護教諭の服を離した。
「まことは病気と戦っているんだ。時間をかけないと克服できない病気とな」
落ち着いて喋っているが顔はかなり怒っている。
「覚えておいて、今後養護教諭という仕事やっていくだったらな」
「……わ、わかった」
真君の威圧に養護教諭も素直に返答するしかなかった。
この時の真君は俺でも逆らおうとは思わない。
唯一、逆らえるとしたら木之本さんだけだろう。
顔を見る限り、不満は解消していないようだが木之本さんのところへ向かった。
「まこと、大丈夫か?」
普通のトーンで木之本さんに声をかける。
すると、木之本さんは上半身だけ起き上がって枕を持って真君を叩いた。
もちろん、体調が悪いので力は全然入っていない。
「真君、先生にそんな事をしたらダメでしょう」
「でも、あれはまことちゃんの為だと思って……」
「あたしの為だったら、今後の事も考えてもう少し言葉選んで欲しい」
「ごめんなさい」
真君が誤るのを聞いたら、木之本さんは横になった。
やっぱり、しんどいのだろう。
後は養護教諭に任せて俺達は保健室から出た。
真君は落ち込んでいた。
木之本さんに怒られた事が堪えたのだろう。
好きな人の為にやった行為とはいえ、方法が良くない。小学生ならともかく高校生なんだから、ある程度の節度は必要と思う。
昔から木之本さんの事になると我を忘れるぐらいの行動する。
小学生の時の野犬を助けたように良い方向に進む時もあるが今日みたいに悪い方向に進む時もある。
でも、一つ言える事は木之本さんの為にやった事は事実だ。
とはいえ、行動が報われなかった事がショックには違いない。
「真君、気にするな。木之本さんもわかっていると思うよ」
「うん、そうだね。じゃあ」
落ち込んだまんま教室に入っていた。
ああ、これは今日一日引きづるな。
ちなみ、その件で授業終了後に真君は能登川に呼ばれたが落ち込んだまんま生徒指導室に行ったようで、本人は反省をしていると判断され本来なら謹慎一週間が反省文原稿用紙三枚、明日までに提出するところまで処分が下がった。
放課後、俺とちひろは部室に向かっていた。
「まことちゃん、最後まで学校に居たね」
「授業に出たり休んだりだったけどな」
「それでも凄いよ。私も辛い時があるけど、まことちゃんは病気だから更に辛いよね」
そうか、ちひろも辛いだな。
姉二人居るから、それなりには知っているつもりでいるがやっぱり男の俺には気づけていないところがあるだな。
部室に入って、ちひろに言った。
「ちひろ、もし辛い時が言ってな。できる限り俺も気づくように努力はする」
それを聞いたちひろはきょとんとしたがすぐに言う。
「ありがとう。その時はお願いね」
「うん、任せて」
俺が言うとちひろが少しだけ笑った。
「どうかした?」
「ううん、なんでもないよ」
馬鹿にされた感じではないのでこの件はこれで終わりにしよう。
引っ張るとなんか墓穴を掘りそうな気がしたからだ。
トントン。
ドアがノックする音が聞こえた。
俺がドアを開けると見知らぬ女性が立っていた。
リボンの色が青色だから三年生である事は間違いない。
「えっと、どっち様でしょうか?」
「私は放送部副部長、泉。君が塩津君かい?」
「はい。俺じゃなくて自分ですが……」
「普段通りしてくれていいよ。先輩といっても威張れるほどなんかしているわけじゃないからね」
随分、腰の低い先輩だな。まあ、高圧的な人よりは印象はいい。
「話を進めていいかな?」
「あ、はい。進めて下さい」
「悪いだけど、放送部の部室に来てくれないかな?」
「何がありましたか?」
「身内の恥をここで晒したくないから、部室に来てほしい」
この様子だと部室に行かないと話が進まないようだ、
泉さんがちひろに言う。
「高月さん、心配しなくても大丈夫だよ。私は彼女持ちの男を誘惑はしない。倫理を反した事はしないよ」
「か、彼女って……」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする。
「高月さんは塩津君の彼女なんでしょ? 違うの?」
「そうですけど、どうして先輩が知っているのしょうか?」
「何を言ってるの。学校中知っているよ。一年の優等生カップル、塩津と高月って噂になっているよ」
知らなかった。そんな事になっているなんて……。
「じゃあ、彼氏さん借りてくね」
俺は半ば強制的に泉さんに連れてかれた。
ちひろを見ていないが、多分真っ赤になっているだろう。
放送部部室に入ると女性が一人居た。
「ようこそ放送部に。私は部長の神照。よろしくね」
「塩津です。で、何で呼ばれたでしょうか?」
「いいね。すぐに本題に行ける人は嫌いではないよ」
そう言いながら、神照さんはICレコーダー出して音声を再生した。
流れてきたのは先月昼休み真君がパーソナリティしていたものが一部流れた。
続いて先週放送されたもの一部流れた。
十分ぐらい聞いて、神照さんはICレコーダーの電源を切った。
「どう思う?」
「斬新で新鮮で新人だからできる切り口だと思います」
「まあ、従兄弟の悪口は言えないよね」
わかっているなら、聞かないでほしい。
要は放送して成立していない。
話題は飛びまくて、音楽を流れているのにマイクをオフにするのを忘れていて会話が流れぱなし、放送時間内に会話が収まらないという事態だった。
改めて聞いても酷いの一言に尽きる。
「木之本がどうしてもやりたいと言うから、熱意に負けてやらせてみただけど散々な結果。なんで構成通りできないだと問い詰めたら、君が書いたと白状したの」
「つまり、責任を取れという事ですか?」
ついに他人の尻拭いまでさせられるようになるのか俺は。
ちひろなら引き受けてもいいが他はお断りしたい。
「いやいや、そうじゃないよ。木之本が育つまで二人で放送をやってほしいだよ」
「あの、普通は部長か副部長が育てるじゃないですか?」
「二回目が終わった後、私が指導したのだけどね……全然ダメだった。仕方なく、コンビ形式でやってみたら多少形になった。だから、君にお願いしたいの」
「先輩、どうして自分になった理由がわからないですけど……」
「わからないの? 優等生なのに?」
多分、D組の人達でもわからないと思います。
「もう少し、説明を下さい」
「仕方ないな。私と木之本が組むと三つ問題が出てくるの。一つ目は先輩と後輩だから、会話が弾まない。二つ目は木之本のトークが客観的に判断できない。三つ目は木之本がいつも一緒に居る女の子に妬まれるのが怖い」
一つ目と二つ目は理解できるが三つ目はただ単に被害に遭いたくないから自分に押し付けたいだけじゃないか。
って言うか、木之本さんは先輩に対してもその行動していたのか……。
まあ、木之本さんは真君が好きだから誰にも奪われたくないだろうな。
とはいえ、さすがにこれは引き受けたくない。
上手い事言って断ろう。
「大変申し訳ないですが、お断りさせてもらいます」
「ええ、それは困るよ」
「そもそも真君に許可を貰っていますか?」
「木之本には部長命令だと言っておけば解決するよ」
口調は柔らかいのにやり方が横暴だ。
「それでもお断りします」
俺がきっぱり断ると神照先輩は腕を組んで考える。
なんか、企んでいるな。
うんと頷いて「これを使うか」と言った。
何を使う気だ?
警戒しながら、話を聞く。
「今考えてみたら、君に得するような事が無かった。では、君に得する条件を与えるよ」
「得する条件とは?」
「部室のエアコン使用権を与えよう」
「エアコン使用権?」
「そうだ。これから夏になるでしょ。そうなるとエアコンが必要。だけど、エアコン使用権は放送部、美術部等の一部の部活動しか与えられていないだよね。君の所属している同好会は使用権は無いと思う」
確かにこの二つの部活は実績がある。
実績が無い部活も部員が多ければ、エアコン使用権あるだろう。
そうなると同好会なんか使用権は無いに決まっている。
だが、それを決める権利が神照先輩があるかという疑問が残る。
「すいません、エアコン使用は学校が決める事で神照先輩が決める事じゃないと思うですが……」
「うーん。泉、三和君を呼んで来て」
「わかりました」
なんなんだ、この人は? 人をあごで使うなんて。
そんな事を思っていたら、神照先輩は立ち上がった。
何をするかと思ったら、お茶を入れてくれた。
お茶の入れる作法を丁寧に守った入れ方だ。
「ごめんね。客人なのにお茶を出すのを忘れていた」
「いいですよ。自分は後輩ですから」
「後輩でも客人だから。遠慮せずに飲んで」
礼儀正しい人なのか正しくないのかわからない人だな。
そうしていたら、泉先輩が三和先輩を連れてきた。
「神照さん、用事がある時は自分から来いと言ってるだろう」
「ごめんね生徒会長。客人が居たから行けなかった」
神照先輩は両手を合わせて誤っている。
生徒会長を呼びだしたの?
生徒会長は憤慨しているが、神照先輩は構わず話を進める。
「早速本題なんだけど、彼が部活で使っている図書準備室にエアコン使用権を与えてほしいだけど、ダメ?」
「僕にそんな権限があるわけでしょう!」
「なんで、生徒会長なんでしょ?」
さっきも似たようなやり取りしていたな……。
「生徒会長は神照さんが思っているほど万能じゃないぞ」
「そうか」
また、腕を組む。
今度は誰を呼ぶつもりだ?
うんと頷くと「よし、この手で行くか」と呟く。
神照先輩の考える事が碌なことじゃないと思う。
「よし、校長に掛け合うとしよう。みんな、付いて来て」
本気で言っているのか?!
驚いている俺に対して、二人はやれやれという顔をして神照先輩に付いて行く。
「何をしている? 君の事だよ、付いて来ないと」
「……はい」
勢いに押されて俺も付いて行く事になってしまった。
神照先輩が先頭を切って歩く。後ろから三和先輩、泉先輩、俺が付いて行く。
俺は泉先輩に聞いてみた。
「泉先輩、いつも神照先輩はあんな感じなんですか?」
「あれでもまだ表の顔だよ」
「表の顔?」
「そう。まあ、校長とのやり取りを見ていたらわかるよ」
泉先輩は説明するより見る方が早いという感じだった。
校長室に到着する。
「校長先生、話があります。よろしいでしょうか?」
ノックもせずにいきなり校長室に入る?
これが神照先輩の地なんだなと核心した。
「神照さん、いきなり校長室に来るのは止めなさいと言っているでしょう」
「緊急の用事だから来ました」
「……なんだね緊急の用事とは?」
そういうと神照先輩は俺を前に出して発言する。
「彼が今部活動で使用している図書準備室のエアコン使用権を与えてほしいです」
「それは緊急の用事か?」
校長は呆れながら言う。
確かに緊急の用事ではない。
しかし、神照先輩はそんな空気を一切読まずに発言を続ける。
「今、放送部に木之本という所属していましてちょっと問題がありまして、いろいろ試した結果彼と一緒にやらせた方が上手く行くと判断しました。ですが、彼は別の部活に所属していまして、放送部を手伝ってもらう条件としてエアコン使用権を与える事にしました。よろしいでしょうか?」
校長に喋らす隙を一切与えずに自分の要件を全て喋った。
言えば了承してもらえるような感覚だ。
校長の返事はこうだ。
「そんな理由でエアコン使用権は与えられない」
まあ、こうなるのは結果に見えていた。
しかし、神照先輩は引き下がらない。
「放送部を円滑に行う為に必要なんです。お願いします」
「いや、ダメだ」
一刀両断で却下された。
すると、神照先輩は様子が変わった。
「校長、彦根南をIT化してする時、県議会議員である父と衆議院議員である叔父にお願いしましたよね」
それを言うと校長の顔が変わった。
「『どうか学校IT化に彦根南を推薦してほしい』と言いましたよね」
「うっ」
そんな事が裏では行われていたのか?
流石に驚いてしまう。
神照先輩の手は緩めない。
「校長の頼みに応えて、父は県教育委員会や県議会、叔父は文部科学省に根回ししたですよ」
「で、できればという事で話で進めていた事で……」
「その割には熱心にお願いしていましたよね」
これを言うと校長は黙ってしまう。
これは確実にネタは掴んでいる。
そう思っているとそれ見透かしたように喋る。
「彦根南のIT化が決まった時、エアコンも全教室に付けたいから予算を多めに回してほしいってお願いしましたよね」
そこまで頼んだのか。
完全に弱み掴まれているじゃないか。
「わかりました。彼の部室のエアコン使用権を与えましょう」
「ご無理を聞いて頂きありがとうございます」
いや、脅迫そのものだろう。
校長がここで折れたという事はこれ以上喋られると校長の地位が危うくなるのだろう。
放送部に居た時の顔が表の顔なら校長室の時の顔が裏の顔。
親と親戚に権力を持っていたら、こんな風にもなるか。
「では、これで失礼します」
要件が済んだら、則撤退。校長の気が変わらない内に去る。
まさに、三国志に出て来る龐士元のような行動だ。
放送部部室に戻った俺達は本題である木之本君の手伝いをするかしないか件に移る。
無論、引き受ける事にした。
権力に屈したわけじゃない。
むしろ、条件が良い。断る理由が無い。
ただ、一つだけ疑問があったので聞いてみた。
「神照先輩、一つだけ聞いていいですか?」
「いいよ。私は彼氏はいないよ」
「先輩、それは聞いていません。自分に彼女が居ることは知っているはずです」
「私は二番目でもいいよ」
「すいません、話を進めていいですか?」
このままだと神照先輩ペースに嵌ってしまう。
ここでの主導権は奪われるわけにはいかない。
「なぜ、自分には校長の時みたいにしなかったのですか?」
「後輩に使ったらいじめと変わらないからね。あくまでも私より上の人に使うことで意味があるからね」
「それを聞いて安心しました。もし……」
「もし、なに?」
「高月さんにそれを使ったら、俺が黙ってませんよ」
それを言うと泉先輩と三和先輩は驚く。
あ、これはまずいことしたか?
でも、一度言ってしまった以上は撤回はできないからこのまま通すしかないな。
神照先輩を見ると二人とは真逆で笑っている。
「あれだけの状況を見ておいて、そのセリフを言えるとは相当の肝の大きさの持ち主だね」
「ありがとうございます」
一つも誉められている気がしない。
「いいよ。君の彼女さんには一切手を出さないと約束する」
その言葉にまたもや泉先輩と三和先輩が驚く。
どうやら、神照先輩の行動は二人に予想外の行動のようだ。
予想外展開でも俺としては要望が通ればそれでいい。
用は済んだ。さあ、自分の部室に戻るか。
部屋を出ようとしたら、神照先輩が呼ぶ。
無視するわけもいかないので応対する。
「なんでしょうか?」
「彼女を独占したい気持ちはわかるけど、度が過ぎると束縛になるよ」
「わかりました。その忠告、素直に受け取ります。では、先輩方々失礼します」
俺は先輩方々に深々と一礼して部屋を後にした。
部室に戻るとちひろが出迎えてくれた。
「ただいま」
「お帰り」
やっぱり、自分の部室が一番落ち着く。
「ここが一番いい。本当に落ち着く」
「なんか、あったの?」
俺は放送部であった出来事を全てちひろに喋った。
「大変だったねというより、これから大変な事になるね」
「ついに昼休みも無くなった」
「月一回とはいえ、昼休みが無くなるのは嫌だよね」
「それ以上にこれからは放送部の打ち合わせあると思う執筆作業がますます遅れる」
かなりペースを上げないと文化祭に間に合わなくなるな。
「ところで余呉先生は来た?」
「う、うん、来たよ」
ちひろの少し返答がおかしかった。
しまった、俺が離れた隙にちひろに近づいていたか。
「なんか、あった?」
「別に何にも無いよ」
「わかった」
ちひろの言葉を信じよう。だげど、念の為に余呉にもアプローチをかけておくか。
お願いだから、二週間ぐらいこの部室に客は来ないでほしい。
そんな事を切に願いながら執筆作業を始めた。
完全下校時間まで居たが結局余呉は来なかった。
どうやら俺の考えを読まれているようだ。
仕方なく帰宅することにした。
そういえば、ちひろに借りていた本を返さないと。
「ちひろ、今まで借りていた本今日全部返すから家の前で待っていてくれる?」
「いいよ」
家に着き、本を紙袋に入れて戻ろうと母さんに見つかった。
「もうすぐご飯よ。どこに行くの?」
「本を返しに高月さんの家に行く」
それを聞いたら母さんは何も言わずに玄関に向かった。
「ちひろちゃん、いらっしゃい。取りあえず、家に上がりなさいよ」
「拓也お母さん、こんばんは。今日は時間が無いのでここで遠慮します」
「母さん、ちひろを困らせるのは止めて。って言うか、何で居るのがわかった?」
「いつも一緒じゃない。だから、待たせているのかなと思った」
どうして、そういう事はすぐに思い付くんだ?
とにかく、ちひろを帰らせないと。
「母さん、今日は本当に遅いから別の日にして」
「そんな事言って、全然連れて来ないじゃない」
「母さんの都合を全部聞いている程俺もちひろも暇じゃないの!」
「暇じゃないって、何をやっているの?」
「部活。文化祭に出展する小説を書いているの!」
「じゃあ、部活を家でやればいいじゃないの?」
「家でやったら部活にならないだろう!」
常識外れ事を真顔で言っているから、本気で正しい知識を教えないといけないな。
しかし、無意味にやらなければいけないと言っても理解しない。
仕方ない、余呉の名前を使うのは癪だがこれを使うしかない。
「これは余呉先生が言っていたけど、部活に参加していると大学進学に有利になると言っていた。俺達は未来を見据えてしている。それを理解してほしい」
「……わかった」
「わかってくれたら、それでいい」
さすがに将来の事が関わってくると母さんも攻めてこないな。
「じゃあ、ちひろを家まで送って行くからね」
「わかった。ちひろちゃん、もし時間に余裕があったらいつでも遊び来てね」
「はい、わかりました」
母さん、なんとかして約束を取り付けるの止めて。
それは言われたらちひろも『はい』としか言えないでしょう。
やっと、ちひろを家に送って行ける。
「本当にごめんなさい。毎回毎回、母さんの件で迷惑かけて」
「大丈夫だよ。拓也君のお母さんの性格は少しずつだけどわかってきたから」
その気遣いが余計に申し訳なく感じる。
ちひろが考えた後に言う。
「一度、拓也君のお母さんとお出かけしたら満足するかな?」
それを聞いてその光景を想像してみた。
ショッピングモールを母さんとちひろが歩く。
一見、普通に見えるが知っている人が見たらちひろはうちに嫁いだように見える。
「すまない。誤解を招きかねないから止めてほしい」
「じゃあ、拓也君と私と拓也君のお母さんが一緒ならいいかなと思ったけど、やっぱりダメだね」
良かった。踏み止まってくれて。
そんな光景は頼まれても想像もしたくない。
「拓也君の家族と私の家族を会わせたらいいかな? そうすれば、拓也君のお母さんと一緒に居る時間もできる」
「ごめん。それは既に結納と同じ光景になる」
俺が言うとちひろが考えた。
すると、ちひろの顔が赤くなる。
「た、確かに結婚直前に光景になるね」
「でしょ」
ちひろはまた考え始める。
一緒に帰っているの母さんの話ばかりは困る。早く打ち切ろう。
「ちひろ、母さんの件は俺が考えるから考えなくてもいいよ」
「いいの?」
「いいよ。これ以上母さんの件でちひろを悩ましたくない」
本当にこの件でちひろを困らせたくない。
身内が原因ならなおさらの事困らせたくない。
帰ったら、ちょっとちひろが困っているから控えてほしいと言おう。
そんな事をしていたら、ちひろの家に着いてしまった。
結局、母さんの話題で終わってしまった。
本来ならもっと恋人らしい会話したかった。
「拓也君、荷物を持ってくれてありがとう」
「借りていたから、持つのは当然だよ」
荷物を玄関先まで持って行くと、唐崎ようこさんが出迎える。
「ただいま」
「ちひろちゃん、お帰り。あら、塩津君いらっしゃい」
「唐崎さんこんばんは。ちひろ、また明日」
「あれ、塩津君もう帰るの?」
「はい。あくまでもちひろさんから借りていた本を返しに来ただけですから」
「拓也君バイバイ」
「バイバイ」
そう言ってちひろと別れた。
家に戻り、母さんにちひろの今の心境を伝えた。
それを聞いた母さんは「そうなの。わかった、少し控える」と言ってくれた。
一応返事はしてくれたけど、多分忘れるだろうな。
期待せずに経過を見守ろう。
部屋に戻り、ノートパソコンを開く。
今日執筆する予定だった分だけでも書かないと。
遊びたい気持ちを押さえて作業にかかった。
一通り書き、時計を見ると十時半になっていた。
ここまでにするか。そう言いながら小説ウェブ投稿サイトを閉じ、総合ライトノベルのサイトを開いた。
このサイトはいい。本来なら一社一社出版社のサイトを開かないといけないところ、ここなら一気に見れる。
自分が読みたい本は決まっている。タイトルと著作者でこれは恋愛ものあれは冒険もの、そしてミステリーものと大体わかるからだ。
うーん、特に目を引く作品は無さそうだ。
続いて滋賀県内の映画のサイトを開く。
なぜ滋賀県内限定かというと極まれに京都や大阪では上映終了した映画が遅れて上映されることがあるからだ。
なんせ、カンヌ映画祭で審査員賞を受賞した映画が京都では九月に封切りなっていたが彦根では十一月に封切りなったことがあるぐらいだ。
そういう事が有ってこの行動が止める事ができない。
うん? 下山達郎監督の紡ぐ命がユナイテッドシネマ大津で上映する。
紡ぐ命、心臓に疾患を持った女の子と男の子の恋愛模様を描く映画。最後は女の子のお母さんが自分の娘に心臓を与える。いくら疎遠になったとしても親子の絆は切れないという話。
去年この時期に上映していたが入院をしていて見ることができなかった。
多分、舞台が大津市と京都市だった事もあって再上映が決まったのだろう。
三週間後に上映か……、見たい。
バイトを休んでちひろと一緒に見に行こう。
次の日。
部活の最中にちひろに昨日の事を話した。
「いいよ、けど、一つだけ条件付けていい?」
「何? お手柔らかにお願い」
「日吉大社に行きたい。いいかな?」
「それぐらいならいいよ。俺も行ってみたいと思っていたから」
「じゃあ、決まりね」
これでちひろと遊びに行く約束が決まった。
三週間後の土曜日。
俺は昨日アイロンがけして消臭スプレーを掛けた服に身を包んだ。
姿見の前で念入りに髪型、身なりを確認する。
そうしたら、親父が来た。
「拓也、鍵。ここに置いておくぞ」
「鍵? 何の?」
「トリシティの鍵だ。ガソリンは満タンにしてある。事故るなよ」
「いや、電車で行くだけど……」
「大津なんかバイクで行った方がいいぞ」
「ちひろと一緒に映画を見に行くだよだから、電車で行く」
それを聞いた親父は財布を出してデビットカードを俺に差し出した。
「軍資金だ。三万円ぐらいは入っているはずだ。持って行け」
「金なら店手伝いで稼いだ金があるからいいよ」
「いいから持っていけ。不測の事態は備えておいた方がいいぞ」
「わかった。けど、使うつもりはないからな」
多分、親父の経験を踏まえた上でこの行為をしているだろう。
厚意には甘んじるけど、手を付けることはまず無い。
一万円も有れば十分だ。
「親父、行ってくる」
「おう。頑張ってこい」
親父は笑顔で右手の親指を立てた。
いつもの親父とは思えぬ行動に戸惑いを感じながらも待ち合わせ場所である南彦根駅に向かった。
南彦根駅の改札口に到着。
待ち合わせにはまだ十五分もある。
相手より先に来ると相手に主導権が取られるから良くないと書く本があるが、そんな事を気にしていたら遊びにもいけない。
仮に主導権が取られたら取り返せばいいだけ。
ただ俺はこの考えは好きではない。どちらかという対等にしたいというのが本音だ。
まあ、考え方は人それぞれ押し付けるつもりない。
「拓也君」
少し離れたところから俺を呼ぶ声が聞こえる。
振り向くとちひろが居た。
駆け足でこちらに向かってくる。
「ちひろ、おはよう」
「拓也君、おはよう。お待たせしてごめんなさい」
息を切らしながら言う。
だが、俺はちひろの姿に見とれて返事をするのを忘れてしまった。
スカイブルーの半袖のワンピース。ベルトも同色。ハイウエストのデザインもいい。
シンプルだけど、これが一番良い服と感じる。
その少しだけど、化粧もしているのもわかる。
「どうしたの? もしかして、変なところがあった?」
「ううん、可愛いなと思っただけ」
うん、可愛い。それだけ十分。
他に言葉がいらない。
「あ、ありがとう。あかねお姉ちゃんの友達に勧められたまま買ったですけど、誉めてくれたなら買って良かったです。拓也君もその服恰好いいよ」
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
「はい」
誉めてくれた。ちひろに誉めてもらえるようにネットで調べたかいがあった。
嬉しさが出ないように敢えて普通に歩いた。
ホームに着くと、ちひろがスマホで時刻表を見る。
「四十六分の電車で行こう」
「新快速に乗る?」
「膳所は新快速は止まらないから、そのまま普通に乗った方がいいよ」
「じゃあ、そうしよう」
話し合いの結果来た電車で膳所に行く事が決まった。
実は膳所は普通しか止まらないのは事前に調べていたから知っている。
だけど、それを知らないふりをした。
それを知られたら今日のお出かけを楽しみにしていたようで恥ずかしいからだ。
そんな事を考えていたら電車が来た。そして空いてる席に座る。
「やっぱり普通は空いてるね。新快速だと長浜の時点で満席の時がある」
「たまにしか電車は乗らないけど、新快速っていつも満席のイメージしかない」
「京都大阪神戸に早くには新快速が一番だからね」
うちは車の移動が多い。だから、電車は滅多に乗らない。
ちひろは電車に乗る機会があるので知っているのだろう。
ここはちひろに預けた方がいいな。
約一時間掛けて電車は膳所に到着した。
ユナイテッドシネマ大津があるOh!Me大津テラスに目指す。
歩きながら、ちひろが懐かしがるように言う。
「大津に来たの三年振りだな」
「そうなの?」
「京都はよくお兄ちゃんに連れて行ってもらうけど大津は滅多に行かない」
「何で?」
「湖北の人達は生活必要な物は長浜で済ませて、足りない物が有れば彦根まで行って、それでも駄目なら新快速に乗って京都まで行くというのが湖北に住んでいる生活スタイルだから」
「大津の扱いが酷いな」
「でも、お兄ちゃんが『後、一山越えたら京都だぞ。京都の方が物がたくさんあるし、遊ぶところもたくさんある。もちろん、食べるところもたくさんある。それを考えたら大津に寄る理由が無い』と言ってた」
「確かにお兄さんの言うことは一つも間違っていない」
そう言われると近江大橋の橋詰にあるショッピングモールに行くことがあるがよくよく考えてみるとあそこは草津市だ。
大津市に行っていない。
それを考えてみるとあまり人の事は言えないな。
そうこうしているうちにユナイテッドシネマ大津に着いた。
「結構並んでるね」
ちひろが入場券を買う列を見ながら言う。
「大丈夫だよ。ネットで予約済みだから」
そう言って、自動発券機でチケットを発券した。
「あれ? お金は?」
「ネットで支払は済ませた」
「お金出すね」
「いいよ。映画に誘ったのは俺だし、誘った方が……」
「ダメ」
最後まで言う前にちひろが遮った。
「それだと私が拓也君を誘いたい時にお金が無いという理由で誘えなくなる。逆も同じだよ。どう思う?」
「それは困る」
「でしょ。だから、ルールを決めよう」
「ルール?」
「そう。自分で使ったり食べた分は自分で出す。貸し借りはしない。どうしても借りないといけない時は一週間以内に返す事。どうかな?」
「わかった。そうしよう」
確かにその方がいい。
結構、それが原因で別れるカップルがいるからな。
「じゃあ、映画代ね」
ちひろはお金を出した。
俺は素直に受け取った。
「映画が始まる。行こう」
俺はちひろに引っ張られた。
なんか俺よりちひろの方が楽しんでいるようだ。
楽しんでいないよりはましか。
二時間後。映画が終わり外に出た。
時計を見ると後少しで十二時になるところだ。
さて、昼飯どうしよう?
一応、ある程度は調べている。本来なら無難にファミレスにするのだが、ファミレスは膳所駅の裏側国道沿いにある。
男だけなら歩いて行く気にもなるが女の子連れだから控えるか。
ちひろの好みもあるから聞いた方がいいな。
「ご飯だけど、ここら辺だとカレー屋か回転寿司か牛丼屋しかないけど、どうする?」
「石山駅のところにハンバーガー屋があるから、そこにしよう」
「いいの? ちひろの家の近くあるから敢えてさけてただけど……」
「ううん。むしろ、二人だけだからここに行きたい」
「わかった」
なんかこだわりがあるのかな?
聞きたかったが敢えて聞かずに俺達は石山駅のハンバーガー屋に向かった。
ハンバーガーの注文を終えて、席で待っている間にさっきの映画の話をする。
「やっぱり良い映画だった。見れて良かった」
「うん。本当に良い映画だった。拓也君、ラスト泣きそうになってた」
「見てたの?」
「正確には鼻をすする音が聞こえたから見てしまった」
「恥ずかしいな」
「でも、女の子が全ての真実を知った時のシーンは私も泣きそうになった」
「でも、泣いてないよね」
「拓也君が先に泣いたからね」
「泣きそうになっただけで泣いていない。泣いたって、勝手にランクを上げないで」
「ごめんごめん」
俺の抗議にちひろが笑いながら謝る。
本気で怒っていないからここで終わることにした。
食べ終わり、ちひろの目的である日吉大社に行くことにした。
電車の中で日吉大社に行く理由を聞いてみた。
「なんで日吉大社に行きたいの?」
「お兄ちゃんは大事な仕事がある時はいつも事前にそこに行っているの。だから、そこに行ってみたいの」
「行った事ないの?」
「いつも一人で行ってる。一緒に行きたいと言っても連れて行ってくれない」
それはそうだろう。大事な仕事を成功させたいから祈祷しに行っているんだよ。
神頼みしている姿を妹に見られたくないに決まっている。
「でも、お土産に嶋屋のいちご大福を買って来てくれるから許してあげてる」
随分、簡単に許しているんだな。
もしかしたら、これを目的に駄々をこねてお兄さんにいちご大福を買わせるという魂胆なのかと勘ぐってしまう。
「それって、日吉大社に行きたいじゃなくて、いちご大福を買いに行きたいじゃないの?」
「うん。いちご大福を買いたい」
うわ、包み隠さず本音を言った。
まあ、それだけ好きなんだな。
「じゃあ、いちご大福を買いに行こう」
「うん」
そして坂本比叡山口駅に着いていちご大福を売っている嶋屋を探すが、嶋屋どころか和菓子屋すら見つからない。
ちひろは家の前でラジオを聴きながら日向ぼっこをしているお婆さんに尋ねる。
「すいません、嶋屋という和菓子屋知りませんか?」
「嶋屋? 聞いた事があるね」
聞いた事がある? という事はこの近所には無いな。
今度は俺が尋ねる。
「いちご大福が有名な店ですけど……」
「ああ、いちご大福の嶋屋さんね」
「知ってますか?! どこですか?!」
食い気味にちひろが言う。
そんな事したら、お婆さんが驚くぞ。
と思っていたがお婆さんは一つも動じる事は無く、普通に話を進める。
「嶋屋さんは堅田にあるんだよ。お嬢さん」
「堅田?」
「そう堅田。ここから嶋屋さんに行くのは大変だよ」
「そんなに遠いの?」
「電車で二駅だけど、堅田駅から更に歩かないと嶋屋さんには行けないよ」
この口振りだと結構歩くことになりそうだ。
「わかりました。お婆さん、教えてくれてありがとうございます。拓也君、堅田に行こう」
お婆さんに一礼した後にとんでもない事を言った。
行くの? 堅田に行くの?
そんなに嶋屋のいちご大福美味しいのか?
ここまで来たら、行った方がいい。逆に行かない方が後悔しそうだ。
「わかった。行こう」
「お嬢さん達、行ってもいちご大福は手に入らないよ」
「どうしてですか?!」
「嶋屋さんのいちご大福は冬春限定なんだよ。夏に入りかけてるこの時期は売ってないよ」
お婆さんの一言にちひろは俺が想像している以上に肩を落とした。
確かにいちごの取れるシーズンは十一月から四月までだからな。
嶋屋さんは旬にこだわっている事がわかる。
ちひろをこのままにしておくわけにいかないので声をかける。
「ちひろ、今日は諦めよう」
「うん」
「秋になったら日吉大社は紅葉の季節だ。紅葉を見た後、嶋屋に行こう」
「うん」
納得はしてくれて良かった。
「いいね。お嬢さん達は本当に仲良しだね。お嬢さん達を見ていると初めてお爺さんと一緒にお出かけした事を思い出すよ」
うんうんと頷くお婆さん。
お婆さんは率直な感想を言っているだけだが、聞かされた俺達は恥ずかしい思いを感じた。
更にお婆さんは喋る。
「今お嬢さんが着ているような服を着て、坂本駅でお爺さんと待ち合わせ。映画を見て喫茶店でお茶をして夜は大津市民会館でリサイタル。緊張しっぱないしでそれぐらいしか覚えていないけど、私の中の幸せな一日の一つだよ」
思い出を語るお婆さんの顔は本当に幸せそうな顔している。
「お嬢さん達も今日という日が幸せな一日なるよ。不慮な出来事が遭っても二人で力合わせれば乗り超えればいい」
うん? 急に注意喚起してきたぞ。
「あ、ごめんごめん。余計なちょっかいだった。気にしないでくれ」
言い終わってからそれを言われても困る。
「あ、名前を言うのを忘れていたね。私の名前は比良。比良さゆり。お二人の名前を聞かせて聞かせてくれるかな?」
今度は名前を聞いてくるか……、まあ名前ぐらいは言ってもいいか。
「僕は塩津拓也です」
「私は高月ちひろです」
「塩津拓也さんと高月ちひろさんね。覚えておくよ。また会うかもしれないかね」
お婆さんはラジオを切って立ち上がった。
「塩津さん高月さん、お幸せに」
それだけ言うと家に入って行った。
残された俺達は呆然していたが、俺がちひろの袖を引っ張る。
「あのお婆さん。なんか不思議な人だったな」
「うん。確かに不思議な人だった」
俺達を投影して昔語りをするのは年寄りにはよくある事だ。
ただ、不慮の出来事という気になる事を言っていた。
もしかしたら、お婆さんの歩んできた人生でその事が起きたので、俺達にアドバイスをしたのだろうな。
そのアドバイス有り難く受け取ろう。
「ちひろ、ここまでせっかく来たのだから日吉大社に参拝しようか」
「うん。行こう」
入苑協賛料(国宝、重要文化財の維持する為に使われるようだ)三百円払い日吉大社に入苑した。
苑内を散策する。
西回りと東回りの二つルートがあるが、俺達は西回りを選んだ。
理由は先に入苑した人達が西から行っているからだ。
ここには本宮を含めると二十一社もある。
それら全部にお賽銭を納めるとかなり出費になるから西本宮と東本宮だけにしよう。
「ありきたりだけど、こういう所はなんか神聖な感じがするね」
「うん。そうだね」
さっきからちひろの返事が空返事ばかり。
あのお婆さんに会ってからずっとそうだ。
転ばないといいだけど……。
そんな事を考えながら、東本宮の境内に入ると聞きなれない音が聞こえる。
音のする方に向かうと巫女さんが神楽を舞っていた。
中央に二十代後半と思われる男女が二人。左右にはその男女の家族の人達がそれぞれ十六人居た。
ああ、結婚式か。
最近の結婚式は結婚式場に教会もしくは社殿があるから、神社などで結婚式は行われないと思っていた。
でも、こうして見てみると大社本殿での結婚式は良いと思う。
ちひろを見るとその光景を見ている。
この姿を見ると「行こう」とは言えない。
仕方なく最後まで見ていくか。
約三十分後、結婚式は滞り無く終わった。
「拓也君、ごめんね。つい、見とれて……、何をやっているの?」
「カメラマンをやってる」
ちひろは見ている間、俺はなぜかカメラマンの真似事をしていた。
まあ、さっきも言ったがこの場所の結婚式は珍しいので参拝客が結婚式をバックに写真を収めていた。
人様の結婚式をバックに記念写真っていいものかねと思いながらもシャッターを切っていた。
「これでいいでしょうか?」
「綺麗に撮れてます。ありがとうございました」
深々と頭を下げてその場から離れて行った。
結婚式が終わったから実質この人が最後だ。
俺達は境内を出て出口に向かっていた。
ちひろはまた考え事をしている。余程、結婚式が良かったのだろう。
偶然とはいえ神前式の結婚式を見る事ができた事は運がいい。
結婚式なんかどこでもいいと思っていたが、こういうのを見ると本殿での結婚式も悪くない。
「俺もこういう場所で結婚式を挙げようかな」
「え、結婚式?!」
あ、つい口に出してしまった。
しかし、ちひろは自分に言われたと思って大慌てしている。
「結婚式なんて。私達にはまだまだ早いよ!」
そう言って駆け出そうとしたが、その先は階段になっていた。
その事に気づいていないので、足を踏み外し転落しになったので慌ててちひろの右手を掴む。
ちひろを転落は阻止できたが眼鏡が外れてしまい、階段の一番下まで落ちてしまう。
更に最悪の事に車が眼鏡を踏んで走り去ってしまった。
俺はちひろを置いて駆け足で階段を下りた。
辿り着いて、眼鏡を見るとテンプルのところだけが踏まれた。
しかし、テンプルがダメな時点で眼鏡として機能は果たせない。
ちひろの所に戻り眼鏡を見せる。
「ああ、高校生になったから新調したのに!」
泣きそうな顔で言う。
だけど、もう元に戻すことはできない。なんとか解決を見つけないと。
「とりあえず、眼鏡屋に行こう」
「こんなに壊れているのに。直せないよ」
「フレームだけ交換する手がある。新調したばかりだったら、同じモデルがあるかもしれない」
「でも、この眼鏡長浜の眼鏡屋で作ってもらっただよ」
それを聞いてスマホで同じ系列店が近くに店舗が無いか検索する。
「大津京に系列店がある。そこに行こう」
俺が提案するとちひろが困った顔で言う。
「どうしたの?」
「私、視力が0.01しかないの。一人では歩けない」
ああ、そうか。俺もそれぐらいしかないから気持ちはわかる。
そうなると……。
俺は決意して言った。
「手を貸して。俺がちひろを先導するから」
恥ずかしいけど、それしかない。幸い、ここは大津だ。知り合いは誰も居ない。
手を繋いで歩いていても仲が良いカップルだと思うだけだ。
俺が右手を差し出すとちひろは「お願いね」と言って左手を出した。
俺はちひろの半歩だけ先に歩く。
これは今までと違って結構神経を使う。
今までは同じ歩幅を歩く事だけ意識していれば良かったが、今はちひろの目の役目しなければならない。
それに集中していたら、歩幅が乱れてちひろを引っ張ってしまう。
もちろん、ちひろが安全に歩ける事も考慮しないといけない。
この三点を注意しながら、ちひろを導かないと。
こうしていると盲導犬の気分になってきた。
盲導犬はこんな大変な事をしていたのか。
これから盲導犬に敬意を払わないといけないな。
途中で小さな女の子に「お兄ちゃんとお姉ちゃん、ラブラブだね」とからかわれた。
俺はちひろを安全に歩かせる事だけ考えていたが、ちひろは顔が真っ赤だった。
なんとか無事に大津京にある眼鏡屋に着いた。
ちひろを椅子に座らせて俺が店員さんに事情を説明した。
「これと同じフレームですか……、暫くお待ち下さい」
店員さんが奥に行くとちひろの側に行く。
「大丈夫かな?」
「同じモデルが無い時はできる限り同じ形状のフレームに今使っているレンズを入れてももらうしかない」
「それだと視点が合わないじゃないの?」
「新しい眼鏡ができるまでの緊急処置だよ。じゃないと生活ができないからね」
すると、店員さんが戻って来た。
「お客様、お待たせしました。残念ながら当店では在庫が無くて草津店なら在庫があることが確認できました。どうなされますか?」
「草津店に行きますので取り置きしてもらえるようにお願いして頂けますか?」
「わかりました。暫くお待ち下さい」
再度、奥へ行った。
それぐらいは気を回してもいいと思うだけどな……。
若干、店員さん行動に不満を持ってしまう。
「なんとかなりそうだね」
「フレームはなんとかなったけど、お金が無いよ」
「大丈夫だよ。親父からカードを借りたから」
「カード?! ダメだよ。カードって、借金だよ。いくらなんでもそれは使えない」
「三万円以上は使えないし、一回払い限定だから利息も付かない」
「うーん」
ちひろは考える。まあ、考えても結論は決まっている。
「拓也君、ごめんお金を借りるね。でも、その前に拓也君のお父さんに許可を貰いたいから電話かけてほしい」
「大丈夫だよ。事後報告でも」
「私の気が治まらないからお願い」
ちひろは手を合わせながら言うので、仕方なく親父に電話を掛けた。
「親父、俺だ」
電話が切れた。
ふざけるな、親父。
リダイヤルで掛けなおす。
「親父、拓也だ」
「拓也か。何だ?」
「なんで、さっき電話切った?」
「詐欺と判断した」
「画面に俺の名前が出てただろう!」
「念の為だ」
「何の念を入れたんだ?! 緊急要件で電話しているんだぞ!」
「どうした? 手短に済ませろ」
手短に済ませたかったら、電話を切る行為をするな。
「ちひろの眼鏡が……」
「拓也君、それは私から説明させてほしい」
「俺が説明するよ」
「これは自分の事だから自分で説明させて」
「なんだ? 電話口でいちゃいちゃするなら切るぞ」
「切るな! ちひろが親父に話したい事があるから変わる」
それだけ言ってちひろにスマホを渡した。
「あのお客様」
店員さんが恐る恐る尋ねる。
まあ、あのやり取りを見ていたらこの対応になるな。
「すみません。見っともないところ見せまして。眼鏡の件はどうなりましたか?」
「大丈夫ですよ。取り置きしておきますので、今日中に来店して下さいと申しておりました」
「ありがとうございます。助かりました」
「本日の来店ありがとうございました。また、何かありましたらお気軽に来店して下さい」
店員さんが丁寧な挨拶を済ませるとちひろの電話が終わったようだ。
「ありがとう。どうだった?」
「取り置きしてくれるって。行こう」
「うん」
俺はちひろの手を繋いで店を後にした。
草津店に着いて無事にフレーム交換してもらう事ができた。
ただ、会計の時親父のカードを使う事が問題になって再度親父に電話を掛けることになった。
「親父。拓也だけど」
「何だ?」
「カードの暗証番号を教えてくれ」
「1973」
「そんなに簡単に教えるのか?」
「心配するな。支払い終了後、すぐ変える」
ああ、その手があったか。
「早くしろ。客を待たせている」
「ごめん。ありがとう」
電話を切り、支払いを済ませた。
眼鏡屋を出て草津駅に向かう時、ちひろが俺の右手を掴んだ。
「今まで手を繋いでいたのだから、このまま繋いで帰りたい」
「いいの?」
俺が言うとちひろは黙って頷いた。
俺はちひろの同じ歩幅で歩いて駅に向かった。
手から伝わるちひろのぬくもりは一生忘れる事がないだろう。
駅に着き、電車が来るまで余裕が有ったのでちひろは眼鏡の件で唐崎さんのところに電話を掛けていた。
掛け終わると再度ちひろは手を繋ぐ。
今度は恋人繋ぎだ。
流石にこれには一気に心臓の鼓動が早くなる。
多分、ちひろも同じぐらい心臓の鼓動が早くなっていると思う。
「拓也君、叔母さんに相談したら今晩お返しに行くって言ってた」
「いつでもいいのに」
「ダメ。今朝二人で決めた事は守らないと」
「そうだね。二人で決めた事だから守らないとね」
「そういう事。話が変わるけど、お父さんにこの事を電話すると叔母さんに言ったら『それは私から電話するから、ちひろちゃんはしなくてもいいよ』と言われた。何でだろう?」
多分、ちひろのご家族には俺との交際は伝えられていないな。
「なぜかはわからないけど、唐崎さんが伝えると言ってるなら任せておいた方がいいと思う」
「そうだね。任せておくよ」
それだけ言うとお互い黙ってしまった。
話す事が無くなったわけじゃない。
会話をするより静かにこの時間を過ごしたい。ただ、それだけ。
電車の中でもこの様に過ごした。
南彦根駅に着く直前にちひろのスマホにLINEが来た。
メッセージの内容は唐崎さんが親父の店に居るから店に寄ってほしいと書いてあった。
お金を渡しに来たんだな。
南彦根駅で別れる予定を変更して店まで行く事にした。
店では親父と唐崎さんがトリシティ300を囲んで話していた。
「このスイッチを作動させると……」
「おお、立った! バイクが一人立ちしてる!」
「でも、これ発展途上の機能だから起動させる時に態勢が悪いと倒れてしまうですよ」
「そうなんですか?」
「現に五件店に苦情来てます」
「これだけでかいと普通機能有無関係なく態勢を維持させるものだと思うだけどな」
「ですよね。私もそう思います」
ダメだ。バイク談議が終わる気配が微塵も感じない。
仕方なく、話を割り込む事にした。
「親父、ただいま。唐崎さん、こんばんは」
「お帰り。いつから居たんだ?」
「今来たばかり」
本当は三分ぐらい前に居たがな。
すかさず唐崎さんが俺の前に来た。
「今日はちひろちゃんが大変お世話になりました。感謝します」
「いえ、彼女の事ですから当然の事です。親父、お金の件はどうなった?」
「拓也達が帰ってくる前に全て済ませた」
「じゃあ、叔父さん何で居るの?」
ちひろが唐崎さんに聞く。
実はその疑問は俺も持っていた。が、俺が聞くと角が立ちそうなので黙っていた。
「ちひろちゃんがここに寄ると思って待っていたの」
「ただ、待たせるのどうかなと思ったから、トリシティ300を紹介した」
親父、商売に持って行くのが巧いな。
既に唐崎さんはトリシティ300の虜になっている。
金が有ったら、勢いで買いそうなぐらいだ。
「トリシティ300、九十は行きますよね……」
「消費税込みで九十六です」
「だよね。ここから諸費用が加わるから百十は超えるか」
「超えますね」
いかん、今度は商談が始まる。
「叔父さん、余裕ができたらバイク買いましょう」
意外な事にちひろが親父達の会話に割り込んできた。
「今買ったら、叔母さんに何言われるかわかりませんよ」
あくまでもこれは俺の予想だが、唐崎さんの家は経済事情はあまり良くないようだ。
「発展途上の機能もあるですから,後五年ぐらい待った方がその機能も進化していいですよ」
「うーん」
あ、これは家のローンだな。
確かに五年もあったらその機能も進化していている。
唐崎さんも少し悩み始めた。
すると、ちひろが親父に話し掛ける。
「拓也君のお父さん、これのレンタルは無いですか?」
「これはまだ扱ってないよ。トリシティ125ならあるけどね」
「いつ頃レンタル開始しますか?」
「今は未定だよ」
「もしレンタル開始したら、叔父さんに一番に知らせて頂けますか?」
「それぐらいならしてもいいよ」
「ありがとうございます。叔父さん、レンタルだったら叔母さんも目くじらも立てないと思いますよ。今はそれで我慢しましょう」
「そうだね。そうするよ」
ああ、やっと理解できた。
ちひろは唐崎さんと親父の落としどころを探していたんだ。
下宿先で唐崎さんの家の状況を考えるとバイクを買える余裕が無い事は肌で感じ取っている。
だけど、眼鏡代を一時的とはいえ立て替えくれた親父に対して無碍な事もできない。
そうなるとレンタルという手しかない。
割合的には唐崎さんが八で親父が二。唐崎さんに比重が多いがこれは普段から世話になっているからこれは仕方ない。
親父もそんなに不満そうな顔はしていないようだ。
トリシティ300の件は無事に解決してちひろは唐崎さんと共に車で帰っていた。
次の週の火曜日。
俺と真君は放送室のブースに居た。
ガラス越しの調整室には神照先輩と泉先輩が居る。
そう、今日は真君が昼休みの放送担当日だ。
なので、俺は神照先輩の約束を果たすためにここに居る。
「塩津君、木之本。準備はできたかな?」
「はい」
真君は返事したが俺はしなかった。
「どうしたの、塩津君?」
「自分は打ち合わせしていないですけど……」
「塩津君はアシスタント。放送を先導するのはメインパーソナリティ木之本の仕事。木之本の喋りに相槌をしたり返事をすればいいよ」
「まあ、それで良ければ」
「じゃあ、始めるよ」
神照先輩が言うと泉先輩が音出しをする。
音楽が流れると真君が深呼吸をする。
神照先輩が合図を出すと真君が喋り出す。
「木之本真のランチタイムレディオ。こんにちは、木之本真です」
「こんにちは、今日からアシスタントを勤める塩津拓也です」
「僕が紹介してから自己紹介してよ」
「そんなに形式に拘っていたら、放送がつまらなくなるよ」
「一応、構成というのがあるからそれに従ってくれ」
「わかった」
「じゃあ、本日の一曲目。ミスチルでHANABI」
曲がかかっている間に俺と真君は食事を取る。
ここで食べないと午後の授業は飯抜きで受けないといけないからだ。
「そろそろ曲が終わるよ」
ヘッドホン越しに泉先輩が指示する。
それに合わせて食事を終えた。
なるほどね。一曲目がフルで流す理由がこれでわかった。
「改めまして、こんにちは。木之本真です」
「……」
「ちょっと、挨拶してよ」
「紹介してから自己紹介するだろ?」
「それは終わった事だから普通に挨拶してよ」
「改めまして、こんにちは。塩津拓也です。さて、何をやるの?」
「今日は拓也君は初めてだから、少し拓也君の事を掘り下げてみようと思います」
「俺を掘り下げたところで放送として成立するのか?」
「とりあえず、やってみないとわからない」
なんだ、この行き当たりばったり企画は……。
まあ、その方がいいっか。
下手に仕組まれるよりはいい。
俺は真君の企画に乗った。
一年遅れて入学した事、バイクの免許の事、部活の事を聞いてきた。
警戒していたがこれなら大丈夫だろう。
「週末は家の店手伝いをしているだね」
「そう。手伝いだからただ働き」
「それは最悪だな」
「人件費削減をするには家族を使う方が一番だからね」
ただ働きは嘘だけどね。
稼いでいると知ったら、間違いなく真君と木之本さんがたかりに来る。
それに学校はバイト禁止されているから家の手伝いという形にしておかないと校則違反で謹慎処分を食らうからだ。
「いつもは家の手伝いですが、先週末は南彦根で高月さんと居ましたがどこに行ったんですか?」
真君の予想外の一言に俺は問い詰めようとしたら、すぐさま真君は紙を差し出した。
それにこう書かれてある。
すまない。部長命令なんだ。許してくれ。
真君の顔を見ると本当に申し訳ないという顔をしている。
神照先輩を見ると、嬉しそうな顔をしている。
泉先輩を見ると、やれやれという顔をしている。
どうやら神照先輩の罠にかかってしまったようだ。
多分、先週末の行動は全てお見通しと踏んでおいた方がいいだろう。
そうなると取るべき行動は一つ。
「その日は高月さんと一緒に大津で映画を見て、その後日吉大社に散策してたのだけど、高月さんの眼鏡が壊れる事態になって、草津の眼鏡屋で直して家に帰った」
大分、端を折ったが主要部分は話したから問題は無い。
神照先輩を見ると面白くない顔をしている。
どうやら、思っていた展開にならなかったようで気にいらないようだ。
それはどうでもいいとして、どうして俺達が南彦根に居ることがわかったのか?
あの時、駅には学校の知り合いは居なかった。
神照先輩に聞けばわかるが、折角治まった出来事を再燃させるのはあまりにも馬鹿馬鹿しいので止めた。
この後、普通のトークで放送は終了した。
ブースから出ると二人から「お疲れ様」と労ってくれた。
俺と真君は「ありがとうございます」と礼をした。
「ああ、もう少し面白くなると思ってただけどな」
「先輩、今日もダメでしたか?」
神照先輩の言葉に真君はがっかりする。
三回連続でダメ出しを食らうとさすがに精神的なダメージが大きいだろう。
「違う違う。塩津君と高月さんのデートの件の事だよ。面白くなると思って今日までみんなに協力してもらって黙ってもらったのに」
いや、緘口令を出したの間違いじゃないのか?
「部長、今日の放送はどうだったですか?」
「気になるところはあったけど、前の二回に比べたらかなり向上したから及第点だね」
「ありがとうございます!」
神照先輩の及第点という言葉に真君は大声で言った。
「こら、及第点で喜ぶな。更に上を目指せ」
と言われたもの真君は聞いていない。
ため息を付いた後、俺に話しかける。
「塩津君、本当はこの一回だけにしたかったけど木之本の技術向上の為に三月いっぱいアシスタントを勤めてくれないかな?」
「アシスタントぐらいならいいですよ」
「よろしく頼むね」
正直、神照先輩に利用されている感じもあるがエアコンの件もあるので引き受ける事にした。
「でも、やっぱり塩津君のデートの話は楽しめると思ってたのにな」
「人の恋路をそんな風に楽しむのは止めて下さい」
「もし、はぐらかした時はこの資料を出す予定だっただけどな」
そう言いながら、プリント五枚持ってきた。
拝見すると先日のデートの詳細が書かれてあった。
これだけの情報を集めるとなると完全に尾行されたと言ってもいいだろう。
これは俺のミスだな。
ちひろの事を気に掛けすぎて、周りの事を見渡すのをおろそかにしていた。
次から注意して行動しよう。
そして、放課後。
部室でちひろから昼休みの出来事を聞いた。
それを聞いて納得した。
「なるほどね。曽根さんが俺達を見つけたのか」
「私は始めは驚いたけど、後からよく考えると曽根さんなら納得できる」
「さすが女子野球部エースだね」
最終的に曽根さんは凄いという事で全ては落ち着いた。
雑談も終えて俺達は執筆作業にかかる。
相変わらず作業は遅れている。
ところでちひろの進捗状況どうなんだろう?
人の事を心配している場合じゃないけどね……。
「ちひろ、作品の進行具合はどう?」
「なんとか文化祭までには間に合うよ」
「それなら良かった」
「拓也君はどうなの?」
「残念ながら、遅れてます」
「どうするの?」
「夏休み返上で毎日学校で執筆作業します」
「毎日?」
「うん、毎日。エアコンが使用できるから家でやるより作業効率が良くなるかも」
「それもそうだね」
それだけ言っていたらちひろは考え込む。
「決めた。私も毎日学校に行こう」
「来るの?」
「だって、エアコンが使えるなら家で勉強する学校で勉強した方が叔父さんの家の電気代が節約できるし」
ああ、そういう事ね。
この様子だと唐崎家は普段からお金の事でギスギスしているんだな。
うちも似たような状況だから理解できる。
それでちひろは気を使ったんだな。
とはいえ、夏休みも毎日会えるとなると嬉しいことには間違いない。
「それがいいかもね」
「まあ、その前に期末試験を乗り越えないと別の意味で毎日学校に行く事になるけどね」
「……ちひろ先生、期末試験前のご教授お願いします」
そう言いながら、頭を下げた。
別に自分だけでも勉強はできるがちひろの教え方は本当にわかりやすい。
この前の勉強会の時、木之本さんに教えていた事を聞いていたがこんなアプローチの仕方があるのかと感心させられたぐらいだ。
「教える必要は無いと思うけど、任せて」
ちひろは胸を張って言った。
すると、余呉が部室に入って来た。
元気が無い。
流石に見過ごす事ができず聞いてみる。
「余呉先生、大丈夫ですか?」
「君達のせいだよ」
この様子だと宮司にだいぶ絞られたようだ。
溜め息を吐いた後、俺達に言う。
「もう少し、自重してよ」
「昼休みの放送の事でしたら、俺達も被害者なんですよ。むしろ、神照先輩に自重して下さいと言って下さい」
「それが言えたらな……」
この学校に神照先輩を押さえれる人が居ないようだ。
後ろにあれだけの権力を持っていたら、おいそれとは言えないな。
「ねえ、この私を慰めて」
「年下に言ってどうするんですが、同い年に言って下さい」
「ねえ、お願い」
懇願する余呉を見て、これはやらないと終わらないと悟り仕方なく慰める。
「大変でしたね、先生」
「頭を撫でながら言ってほしい」
「大変でしたね。先生」
面倒くさいなと思いながらも頭を撫でながら言った。
余呉は嬉しそうな顔をしている。
撫で終わると満足そうに部室から出て行った。
何なんだ? 部活の顧問として仕事をしてから行けよと言いたい気分だった。
ちひろが俺の横に座った。
不満そうな顔をしている。
「ねえ、慰めてよ」
「? どういう事?」
「いいから」
頭を差し出されて困る。
「いや、慰めることが理由が無いだけど……」
「じゃあ、誉めて」
「どう誉めればいいの?」
「なんでもいいから」
そう言われても……。
「ちひろは可愛くて、勉強が出来て、料理も上手で、本当に優しい女の子だよ」
俺はとにかく考えつく限りにちひろの誉めた。
「それから?」
それから!?
試されているのか? 俺?!
「身だしなみがいつも整っていて、スタイルがいいよ」
「エッチ」
「え?」
何でそんな事を言われるの?
疑問を感じているとちひろが喋る。
「だって、スタイルがいいって最後に言ったでしょ?」
「言った」
「それは私に対して一番誉めたい事なんだよ」
あ、そういう事か。
「可愛いが一番誉めたい事で。いや、スタイルが二番じゃないというわけじゃなくて……」
俺は何を言っているんだ!?
しどろもどろになっている俺を見て、ちひろは笑った。
「ごめんごめん。もういいよ。十分誉めてくれたから」
「もう勘弁してよ」
「勘弁してあげよう」
やれやれと思いながらも気になる事ができたので聞いてみた。
「ところでさっきのは何かテスト?」
「簡単な心理テスト。最後に言った事が本当は一番始めに誉めたい事なんだよ。けど、人は体の事を誉めるのは嫌われる事だからできる限り言わないようにするんだよ」
「うう、当たってる」
確かに一番始めにそれを思い付いた。
「ちなみに勉強等の事を誉めたら知的な事が好きで、料理等の事を誉めたら家庭的な事が好きで、スタイルの事を誉めたら……」
そしたら、ちひろは体を身構えた。
「どうしたの?」
「……」
小さな声で言うのでよく聞こえなかった。
「え、何?」
「スタイルの事を誉めたらその体が好きなんだって、あかねお姉ちゃんが言っていた」
真っ赤な顔で言った。
あかねさん、その答えはあまりにも直球過ぎます!
この場にあかねさんは居ないので心の中で叫んだ。
だが、実際にそう思っているので否定できなかった。
言える言葉はこれだけだった。
「ごめんなさい」
「あ、悪い事じゃないのよ。男の子が女の子の体に興味持つのは自然な事だよとあかねお姉ちゃんが言ってたから」
あかねさん、俺を困らせないで。
多分、何か話でこの方向に進んだと思うけどもう少し他に手段は無かったのかと思う。
ちひろの顔を見るとなんか嬉しそうな顔をしていた。
聞きたいけど、内容が内容だけに下手に聞く事ができない。
俺は遅れを取り戻す為に執筆作業を再開した。
そして五時半になり、作業終了した。
戸締りをして学校を出た。
西に傾く太陽を見ながら言う。
「日が長くなったな。夏も近い証拠だな」
「うん、そうだね」
「だけど、部活の事を考えると今年の夏は三日ぐらいしか楽しむ事ができないな」
「何をするの?」
何をする……。それを言われると特に考えていなかった。
仕方なく、ベタな回答をする。
「ちひろと一緒に花火大会に行きたい」
「花火大会、行きたい! 行こう!」
予想以上のノリにちょっと驚く。
「長浜でも花火大会あるでしょ?」
「遠くからは見た事がある」
「近くで見た事ないの?」
「長浜はいつも平日にしか開催されない。だからお父さんとお兄ちゃんは仕事。お母さんは混雑するから行きたくないと言われて終わり」
酷いお母さんだな。
うちの母さんだったら、間違いなく一緒に行くな。俺を置いて。
ここまで喜ぶなら絶対に行かないと。
「じゃあ、花火大会の日は完全オフにするか」
「うん。そうしよう」
一か月以上先の話だけど、楽しみがあればそれをモチベーションに執筆作業も上がる。
頑張らないと。
そう思いながら家に帰った。
次の日からより良い夏休みを迎える為に勉強、執筆作業、家の手伝いをこなしていった。
そして、最大の難関である期末試験も乗り越える事ができ、夏休みが始まった。
どうでしたでしょうか?
楽しめましたでしょうか?
タイトルに夏編と書いておきながら、夏休みに入っていないという体たらくな作品になってしまいました。
とはいえ、どこかで区切らないといけないので夏休みに入る前にこの作品は終了しました。
次回は夏休み編に突入します。
期待して下さい。