三和土?!
「とりあえず腹減った、飯でも喰うか」
工業的に精肉できる施設があるわけでもなく、粗末な石器だけでの猪の全人力解体作業はそれなりにひと仕事だ。ひととおりの解体作業が済むともともと体力のない白彦だけでなく体力の塊みたいな赤金でもさすがに疲労困憊らしい。
何とか終わった、と言う達成感と慣れない作業から来る緊張感に精神的にもぐったり気分になっていた俺の耳に届いたのは、実にありがたい赤金の提案だった。どんな時代でもすべての生物はエネルギーを消費すれば腹が減るようにできている。そして失ったエネルギーは外から摂取する以外に方法はない。
とは言え男のひとり暮らしだ、台所どころか調理用には竈さえない洞窟暮らしの赤金のところでマトモな料理なんて期待できるはずもなく、あるのは精肉したばかりの猪の生肉といつ作ったんだかもわからない冷蔵洞内で乾涸びた鹿肉のジャーキー、川の生簀で確保してあった鮎に何の鳥だかもわからない野鳥の生卵、そして赤金にとっては貴重品なんだろう物々交換で手に入れた主食代わりの茹でただけの大豆に山芋くらい。大量のタンパク質は確かにあの巨体を作り上げ保持するのに大切なんだろうが、それにしたって栄養バランス丸無視の実にワイルドなアウトドア・メニューだな…赤金の性格と事情を考えれば生活スタイル上やむを得ないのはわかるが、それにしたってこんな食生活で良く生きて行けるもんだ。基本的にプロテインやカロリーだけで生きて行けるようには人体ができていない以上、もし赤金の血液を21世紀の技術で分析したら恐ろしい結果が出るに違いない――はずなんだが…それとも狩猟民族の肉体ってのは農耕民族の日本人とは必要とする栄養素がそんなにも違うもんなんだろうか。
この時代に来てからと言うものどちらかと言えば菜食主義的な食事ばかりに偏っていたここでの普段の食事とはあまりにも違うメニューに、何となく既に胸焼け気分にさえなって来る。
いや、別に白沢伊槻はベジタリアンでもなんでもないんだが、しばらくある特定の食事が続くと案外食の好みってのは簡単に変わるもんらしい。それとも単純に白彦の生来の食嗜好に流されているだけなのか――いや、冷静に考えればその方が理論的か。人間の食嗜好なんて所詮腸内細菌次第でしかないしな。生まれながらの聖職者の白彦なら生まれてこの方ずっと精進料理的なモノしか口にしていなかった可能性は充分に考えられるし、神殿の中に籠りっきりで運動らしい運動もせずいくらカロリーは足りていてもタンパク質の貧困な食生活を成長期の最中にもずっと続けていたのなら、このモヤシな肉体にも充分説明は付く。
なんてはじめ人間ギャートルズ的なサバイバル・バーベキューを齧りながら、いや、確かに子供の頃は憧れもしたけどな、この脂滴る焼いただけの骨付き巨大肉塊とか…でも塩だけ振って貰ってもこの量はさすがに飽きると言うか…とは言えこんな山奥で塩を付けて貰えるだけでもありがたがるべきなんだろう。きっと赤金にとっては塩なんて超高級品なんだろうし、ましてやこんな生活をしていれば汗も大量に掻くだろうからそれこそ塩なんて俺の想像以上に生活必需品だろうし。
そう言えば神籬の儀式の間、白彦と日女巫女は塩なしでどうやって生き延びていたんだろうか。水は運良く洞窟内の湧水かなんかを見付けて凌いでいた可能性も考えられるが、この日本でそうそう都合よく岩塩が手に入るとはちょっと思えない。確かに救出されたあの日足腰は立たなくなっていたが、それでもこの肉体が生きていた以上最低限の塩分は摂取していたはずだ。それともふたりの直接的な死因は塩分枯渇に依るものだったんだろうか。
って、ふたりが死んだのを大前提に考えるのも何だか間違っている気もするが…実際に今間違いなくこの肉体は生きているわけだし。医学的に考えて生き返るにしても最低限の条件は整っていないと不可能だ。点滴も存在しないこの時代、一度体内から枯渇した塩分を死んでいる間にどうやって補充するのか、考えてみればそれは不可能としか言いようがない。だとすれば塩分は何らかの方法で生前から摂取していたと考えた方が自然なんじゃないのか?
なんてそこまで考えて馬鹿らしくなって来た。だってそうだろう? 蘇生だけならいざ知らず、人格が入れ替わるなんてその時点で医学も科学もへったくれもない。こんなファンタジーな状況自体が説明が付かないんだ、理論的に考えること自体にそもそも何の意味もないだろう。むしろこの肉体は既に死んでいて、実は俺が勝手に生きていると思い込んでいるただの幽霊もしくはゾンビだ、と言われた方がよっぽど説得力があるじゃないか。
なんて笑い飛ばそうとして逆に無意識に自分の脈を確認している自分に気付いてしまった…っつか、本当に生きているよな、俺?
何かこの時代に飛ばされて来てからと言うもの非常識が当たり前になりすぎていて考えもしなかったが、自分が死んでいると言う可能性だけは考えたこともなかった。洞窟に落ちて頭を打った衝撃で昏睡状態に陥り、今は夢を見ているだけなんて可能性は考えても自分が死んだとは思わないあたりが楽観バイアスが思いっきり働いている証拠だ。むしろここまで非常識まみれな世界なんだ、普通に考えればここが死後の世界だと言う可能性の方がよほどまず思い付いていてもいいはずじゃないか。
「喰わねーのか、白彦?」
「ああ、いや」
脈を取る、なんて赤金にとっては意味不明なことを突然始めた俺に声をかけて来た疑いの眼に晒されて慌てて何か言い訳を考える羽目に追い落とされ、口を突いて出たのは、
「どうやって塩を手に入れているのか考えていただけだ」
「どうやっても何も海で作ってるに決まってんだろ。他にどこで採れるってんだ」
「いや、そりゃそうなんだが」
と言いかけて止まった。
こいつ――もしかして今作ってるって言わなかったか?
「言ったぞ? だからどうした」
ってまさか、
「塩も自作しているのか、お前?!」
わざわざ山を下りて、何日もかけて塩造りまでしているのか、こいつは!?
「時間と手間はかかるが単純に海水を煮詰めるだけだ、わざわざ他人に頼る理由ねーだろ」
「だけってお前…」
その煮詰めるだけが大変なんだろう! いくらこの時代海はここからでもそれほど遠くはないとは言えそれでもそれなりの距離だ、スケジュールに自由の利く職業とは言えホントにお前、何でも自分ひとりでやっているんだな…。
改めて呆れると言うか…いや、尊敬も度を超えると呆れると言う意味の方なんだろうが…。
だが。
「それに、自分で作れば上澄みも手に入るからな」
「。」
…。
「――え…?」
それって――…もしかして苦汁のことを言っているのか?
「あの上澄み液と白い粉と赤い土を混ぜると耐水性の高ぇ土ができるんだよ」
「…。」
って――待て待て待て待て。苦汁と消石灰、赤土を混ぜて作る耐水性の高い土って、それもしかしなくてもいわゆる三和土のことじゃないか!
洞窟内は必要に応じて毛皮や藁なんかを敷いていたし、俺にとっては板敷なんかできっちり作られてでもいない限り土間も単純に突き固めただけの土の上でも感覚的には大差はなかったから気付かなかったが、良く考えてみればこの洞窟の、特に材料を入れた壺の置いてある辺りの床は自然のものと考えるにはあまりにもすべらかでしかも一段高く舗装されている。入口にドアもないこの洞窟では雨が降れば吹き込んでも来るだろうし、いくら被害に遭いにくい奥の方に置いているとは言ってもまさか三和土で場所を作っていたとは…。
驚いたことに赤金は、焼物だけでなくつまりはセメントもどきをもこの時代に既に自力で作り上げていた。




