カニバリズム?!
「――で、こっちのデカいのが肺だ。空気を取り込む臓器で左右にひとつずつある」
「肺、っすか」
ふむふむ、なんて真面目に俺の説明を聞いているウドを見ていると何だかインターンの指導教官にでもなった気分になって来る。ただ、21世紀と違ってウドにはメモが取れないから殊更懸命な表情で凝視されて、こっちの方が気恥ずかしくなって来ないこともないが…。
なんて思いながら説明していると、
「――オイ。」
突然不機嫌な声に間に割って入られた。心臓の説明をしている傍らでひとり猪の血抜き作業に勤しんでいた赤金だ。猪は豚と違ってジビエだから肉に特有の臭いがあるせいで血抜きを徹底したかどうかが激しく味を左右するからな…せっかくのご馳走なんだ、いつの時代だっておいしく食べられるに越したことはないから文句を言うより血抜き作業が優先だったんだろうが、ひととおり作業が終われば次は文句の番ってわけで。
「いつまでちんたら話してる気だ、やる気あんのか、コラ!」
あるわけないだろ。そもそも俺はこんなことをやりにわざわざこんな山奥にまで来たわけじゃない。
「せっかくの貴重な解剖学を学ぶチャンスなんだ、このくらいいいだろう」
「ンな事やってたらせっかくの肉が腐んだろーが!!」
「わかったわかったっ」
わかったから唾を飛ばすな! 数日お預け喰らっていた牡丹肉を目の前にして我慢も限界なのはわからなくもないが、ホントお前、飢えると更に鬼そのものだな。
だが、確かに赤金にとっては解剖なんて心底どうでもいい話でしかない。まあ世の中の大半の人間にとっては内臓が生きている間に何のためにどう働いているかなんて知識よりもどの臓器をどう料理すればおいしく食べられるかの方がよほど重要なわけで、そもそもこの猪は赤金が苦労して手に入れた貴重なタンパク質だ。それを勝手に学習教材にして腐敗の危機に晒している俺の方がどう考えても悪い。
「後で説明してやるから今は解体作業を手伝ってくれ、ウド」
「はいっす」
糞便で汚染されないように小腸と肛門の先を麻紐で縛って内臓をそっくりそのまま慎重に取り出すと、
「皮は貴重な商品なんだから傷付けるなよ」
いや、お前にとっては大切な物々交換品なのかもしれないが、それ以前の問題として医者的には野生動物の毛皮なんて蚤・ダニ・細菌の温床だ、それでなくても素手でなんか触りたくもないのに、衛生的な意味でも可能な限り可食部位に触れさせたいなんて思うわけがないだろ。
と言うわけで皮なんて俺にとっては多少の肉を犠牲にしてでも「きれいに丸っと剥ぐ」以外の選択肢はない――んだが。
「何もったいねー事してんだ、てめーは!? そこの脂がうめーんだろ!!」
「これだけあるのにこの程度でケチケチするなよ!!」
そこでケチって感染症に罹ってもいいのか?! いや、コイツこそ気合いだけでウィルスも寄せ付けなさそうなタイプではあるが…それは確かに患者本人の治ろうとする意志の強さが回復に一番重要なのは認めるが、気合だけですべての病気が跳ね付けられればこの世に医者なんかいらないんだよ!
…疲れる…それでなくてもジビエの解体作業なんて初めてなのに。
なんて、それでなくても骨の折れる解体作業をああでもないこうでもないと赤金と怒鳴り合って繰り広げる羽目になり、一体何時間かかったのか、終わった頃には体力的にも限界だった。むしろこのモヤシ肉体でよく最後まで持ったものだと自分の気力を褒めてやりたい気分だ。
だが、この後まだ俺には内臓講義が残っている。こんなところでぶっ倒れている暇はない。
手際良く可食部を適当なサイズに切り分けては専用に焼いたんだろう甕に詰めて行く赤金の手慣れた作業を見ていると、ふと妙なことに気が付いた。
「赤金、オイそれ…」
「あん?」
それらは自分用に使っているものだからどの甕も細工は大して凝っているわけじゃない。それどころかむしろ果てしなく実用性重視のシンプル・イズ・ベストな甕ばかりなのだが――俺が気付いたのはその造形じゃなくて。
「――何でそれ、そんなにツルツルしているんだ?」
この時代釉薬はまだ存在しない。王宮にある食器類だってすべて素焼きの土器ばかりで、土器は基本的にいわゆる植木鉢みたいなザラザラで浸水性の高いモノだけだ。
なのに。
「ああ。何でか知らねーが焼いてる最中に間違って土器が灰被るとこうなる事があるんだよ。まだ原理解明中でやろうとしてできてるもんじゃねーから売りもんにはしてねーケドな」
「…。」
って――でもそれって要するに紛れもない自然釉ってことじゃないのか? 釉薬が一体いつ発明されたのかは知らないが、少なくとも弥生時代の日本に存在しなかったことだけは確かなはずだ。なのにこいつ――偶然からこんなところまで自力だけで辿り着いて、時代を飛び越えた大発明に手を出そうとしているのか…?!
改めて冷や汗が出て来た。アルカリの灰単体で何でガラス質の釉薬になるのかその原理は俺にはわからないが、もしかして21世紀までにまだ発掘されてなかったってだけで実はこいつ、俺達なんかいなくてもこの時代に既に自力で陶器くらい作り出していたんじゃ…?
なんてこっちは内心相当な衝撃を受けてるってのに、
「どーでもいいからお前らもとっとと残りの甕持って来い。肉が腐る」
「…。」
赤金お前、本気で俺達を完全に下僕としか思っていないだろ。改めてお前の凄さを思い知らされるたびにこれだとこっちも感情的に色々と複雑なものがだな…。
だが、実は衝撃はこれだけでは終わらなかった。
「…ここは――…」
赤金が甕を抱えて移動した先にあったのは、奥から湧き水が流れて来る浅瀬にいくつもの甕を並べた小さな洞穴だった。常に日の当たらない場所でしかも川へと流れ下る新鮮な流水のかけ流し状態だから、狭い洞穴内は驚くほど涼しく保たれている。
要するに、天然の冷蔵庫だ。
「甕がツルツルしてると水にずっと浸けてても土器が劣化しねーから、ココで使うのに都合がいいんだよ」
こいつは――釉薬の特性とメリットを本質的に理解した上で研究しているんだろうか…? そして赤金がそこまでわかっていると承知の上で、いや、だからこそ倭代はそのもう一歩先のガラスの製造技術を教えようと考えたんだろうか?
赤金の並外れた好奇心と探究心は、生まれた時代を完全に誤ったものでしかない。そしてそんな赤金が未来の知識を持つ倭代と出会うことで、その時代のズレが徐々に補正されて行く。
世の中の天才はすべからくそれを支え導く、だが自らの名は決して歴史に残ることのない影の存在があって初めて世に生み出されるものだ。すべての天才はその「誰か」と出会うことで初めて本来の実力を発揮できるようになる。
赤金と倭代は、時を超えて出会うべくして出会ったんじゃないのか?
俺はもしかして、今この世界でとんでもないものを見ているのかもしれない。本来ここには存在しなかったはずの俺が、それどころか存在してはならなかったのかもしれないこの俺が――…
「ところで白彦、儀式か何かに猪の解体なんてする事あんのか?」
「え?」
一瞬反応が遅れた。
「考えてみりゃさすがにお前がやる作業じゃねーだろ、食肉の解体作業なんて」
「ああ、確かに野生動物を解体したのは初めてだ」
まったく別の考え事に没頭していたせいで、その時の俺は自分が言葉の選択肢を誤ったことに気付いていなかった。
「…野生動物?」
「…野生じゃねー動物とかいるんすか?」
「。」
しまった…この時代、家畜なんてまだ存在していなかったんだった…ってことは動物は基本的にはすべて野生なわけで――…目をパチクリさせているふたりに慌てて言い訳を取り繕おうとして、
「いや、そうじゃなくて俺は人間の解剖しかしたことがないって意味で…」
その瞬間。
ずざざざざっ、と一気に赤金とウドが真っ青な顔になって俺から距離を取った。
「――神殿では人間を喰うのか…?」
「そ、そりゃ生きて白彦様のお役に立てる方がいいっすけど、それでも俺っ、白彦様のためなら喜んでこの身体捧げますんでっ!」
完全に言葉の選択を間違った…そりゃそうだ。ミイラ作りの盛んだった古代エジプトとかならいざ知らず、この時代の日本で人間の肉体を解剖して医療技術を学ぶなんて発想はそもそもあるわけがない。つまり生き物の身体を解体するってことは彼等にとっては「食べるために分解する」作業でしかないわけで、しかも俺は公的には神職ってことになってるわけだから、それが人体だなんて言われれば話の流れ上生贄かなんかを想像するのはこのふたりでなくても必然なわけで。
「違うっ、誤解だ!!!!!」
時代背景的に仕方のない誤解なのは百も承知だが、それにしたってそれ、俺はともかくとして御献体に無茶苦茶失礼だからな!?




