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Iam estis  作者: Muffin
白彦分校
82/85

相棒

 別に俺は猪を解体するために解剖技術を学んだわけじゃないんだが…だが、(ぶた)の内臓は人間のものとほぼ変わらない。予定していたわけではないが、ウドに人体構造に付いて説明するには打って付けの機会なのも事実だった。

「猪も捌けるんすか?!」

 相変わらずの「さすが白彦様、ホントに何でもできるんだ、すげー」的な賞賛のキラキラ視線はとりあえず無視して、

「猪も人体も内臓的には大差ない。説明してやるから良く見て覚えろ」

「はいっ」

 さすがに純白シルクの服を血まみれにして帰るわけには行かない。赤金の古い苧製の貫頭衣を借り、木陰になるところまで場所を移して貰って合掌し、赤金がその巨体と怪力で全力で抑え込んでいる猪の喉元に一息に黒曜石の刃を当てて締めると、ひゅうっ、と揶揄うような赤金の口笛が聞こえた。やらせておいて俺が(ほにゅうるい)の急所を知っているとは思っていなかったらしい。

 ってそりゃ知ってるさ! 医者だからな!!

 なんて多少むっとはしたものの、そのまま足裏が水に浸かる程度の浅瀬の石の上で青空猪解体作業は始まった。ここなら猪は常に流水で洗われている状態だから衛生的だし、血も勝手に下流に流れて行くから解体するには都合がいい。さすがは赤金、こんなところまであるなんて住むのにいい場所を選んだものだ。渡された黒曜石も持ち手の安定性はともかくとしても肉を切るには想像以上に切れ味が良くて改めて感心させられるし、鈍ってもちょっと打ち砕くだけで新しい刃になる便利さと、恐らくそこまで考えてはいなかったんだろうが使い捨てならではの衛生性は感服すべき古代人の知恵だ。解体中に刃物から肉に移るバクテリアってのは実際結構なリスクだからな。

 なんて感心しながら内臓を傷付けないように時間をかけてゆっくりと腹を裂くと、出て来た素人にはきっとただただ目を背けたくなるだけのモノなのだろう内臓の光景はあまりにも懐かしいものだった。解剖なんて一体何年ぶりだろう…それこそ大学の実習以来か。最近は衛生的かつ経済的で触感に至るまで非常に良くできた蒟蒻製の人工臓器でいくらでも練習できるようになったから、豚の出番も随分と減ったよな。

 そして今回最も説明しておきたかった心臓を傷付けないように取り出し、

「これが心臓、全身に血液を送るポンプ――いや、…何だろうな? (ふいご)? みたいなもんだ」

「鞴?」

「生きている間は寝ても覚めても一生血を送り続けている臓器だ。逆に言えばこれが止まった時が死んだ瞬間ってことだな」

「そんなずっと動きっ放しなんすか、それ?!」

 ウドは薬草の知識はあっても医者ではない。食肉として獣の解体作業くらいはしたことはあるのかもしれないが専門的に内臓ひとつひとつを観察しながらの解剖なんかしたこともないだろうし、臓器別の味は知っていてもそれが体内で一体どんな役割を果たしているモノなのかは知らないらしい――って当たり前か。

 だが、

「すげー…」


   …へ?


「眠りもしねーなんてすげー働き者なんすね、心臓って!」

「…そ、そうだな…」


   ってそっちか…!


 と、ともかく、そんな目をキラキラさせて心臓に万感の尊敬の念を送るウドに脈を取るように俺は自分の手首に触れて見せ、

「手首のここを触ってみろ、規則的に動いているだろう? この動きが心臓が血を送り出すたびに全身に血が流れている証拠だ」

「ホントだ! ってことは、ここが動かなくなったら死んでるってことなんすか?」

「厳密には違うが、簡単に言えばそうなる」

 疑うことを知らないってのはウド最強の武器だよな。まっさらな上俺のことを絶対的に信用しているから言われたそのままを何の先入観もなく当たり前のように受け入れられるし、何より期待よりもずっと呑み込みも早い。まったくウドには驚かされることばかりだ。

 とは言え誤解は解いておく必要がある。脈が取れないだけで死者扱いしていたら世の中ゾンビだらけだからな。実際、ゾンビの正体は仮死状態を死と誤診されただけだと言われている。死の概念が確立されていない時代、死んでいると勘違いされて埋葬され、しばらくしてから息を吹き返して自力で墓から這い出して来た例は少なくなかったんだろう。まあ、何をして死と判断するかなんてのは実際には21世紀になっても未だに議論の分かれているような状態だしな。

 どちらにせよ、

「血は命の源だ。だから止まったらできるだけ早く流してやる必要がある。ウド、お前が昨日やったのは一時的に自力で動かせなくなったこの心臓を外から押して血を無理やり全身に流す行為なんだ」

「ま、マジっすか…?」

 昨日は俺に指示されるままにマッサージしただけとしか思っていなかっただろうから、自分が一体何をやっていたのかを今になって知らされてさすがにショックを受けたようだった。確かにウドからすればただ単に身体を押していただけの作業だが、実際にはそれが心臓の代わりをしていただなんて――想像もしなかったに違いない。そもそもあの少女を救ったのは単純に「白彦の奇跡の御業」だとさえ思い込んでいただろうしな。


   でも。


「昨日のアレは奇跡でもなんでもない。あの子を救ったのはウド、間違いなくお前なんだよ」

「…。」

 お前は人を救うことができるだけの能力を既に持っている。真面目さと実直さと誠意と言う名の医者になるために最低限必要な素質に物理的なハードワークにも充分耐え得る健康な肉体、その上老婆から受け継いだ掛け替えのない薬草知識まで既に持ち合わせている。

 後は体系的に足りない知識と技術を学ぶだけだ。まあその「それだけのこと」がとてつもなく大変な道程なのは事実だしこんな時代ではそう簡単に誰でもできるようなことでもないが、それでもせっかくのその類稀な[[rb:条件>さいのう]]を磨かないなんてもったいなさすぎるだろう。


   それに。


「他人を救えた時の達成感ってのは、最高の気分だっただろ?」

「…。」

 医者ほどやり甲斐のある職業はないぞ。そこに至るまでには確かに血反吐を履くほどの努力が必要になるし、現実にはうまく行かなくて絶望することだらけかもしれないが、それでもそれに見合うだけの生き甲斐は確実に与えてくれる職業だ。それを天職にできるなんて本当に運のいいことだ。医者の俺が言うんだから間違いない。

 医者になれよ、ウド。お前が本気で医者になろうと思ってくれるのなら、俺にできる協力なら何だってしてやるから。

 そして俺とふたりでこの国の人達をひとりでも多く救って行ける国を作らないか。






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