国費留学?!
「倭代、頼みがある!」
善は急げ、思い立ったが吉日、言葉なんて何でもいいが、とにかく俺は想像以上に大量になった苧布を抱え、予想外に遅くなった夕闇の中ウドに送られて王宮に戻るなり、相変わらず見た目だけは天女な二人を侍らせて優雅に食後のコーヒータイムを楽しんでいた倭代のところへ駈け込んでいた。
で。
「突然やって来てその無礼な振舞いは何ですか、白彦!」
「…。」
いや、いつものことだからもう今更なんだけどな。今更だからもう慣れっこではあるんだが、いつも通りに黄金の叱責が飛んで来てとりあえず気分的な勢いは削がれてしまったが、だからと言ってもう今更倭代の前で「女王陛下に置かれましてはお日柄もよろしくご機嫌麗しゅう」だのなんだの取り繕った挨拶をする気なんかこれっぽっちも起こりはしない。
「まあまあまあ、この人はこう言う人なんだから…黄金もいい加減諦めなさいって」
「しかし物事には最低限のけじめと申しますものが…」
しかも、当の日女巫女本人にまでこんな風に言われては黄金だって立場もない。何とか喰らい付こうと必死に言葉を重ねるものの、
「人前ではちゃんとするわよ、この人だって」
出たよ、伝家の宝刀が。なんだかんだ人たらしってのはこう言う奴のことを言うんだよな。お決まりの快刀乱麻もそろそろ黄金には効きそうもなくなっているが、そんな雰囲気を敢えてスルーするあたり、実に倭代らしいと言うか…。
「で? 黒金は元気だった?」
「ああ…あの子は平気だ。想像以上に回復も早くて驚いたくらいだ」
「そう。良かった。さすがに片足で旅するのは大変だものね」
「そうだな」
言われて改めて思い出したが、そうだ。黒金は旅がしたいんだった…自分の脚以外にマトモな交通手段も整備された道もほぼないこの時代、両足が揃っていることは旅をする上で欠かせない条件になる。そんな彼の夢を繋げただけでもあんな無茶な手術をした価値はあったんだろう。
「で? 蘭引の方はどうだったの?」
「…らんびき?」
聞き慣れない単語に一瞬思考が停止したが、次の瞬間それが蒸留器のことだったことを思い出して「ああ」となり、次に呼吸が停止した。
「…。」
「? 何? 赤金に会って来たんじゃなかったの?」
呼吸停止の次は冷や汗が流れ出し、頭部から血液が音を立てて下がった感覚が…し、しまった…薬草の記録に夢中になって赤金のことをすっかり忘れてしまっていた。ここが21世紀なら今すぐにでも電話で詫びのひとつも入れるところだが、生憎この時代目の前にいない相手との情報の伝達手段は存在しない。何の連絡もなくいきなりドタキャンされて、それでなくても火の付きやすい性格の赤金のことだ、今頃文字通り赤鬼の如く怒り狂っているだろうことは必要以上にアリアリと想像できた。
「何? まさかドタキャンしたわけ? わざわざ約束取り付けておいて?」
「…急遽外せない事情ができたんだよ…」
ちょっと立ち寄るだけのつもりが完全に大騒ぎになっちまったからな…あの村ではもはや白彦は完全に「奇跡の人」だ。下手をすれば日女巫女以上に崇拝されているかもしれない。
「でも犂鏵の方は最優先で作ってくれるって言ってたぞ」
「あら。ってことはメスの出来は上々だったってこと?」
「この通り、期待以上の仕上がりだ」
「おおっ、テレビで観たことある! まんまねぇ」
懐に仕舞い込んでいたメスを見せると、テレビって…いや、でも考えてみれば医療従事者にとっては基本中の基本な手術器具ではあるが、一般人が実際にメスを見ることはあまりないか。この性格からしても見るからに病院なんてまるで縁のなさそうな人生送って来てそうだしな。大抵のことは気合いで治してしまうタイプってのは、医者なら一目見ればわかるもんだ。
「で、刃金と意気投合してこんな時間まで呑んででも来たの?」
「違う!」
お前ならそう言う展開もいかにもありそうだけどなッ、俺とお前を一緒にするな!
じゃなかった。そうだった。
「そうだ、頼みがあるんだ」
「なあに? 改まっちゃって」
また勢いで忘れそうになったところを思い出したが、相変わらず倭代はどんぐりクッキーに手を伸ばしてマトモにこっちの話を聞く気なんかなさげなそぶりだ。
だが、そんなことに構う必要はない。
「ウドを留学させたい」
「。」
突然の俺の爆弾発言にポロリと倭代がクッキーを取り落とした。
「りゅうがく?」
「それはどのようなものですの?」
言葉の意味さえ分からない金銀姉妹はもちろんのこと、
「―――――――――――――――――――――――――――― は?」
クッキーから数秒遅れて倭代の口から零れたのは、何とも間抜けなたった一音きりの問いだった――わかってる。俺達の時代とはわけが違うんだ、留学なんてハイそうですかで叶うような時代じゃない。まず海を越えるだけのことさえ命がけの時代なんだ、やりたいなんて気持ちだけで叶うような話じゃない。
「何だっていきなりそんな話になったのよ…?」
当然そう来るよな。そもそもこの話はウド本人にさえまだ言ってもいない話だし。
だけど。
「ウドの薬草知識は本物だ。あいつならちゃんと学ばせてやりさえすれば絶対に本物の漢方医になれる」
今の日本じゃマトモな学術機関はない。このまま日本で暮らしていても現状維持がせいぜいだ。だが、もっと医療の進んだ中国や朝鮮半島で体系的に勉強することができればウドなら間違いなく一流の漢方医にだってなれる。
西洋医学を学んだ俺と東洋医学を学んだウドがいれば、こんな時代でも救える患者の数は確実に跳ね上がる。この倭国の中で高度な医療機関を作ることができるんだ。
「で、それがその根拠になる薬草辞典なわけ?」
「ああ。見てみろ、凄いぞ!」
医療関係者でもなんでもない倭代にその価値がわかるのかどうかは怪しいところだが、医者にとっては正に宝の地図だ。これ以上に貴重な情報なんて早々ありはしない。
「何コレ? あぶり出し?」
「ああ。だからいつまで持つかわからない。消える前にきっちりいくつか複写しておきたいんだが、紙と墨はどうなってる?」
「はいはいはい、今工房で作らせてるわよ。ちょっと教えたくらいでちょちょいのちょいなんてわけに行くようなシロモノじゃないんだから、もう少し待ってよ」
「これだけは何があっても失うわけには行かない情報なんだよ!!」
とりあえず墨だけでも構わないんだ。イカ墨でもいいから竹簡でも木簡でも、とにかく早急に他に書き留めることさえできればこの布に何かあった時でも情報だけは保持できる。何ならこの王宮内の壁に全部メスで刻んだっていいんだぞ、それだけの価値はある情報なんだから。
「白彦! 何ですか、その無礼な物言いは!!」
なんて黄金は相変わらずのご立腹っぷりだが、この時ばかりはそんなことを気に掛けるよりこの情報の方が俺にはよほど重要だった。
「――ウド君を留学、ねぇ…」
「何とかさせてやれないか?」
何かまた色々と考えているんだろう倭代に詰め寄ると、
「できるできない以前の問題として当人が全力で拒否すると思うんだけど…本人に承諾取ってるの、それ?」
「それは…いや、まだだが…」
痛いところを突かれた。まず可能かどうかの確認から、と思って本人には話してもいないが、確かにこっちで勝手に話を進めても本人に拒否されればそれまでだ。
「でしょうね。どう考えたってあの子があなたの傍離れるとは思えないもの」
「…そこなんだよなぁ…」
倭代に言われるまでもなく俺のためなら自分の食料調達まで当然のように後回しにしてしまうあのウドのことだ、一度行ったら一年や二年で帰って来られるような話じゃないし、下手をすれば一生帰って来られないかもしれない留学なんて簡単に了承するとは俺だってとてもとても思えない。
でも。
「子供に学びの喜びと将来の可能性を与えるのは為政者の義務なんだろ」
「…都合良く言ってくれるわね」
少なくとも大きな可能性のある人間からその可能性を奪うのだけは間違っている。そしてその可能性はこの国の将来にとっても命運を左右するだけのとてつもなく大きなものだ。
「とりあえず、ウド君にも文字覚えて貰わなきゃいけなくなったってとこからでいい?」
「もちろんだ」
とうなずいてから気が付いた。
ってそれまさか、あのウドにも女装させる気か?! 赤金ほどじゃないにしてもアイツもさすがにガタイ的にムリがなさすぎないか、それは?!
だが、冷静に考えればこの女がこっちの無茶振りを無条件に飲むような女じゃないのはすぐにわかったことだったんだよな。
「まさか」
倭代は瞬間ウドの女装姿でも思い描いたんだろう、ケラケラ笑い飛ばしてそしてそんなものよりよっぽど衝撃的な爆弾発言を投下した。
「あなたが教えるのよ。ついでだから赤金にも一緒に教えて来てね」
「俺が教えるのか!?!?!?!?!?」
しかも赤金にまで?!
…自業自得って、もしかしてこう言うのも言うんだろうか…いや、なんか違う気がするんだが…また余計な仕事が増えたな…はあっ。




