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Iam estis  作者: Muffin
本草編纂
78/85

思い出の記録

「他に――どんな薬でも構いません。これまでウドのお婆さんに薬草を貰った経験のある方、その時のお話を聞かせて貰えませんか?」

 ひととおり冬瓜子に付いてのメモを書き終えると、せっかくの機会だ、他の薬草に付いても集められるだけ情報を集めておこう、と言う気になった。

 だが、いきなりこんなことを言われてもどう反応したものかと躊躇い半分、戸惑い半分でなかなか名乗り出てくれるような勇者なんかいるはずもなく――こう言うのはひとり出てくれれば最初のハードルが一気に下がるもんなんだが、その一人目が難しいんだよな。

 誰かいないか、とあたりを見回したその時だった。

「あの…」

 ひとり、躊躇いがちに進み出た女性がいた。さっきの息子に冬瓜子を貰ったことがあると言っていた女性だ。あまりに近くにいすぎて気付かなかった。

「その…私、昔から身体が弱くてたびたび気分がすぐれず寝込むのですが、その時に大婆様に煎じて飲めと言われておりました薬草がございまして…」

「それは大変ですね」

 確かに言われてみれば顔色が悪い。何気なく手元に目をやると――やっぱりか。スプーンネイルだ、典型的な貧血だな。身体も細いし根本的な食事量が足りていないのかもしれない。

「スギナ小母さんならいつもヨモギとかイラクサとか渡してたっす」

「ヨモギにイラクサ?」

 貧血に効くのか? そう言えばヨモギには鉄分が豊富だとか聞いた記憶がある。なんて記憶をたどりながら布にまるでカルテでも書き込むかのようにメモをしていたら何だか昔、病院で問診をしていた頃の感覚に戻ってしまっていた。

「全体的に食事量を増やした方がいいと思いますが、特に牡蠣や浅蜊なんかの魚介や大豆、芋類なんかは積極的に摂るようにして下さい」

 患者から視線が外れたことで、メモを書きながらの型通りのセリフが自動的に口を突いて出て、

「は?」

「あ、いや…」

 はたと我に返って――し、しまった…つい昔の癖が…。見れば女性はきょとんとした目で俺を見ている。


   と。


「すげえ…どうして白彦様、俺言ってねーのに小母さんに牡蛎粉(ボレイこ)渡してたの知ってるんすかっ?」

 突然横から感嘆極まったウドの声が聞こえて来て…ボレー粉? ってあの、インコとかにやる牡蠣の貝殻を焼いて砕いた奴のことか? え? あんなもん人間も食べられるもんなのか?


   たらり。


 なんてまさか、ボレー粉が貧血に効く漢方薬だっただなんて知らなかったとは今更言えない、どうしたものか…と内心冷や汗を垂らして顔面蒼白な俺なんか、既に白彦様崇拝の始まっている村人達は気付きもしないんだろう。

「は…はいっ、牡蠣の中身も食べるようにすればよいのですねっ」

「いやいやいやいやっ、そろそろ季節的に貝は終わりなので!」

 冷蔵技術もないこの時代、無理して貝類なんか食べて今度は食中毒にでもなった日には本末転倒だ! 

「鍛冶師の刃金に屑鉄を貰えるように頼んでおきますので、湯を沸かす時はそれを鍋に入れるようにして下さいっ」

「…屑鉄、ですか…?」

 慌ててフォローしようと口走った俺の提案は、しかしいきなりわけのわからないことを言い出したとしか思えなかったんだろう、女性が眉を顰めて問い返して来る結果にしかならなかったが――って、はっ! いやっ、違うぞ?!

「鉄を食べろと言っているわけではなくて! 鉄を入れた鍋で沸かしたお湯を飲むようにして下さい、と言う話です!」

 この時代鉄玉子どころか血が鉄分を運んでいるなんて常識さえない時代だからな…食べ物ではない鉄を入れて湯を沸かすと言う発想自体が彼女にとっては謎なんだろう。そりゃまあ一体なんでまた? だよな、普通に考えれば。

 と、それはわかるんだが。

「――白彦様、もしかして…」

「?」

 どう説明したものか言葉を探していた俺に、ふと何か疑わしいものでも見るような視線を向けて来たウドの声が聞こえてきた。しまった…必要もないのにこんなところでまでつい医者根性が…

 焦って返答に詰まっていると、

「鉄も煎じれば薬になるんすか?!」

「。」


 …。


「――へ?」

 意表を突かれた。

「すげえっ、そんなこと婆ちゃんも言ってなかったのに…神籬の知識ってマジですげえ!」

「ああ、いや…」

 そ、そうだった…ウドには未来の技術を「神の技術」とか説明してたんだっけな、あのハッタリ女王が…さすがに良心が痛む。今この場でってわけには行かないが、いつかきっちり訂正したい、ウドにだけは。

「草じゃなくても薬になるんすね!」

「いや、クサって…」

 っつか、その言い方じゃまるで麻薬かなんかにしか聞こえないぞ、ウド…いや、麻薬ももともとは立派な薬ではあるんだが、草って言い方が何と言うかだな…。

「ああ、でも考えてみりゃ牡蛎粉も葉っぱじゃねーっすよね…」

「だからハッパって…」

 本気で麻薬にしか聞こえないからな、それ!

 なんて寸劇を意図せず繰り広げることになってしまった俺だったが、ふと、もじもじと目の前の女性が何かを言い淀んでいるのに気が付いた。その姿は刃金のところで自分の名前の書き方を知りたがっていたウドそっくりで、何か頼み事があるんだろうことはすぐに分かったが――…? 何だ?

「何か聞きたいことでも?」

「いえっ、その…先ほど白彦様がおっしゃられたことなのですが…」

「?」

 鉄玉子のことか?

「その…そちらの模様がウドの大婆様との思い出、とのことですが」

 そう言えば…何気なくウドにはそんなことを言ったか。確かに彼女はその時すぐ傍にはいたが、そんなことまでよく覚えているな。

 なんて軽く受け流そうとしたその時だった。

「では、今描かれたその模様は私の(・・)大婆様との思い出、と言うことになるのでしょうか?」

「。」

 あまりに予想外のその言葉に一瞬言葉を失ってしまった。

 確かにこれは本来であればただの備忘録(メモ)でしかないが、この知識は彼女と老婆との間で交わされた過去の出来事の記録でもある。それはつまり、彼女にとってはあの老婆との大切な思い出であると言えないこともない。

「私にも――見せてはいただけませんでしょうか…?」

 記録ムービーどころか写真も肖像画すらない。声が残っているわけでもなく、ただ記憶の中で時と共にどんどん薄れて行くだけの大恩ある老婆との思い出が、その文字の意味は分からなくてもそれを目に見える形で残すことができるのだ、と言う、それまで考えもしなかった奇跡の技術を目の当たりにして老婆を懐かしむ気持ちが溢れ出してしまったのだろう。

 必死に炙り出しを乞うその姿はあまりにも誠実で健気で真っ直ぐで、

「――構いませんよ」


   ばさっ


 ゆっくりと、囲炉裏にかざされた苧布の一部に俺の、お世辞にも美しいとは言えないたどたどしいメモ書きが浮かび上がって来る。もともとは炭で書いた程度だとこすっただけでもすぐに消えてしまうから、と言うだけの理由で保存性の期待できる焦げ跡と言う炙り出しを選んだだけだったが、この手品のような手法が殊更彼女の老婆に対する敬愛の念を改めて揺り動かしたのかもしれない。

「これが――大婆様の…」

 ほろ…っ、と女性の目尻から涙の粒が零れ落ちた。二ヵ月と言う時間は喪失感を忘れるには短すぎだが美しい思い出として思い出すにはちょうどいいくらいのタイミングだったのかもしれない。

「ありがとうございます…」

 泣き崩れることはなく、だがほろほろと零れ落ち続けるその涙は、あの老婆がこの村でいかに村人達の尊敬と敬愛を受けていたかを充分すぎるほど物語っていた。





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