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Iam estis  作者: Muffin
本草編纂
77/85

奇跡の正体

 この知識はあまりにも貴重すぎる。ウドの記憶から薄れてしまう前に何としてでも体形的に残すべきだ。

 それは医者としての本能的な反応だったのかもしれない。

 その瞬間、俺はあたりを見回し何か――何かないかと必死に「それ」を探し求めたが、21世紀ならどこにでも転がっているそれはこの時代、どこをどう探したってあるはずもないものだった。

「イカ墨…イカ墨はありますか?」

「いかすみ…? 申し訳ありません、イカは…」

 ダメもとで聞いてはみたが、そりゃそうだよな。冷蔵技術もないこの時代のこんな山奥の集落じゃ海鮮なんてそうそう食べられるはずもない。

 だが、見ると家の片隅に置かれた機織り機にそこそこの長さ織り上がった苧繊維の布があった。

 となると選択肢はひとつだ。

「すみませんっ、そこの布、譲って貰えませんか?!」

「え…でもこれは…」

「ただでとは言いません、この透目絹と交換して下さい!」

「?!」

 苧と絹とでは価値は天地ほども違う。マトモに触れたこともない超高級品と、家庭の主婦が片手間に作る苧の布とを交換して欲しいなんて申し出に男は目を白黒させていたが、

「おいっ、村中のありったけの布持って来い!!」

 我に返るなり慌てて周り中の男達に命令していた。まあ、どんなに厚顔な奴でもさすがに1:1交換ってわけには行かないか。

 よし、麻布は用意できた。あとは…

「ウド! この間のあれ、用意できるか?!」

「あ、アレ…って…」

「クエン酸…実葛だよ! 黒金の手術の時に持っていただろう!」

「そりゃ実葛なら村中に生えてるからいくらでも…でも腹痛(はらいた)って実葛で治るんすか?」

「いいから今すぐ準備してくれ!」

「はははははいっ!」

 わけがわからずひたすらクエスチョンマークを飛ばしているウドを怒鳴り飛ばすと目の前にあった鮎の塩焼きに刺さっていた竹串を引き抜き、さっき刃金から受け取ったばかりのメスで溝を掘り――よし、こんなもんか。うまく行ってくれよ。

「…白彦様、一体何を…」

 一体何が起こったかわからずに呆然となっている村人達に、今度は

「この中で腹痛で冬瓜の種を貰った経験のある方はいますか?」

 村人達はどうしたものかと顔を見合わせていたが、そうだよな。虫垂炎の発症率を考えればこんな小さな集落でそんなにたくさんの患者がいるわけはない。むしろそんな貴重例をそれでもしっかり覚えていたウドの方が奇跡なんだ。そのうちのひとりがたまたまここにいる、なんてそんな偶然は――…

「――あの…」

 諦めるしかないのか、と思いかけたその瞬間。

「うちの息子が大婆様にいただいたのが確か冬瓜の種だったかと…」

「本当ですか?!」

 恐る恐る名乗り出たのはさっきから給仕してくれていた中年女性だった。

「その…息子があまりにもな苦しみようだったので私自身混乱しておりましたし、その種が何なのかも聞かなかったので定かではないんですが、今思えば冬瓜の種だったような…」

「それをどのくらいの量、どうやって飲ませたのか覚えていますか?」

「え? えーと、確かあれは…」

「できるだけ細かく、具体的に」

 真っ正面から白彦に見詰められて戸惑っている母親の気持ちもわからないでもないが、今は情報だ。

「白彦様…っ、実葛っす!」

「布は?」

「その…本当にこのような物でよろしいのでしょうか…?」

 渡された苧布は期待以上に白く晒されたものだった。ありがたい…これなら多分使える。

 試しに実葛の汁を一滴垂らしてから囲炉裏の火にかざしてみると、うっすらとだが何とか焦げ跡は判別できた。これならいけるだろう。

「白彦様…? 一体何を…」

 さっきまで重病人よろしく腹を抱えて苦しんでいた白彦がいきなり豹変したんだ、ウドだけでなくそこにいる全員が何事かと動揺している。そんな視線を無視して俺はクエン酸を簡易的に竹串で作ったペンに沁み込ませると、

「記録しておくんだよ」

 ウドと女性から聞き取った情報をサラサラと書き込む。まあ、サラサラと言ってもたびたびクエン酸(インク)を補充しなきゃならないから想像以上に時間はかかったが。

「キロク? ってなんすか、それ?」

 とは言えもちろん「書き込んだ」と言ってもただの葉っぱの汁だ、ほとんど見えやしない。


   だが。


「黒金のところで教えただろう? お前の記憶を文字に残しておくんだ」

「記憶を――文字に…?」

「こうやってな」

 と布を火にかざすと、さっき書き込んだメモの内容がうっすらと浮かび上がって来る――いわゆる炙り出しだ。

「何だ?!」

「模様が浮き上がって来たぞ?!」

「どうしていきなり…?!」

 炙り出しの原理には諸説あるが、要は紙のセルロースに沁み込んだ酸が他の部分より速く燃え出すことで浮き出て来る燃焼反応だと言われている。生憎この時代紙は存在しないが、セルロースでありさえすれば紙である必要はない、植物ならなんでもいい。つまり、動物性タンパク質である絹だと発火温度が低すぎて炙り出しには使えないが、着火しにくい木綿や麻なんかの天然繊維の発火温度ならちょっと焦がす程度の温度には充分耐えられるってことだ。

「これが俺の…記憶――なんすか…?」

「ああ。もしくはお前のお婆さんとの思い出、かな」

「婆ちゃんとの思い出――…」

 だが、ただでさえ見たことも聞いたこともない炙り出しに衝撃を受けているところに、掴めもしない記憶なんてモノを目に見える形にされたなんて言われても何のことやらさっぱりなんだろう。目をパチクリさせて今ひとつ状況を掴み切れていないウドをほったらかしてその目の前で再びペンを取り、忘れないうちにと追加情報を書き足していると、

「奇跡の御業だ…!」

「火にかざしただけで模様が浮き上がったぞ!」

「奇跡だ!!」

「え゛…?」

 いや、こんなの奇跡でもなんでもない。21世紀なら小学生の子供でも遊びでやる程度のただの炙り出し――…

「白彦様!」

「白彦様!!」

「ありがたや、ありがたや…」

 って言うか、そこ! 拝むな!! こんなもん誰がやっても同じ結果になるただの化学反応だ!!


 …倭代のハッタリ銅鏡事件の時も思ったが、歴史上の『奇跡』の正体って実はこんなもんなのかもな…。





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