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Iam estis  作者: Muffin
本草編纂
76/85

門前の小僧

「それよりウド…ウドはどこです? 今回の功労者はウドの方です。この食事は俺じゃなくてウドにやって下さい」

 それは少しでもウドに食べさせてやろうと言う親切心のつもりだった。俺には必要ないし、今食糧を必要としているのはウドの方だ。それしか俺は考えていなかったし、それは純粋な善意だと俺自身も信じて口から出た言葉だったのだが、入口の向こう側に背の高いウドの姿が見えて、

「ウド、そこにいたのか。せっかくだ、お前も貰ったらどうだ?」

 きっとウドは喜ぶだろう。俺はそんな風にしか考えずに言っただけだったのに、ふと俺と目が合ってそう言われたウドが、瞬間困り切ったような渋面を浮かべて目を逸らしたのが見えた。


   え…?


 どうせ既にここにある食事だ、誰が食べたって結果は同じだ。

 俺はそんな風にしか考えていなかった。だが、その顔はすべてを物語っていて――それは全然「同じ」なんかじゃなかったんだ。

「…。」

 ふと見ると、俺にはさっきまでニコニコ笑いかけていた村人達の顔がうっとおしいものでも見るかのような憎々しげな表情でウドを睨んでいて――ああ、そうか。そうだよな。これは「お礼の宴」なんだ。これは「俺のためだけ」に用意された御馳走の数々で「誰が食べてもいい」食事なんかじゃない。俺に食べさせて少しでも政治的に重要な人物との繋がり(コネ)を作るためだけの必要経費として用意されたものでしかないんだ。

 だから、例え俺が何も口にしなかったとしてもそれは別に余剰品になるわけでもなんでもない。御馳走することで自分にメリットのある人物に口に入らないならそれを用意した自分達の胃袋に収まるべき貴重品であって、別に俺以外の誰かにくれてやる理由なんか何にもない御馳走なんだ。


   俺は間違えた。


 俺がいらないと拒否したところで、それは本当に必要としている人のところへ回るモノなんかじゃない。そんなお零れを回す方法なんかじゃ、本当の意味では何の問題解決にもなっちゃいないんだ。

 だからこそ老婆はウドに財産ではなく知識を残したんじゃないか。

 あの老婆はわかっていたんだ、財産なんか残してもきっとウドの手元には何も残らないってことを。だからこそ誰にも奪えない、そして老婆の持つ至高にして最強の財産である薬草知識をウドに残したんだ。

 知識や技術なら思い出と同じで誰かに奪われることはない。何もかも失くしてもゼロからでも知識や技術さえあればそこからまた何かを生み出して行くことはできる。それは何も持たない人間が唯一にして最強の武器にできるたったひとつの財産だ。家族を大切にした老婆が唯一血の繋がらないウドだけに残してやった、ウドがこれからも生きて行くために必要となる最強の盾と矛だ。


   『 背負子(これ)だけあれば婆ちゃんの形見なんて俺には充分っすから 』


 そうだな。薬草を運ぶ背負子ひとつあればウドはひとりでも立派に生きて行ける。生きて行けるようにあの老婆は人生の最後に、その与えられるすべてをウドに与えて逝ったんだ。

 そう思い当たった瞬間、俺にできることなんてひとつしか思い浮かばなかった。

「痛…っ」

 腹痛を訴える患者なんてそれこそ数え切れないほど見ている。本当に腹痛を起こした人間が一体どんな表情でどんな仕草をするのかなんて、救急救命医なら誰だって知り尽くしている。

 突然下腹部に両手を当て、身を丸めて苦しみ出した俺に村人達は一体何が起こったのかとざわめき始めた。ま、そりゃそうだよな。大切な客人が持て成してる最中に腹を抱えて不調を訴え出したんだ、彼等からすれば一大事だろう。

「腹が…誰か、薬草を…」

「お、おい…腹痛(はらいた)の薬って…」

「俺が知るかよ」

「俺だって知らねーよ」

 途端にみんなして責任転嫁が始まった。確かに、普通に生活している分には薬草知識なんかあるわけがないからな、それが当然の反応だ。


   だが。


「この村には確か、薬草に詳しい老婆がいませんでしたか…?」 

「いや、婆さんはこの春おっちんじまって…」

「これです、これ! 確かこれ、婆様が腹下した時飲めって…っ」

 と、慌ててどこからともなく現れた男が本人にも何だかもわからないような緑色の粉持って来たが――オイオイオイオイ。何が原因で苦しんでいるのかもわからない人間に何だかよくわからないモノを適当に飲ませる気か…? 医者的にはありえない暴挙だぞ、それはさすがに。

 だが、逆に言えばこの男がウドの家からその薬を持ち出した犯人だと言うことだ。俺にはこれが何の粉末だかはわからないが、恐らく以前腹痛を起こした時に老婆からこれかもしくはこれに良く似た粉末状の薬草を処方された経験があるんだろう。

 なら、ここで出るしかない。

「――ウドはどこですか…?」

「え?」

「ウドなら老婆のところで見ていたはずです。ウドに薬の確認を…」

 正直な話、村人達にとってはいかに村一番の知恵袋が育てていた秘蔵っ子とは言え所詮は余所者のウドに頼るのはプライドが許さないのかもしれない。だが、白彦は恩人で大切な客人でしかも大人(たいじん)だ。白彦に何かあった日には村そのものの存亡にも関わりかねないし、何より当の白彦本人が「ウドに確認しろ」と名指しで指名しているとなっては村人達には立場上断るに断れない。

 渋々の体で家の外に待機していたウドへ周囲の視線が注がれると同時にウド自身、俺に何か起こった気配を察したんだろう、

「どうしたんすか、白彦様…?!」

 憎々し気な視線なんか完全無視ですっ飛んで来た。

「ウド…これは確かに腹痛の薬なのか…?」

「え…ああ、はい。千振(センブリ)っす。腹下した時煎じて飲めってよく婆ちゃんが…」

 ウドは見せられた粉末に視線を走らせると、――って見ただけでそれが何の粉末だかわかるのか。期待以上の薬草知識だ。

 と、俺はそこまでしか期待はしていなかった。薬草の正体と用法用量さえわかれば御の字だとその程度にしか予想はしていなかったのに、

「――でも白彦様、ホントに腹下してるんすか…?」

「。」

 思わぬことをウドに言われてとっさに反応できなかった。

 仮病を見抜かれたのかと最初は思ったが、だが、ウドの目はそれ以上だったんだ。

「もしかして痛ぇの――右下腹なんじゃねーっすか…?」

「…何、で…」

 実は俺は虫垂炎(もうちょう)で運ばれて来た患者のフリをしていた。日本を含む先進国ではコレラなんてまず発生しない21世紀、下痢くらいで救急搬入されて来る患者はそうはいないが虫垂炎の患者は非常に多い。しかも虫垂炎なら処置方法もとっくに確立されていて21世紀(いま)は薬で散らすだけなんて研修医でも対応できる程度の緊張感しか伴わないから落ち着いてじっくり患者の様子を観察しながら治療もできる。

 要するに、虫垂炎患者のフリが俺にとっては一番お手軽だったってだけだったんだが――まさか見ただけで下痢と虫垂炎を見分けたってのか…?

「右下腹なら千振じゃなくて冬瓜の種っす! 確か冬瓜子(とうがし)はまだ家にあったから今すぐ行って持って来るっす!」 

 そう言って飛び出そうとしたウドの腕を、すかさず俺は掴んで止めた。

「…白彦様…?」

「―― いい、必要ない」

「でも…っ、冬瓜子なら急がねーと…っ」

「大丈夫だから」

 老婆の手伝いだけだって? 違う。そんなレベルの知識量じゃない。

 本人は自覚してはいないんだろうが、見様見真似とは言えやっていることは立派な薬剤師だ。もちろん体系的に学んだわけじゃないし経験値も低すぎるからこのまま独り立ちさせるのは無理があるが、ウドには既に処方する薬を適切に見極める能力さえある。しかも、虫垂炎なら急いで処置しなければならないことまで知っている。

 門前の小僧習わぬ経を読む、じゃない。あの老婆はウドを薬剤師として見事に育て上げていたんだ。


   『 ――お婆さんにとって、あなたはホントに宝物だったのね 』


 ウドの慕っていたあの老婆は、間違いなくウドのことを心の底から本当の玄孫以上に愛していた、その証拠を俺は見た気がした。





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