浄酒?!
「さあさあどうぞ、白彦様!」
「鄙びたおもてなししかできませんが、よろしければご一献…」
「いや、俺は酒は…」
何が何だかよくわからないうちに、すっかり『奇跡の人』に昇格してしまった俺はこの村では既に下にも置かぬ歓待ぶりで、あれよあれよと言う間に件の少女の実家らしき住居に急遽設置された宴席に昼間から連れ込まれてしまった。
それまでは白彦なんて噂に聞くだけで自分達とは恐らく一生涯何ら関係などない、ハッキリ言って存在しているのかいないのかさえ怪しいくらいの神殿の奥の日女巫女に仕えているとか言う神官、くらいの認識でしかなかったのが、いや、まあこの村に限っては何でかは知らないが春先に村祭りを開いてくれた奇特なお方、くらいの認識はあったかもしれないが、それでも噂に聞くだけで目にすることなんて一生ないんじゃないかくらいの勢いだった筈の人物がいきなり現れて、諦めるしかないと一度は覚悟した死んだ村娘を生き返らせてくれたんだ。表面上だけ見ればその特異な姿形だけでなく、
「やはり神に仕えられるだけのことはある特別なお方なんだ」
と言う認識を確たるものにするには充分すぎるインパクトのある出来事だったらしい。
だが、いつ呼び出されるかわからない職業柄あまり呑む習慣がなかったと言うのもあるが、どう見ても未成年のこの肝臓にアルコールがいいわけがないのは医者なら誰でもわかるだけに、それがわかっていて酒を呑もうとは思えず断っただけの話が、
「バカ! 白彦様が濁酒なんか飲むかよ、浄酒はねーのか?!」
「。」
思わぬ単語が耳に飛び込んで来て思考が停止した。
「そんな贅沢なもんあるかよ」
「せめてもっとマトモなつまみ持って来い!」
「白彦様のお口に合いそうなもんなんかねーよ」
「…すみざけ?」
って――まさか、
「清酒があるのか!?」
この時代に?!
てっきりまだ濁り酒しかない時代だと思い込んでいたから酒の蒸留も正直うまく行くのかどうか悩みどころではあったが、清酒があるなら話は違う。どのレベルのモノかは確認してみなければ何とも言えないが、緊急事態に陥った時、蒸留した方がいいに決まってはいるもののそれでも清酒ならそのままでも消毒に使えないこともないかもしれない。
そんな好奇心に負けて思わずにじり寄ってしまったが、
「も、申し訳ありません。浄酒はこんな田舎では滅多に手に入るものではなくて…」
「…ああ、いや…」
今の言い方じゃ「濁酒みたいな安物はお断りだが清酒なら飲む」と言っているようにしか聞こえない。それでなくても濁酒より格段に贅沢品なのは話の流れからわかっていたのに、意図したものとはまったく違う方に誤解されたのは事実だが、これはさすがに言葉の選択を間違った。これじゃお高く留まった嫌味なグルメ気取りの金持ちそのものじゃないか。
「そうじゃなくて――浄酒? に興味があるんです。杜氏に会わせて貰えませんか?」
ところがだった。
「? とうじ?」
「なんだ、そりゃ?」
通じなかった。造醸所があるなら当然杜氏もいるはずだ、と信じて疑っていなかったところから出た一言だったが、何だか様子が怪しい。もしかして俺はまたマズいことでも口走ったのか、
「いや、その…その浄酒を造っている人に会いたいんですが…」
と慌ててフォローを試みたが、
「…。」
「…。」
「…。」
更にババを引いてしまったらしい。はぁ? と言わんばかりに眉を顰めたり唖然とした表情になる村人達に、何やらこれはとてつもなくヤバい雰囲気じゃないか…誰か状況を説明してくれ!
普段なら倭代に説明を求めているところだが、生憎ここにアイツはいない。悔しいがいざと言う時にどれだけ自分があの女の知識に頼って来たのかを改めて思い知らされて情けなくなると共に、次の瞬間とっさに俺の視線は救いを求めてウドの姿を探していた――が、ウドもいない。そうだ、ウドはこの村ではよそ者として爪弾きにされているからこの家の中には入れて貰えていなかったんだ。
どうする…どうごまかす? っつか、これ一体どう言う状況なんだ? 浄酒とやらは間違いなく存在しているらしいのに、それを造っている人物に俺が会いたいと言うと何でこんな反応になるんだ?
わけがわからない。浄酒の杜氏って、一体何者なんだ?
「…父ちゃん。白彦様って神殿に住んでる方なんじゃねーの?」
「こらっ、黙ってろ!」
と、この家の子供なんだろうか、小さな男の子がひどく素直に疑問を口にして周り中が凍り付いたのがわかった。
「だって浄酒って神殿で作ってんだろ? なのに何で神殿に住んでる人が知らねーんだよ? こないだ浄酒ってのは…って父ちゃん話してたじゃねーか」
「…。」
神殿で――作られている…?
「白彦様くらい偉いお方は誰が造ってるかなんてご存じなくていいんだよ!!」
神殿、って――まさか、神酒のことか…?!
たらり。
そう言えば酒ってもともとは神様に捧げる神酒のことだったんだよな…で、そうなれば当然神職が作るのが当たり前って話で…ってことは、つまりその浄酒作ってるのって――…
「…あいつら自身だったのか…」
あの晩、飲んだくれてすごいことになっていた宮女達を思い出してげんなり気分が沸き上がって来た。そうだ、あんなのを早々に見てしまったから宮女や巫女と言うネームバリューの持つ神聖さとか男の憧れみたいな感情は吹っ飛んだところでしか彼女達を見ることができなくなってはいたが、考えてみれば彼女達は全員、神に仕える選ばれた巫女達だったんだっけ…。
ぐったり気分しか湧き上がって来ない。そしてこんなに身近にそんな技術者達がいたことに気付かなかった俺自身に眩暈さえして来る。そうだ。神殿の宮女達ってのは神膳をこさえる一流の料理人もこんなに薄い透目絹を織れるだけの技術のある機織り職人も…彼女達はただの侍女じゃない。それぞれ特級の技術を持つ技術者集団でもあったんだ…。
「すみません、ちょっとした勘違いだったようで…」
「いえ、そんな…っ」
「浄酒はございませんが、餅などはいかがですか?」
「いや、腹は減っていないので…」
どうにかこうにか持て成したい村人達の気持ちはありがたいが、生憎食事はそれでなくても王宮で済ませて来ていて、しかも必要もないのに黒金の家でまで食べて来たくらいだ、さすがにもう入らない。
っつか。
赤の他人の俺なんかにやる食糧はあるのに、なんで何も持ってないウドから何もかも巻き上げているんだよ、こいつらは…金持ちほど強欲ってのは古今東西絶対の真理なんだな…げんなり。




