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Iam estis  作者: Muffin
医師
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真名

「あの…白彦様…」

「?」

 ふと、背後からウドに声をかけられて振り返ると、いかにも言い出しにくそうに、だが抑えられない好奇心を露わにしたウドがそわそわとしていた。

「あの…俺の…」

「。」

 言おうか言うまいか悩んで言葉を濁すウドに、ああ、そうか。

「こう書くんだよ」

 金兄姉妹弟とはまったく別の場所、ウドからよく見える場所に改めて『独活』と、書き順までウドが追えるようにゆっくりと書き、

「こっちが『ひとりで』って意味の文字で、こっちは『活きる』って意味の文字だ」

「え? それでウドって読むんすか?」

「組み合わせで本来の読み方とは全然違う読み方になる文字もあるんだよ」

 ああ、そうだった。ウドの場合は例外中の例外だから、こんなのから入ったら混乱させるだけだよな…平仮名か片仮名の方で教えた方が良かったか。

 なんて今更考えてもそれこそ今更だ。

「植物の独活は一本でも立派に真っ直ぐに育つからこう言う文字を当てられているんだよ。まあ文字の使い方としては例外だけどな」

 漢字は表意文字だからな、アルファベットみたいな表音文字なら文字数も少ないしもっと簡単に教えられるんだろうが…日本語は生憎そう言う言語だからなぁ。最悪平仮名だけでも書けないことはないが、それを読むとなると…平仮名オンリーは書くのも面倒だし読むのも正直キツすぎる…。


   だが。


「ひとりでも立派に真っ直ぐに育つ…」

「いい名前を貰ったな、ウド」

「白彦様に(よみ)して貰えるなんて、婆ちゃんきっとすげー喜んでます」

「お婆さんって…」

 自分の名前の話だろ。ホントにお婆ちゃんっ子なんだな、ウドは。いくら育てて貰った恩があるからって、どこまで婆ちゃん婆ちゃんなんだか…。

 なんて笑いかけて気が付いた。

「あ。」

「?」

「悪い、ウド! 名前なんて勝手に他人の前で書いて良かったのか?!」

 慌ててサラサラと砂を被せるように『独活』の文字を消しながら、思い出した…名前を他人に知られることはこの時代では一大事だったはずだ。なのにこんな赤の他人の黒金や母親の前で…もしかして俺はとんでもないことをしでかしてしまったんじゃ…?

 なんて慌てた俺に、しかし、

「…白彦様、何言ってんの?」

「これ、黒金!」

 キョトンとした黒金の声に首をかしげるしかなかった。子供らしいあまりにも率直なその言い方に母親の方はさすがに窘めざるを得なかったようだが、何言ってるって…名前は大切なモノなんだろう? 倭代がそう言ってたじゃないか。

 意味が分からない。

 だが、

「そんなの通称に決まってるじゃん。ウドだって真名(まな)は別にあるよね」

「。」


 …。


「――真名?」

 って、何だ、それ?

「黒金も赤金もそれは真名ではありません。白彦様の白彦と言う通称と同じ、あくまでも人前で呼ぶための呼称ですから…」

「えっ?!」

 通称だったのか?! じゃあ、みんな俺の知らない本名が別にあるってことなのか?!


   そう言う重要な話は教えとけよ、あの飄々娘…!


 くううううう、なんて恥を掻かされた羞恥心も手伝っていつも以上に倭代に対する怒りがメラメラと込み上げて来た。こっちがこの時代の常識知らないのわかっててやってるよな、あの悪戯女王! 覚えとけよ、いつかこの借りはきっちり返してやるからな!!


   ところがだった。


「あー、でも俺、真名ないんで…」

「。」

「。」

「。」

 突然、実に言い出しにくそうに恐る恐るの体で声を上げたウドのセリフに、その瞬間俺達は三人共固まってしまった。

 ――って、ないって――…

「俺、生まれてすぐ捨てられたから真名ないんすよ」

「え…?」

 捨てられた、って…

「婆ちゃんも『お前には立派な真名があるはずだから』って付けてくれなかったし」


   捨て子…?!


 考えもしなかった。だが、言われてみれば前にウド自身で言っていなかったか?


   『 だって俺、婆ちゃんにとっちゃ玄孫みてーなもんだし 』


 みたい(・・・)なもん、って何だ? あの時は別の方に気を取られて深くは考えなかったが、みたいって何だ。曾孫か玄孫かなんて、わからなくなるような話じゃないだろう。血縁関係なんて嫌でもはっきりしていて間違っても曖昧になるようなものじゃない。曖昧にできるとすれば、それは――血縁関係が存在しない状況でしかありえない。

 つまり、ウドとあのお婆さんは血が繋がって――ない…?

「ま、よくある話っすけどね」

「良くあって堪るか!」

 捨て子だと?! そりゃ自分ひとり食い繋ぐのも大変なこの時代に子供を育てられない事情なんていくらでも発生していたんだろうことはわからなくもないが、せっかく苦労して生んだ子供を捨てなきゃらならない事情ってなんだ! 子供だって生きてるんだ、親のおもちゃじゃない! たまたまあんな人格者のお婆さんに拾われたから良かったようなものの、ひとりでは確実に生きて行けない乳幼児を捨てるなんて殺したも同然だろう、それが血の繋がった親のすることか! 鼠だって産んだらちゃんと育てるぞ!!

 見も知らないウドの生みの親に対する怒りが込み上げて来た。どんな事情があったか知らないがなんて親だ。要らないなら最初から作らなければいいんだ、それを勝手に作って勝手に殺すなんて…それが人間のやることか。何が何でも見付け出してウドの前に引っ張り出して土下座で謝らせてでもやらなきゃ俺の気が済まない。

 そんな怒りに真っ赤に燃え上がった俺の感情を宥めてくれたのは、やっぱりウドの一言だった。

「――やっぱり白彦様って、すげーいい方っすね」

「。」

 柔らかい、満面の喜びを浮かべたウドの表情に嘘やお世辞なんかミクロン単位も混じってはいなかった。

「俺なんかのためにそんなに怒ってくれるなんて、白彦様には何の関係もない話なのに。こんなの珍しくもなんともない話なのに」

「ウド…」

「俺に真名があったら良かったのに…そしたら真っ先に白彦様にあげられたのに」

 捨て子だなんて、これまで人並み以上に苦労することだってあっただろうに、ウドは何でこんなに真っ直ぐで優しくいられるんだろう。いい奴ってのはウドみたいな奴のことを言うんだ、少なくとも俺はウドみたいに心の優しい男を知らない。

 きっとあのお婆さんにたっぷりの愛情を注がれて育てられたんだろう。きっと、ウドにとっては生まれてすぐの赤ん坊を捨てるような母親に育てられるより結果的にはずっと幸せな人生を歩んで来られたのかもしれない。

「やっぱり俺も真名、欲しかったっす。こんなこと考えたことなかったけど――真名なくて悔しいと思ったの、初めてっす」


 この時代、人にとってどれだけ名前が重要なモノだったのか――俺はその時初めて思い知らされたんだ。





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