青金
「いやだよっ、女の子の格好なんて!」
「…。」
いや、そりゃそうだよな。いくら子供ったって、さすがに物事の分別も付いていない幼稚園児じゃないんだ。大体スズと同じくらいか…このくらいの年になれば女装を嫌がるには充分な年齢だよな。
どうせ行くなら、とついでに頼まれた例の倭代のトンデモ計画を黒金と母親に話すと、まず黒金本人から正面切って拒否された。これを言われたのが俺だったとしても同じ反応をするだろうことは想像に難くないだけに嫌がる黒金の気持ちは痛いほど良くわかる。良くわかるんだが――だが、悪いがこっちにも計画ってもんがあってだな…あああああ、なんでこんな損な役回りばっかり俺の方にまわって来るんだ。そもそもこれ考えたの倭代だろ、なんで俺が…。
とは言えそれが「白彦」の仕事なのも事実なんだよな。そもそも日女巫女の言葉を外に伝えるためだけに存在しているのが白彦なわけで、それがどんなにむちゃくちゃな話でも、ただの伝言板でしかない白彦に拒否権は最初からない。
…理不尽だ…。
何でこんな嫌われ役を俺が買って出なきゃいけないんだ。
なんて不平不満はいくらでもあるが、倭代の言に従えばこれが俺の天命ってことになるわけで…逆らいようのない定められた運命とでも言うか…仕えなければならない女王が倭代でさえなければもうちょっとマシだったんだろうが、白彦に日女巫女を選ぶ権利は残念ながらない。
…理不尽だ…。
だが、そんな理不尽を今更嘆いても仕方がない。
「悪いがそれが女王様の命令なんだよ。黒金にはどうしても文字を覚えて貰わなきゃならない理由ができたんだ」
電話みたいな音声通信ができない以上、伝達手段は文字しかない。幸か不幸かこの時代文字が読める識者は数が限られている。読み書きができると言うだけでもかなりの特殊能力である以上、伝書鳩と言う通信手段は国家機密情報のやり取りと言うリスクが伴うものであっても決して悪いアイデアではない。猟銃もない時代だから空を飛ぶ鳩が人間に捕まる危険性も低いし。
紙と墨は倭代が用意している。黒金自身も夢がかかっているんだから鳩を手懐けるのには必死になるだろう。後必要なのは読み書きのできる能力者だ。
だが、そう。文字と言う概念がまずない時代なんだよな。
「――もじ?」
「もじって何すか、白彦様?」
黒金はもちろん、俺の少し後ろで控えていたウドもキョトンと首をかしげている。まずそこから説明しなきゃいけないんだから前途も多難だ。
「言葉を表す図形のことだ。例えば――…」
土の床に指で『黒金』と書いてみせ、
「これでクロガネって読むんだ」
「…な、なんすか、これ…?」
「これが、僕の名前…?」
初めて見たんだろう漢字に黒金もウドも釘付けだ。彼等からすればきっとこんなややこしい線の集合体をサラサラと書いてみせる技術は充分衝撃的なモノなのかもしれない。確かに、俺は覚えているからこそ当たり前に書けるが見たこともない人間からすればこれだけの画数を丸暗記しているなんてあり得ないくらいの勢いなのかもしれない。――それが数千数万の単位の数覚えなきゃならないだなんて、今は言わない方がいいよな、きっと…何だかまた無駄に目を輝かせて尊敬の眼差しを向けて来るであろうウドがアリアリと想像できた。
っつか、既にものすごい尊敬の眼差しの気配が…ウドの方から漂って来るのが見なくても肌で分かるんだが…違うんだ、ウド。21世紀ならこんなの、小学生だってできることであって、間違ってもそんなに凄いことなんかじゃないんだぞ、これは。
どんどんウドの中の俺像が無意味に美化されて行くのが非常に居心地悪い。
が、ここで止めるわけには行かないんだよな。
「こっちが『クロ』で、こっちが『カネ』。だからこれが書けるようになれば赤金の『ガネ』もこれと同じでこう ――…もうひとつ『赤』ってこの文字さえ覚えれば『赤金』もこうやって書けるようになる」
「こっちは赤兄の名前なのっ?」
さすがに子供だ、好奇心の塊だな。話の持って行き方次第で勉強に対するモチベーションは上げられそうだが――…問題はだからと言って女装を納得してくれるかどうかだが、今はとにかくこの好奇心をくすぐってやるのが先決だ。
「赤金だけじゃないぞ、白金だって黄金だってこう ――…」
すらすらとその下に次々に書かれて行く文字に黒金もウドも目が離せなくなっていた。絵とは違う生まれて初めて見たその図柄が意味を持っていること自体がカルチャーショックなんだろう。素直な子供ならではの好奇心がいい方に進んでいる。
ところがだ。
「じゃあ…っ、じゃあ青兄はっ? 青金ってどう書くのっ?」
「。」
…。
「――青金?」
…って、誰?
初めて聞いたその名前に頭が疑問符で埋め尽くされた。てっきり赤白黄黒の四兄姉妹弟だと信じて疑っていなかったが、まさかの五人目…いや、黒金の上の兄らしいから四人目か、或いは白金や黄金より上にもうひとりいたってことか? さすがに赤金より上ってことはないだろうが――…
「黒金のいつつ上の兄です。あの子は父方に引き取られたのでこちらに来ることはありませんが…」
さすがに混乱して来た俺の耳に飛び込んで来たのは、とりあえず様子見だったんだろう、黙って鍋をかき回していた母親の思いもよらない言葉だった。
って、父方って――…え? この人の旦那は刃金だったんじゃ…?
「王宮でお会いになられたのでは?」
「…王宮で?」
ったって、兄って言ったよな? 王宮に出入りしてるのは俺以外は女だけで、男と会う機会は――…
と言いかけて、思い出した。そうだ――倭代が魔鏡でハッタリをかましたあの日、俺を睨み付けていた若い男がいた。あの時は暗くて良くは見えなかったが、今思い返せば明るい時に奴の存在に気付かなかったのは、パッと見て彼が並みいる権力者達と同じような白髪の老人だと思い込んでいたからだ。あの頃はまだマジマジと相手の顔まで見る余裕もなかったしな。
そうだ。今思えばアッシュブロンドの若い男だった。あいつか…!
「青金は白金と黄金と同じ、私が大人 ( 注 : 身分の高い人物のこと ) 様にお仕えしておりました頃に産んだ子ですので…大人様には青金以外に男の子がおりませんでしたので、私が刃金に下賜されました時に後継ぎとして引き取られたのです」
「。」
…。
下賜、って――…
『 母親が攫われて来た時な、その腹には既に俺がいたんだよ 』
『 赤金の身を案じた母がずっと女として育てておりましたので 』
――そうだ。赤金は――ずっと男だと言うことを隠して育てられたんだ。女の子ならいずれ白彦を生むこともあるかもしれないが、男では単純に禍根の種になるリスクしかない。だから赤金は女である必要があった。
それは同時に、生まれるまで中絶させられずに済んだのはもしかしたら生まれて来る子供が白彦である可能性もあると思われたからでもある。
幸か不幸か赤金はアルビノには生まれ付かなかったが、この母親をわざわざ攫って来たのは白彦を生む可能性の方にある。白彦と言う次代の女王に一番近い場所に無条件でいられる息子がいれば、権力者にとっては当然おいしい話だ。うまくすれば自分に都合のいいように女王の言葉をすり替えることだってできる。それを目的に権力者のひとりが彼女を妾として囲い、白金、黄金、青金と次々に子供を産ませただろうことは想像に難くない。それでなくてもこれだけの美女なんだ、男なら食指も動いて当然だ。
だが、そこで予想外の事態が起こった。
女ならいずれ白彦の母として子供を産ませるために生かしておいてもいいと思っていた赤金が実は男だと発覚した。女だと思い込んで生かしておくことを許した義理の父親にとって、そんな妾ごときの裏切り行為はとてもじゃないが許せる話じゃない。下手をすれば政敵に自分が国の内部に獅子身中の虫を囲っていたと槍玉にさえ挙げられかねない。
だから、赤金は追放された。当然こんな重大なことを隠していた母親だってただでは済まない。権力者の体面を保つために下賜と言う形を取って体良く追い出されたんだろう。
つまり、赤金の父親と白金、黄金、青金の父親、黒金の父親は別人と言うことになる。
敵国人の子供である赤金と、権力者の子供である青金、そしていち職人に過ぎない鍛冶師の子供の黒金。母親を同じくする正真正銘の兄弟なのに、結果にこんなにも大きな差が出るなんて。
もしかしたら俺の代わりに白彦になっていたかもしれない、白彦に生まれることを期待されて、だが徒人に生まれて来てしまった三兄弟。
皮肉な話だよな…しかも当の白彦はきっと白彦になんか生まれたくはなかったとずっと思っていただろうに。




