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Iam estis  作者: Muffin
天文学
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クレオパトラの天文図?!

 照明のないこの時代、これまでは「日が暮れたら建物の中で静かに寝る」のが当たり前になっていたが、いざ外に出てみるとそこには満天の星が輝いていた。

「――すごいな、これは…」

「美しいですね、白彦様」

 産業革命の大気汚染とエジソンの電球の発明のおかげで21世紀の都会の夜空は地上の明かりの反射があまりにも眩しすぎて星なんかマトモに見えないのが当たり前になっていたが、1800年前の夜空はこんなにもクリアで美しいものだったことに初めて気が付かされた。

 っつか、空には星がこんなにもあるのだと言う事実さえ知らなかった、と言った方が正解か。満天の星なんて単語こそ知ってはいても、天には満ちるほどの数の星が存在しているだなんて教科書ではわかり切っていたことなのに、それを実感したのは初めてだ。本当に、宇宙には文字通り「星の数ほど」の恒星が輝いていたんだ。

 救急救命医になってからと言うもの日常の業務が忙しすぎて、こんな風に夜空に星を見上げることなんてずいぶん長いこと忘れてしまっていた。そんな余裕があるなら閉ざされて真っ暗な小さな医局の仮眠室に籠って眠りたい、なんて欲求の方が正直よほど強い日常がずっと続いていた。気絶するように眠りの淵に潜り込んでも、その瞬間に叩き起こされることだって珍しくはなかったんだ、なんて、この何ひとつ遮るモノのない壮大な夜空を見ているだけで昔の余裕のない自分のせせこましかった生活を思い出してしまう。


   と。


「あら、夜のデート? 見かけによらず抜け目ないのねぇ」

「…。」

 ――なんか気分的に一気にずどんとテンション下がったぞ――って別にデートでもなんでもないけどな。

 声を振り仰ぐと、そこには欄干の上に腰かけてこちらを見下ろしている倭代の姿があった。

「日女巫女様?!」

 何しろ倭代がいるのは三階だ、落ちたらさすがにただでは済まない。危のうございますっ、とパニック寸前のスズに対し、倭代は「大丈夫、大丈夫」とひらひら手を振って実に慣れた仕草だ。これは確実に今日だけやってるんじゃないな、こいつ。

「…何でお前がそこにいるんだよ」

「星見てたからに決まってるでしょ」


   かちん。


「他人にあれこれ仕事押し付けて自分は優雅に天体観測か?」

「あー、やっぱちょっと遠すぎて聞こえないわねぇ。ちょっと待って、今そっち行くから」

「――ってちょっと待て! お前一体どうする気…」

 なんて制止する暇もなかった。手にしていた板切れを口にくわえると、長い(スカート)もなんのその、裾を軽くたくし上げて邪魔にならない程度に結ぶなんてあられもない格好となり、スルスルと猿の如く器用に柱を伝って三階から降りて来る。

「ひ、ひひひひ日女巫女様――――――っ?!?!?!?!」

 …さすがはフィールドワークがメインの考古学者。どちらかと言えば肉体派なんだよな、こいつ…赤金のところに行く時だって、引き籠りの日女巫女の身体なのに歩き方だけはやたら山登り上級者的な慣れた印象あったし。こんな脱走も平気でやらかす女王陛下の見張り役をやらされているなんて、白金も黄金もホント気の毒に。

 っつか、あの日もこの方法で脱走したのか…そりゃさすがの金銀姉妹でも欄干の外までは予想もしなかっただろう。変装までしてたんだし、姉妹を庇うわけじゃないが、それでもその条件下で気付けと言う方に無理がある。普通の深窓のお姫様は三階から柱を滑り降りてお出かけなんてまずしない。っつか、するわけがない。常識的に想定外の事項に対してまで常時用心なんてしていられるか。優秀な人間ほど無駄なことはしない。そんな労力があるなら他にまわす方こそ優秀な人間の常識的な発想ってもんだ。

 なんて倭代の本性を残念ながら既に骨身に染みて知り尽くしている俺と違って、何も知らないスズはまさかの女王陛下の行動にパニック寸前だ。まあ、二階ならまだしも三階だからな、さすがにケガの心配をするには充分な高さだし。

「で? 何?」

「…いや、そこまでするほど重要な話をしたかったわけじゃないんだが」

 まさか、ただ単に嫌味を呟いただけとは言えない…さすがに。

「そっちこそ何してたんだ?」

「ん――…」

 とりあえず当たり障りのない質問で窮地を脱しようと試みると、一瞬倭代は躊躇ったように言葉を濁し、ちらりとスズを見ると、

「(…『クレオパトラの天文図』って知ってる?)」

「。」

 久しぶりの英語に倭代がスズを気遣ったことに気が付いた。倭代は俺と違ってスズをほぼ知らないから、自分が今から話そうとすることがスズに知られていい内容なのかどうか判断が付かなかったんだろう。

 つまり、結構真剣な話、と言うことだ。

「(さあ…古代エジプトの天文学がすごかったらしい、ってのは聞いたことくらいはあるが)」

 でもクレオパトラは古代エジプト最後の女王で政治的手腕とかラブロマンスなんかの話は聞いても、直接天文学とは繋がるイメージはない。

 だが、さすがは腐っても考古学者だった。

「(パリのルーブル美術館にある石板なんだけどね、北の空を中心に一年分の星座がきれいに書き込まれてるのよ)」

「(ふーん)」

 専門は古代日本のはずなのに、古代エジプトの知識まであるのか、こいつ…。

 でも、だからそれが何だって言うんだ?

 突然そんな話をわざわざ今ここで英語で始めた倭代に話の趣旨が掴めなかった。結果大した興味もなさげな曖昧な反応しか見せられなかった俺に、だが、

「(で、これ)」

 倭代はさっき口にくわえていた細長い板切れを差し出すと、

「? (何だよ、これ?)」

 そこには何かよくわからない点々が書き込まれていただけで、一体何が『クレオパトラの天文図』とやらに繋がるのかさっぱりわからない。

「(『クレオパトラの天文図』ってね、10日ごとに南の地平線に現れる星座の移り変わりを記したものなの)」

「…?」

 まだわからない。そもそも俺、天文学は専門外だしな。

 だが、実はそこからがすごい話だったんだ。

「(じゃあ、10日ごとにこれを記録し続けたら――36回目はどうなると思う?)」

「(そりゃ360日分の星座がまわって一周す――…え…?)」

 言いかけて、自分が今何を言おうとしたのかに気が付いた。

 360日。つまりほぼ一年だ。

「(そ。36回分に不足分の5日を祭日としてプラスするだけで21世紀(げんだい)と同じカレンダーができるのよ)」

「(待て待て待て待て)」

 ちょっと待て。クレオパトラの天文図って、まさかそれカレンダーなのか?!

 エジプトはナイルの賜物、なんて言うくらいだから洪水が種まき開始の目安になってたらしいってことくらいは聞いたことはある。そのくらいなら知ってはいたが、まさか一年が365日だったことまで古代エジプト人は知ってたってのか?

 確かに北の星空は一晩中単純にグルグル回っているだけだから人の目には年間を通じての大した変動は判別しずらい。だが、それは同時に南の星座なら一晩かけても半周しかしないと言うことを意味する。毎日日没直後とか時間を決めて観測し続ければ、季節である程度の時間的ズレは出るにしても、一年が365日だと最初からわかっている俺達ならある程度の誤差は観測時間や結果をずらすだけで適当に調整はできる。

 ってつまり倭代は――カレンダーを作ろうとしているってことなのか? たったひとりで? しかもその記録を円形上に配置すれば360°回って天文地図は一周する。21世紀と同じ『周角』の概念だ。

 水が必ず高いところから低いところへ流れる以上、治水事業に角度の概念は必須だ。そこまでその時点で計算してたってことなのか?!


 こいつ ――…暦と角度って概念を同時にこの時代に持って来やがった…!


「(一体いつからそんなことやってたんだよ、お前?!)」

「(ここが二世紀末の古代日本だって気付いた翌晩から)」

「(…。)」

 俺がただパニックになっていたその間に、既に倭代はカレンダー作りを始めていたってことか。しかも気付いた翌晩って――神籬の儀から生還して目覚めた翌日のことじゃないか。既に二ヶ月分もカレンダーを貯め終えてるってのか?

 言葉が出なかった。認めたくはないがこいつ ――やっぱりすごすぎる。何でこんなに変なところでやたら冷静なんだ。

「(農耕社会に暦は必須よ、ないなら自分で作るしかないでしょ。それが巫女と言う知識人(インテリ)が敬われる唯一無二の根拠なんだから)」

 巫女(シャーマン)はただ単に怪しい予言をするだけの人物じゃない。その予言が必ず当たるからこそ敬われるんだ。

 当たるからにはその予言にはちゃんと根拠がある。一般人の知らない科学的根拠を基に予測されたものだからこそ確実に当たる。一か八かの博打だけでそうそう何度も当て続けるのは確率的に考えても不可能だ。すべてきちんと経験と知識に基づいて理論的に導き出した予測を「神のお告げ」と称しているだけ。


 ――倭代は――確かにこの邪馬台国の巫女王(じょおう)なんだ。






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