夜のデート?!
まずはタスクの整理からだ。
倭代のおかげでやることが山積みになってしまった。あれもこれもと混乱したまま抱えていると必ずどれかが手落ちになる。何をするにも順番を考えることは重要だ。物事の順番を考えて整理する、一見日常生活とは関係のない高度な数学を学ぶのはそのためだ。
現在緊急にやらなければならないことは虹彩の測定とその平均値の算出、そして歯車式轆轤の設計図作成。
菜種の収穫までにはもう少し時間があるが、何しろあの距離だ、収穫した種を運ぶための方策も今の内から考えておかなければならないし、搾油も石臼よりは専用の圧搾機を作った方がいいだろう。
圧搾機となると何は措いてもまず万力を作るため螺旋の技術が必要になるが――それには狂いのない緻密で正確な溝を掘る技術だ。となると安定性の高い轆轤を使うしかないからやっぱり赤金の轆轤作りを急がせなきゃならないわけだが、轆轤だけじゃダメだ。形は変わらないが轆轤に乗せて刃物を添わせるだけで簡単に削れるなんて都合のいいプラスチックの様な物質も必要だ。
だが粘土は乾燥時の収縮で正確性に狂いが出るから使えないし、かと言って木材や竹じゃ固すぎて人の手で固定する程度では安定して削れない。
―― 蝋だ。この時代でも蜂蜜はあるんだ、蜜蝋を使えばいい。蜜蝋で作った型を入れて砂で鋳型を作り、鉄を流せば締付ネジは作れる。だがそれには蜜蝋を集められる養蜂家の協力が必要になる。だが幸い今は春。ちょうど採蜜の季節だから彼等に頼めば蜜蝋も副産物的に手に入るだろう――って、蜜蝋がこの時代使われていなければの話だが。何か売り物になるような価値があるとまた話は変わって来るからな…。
ああ、でも轆轤の技術があれば後は簡単な組み立てだけで遠心分離機は作れる。こっちが採蜜効率を上げられる遠心分離機の知識を提供すれば、例え蜜蝋にそこそこの価値があっても売買交渉が成立する可能性は高い。どちらにしても蜜蝋があれば夜間の照明にも軟膏基剤にも密封保存したいアルコールの封なんかにも使えるから、蜜蝋の恒常的な入手ルートは確保しておくに越したことはない。轆轤の応用でしかない遠心分離機でそれが手に入るなら安いものだ。
となると、これも赤金に頼んで――って赤金大忙しだな…マジで赤金サマサマだ。俺だったらと考えるだけでも過労で倒れそうだが、できるだけわかりやすい設計図を描くよう努力はするし、できる範囲内での最大限の協力もするからマジ頑張ってくれ、赤金。
そう言えば、鉄の締め付けネジと言えば、刃金がどんなものを作って来るか次第ではあるが果たしてメスを満足に砥げる砥石なんてこの時代にあるんだろうか。
何しろ刃物は石器製のこの時代だからな…鉄を研ぐって発想が既にあれば助かるんだが、なければ探して来るしかない ――ってそんなもんどこに転がっているんだよ…そもそも俺自身、砥石の使い方ですら水掛けてゴシゴシ程度の記憶のかなたにうっすらレベルだぞ。そんなんで手術用のメスなんか砥げるのか不安になって来た。
って、四の五の言ったってやるしかないんだよな。うっすらとでも大陸の製鉄知識のある刃金なら砥石のことも知っている可能性は高い。まずはそこに賭けるか。
なんてブツブツと口に出しながら考えていたらしい、何となく声を掛けるに掛けられずにいたスズが、気付くとウズウズとした目で俺を見ていた。
「どうしたんだ、スズ?」
「いえ…何かお悩みのご様子でしたので、私で少しでもお手伝いできることがあればと思いまして…」
「…そんなに行き詰まっているように見えたか?」
――情けない。ってまあ、正直行き詰まってはいるんだが…改めて自分の無力さを思い知らされている。分業と言うたくさんの人達の知恵や技術、協力に支えられて何とかこなしていただけの俺の医療がいざこんな状況になってそれだけじゃいかに役に立たないものなのか…ひとり放り出されて初めて気付く、俺ひとりじゃ虫垂炎の手術さえマトモにこなせないなんてことにさえ。
情けなさ過ぎて正直笑うしかない。事情はどうあれたったひとりでひと通りのことをこなしている赤金には完全に負けた気分だ。言いたくはないが、俺ひとりじゃきっとせいぜい生活基盤の維持だけで精一杯で、あんなに精力的に発明品を作ったりしている余裕なんかあるはずもないに違いない。
…こっちは知ってるモノを思い出して描くだけなのに、それでさえ詳細となるとうろ覚えなんて始末だ。一目見たものを写真に撮ったように詳細に模写できるサヴァンの能力が俺にもあれば…なんて、考えても意味のない「もしも」ばかりを考えてしまう時点で逃げの本性バレバレなんだろうな…状況的には俺と何も変わらないはずの倭代はいつだって前しか見てないってのに。
なんて倭代に対するコンプレックスはスズにはバレバレなのかもしれない。
「近頃日女巫女様のところへお出でになりますのに私でさえお連れいただけませんのは、何か難しいお話でもおありなのではと…」
「あー…」
まあ、当たっていずとも遠からずと言うか…確かにとんでもない無茶振りは相当されてはいるが、スズを連れて行かないのはいちいち説明するのが面倒なだけと言うか…って本人にそんなこと言えるはずもないが。
どちらにしても。
「そうだな。ちょっと気分転換に歩いて来るか」
ただ座ってドロドロに煮詰まっていても仕方がない。何も考えずただぼーっとする時間こそ人間の脳には必要なものだ。幸い既に日も暮れて夜ならいつものうっとおしい被衣を被らなくても何の障害もないんだし。
「夜外に出られるのですか?!」
「別に王宮の外にまでは出ないよ。星でも見て来るだけだからスズはもう下がっていいから」
いつものことだが相変わらずおもしろいくらいコロコロと表情の変わるスズの驚愕の表情が、この時代の夜中の外出の非常識さ加減を物語っていた。行燈さえないこの時代じゃ夜中出かけるのは野生動物に襲われる危険性そのものなんだろう――いや、どちらかと言えば夜盗に襲われる方か。警察なんかいない時代だからな。こんな見るからに上等な服着てるだけでターゲットにされる理由には充分なんだろう。
だが、別にただの散歩だ。王宮の敷地は高い塀で囲まれているし、出入り口には門番もいる。そんな中でまで男が散歩に身の危険を感じる理由はない。
だが、それでも白彦が起きている間、それも部屋から出ると言っているのに自分ひとりで先に寝るなんて選択肢はスズにはなかったらしい。
「お供いたします…っ」
「…ただの散歩だぞ?」
相変わらずの過保護さ加減に正直笑いしか出て来ない。こんな小さな明らかに年下の子供、それも女の子に守られてる男って、正直どうなんだ。
だが「お供は我が使命!」と信じ込んでいるスズには「付いて来るな」と命令する以外の方法で供を拒否することが不可能なのは既に骨身に沁みて理解しているし、ま、夜の散歩くらいなら別にスズの負担になることもないだろう。
なんて軽い気分で外に出ただけだったのだが。
「あら、夜のデート? 見かけによらず抜け目ないのねぇ」
「…。」
――なんか気分的に一気にずどんとテンション下がったぞ。
「…何でお前がそこにいるんだよ」
他人が気分転換しなきゃいけないほどのタスク地獄で行き詰ってるってのに?
ヒマなのか…? ヒマなのか、この暇人女王は?!




