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Iam estis  作者: Muffin
天文学
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逃げて堪るか

 とんでもない話になって来た。俺はただ目の前の患者を見捨てることができないってだけだったのに、いつの間にかどんどん壮大な国造りプランが進んで行く。もちろん俺の落ち度で今年の豊作を確実なものにしなければならなくなったのは曲げようのない事実だからその件に付いては協力せざるを得ないが、豊作なんてそう簡単に人間の力程度で左右できるものじゃない。ましてや俺達は科学者でも農業経験者でもないんだ。実行自体は現場経験の豊富な専門の人間に委託することもできるしその経費の使用と計画実行の権限も与えられてはいるものの、普通に考えれば本で読んだだけの知識と21世紀で得た日常経験の応用だけで何とかなんてできるもんじゃない。

「――参った…」

 正直、逃げ出せるものなら今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。

「。」

 なんて何気なく脳裏を掠めた「逃げる」と言う選択肢に、あの時の倭代のセリフがよみがえった。


『 その夢の世界に逃避(・・)できるだけの現実をきっちり作ってくれてる女に感謝するのね 』


 ――結局、女がいつでも現実の世界(にげみち)を確保していてくれているからこそ男は何かをやることができている。

 実際、人生に絶望した時「自殺に逃げる」と言う選択肢を選ぶのは男の方が圧倒的に多い。男は逃げて楽に、自由になることを安易に選ぶが、女は常に背水の陣で守らなければならない家族を抱えているから「逃げる」と言う選択肢など最初から持ってはいない。女は「子供を産み育てる」と言うことが、「命と言う存在」がどれだけの価値を持っているのか、どれだけ大変な奇跡の上に初めて成り立っているのかをよくわかっているからだ。

 現実にはちゃんと理性の働く男ばかりとは言え、本質的に自分以外のオスはすべて敵、メスは繁殖のために獲得すべきモノ(・・)と言う認識が根底にある男にとって、自分以外の命の価値はひどく軽い。実際、だからこそ自分のエゴにとって邪魔ならば相手が自分の繁殖相手には決してならない男なら殺すことさえ躊躇わないし、宗教によっては女を家畜と言い切ることさえできる。挙句に戦争なんて非社会性行為を正当化どころか平気で美化することだってできてしまう。

 それは命の貴重さを根本的に理解していないからだ。

 まあ、生物学的にはオスにとっては子供なんて、セックスさえすれば勝手に生まれて知らないうちに成長している程度の愛着しかない生き物だからな。対しメスは一旦妊娠すればその後ずっと自らの肉体を犠牲にしながらその胎内で育て続け、文字通りの死のリスクを背負って死ぬほどの苦しみの中で出産し、その後の人生もずっと自分のことを犠牲にして子育てに追われ続ける。人生の大半を次世代の命のために捧げなければならない女とは命に対する本質的な価値観は違って当然だ。

 もちろんこれはあくまでも客観的な生物学上の話で、男は全員命の価値がわからない、なんて話じゃない。

 だが、男は男と言うだけで命の価値を学ぶ機会が女と比べて圧倒的に少ない上「メスに選ばれる」と言う至上命題の中で生きている以上、自分の価値基準がどうしても他人(おんな)の評価、つまりは収入額や筋力などの見た目ですぐにわかるモノに頼りがちになる。公平に定められた基準の中で自分が一体どの位置にいるのかを確認することで初めて「交配相手を獲得できる確率」を割り出すことができ、安心を得たいからだ。

 だが、人間そうそう圧倒的な能力差なんて存在するわけがない。しかも客観的にハイスペックである状態をずっと維持し続けるにはとんでもない努力が必要とされるから、少しでも楽をしたくなるのが人情ってもんだ。

 結果、交配相手を獲得するためには手段など選んではいられない、と言う結論にたどり着き、犯罪に手を染めるようになる。

 犯罪者に圧倒的に男が多いのもそこに理由がある。女の気を引くために、少しでも他の男に差を付けるために、犯罪を犯せばそれだけで安全確実しかも楽に自分のスペックを上げることができる。天は自らを助る者を助くとはよく言ったもので「社会性が高ければ高いほど」と言うのはつまり「他人のために尽くせば尽くすほど」と言う意味でしかなく、結果的に社会性の高さは自分の首ばかりを絞めて行く。これはつまり、犯罪だとわかっていても「自らを助ける」ために手段さえ選ばなければ誰でも簡単確実に他の男を追い落とすことができ、自分の能力は上がっていないのに結果的に何の努力もなく自分のステータスだけは自動的に上げて見せることができると言う意味で、それは残念ながられっきとした現実だ。

 だからこそ犯罪は裁かれる。チート(ズル)をすればその個体だけの視点に立てばメリットしかないが、社会性生物と言う進化を選んだ人類と言う種にとってはその繁栄基盤である向上性を停止させ、ゆくゆくは社会制度そのものに対する破壊行為とさえなってしまうからだ。

 種を繁栄させるため、つまりは次世代以降の命のために一生を捧げるメスにとって社会は守るべきものそのものだ。だが、オスにとって「種」とは「自分の子孫」だけを意味している。それどころか他のオスの子孫はむしろ敵、自分の子孫が生き残る確率を考えればただの障害でしかなく、よって滅ぼすべき対象でしかない。

 だからこそ同じ種同士なのに「殺して解決」なんて、社会を構築するための根本的な命題と矛盾した行動に平気で走ることができてしまう。


 種を維持することの重要性なんて壮大なモノは、オスにとっては何の意味もない。多様性のおかげで種自体としては生き残れたとしても、それが自分の子孫でない限りオスにとってはただの絶滅だ。オスにとっての「種」とは生物学的な「種」と比べて激しく範囲の狭いもので、だからこそ人種差別なんかの敵対意識が簡単に発生してしまうんだろう。自分に似ていない個体は確実に自分と同じ遺伝子を受け継いではいない、つまりは「同じ種」ではありえないと言う発想だ。

 なのに、「同じ種」ではないのにこと繁殖に付いてだけはライバルになり得てしまう。しかも相手の方が優秀そうなら状況は更に悪い。

 だから「排除しなければならない」と言う発想になる。自分の繁殖のための敵は殺しておくのが一番安全確実な方法、だなんて実に短絡的な考え方だが――結局それがオスの本質だ。そう言う風に生物学的にそもそもができている。

 だが、生物学に従っていたら社会は成り立たない。社会性ってのは基本的に生物学的本質に逆らうものでしかないからこそ維持しようとする意志やモチベーションが簡単に摩耗してしまう。わざわざ法律を作って「犯罪」と言う言葉で縛り上げなければならないほどに生物学的な衝動や欲求とは、社会性と言う名の我慢とは比較にならないほど制御し難いモノだ。

「…。」

 なんか、正直ちょっとムカ付いて来た。ちょっとと言うか――久しぶりに結構本気でムカ付いたかもしれない。


『 楽しいトコだけホイホイやって、ヤバくなったら後は全~部(ママ)に丸投げ。その程度の本質のくせに女から尊敬されて当然と思い込んでるだなんて、ほんっとただの幼稚園児(ガキ)よね~♪ 』


 なんて、聞いた覚えもない倭代の高笑いが目の前の実物のようにアリアリと脳裏に浮かんで来て、

「――逃げて堪るか。」

 倭代の計画のすべてが成功するとは思えないし、実際俺自身そのすべてに同意しているわけでもない。


   だが。


 まずは一年。

 もとを辿れば俺が自分で蒔いた種だ、秋の収穫だけは何としてでも俺の責任で乗り切ってやる。






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