学校?!
「あの…私には今ひとつ理解できないのですが、それは布とは違うのですか?」
「…布?」
白金に指摘されて気が付いた。確かに何もわざわざこの時代にない紙を作らなくても、薄くて軽くて文字や絵が描ければいいだけなら綿布でも絹織物でもいいはずだ。羊皮紙だってパピルスだって構わない、必ずしも紙である必要はないんだから、確かに布と言うのはいいアイデアだ。
と思ったのは、しかし俺だけだったらしい。
「ダメよ」
間髪置かずあっさり否定されて何でだと正直憤慨したが、
「21世紀と違って布は超の付く貴重品なのよ。メモ用紙になんて使えない」
「…そうなのか?」
言われてみると租庸調なんて古代の税制度でも確か布が税金代わりに徴収されていたような…なんて記憶が蘇って来た。どれだったかは忘れたが…調だったか…庸だったか…いや、そんなことはどうでもいい話か。
「中国に朝貢する時にもお土産に布持ってってたくらいなんだからね」
「え? それって反物とかの高級品限定だったんじゃなかったのか?」
考古学なんて何の関係もない医者の俺がそんな遥か記憶の彼方の教室で学んだ知識から詳しい内容までなんてもちろん引っ張り出せるわけもないが、そう言えば有名な生口だけじゃなくて、何か布製品も含まれていた気もして来た。昔は布を「匹」で数えてたんだな、なんて子供心にもものすごく意外だったんだよな。
「錦とか縐 ( ちぢみ ) とか種類は色々あったらしいけど、どっちにしてもマトモな布はすべて高級品よ。だからみんな苧着てるんじゃないの」
「…確かに」
白彦になってからは最初から常にシルクしか着てないし、周囲の侍女達もシルク製や木綿製のいい服を着ていたからうっかりしたが、言われてみれば王宮の外で苧製の貫頭衣以外を着てる人間なんて見たこともないくらいの勢いだった。
「それに、メモ用紙に使い捨てできるようなシルクや綿があるくらいならそれこそあなたが使いたいんじゃないの、ガーゼとか包帯とか?」
「それは確かに!」
医療用に使うなら柔軟性が重要だからそれこそ紙や苧じゃ代用できないからな。肉体労働の多いこの時代じゃケガも少なくはないだろうし、この時代の設備事情や衛生面なんか考えれば煮沸消毒しながら繰り返し使わざるを得ないにしても、それでもあればあるだけ助かるアイテムだ。
なんて俺達の会話の一体どこまでをこのふたりが理解できたのかは怪しい限りだが、
「良くは理解できておりませんが、とにかくその『紙』とやらを作るのに楮と海藻と山芋がご入用、と言うことでよろしいのでしょうか?」
少なくとも自分にとっての要点をきっちり掴み取る能力が非常に高いのは事実だ。話の内容はわからないながらも自分にとって必要な情報だけはきっちりと抑えて来る、この能力を持つ人間は実は想像以上に貴重なものだ。特に21世紀は他人の話なんてまったく聞いていない人間の方がほとんどだと言っていい。
そして、二度手間にならないよう倭代も念を押す。
「正確には楮の皮と海藻を燃やした灰と、山芋ね」
「…海藻を燃やした灰?」
思わぬ話を聞き咎めてしまった。海藻そのものを使うんじゃないのか? 俺はてっきりつなぎ代わりに昆布とかのアルギン酸の方を使いたいのかと…
――っつか。
「海藻の灰ってそれ、もしかしなくても炭酸ナトリウム ( = ソーダ灰 ) のことじゃないのか? ぶっちゃけそれ重曹とほとんど同じだろ」
「そうなの?」
ソーダ灰は Na2CO3 で重曹は NaHCO3 。通称で呼ぶとまったく違うものにしか聞こえないが、正式名称なら炭酸ナトリウムと炭酸水素ナトリウム、誰がどう聞いたって水素が付いているかいないかだけでほぼ同じにしか聞こえないだろ。
「…ホントにお前の化学知識って小学生並みだな」
「お黙り」
まあ、こう言う一見博識そうで実は完璧すぎないところがこの『完璧な』姉妹には新鮮だったのかもしれないが―― いわゆるギャップ萌えって奴か。
しかし、相変わらずの暴言で自分の都合の悪いことをごまかそうとしたその舌の根も乾かない内に、倭代の頭の中は既に次のことを考えていた。
「あと、やっぱり手近に腕のいい木工職人が欲しいわねぇ…誰か手先の器用な子とか王宮にいない?」
「木工職人ですか…宮女の中で、ですか?」
何を企んでいるかは知らないが、今度は木工職人か――って、そりゃ紙漉き機に決まってるか。材料だけあってもそこから水分を抜くための漉き機がなきゃ紙にはならないんだし。
しかも、紙漉き機を一台作るだけなら別に外注したって構わないし、むしろその方が高性能なモノを作って貰える可能性が高いが、今後のことを考えれば何か外の専門家に作らせるにしても、俺や倭代の描くみたいな素人絵で描いて説明するよりは模型みたいな立体的な実例があった方が誰にもわかりやすい。
ひとり目が赤金と言う天才だったからこそあんな適当な説明でもとんとん拍子に進んだが、普通はああは行かない。担当を手分けするにしても今後未来の技術が増えれば増えるほど俺も倭代もひとつのことに掛かり切りにはなれなくなる。
次々にこなさなければならないタスクが待っている以上、ひとつひとつの作業はちょっと説明するだけで済ませ、後は自力で理解して貰える状態に持って行けるのが理想だ。
と。
「そこなのよ」
「…そこ?」
って、…どこ?
「私たちがこれからやり方を説明しなきゃならない職人たちは赤金じゃないってこと」
「当たり前だろ」
そんな何もかも赤金に押し付けたって、それこそオーバーワークだ。赤金なら正直やり方さえわかれば何でも作れるような気もするが、人間誰しも持っている時間は同じなんだ。しかも産業革命以前のこの時代、時間的なキャパが絶対的に足りない。むしろ蒸留機に煉瓦にガラスに歯車――…それでなくても赤金は人里離れたところで暮らしていてある程度の狩猟採集なんかの生活基盤のための労働だってあるんだ、普通の人間なら本来ならそれだけで既にマトモなキャパシティを完全に超えている。
赤金にはせめて最低限、仕事以外の生活労働をすべて代行してくれるアシスタントのひとりくらいは探してやるべきだろう――ってあの赤金がそんな余計なお世話を素直に受け入れるとは、それはそれでとても思えないが。
だが。
「だから、学校を作るのよ」
「。」
…。
「――。」
思考が止まった。
「―――――――――――――――――――――――――― 何だって?」
今、何か非常にとんでもなく恐ろしくあり得ない単語を聞いた気がしたんだが…気のせいだよな?
「だから学校よ」
「学校 〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰ッッッッッ?!?!?!?!?!」
「がっこう?」
「なんですの、それは?」
相変わらずの倭代のトンデモ思い付き発言に、だがそれが何だか知らない金銀姉妹はただ疑問符を飛ばすばかりだったが――って、待て待て待て待て! まさかこの弥生時代に教育機関を作ろうってのか?!
「で、モノは相談なんだけどあなた、教員免許持ってる?」
「持ってるわけないだろ、医者だぞ、俺は!!!」
どこの世界に医師免許と教員免許の両刀遣いがいるんだよ?! 年中無休のテスト漬け医学部ライフを舐めるなよ!!




