製紙?!
「そうだ、重曹の作り方って知ってる?」
「…重曹?」
って、炭酸水素ナトリウムの?
「科学名は知らないけどお掃除とかベーキングパウダーなんかに使う…」
「だから重炭酸曹達だろ?」
「あー、はいはいはい。それです、それ、そのなんちゃらソーダ」
なんちゃらソーダって…普通中学か高校で習うだろ、炭酸水素ナトリウムくらい。考古学に付いては非常識なくらい良く知ってるくせに、化学知識は実は小学生並みだな、お前…まあ、俺だって他人のことは大して言えないが…専門家の知識ってのは基本的にとんでもなく偏ってるもんだからな。正直な話、常識を知らないのが知識人、っつか。
「ともかくそれの作り方、知ってる?」
「さあ…さすがに化学は専門じゃないし」
そもそも重曹なんて21世紀の日常では工業的に生成されたものを粉で手に入れるもんだし、雨の多い日本じゃトロナ鉱石やナトロンはさすがに見付からないだろうからこの時代の日本で重曹はさすがに無理なんじゃないのか? 確かにあればあったで使い道も多様で医学的にも助かるのは事実だが、そもそも今度は一体なんで重曹なんかが必要なんだか。
っつか、それにしてもだ。
バレたらバレたで、もはや俺達の秘密をこのふたりに対して隠そうともしないんだな、お前…倭代の相変わらずの割り切りの良さには正直脱帽する。本来であればこんな会話、知る必要も、極論ある意味知る資格もないふたりの目の前で日本語でやるべき内容じゃないだろうに。
だが。
「こんなややこしい話、英語でなんてやってらんないじゃないの」
「…それはわかるが」
確かにお前の英語、今更言いたくはないがかなり怪しいもんな。今まであんな専門的な話が成立していたこと自体が奇跡と言うか…まあ、その単純明快な構文だらけのブロークン英語のおかげで白金には解読されたんだけどな。決まり切った構文しか使わなければそれは推測もしやすいし…いや、それでも白金があり得ないレベルの天才な事実には変わりはないんだが。
なんて改めて白金を振り返ろうとしたその時だった。
「そっか。重曹があれば今すぐにでも紙が作れたんだけど…」
「。」
…。
「――――――――紙?」
「髪?」
「上?」
残念、と言わんばかりに呟いた倭代の口から飛び出したその単語に、俺だけでなく白金も黄金も声を揃えてキョトンとなってしまった。
――って、
「紙?!」
待て待て待て待て。紙ってまさか紙のこと言ってるのか?! 確か紙って、日本に渡って来たのはせいぜい飛鳥だか奈良時代だろ!? 中国でだって発明されたのはよく覚えてないけど確か漢の時代だったんじゃ…
「105年に蔡倫がやったのはあくまでも製紙法の改良の話。紙自体はそれ以前からあったわよ、品質が悪くて量産されてなかっただけで」
「そうだとしても!」
日本にはなかった事実に変わりはない!
「さあどうかしらね? 奈良時代以前にも実は紙漉きの技術があったんじゃないかって説もちゃんとあるもの」
「…それの犯人もお前ってことだろ…」
歴史上の「既に日本にはそれ以前にも○○があったと言う説もある」の大半はこいつが犯人のような気がして来た…このオーパーツ製造犯め。
「あら、犯人とは言ってくれるわね。知識も材料も技術もあるならこの文明社会で使わない手はないでしょ。世間一般ではそれを発明と呼ぶのよ」
「だから、お前が発明家になってどうするんだよ」
それじゃ歴史上、知恵と苦労を積み重ねてやっと発明を成し遂げて来た過去の偉人達が気の毒すぎだろ。こんなぽっと出の小娘にすべての手柄を何の苦労も特許料の支払いもなくかっぱらわれるとか…邪馬台国の女王・卑弥呼は実はエジソン張りの発明家だった、とか歴史に名前を残す気か?
「あら、それおもしろいわね。卑弥呼の鬼道の正体は実はすべて科学発明品のことだったって?」
「おもしろくない!!」
卑弥呼はシャーマンクイーンだから神秘性があってもてはやされるんだ! それがただのインチキ科学者じゃ後世の卑弥呼ファンが泣いて悲しむわ!
「私を知らない人間が勝手に作り上げた妄想なんて私の知ったこっちゃないわよ、理想像の押し付けも甚だしい」
「お前自身がそのひとりだろうが!!」
卑弥呼って存在に少なからず夢を抱いたからこそ考古学者の道を選んだんじゃないのか?! 1800年後に生まれる純粋無垢な自分に対してそれが言えるのか!?
「…確かにそれを言われるとさすがに微妙ね…」
「微妙で終わるのかよ…」
「そりゃ子供の私が卑弥呼に興味持たなかったら今ここでただパニックになってただけだもの。それで困るのってあなたもでしょ」
「過去を改変するのは良くても未来はダメなのか?!」
だめだ…この女の徹底した現実主義には付いて行けない…。そもそも男ってのは夢を追い求めて生きる生き物なんだ…子供を抱えて現実の世界で堅実に生きる女とは住む世界の違う生き物なんだ。
「その夢の世界に逃避できるだけの現実をきっちり作ってくれてる女に感謝するのね」
「ああ言えばこう言う…」
確かにその通りだけどな! 男尊女卑なんて考え方はせいぜいこの数千年の人間社会の中だけの話で、基本的にオスってのは性が分化したその瞬間からメスに依存して生かして貰ってるだけの生き物なのは生物学的には事実だけどな!
と。
「さすがに聞くに堪えません! 何ですか、白彦、その失礼な物言いは?! あなたはずっと日女巫女様に対しそのような口の利き方をしていたのですか?」
なんていつものバカげたやり取りを繰り返している間、完全に置いてけぼりにされていた黄金に憤怒の形相で苦言を呈して割り入られた。
「いいのよ、未来の感覚では私たちは完全に対等なんだから」
「しかし他の者に対する示しと言うものが…」
納得の行かない黄金に、しかし倭代は、
「あなたたちの前だからこそこう言う話し方をしてるだけで、他の人がいればこの人だってちゃんと考えてるわよ、さすがにね」
「…。」
さすがは天下の人たらし。こうやって「あなただけ」をチラつかせれば大抵の奴は気分が良くなって大抵のことには目を瞑ってしまえるようになるものだ。人払いをしてこのふたり「だけ」に秘密を明かせば、いくら頭のまわるこの金銀姉妹だって少なからず優越感をくすぐられるのは否定もできない。ましてや心から尊敬する女王様から
「あなたたちだから信用してすべてをさらけ出してるのよ」
なんて、ふたりからすればこれ以上の光栄の極みもないだろう。
そんなぐうの音も出ないタラシ言葉で瞬殺された黄金をよそに、今度はいつものように黙って聞いていた白金が珍しく声を上げた。
「ところで先ほど日女巫女様のおっしゃられた『かみ』とは一体何のことなのでしょう?」
「ああ、ふたりが知るわけないわよね。木簡や竹簡みたいに文字や絵を描くための薄くて軽いモノよ」
だが、そんな説明でそもそもその物体を知らない白金が理解できるはずもない。
「…木簡や竹簡ではだめなのですか?」
「ダメじゃないけどかさばるし資源がもったいないでしょ」
…紙の方がエコかどうかはまた別の問題な気もするが――輸送や保管の手間だけ考えればエコなのは事実だよな。要らなくなった時の焼却処分にかかる時間も短くて済むし、廃棄物の量も少なくて済む。それどころか和紙なら溶かしてリサイクルもでき――…和紙?
「待てよ。重曹なんかなくても和紙を漉けばいいだけの話なんじゃないのか?」
洋紙を作るには確かに炭酸水素ナトリウムなんかでセルロースを溶解する必要があるんだろうが、作り方は知らないが和紙なら何もそんな化学的な薬品を使って溶かさなくたってこの時代にもある材料だけで普通に作れるんじゃないのか? なんてったって和紙、なんて言うくらいなんだし。
「まあね。楮はこの時代衣類なんかにも使ってるくらいだから確実に手に入るはずだし、海藻やオカヒジキもトロロアオイ――はまだ日本にはないけど山芋なら普通に手に入るしね」
「じゃあそれでいいじゃないか」
さすがは考古学者。化学的な理論は知らなくても何を使えばそれが作れるのかはわかってるのか。
だが。
「紙用の楮は一年目の若い皮を冬に刈り取るものなのよ。この時期のじゃ成長しすぎて繊維が固すぎていい紙にはならないの」
「そうなのか」
知らなかった。むしろセルロースなら何でもいいのかと…っつか、何で楮じゃないといけないのかくらいの勢いで――ってちょっと待て。
「…いい紙にする必要――あるのか?」
「?」
キョトンとした倭代に畳み掛ける。
「とりあえず当面は書ければいいんだろう? どんなに質の悪い紙だろうと紙でありさえすればいいんじゃないのか?」
「。」
…。
「――あ。」
「気付いてなかったのかよ?!」
――あ。じゃないっ、――あ。じゃ!
俺達は何も芸術品を作りたいわけじゃない、ただ単に文字や解説図解が書けさえすればそれでいいだけで、だったら春物だろうが2~3年物だろうが当面はそんなもの何だっていいじゃないか。品質なんて作ってるうちに考えて行けばいいだけの話で、だったらむしろ本番まで時間のある今は作り方を学ぶための実験だと割り切って、とにかく作ってみればいいだけの話だろう。
紙でさえあればどんなに品質が悪くたって、少なくとも木片や竹片よりは軽くて薄くはなるはずだし、メモを取りたいだけの今はそれで充分だ。




