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Iam estis  作者: Muffin
胡蝶の夢
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胡蝶の夢?!

 なんて、久しぶりに21世紀の自分のことなんかを考えていた俺とは違い、時間を移動した経験のない金銀姉妹は真っ直ぐ一直線にしか流れない時間の流れの中でしか物事を考えてはいなかった。

 いや、本来は誰もがそうであるはずなんだが…どんな生き物にも等しく平等に与えられるもの、それが時間なんだから当たり前の話なんだが、しかし今の俺には彼女達の発想の方が異質にしか聞こえなかった。

「そもそもそれがなぜ別人であると言うお話になるのでしょう?」

「。」


 …。


「私共は儀式の詳細は存じ上げません。ですがそれはすべておふたりが儀式の間に得られた知識であると言う可能性はお考えにはならないのでしょうか?」

「――――――――――――――――――――――え…?」


 儀式の ―― 間…?


「9日9晩もございましたのです。その間にあまりにも鮮明な後の世での生活を夢見られた影響で、ご記憶が混乱していらっしゃるだけかもしれないではありませんか」

「…。」

「…。」


 ――ちょっと待て。


「つまり、それはすべて儀式の代償として神様から与えられた知識なんじゃないのかって、そう言いたいの?」

「どうでしょう?」

「神のお告げとは少々異なるようではございますし」

 じゃあ何か? 俺が白沢伊槻だったと言う記憶の方が夢で、俺は今も昔も白彦で、儀式の最中途切れた意識の中で見た夢の方を信じるあまり本当の記憶の方を忘れたと、そう言うことか?

 待て待て待て待て。ないないないない、それはない。いくら何でもそれはあり得ないだろ、常識的に考えて。

 なんてふと頭を過ったそんな単語に笑ってしまった。常識? 既に起こっていること自体が常識でもなんでもない。こんな現実に常識を持ち込んで一体どうなる?

 現実問題として今現在俺が白彦であることを否定できるだけの根拠を持つ人間は確かにいないが、同時に伊槻であることを証明できる人間もいないんだ。ただ俺が自分で「俺は白沢伊槻だ」と主張しているだけで、その根拠になるものは何もない。

「――…不知、周之夢爲胡蝶與、胡蝶之夢爲周與」

「え…?」

 不意に聞こえて来た倭代の呟きに現実に引き戻された――って、何だって? っつか今の、日本語でさえなかったよな? 何を言ったんだ?

「胡蝶の夢よ」

「こちょうの ―― ゆめ?」

 って、確か荘子だったか、古代中国の思想家の? 漢文の授業で勉強した記憶はあるが、何だっけな…なんか果てしなく押し問答的な屁理屈哲学だったような…ってまあ、哲学なんて要するにただの屁理屈だけどな、現場の医者から言わせて貰えば。どんな屁理屈を並べたって、哲学で目の前にある病気が治ることは絶対にない。

 なんてことを考えていた耳に届いたのは、いつだったか学校で暗記させられたことのある読み下し文の響きだった。

「知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。…要するにこの場合、どっちが真実かなんて主観次第だってこと」

「いやいやいやいや、それはさすがに違うだろ」

 俺は間違いなく白沢伊槻で白彦じゃない。俺当人がそう主張してるんだからそれが事実に決まっているだろう。それとも何か? 白沢伊槻は現実には存在しない、白彦が夢の中で作り出した空想上の人物に過ぎないとでも? 俺こそが後にも先にも白彦本人だと? 白彦としての記憶もないのに?


 だが、記憶なんてものは実はひどく曖昧なものなのも科学的に証明されている事実だ。嘘を重ね続けるとそれが本人の中では真実の記憶になってしまう、なんてことは心理学の世界では常識な話だし、実際事件の目撃証言ひとつ取っても実は肝心な証言が目撃者の意図せずに作り上げた虚構だったなんて冤罪話もいくらでもある。

 記憶も本人主張も当人の中では間違いのない真実なのに、実際には現実とは異なるなんてことはいくらでもある。そもそも記憶と自己主張だけが根拠として本人を特定できるものだとするなら全生活史健忘の人間を当人だと特定することは事実上不可能になるし、幼児期健忘で忘れた過去の自分でさえ自分ではありえないということになってしまう。

 だとすれば自分が自分であることを証明する手段なんて、実は誰の中にも過去にも未来にもどこにもない。もしかしたら今この瞬間、俺が3世紀の邪馬台国で白彦と言う人物として暮らしているこの状況自体の方が21世紀の病院の集中治療室の中で白沢伊槻と言う人間が見ている夢だと言う可能性だってある、そう言う話でもある。

 ここで経験したすべてが昏睡状態の人間がこの2か月もの間ずっと見ていた夢の世界の話だと? とても信じられた話ではないが、常識で考えれば実際にはそっちの方がよっぽど説得力も現実性もあるじゃないか。

 現実問題として鏡を見る限り白彦は俺で俺は白彦なのは曲げようのない事実だ。同時に両方が別人として実在している、もしくはいた(・・)ことを証明する手段は何もない。

「。」

 ―― いや。


『 私共も含め、誰ひとり儀式以前の日女巫女様のことを存じ上げる者はおりません 』


 ふと気が付いた。

 そうだ、もうひとつの可能性があった。この肉体の持ち主である日女巫女も白彦もそもそもこの世に存在していなかった(・・・・・・・・・)と言う可能性だ。

 儀式以前のふたりを知る人物はどこにもいないんだ、だとすればそもそもふたりは最初からこの世に存在していなかった可能性だって十二分にあるじゃないか。

 いもしない人間をこの世界に呼び出す儀式、空のはずの洞穴の中からある日突然人間が湧いて出る、そんな現象を『神籬の儀』と呼んでいるのだとしたら?

 いや、それはない。単純にそれだけの話だとしたら肉体が変わっている現象の理由が付かない。少なくとも俺も倭代も自分の外見が別人のものになっていると言うことだけは間違いなく確実に認識している。その説明は自分自身の認識の矛盾点を説明することにはならない。

 だんだんわけが分からなくなって来た。考えれば考えるほどドツボに嵌って、本当に自分が誰なのか、この世界が現実なのかさえあやふやになって来るような気分にさえ追い落とされそうだ。


『 知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを 』


 なんで自分が自分だと認識するだけのことに必ず他人の承認を必要としなきゃならないんだ。それこそ何かが間違っちゃいないか?





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