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Iam estis  作者: Muffin
胡蝶の夢
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今と過去と未来と

 外側(からだ)が日女巫女でありさえすれば、中身は誰でも構わない。そして自分達は現状の日女巫女である倭代に満足しているのだから、中身が変わっていることには何の問題も、ましてや不満など何もない。

 ぶっちゃけてしまえばそう言っているも同然の金銀姉妹にとって、本物の日女巫女の価値はその程度の意味しかなかったらしい。実際、話どころか会ったこともない人物らしいから何の愛着も湧かないのはある程度仕方のないことなのかもしれないが――それにしたって誰にも知られることなく逝った日女巫女があまりにも哀れな話だ。

 と、同情する気持ちは間違いなくあったし心も確かに傷んだが、それでもふたりの協力が得られる現状は何よりもありがたかった。

 俺はともかく倭代に付いては今も昔も状況はほとんど変わってはいない。表向き王宮の奥深くに閉じ籠っていることになっている以上、倭代の言動のすべてを取り次ぐ彼女達のフォローがあればこれほど堅い身の保障(ガード)はない。万が一にも他の権力者達にこのことがバレることはあり得ないだろう、そう信頼できる程度には筆頭侍従を仰せつかるだけの姉妹だけあって非常に頭もいい。

 それもこれも倭代がこのふた月もの間、それに足るだけの信頼関係をこのふたりとの間にきっちり築き上げて来たおかげだ。普段のコイツの俺に対する言動からはとてもとても信じがたい話ではあるし、一体この女の何がそこまでこんな非の打ちどころもない姉妹を惹き付けたのかは知らないが、倭代の持つ「何か」は確かにこのふたりからの信頼を得ることを可能にするものがあったらしい。


 それが――女王になるべくしてなった人間の持つカリスマの力なんだろうか。


 倭代の理論で行けば、倭代は20世紀末に生を受けながらも最初から3世紀初頭のこの国の女王になることが決まっていたことになる。そしてその人生は順風満帆に行くと既に歴史が証明している。つまり、後にも先にも歴史上に名を残す邪馬台国の伝説の女王・卑弥呼とは名も知らない本来の日女巫女ではなく、今ここにいる倭代その人だと言うことだ。

 本来の日女巫女は女王でもなんでもなく、生まれてから神籬の儀式までの20年以上もの間ずっと神殿の奥深くに監禁され、歴史どころか同じ時代の誰の記憶にさえも何ひとつ記されることもなくあの真っ暗闇の洞穴の中でひっそりと餓死した、そんな何の救いもない人生をただ無為に生かされていただけのひとりの哀れなお姫様に過ぎないと言うのか。

 この世のすべての人生に価値を見出そうとするその考え方が間違っているのかもしれない。現実には歴史に名前の残るような何かを成し遂げられる人間なんてそうはいない。それに、歴史上では偉業とされるようなことを成し遂げた人物でもそれはそれを支えてくれたたくさんの人達が協力してくれたおかげであって当人ひとりの偉業ではありえない。それどころかその当人は人間としては必ずしも人格者でもなんでもないなんてことも決して少なくはないし、他人の人生に干渉するような何かをすることだけを「成し遂げる」と評価するのは物事を他人との比較でしか判断できない短絡的な考え方だ。

 誰にでもその人物なりの評価基準があって、それが例え他人からは下らないと一笑に付されるような価値観だったとしても、それで本人が満足しているならそれは間違いなく「成し遂げられた偉業」に他ならない。むしろ自分の価値を他人の価値基準で測って貰うことしかできない人生の方がよほど貧しいじゃないか。

「。」

 そこでやっと気が付いた。


『 だったら最期に「いい人生だった」と自分が納得できる一生を送れたひとが勝ちなんじゃないの? 』


 ああ、そう言うことだったんだ、倭代の言っていたことは。

 他人の価値基準でいくら「いい人生だった」と評価して貰ったって、本人が不幸だと信じていたなら何の意味もないじゃないか。他人から見たら虫けらみたいな評価しか受けないような人生だって、最後の最後に「最悪の人生だった」と悔やんでも悔やみ切れない後悔だらけで終わる客観的には(・・・・・)幸福で裕福な人生と、例え野垂れ死ぬような惨めな最期だったとしてもその死に際に心の底から満足して終われる人生だったら本人にとってどっちが幸せなのか、そんなことは考えるまでもないだろう。

 自分の最期の瞬間を他人にどう思われようと、死後自分の人生が他人からどう評価されようと、結局のところその時既に自分はそこには存在しないんだ。そんな、永久に自分が知ることのない「他人からの評価」のためだけに生きる人生なんて、それこそ空しいだけなんじゃないのか?

 俺なんかが今更勝手に同情して憐れんだところで日女巫女と白彦の辿った運命は変わらないし、考えてみれば俺達がこっちの世界で生きているんだ。今あのふたりが21世紀に残して来たはずの俺達の身体に入り込んで、今度は自由な生活を思う存分満喫している可能性だってあるじゃないか。


 あまりにも目の前の現実が慌ただしすぎてこれまで考えもしなかったが、そう言えば自分の肉体が21世紀に置き去りになってる事実に今更ながらに気が付いた。

 俺達の「タイムスリップ」はSFなんかで良く描かれる単純な時空間移動とは違い、魂、と言うか意識だけのものだ。

 と言うことは俺と言う自我は今確かにこの世界のこの肉体の中にあるが、間違いなく白沢伊槻の肉体は21世紀に置いて来たはずで――果たしてあの身体が今現在――と言う言い方はなんか違う気もするが、ともかくあの洞穴に落ちたあの身体は未来の世界では一体どう言う経過を辿ったんだろう?

 すぐに見付けられて以後ずっと昏睡状態にあるとか事故死としてしかるべく扱われて無事埋葬されたとか、あるいは俺達のように単純に肉体の入れ替わった日女巫女と白彦に使われて今でも――と言う言い方はなんか違う気もするが、ともかく健在でいるとか言うならまだしも、最悪誰に見付けられることもなく今頃――ってのもなんか違う気もするが、ともかくあの洞穴の中でふたり仲良く腐敗臭を漂わせているのかもしれない。そしてその悪臭に偶然気付いた誰かにいつか発見されて「無理心中か」とか何とか、昼のワイドショーネタにでもなっている可能性だってある。

 その状況を客観的に見ればこれほどブラウン管の向こう側で点数稼ぎだけにしか興味のない芸能人達に芝居がかった涙を流させて視聴率を稼がせるだけの人生もないのかもしれないが、現実の俺達はそんな、他人から憐れまれるような状況とはほど遠い波乱万丈な人生を1800年も遡ったこの場所でそれなりに充実して過ごしている。

 結局、他人の評価なんてそんなものなんだ。

 なんて意味のないものを飾り立てることにばかりひとはその限られた貴重な時間と労力と財力を注いでいるんだか。

 考えたって意味のないことをグダグダ考えたって時間の無駄だ。そんな労力があるなら今できることを精一杯やるだけなんじゃないのか――最期の瞬間に満足して逝けるように、後悔だけの人生で終わらないように。

 自分を取り巻く時間がどんな風に流れようと、結局俺自身の体験した時間は決して過去には戻らない。やった行為は一生俺の過去として付いてまわるし、それをなかったことにすることはできない。仮に倭代の言うとおり、時間がすべて同時多発的に流れているものだったとしても、俺と言う人間の中の時間だけはずっと真っ直ぐ一直線に「今」と言う瞬間をただただ積み重ねて留まることも遡ることもありはしない。


 飽きたり気に入らなければ即止められるヒマ潰し以外の何物でもないゲームじゃあるまいし、人生にやり直しやリセットなんてものは所詮ありはしない。だからこそひとは常に過去の経験から何かを学び続けて今を後悔のないように生きるしかないんじゃないか。





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