白金
王宮に戻ると、案の定倭代に逃げられて面目を失くした憤怒の形相の金鬼銀鬼が仁王立ちで待っていた。
と言っても銀鬼の方は表情だけは天女の微笑みを讃えているから余計怖い。あの優雅な微笑の裏に一体どんなオーラを隠しているんだか――表情の変わらない奴と言うのはある瞬間に一気にブチ切れるパターンが大半だから本当に怖い。いつも思うが白金の感情回路は一体どうなっているんだか、本当に徹底してまったく読めない。ここまで表情の変わらない人間と言うのを俺はこれまで見たことがない。正直な話、誰が恐ろしいって白金が一番怖い。これまであの微笑に騙されて恐ろしい目を見たバカな男が過去一体どれだけいたことやら――想像するだけでも寒気がする。
だが、そんなふたりの怒りなどどこ吹く風なのが倭代の厚かましくもいけ図々しいところだ。
「日女巫女様ともあろうお方が自ら王宮の外にお出ましになりますのは…」
「御用の旨はその者をお召しになればよろしいのです」
「あー、はいはいはい。だからバレないように変装して行ったでしょ」
ひらひらと手を振ってまったく反省の色のない倭代にお小言を繰り返したところでそれこそ暖簾に腕押しだ。
「そのようなお話ではございません」
「日女巫女様の身に何かございましたら…」
「だからちゃんと白彦とウドって護身連れてたじゃない」
「。」
…。
「―― は?」
ってオイオイオイオイ、俺を巻き込むな、お前が勝手に付いて来たんだろうが! その言い方じゃまるで俺がお前を唆して赤金のところに連れて行ったみたいじゃないか!!
さすがに相手が悪すぎる。そもそも俺はウドとふたりで行くつもりしかなかったんだし、勝手に付いて来た倭代の責任までこっちで引き受けてやる義理はない。とばっちりは御免だ!
なんてさすがに自己防衛線を張ろうとしたのに、
「(倭代、あのな…!)」
「このような柳の小枝など、何のお役にも立ちませんわ」
「…。」
「…。」
正論で一刀両断にしてくれる黄金に倭代に投げかけようとした俺の必死の苦情までぶった切られた。
確かにその通りではあるけどな…言いたかないが確かに剣一本マトモに振れない程度にはその通りだけどな! いくら事実だって言っていいことと悪いことがあるだろう!! せめてもう少し表現を考えてくれよ…少なからず傷付いたぞ。…事実ではあるけどな。
なんてぐうの音も出ない俺と違って、
「ぷ…っ」
一瞬言葉を失った倭代は、次の瞬間盛大に噴き出していた。
「柳の小枝…! 確かにその通りよねっ、柳の小枝!!」
「やかましい!!!」
「やかましいとは何事です、白彦!!!」
ってなんで俺が非難されなきゃならないんだっ、どう考えたって今のは倭代の方が悪いだろう! まあ元をたどれば黄金こそ一番の元凶なわけだが!
なんて身分格差の感覚が完全に抜けている俺の正論なんて、金銀姉妹には通用するわけもない。どんな理不尽だろうといついかなる状況であろうとも許されるのが特権階級の特権階級たる所以なのだから――だからこそ身分の低い者は高い者との接触を極力避けようとする。相手の気分次第でいちいち因縁をふっかけられては堪らない、当たり前の話だ。
「(言っとくが倭代、この身分格差をどうにかしないことには本当に近いうちに確実にドン詰まるからな)」
「(そーなのよねぇ…ホントどーしたもんかしら)」
「(何を他人事みたいに…)」
こんな場面で要求するつもりはなかったが、どちらにしても前々から言おうとは思っていた身分格差に付いての話を勢いで切り出した正にその瞬間だった。
「――よろしいですか、日女巫女様?」
「ん?」
英語で話していた俺達の会話に割り込むようにして突然声を上げた白金を振り返ると、いつもの微笑とは多少趣の違う、多少真剣さを兼ね備えた真面目な表情の白金がいた。いや、相変わらず雰囲気だけは優しいものだったが、学生が教師に教えを乞うような真摯さと言うか――…
「なぜ白彦は日女巫女様に"ユウ"と"イヨ"の二種類の呼び方を使うのでしょう?」
「。」
…。
「――――――――――――――――――――――――。」
え…?
その瞬間、完全に時間が凍り付いた。何が起こったのか理解できず、思考が完全に停止して―― いや、理解できなかったわけじゃない。むしろ理解したからこそ思考停止を引き起こしたと言うか。
って――…
「明らかに状況で使い分けているようにも思えましたが、日女巫女様は白彦を"ユウ"としかお呼びにはなりません。一体何が違うのでしょう?」
畳み掛けるようにダメ押しをされて、瞬間張り詰めていた空気の糸が勢いよく千切れ飛んだ音がした。って…待て待て待て待て。まさかこのたった2ヶ月、それも俺達が時折しか使ってない限られた数の会話を聞いていただけで英語をマスターしたって言うのか、白金は?!
さすがの倭代もこれには予想もしていなかったらしい。いつもニコニコただ微笑んで話を聞いているだけで、黄金と違って基本的には発言を求められでもしない限り口を開くところを見たことさえないような白金がずっとそこまで注意深く俺達の会話の一言一句に耳を尖らせていたとは――と言うか、日本語とは文法も単語もまるで違う言語だぞ?! しかも発音方法だってまったく違う。英語の音階スキーマさえないこの時代の日本人じゃ、ちょっとやそっと聞いたくらいじゃまず聞き取るところからできるわけもないのに?!
あの天女の微笑の下で一体どんな恐ろしいことを考えているのかとは思ってはいたが、まさか英語を学習していたとは――それも完全に独学で、耳で聴くだけで。
…マジかよ…。
天才とかそう言う次元の話じゃない。さすがは天才・赤金の妹。このずば抜けた言語能力は天才の一言ではとてもじゃないが足りない。21世紀じゃ中高6年間毎日のように教科書も辞書も参考書も問題集も一流のモノを与えられてきっちり専門の訓練も受けた教師に教えて貰っていても片言の英語も話せない日本人だらけだって言うのに、辞書どころか教科書もないこの状況下で、時折何の脈絡もなく飛び出して来るに過ぎない倭代のあのブロークンな英語を聞いただけで、しかもその内容だって3世紀の知識しかない白金には意味不明なモノばかりのはずなのに――そんな究極の条件下でそれでも英語を聞き取っていたって言うのか?
あまりにもありえなさ過ぎて愕然となる以外の反応ができなかった。いつも飄々として憚らない倭代でさえさすがに今度ばかりは唖然となって言葉もない。英語は基本的に必須ボキャブラリーの極端に少ない言語でしかも俺達ふたりが使っているのは意思の疎通が最優先で文法的にも大した複雑さは利用していない単純な構文ばかりだが、それでもそもそも英語の概念さえない白金がそう簡単に覚えられるほど毎回毎回同じ話ばかりを繰り返していたわけじゃない。ましてや俺達が彼女の前で四六時中英語で会話していたわけでもないんだ。
常識で考えて、単純に不可能な話だ。
「――参ったわね…」
それはもちろん、回数を重ねればいずれある程度なら聞き取れるようになる人間のひとりやふたりは出て来るだろうことくらいは想定はしていたし、恐らくそれは俺達に一番近い場所に常にいるこのふたりだろうと思ってはいたが、それにしたってこれは早すぎる。さすがにここまで早くバレるとは思ってもいなかった。
「遅かれ早かれあなたたちには話すつもりでいたんだし、ま、いっか」
「ってオイ?!」
ま、いっかって…待て待て待て待て!!!!!
「白金、黄金…人払いをお願い」
本気で真実を話すつもりなのか…?!




