患鳩?!
「あの…白彦様…」
「?」
ふとウドに声をかけられて声を振り仰ぐと、
「これ…」
ウドはなぜか鳩を手にしていた。
「なんか黒金様の懐で動いてたから何かと思ったら、なんかこいつもケガしてるみてーなんすけど…」
「…俺は獣医じゃないんだが…」
いくら医者ったって、生き物なら何でもなんてわけじゃない。鳩の患者…患鳩? をいきなり連れて来られてもな…。
なんても思ったが、心優しいウドの期待を無下にするわけにも行かない。専門外だが逃亡犯が閉院後の動物病院に潜り込んで動物用の薬を使って怪我の治療をしたなんて話もあるくらいだ、ぱっと見で分かる程度の傷くらいなら対処法は人間と変わらないだろう。
頼れるものが何もないこの状況下での手術で我ながら相当気が張り詰めていたんだろう、一気に疲れが来てへたり込んでいたその手に優しく鳩を載せられて、見てみると泥だらけで分かりにくいが翼が一部血で赤く染まっているのが見えた。骨は折れてなさそうだが、恐らく怪我をして飛べなくなってしまったんだろう。状況からして黒金と一緒に怪我をするような状況に追い込まれたか、あるいは怪我をしたこの鳩を助けようとして黒金の方が大怪我をする羽目になったか――…どちらにしても今この鳩にしてやれるのは傷口を消毒して包帯を巻き、これ以上傷を悪化させないようにしてやることだけだ。しばらくは飛ばせない方がいいだろう。
「ウド、クエン…実葛、まだ余ってるか?」
「あ…もうねーんで探して来ますっ」
「いや、そこまでしなくていい」
慌てて駆け出そうとしたウドを制止して、水筒に残った水で羽根に付いた泥を洗い流してやる。人間に掴まっても抵抗もしないほど弱ってはいるが、怪我自体は大したことはなさそうだ。多分沼地か何かに嵌って抜け出せずに暴れて体力を消耗しただけだろうし、基本的に野生動物の免疫能力は高いから水で洗うだけでも大丈夫だろう。
「ちょっと持っててくれ」
とりあえず見える範囲内の泥は洗い流した状態の鳩をウドに手渡し、透目絹の被衣の端に犬歯を当てて強引に引き裂く。この被衣は既に結構使ってるから衛生的とは言い難いが、傷口に直接当てるわけじゃなく羽根の上から巻くだけだからそこまで神経質になることもない。これなら鳩に使う程度になら充分なガーゼ兼包帯にくらいはなるだろう。見たところ風切り羽根も無事みたいだし、傷口さえ塞がればすぐ飛べるようにもなるはずだ。
なんて、要するに何もできなかったのだがたかが包帯を巻く程度のことでもウドにとっては何やら御大層な治療に見えたらしい。相変わらず目を丸くして隠そうともしない尊敬の熱い眼差しがこそばゆい。何がどうしてこうなったんだっけな…。
いや、それよりも。
「ところでウド、ちょっと聞きたいことがあるんだが…」
本人はまったく自覚していないようだが、彼が祖母から受け継いだ医学知識には目を見張るものがある。あのお婆さん本人からその知識を教えて貰えないのは悔やまれるが、ウドが知っていると思われる薬草の知識にはかなりの興味が湧いていた。
そう思って話しかけたその時だった。
「黒金! 気が付いたか!」
どうやら気絶していた黒金が目を覚ましたらしい。心配そうに様子をうかがっていた赤金の声が聞こえてそちらを向くと、赤金と倭代が横たえられた黒金の顔を覗き込んでいるのが見えた。
出血量が多すぎて気絶する前から意識は朦朧としていたんだろう、何が起こったのがとっさに理解できずにぼんやりしていた黒金だったが、起き上がろうとして右足に力を入れてしまったらしい。
「っ!」
「右足はまだ動かさない方がいい」
出血は止まったが完治したわけじゃない。しばらくは安静にして栄養価の高い食事を摂ることに専念するべきだ。痛みってのは、今はその部位を動かさない方がいいと肉体が教えてくれる大切なシグナルだ。それを無視して動かしても治癒に支障が出るだけ。
結局、本人の自然治癒能力以上の治療なんて存在しないんだ…医者としては悔しい限りの話だけどな。
「白彦様…?」
黒金にとってはもともと知っている兄の赤金以外は知らない人間ばかりだ。しかも、その赤金は人里離れた山奥に隠遁するほどの大の人間嫌いと来ている。その赤金の家に他人がいること自体驚きだろうが、そんな中で唯一顔を判別できるのは、誰の目にも明かな外見を持つ白彦くらい。
突然いるはずもない場所に現れた白彦に黒金は動揺を隠せずにいたが、
「何があったんだ、黒金?」
「。」
経緯はどうあれ自分が頼ってたどり着いた兄に事情を聴かれて、少なくともここまでたどり着くことはできたんだと理解した黒金もゆっくりと冷静さを取り戻し始めた。
「沼田場に落ちて抜け出せなくなってた鳩を助けようとして猪と鉢合わせして…」
「バカか、お前は!?」
「赤兄、痛い」
「赤金、乱暴にするな」
その火の点きやすい性格、ホントどうにかしろ。怪我人だぞ。興奮の沸点低すぎだろ。
と、注意されてとりあえず手は引っ込めたものの、それでも赤金の興奮は収まらなかったらしい。
「猪には注意しろってあれだけ教えただろーが、春先は特に!」
「その時は傍にはいないと思ったんだよ」
状況から察するにどうやら黒金は怪我をしたか何かで猪の沼田場に落ちて暴れていた鳩を助けようとして、偶然そのタイミングで泥浴びに来た猪に襲われたらしい。と言うことは、あの傷は猪の牙で噛まれたものなのか。
「いえ、その時猪を避けようとしてそこにあった枝を刺してしまって…」
「直接猪との接触はなかったのか?」
「赤兄じゃあるまいし、猪と戦ったって僕じゃ絶対勝てないよ」
くすくす笑っている様子を見る限り、どうやら黒金の手術は今のところ成功らしい。しかも、動物に噛まれたとすれば猪の口内菌、運が悪ければ狂犬病ウィルスにだって感染した可能性も考えられたが、ただの枝なら多少の雑菌こそ入っただろうがそれでも感染症リスクはぐっと下がる。
「でも良かった」
なんて内心ほっと胸を撫で下ろした時、黒金が心底ほっとしたように呟いたのが聞こえた。
「白彦様があんな鬼の形相で剣なんか振り上げるから、僕はてっきり止めを刺されるのかと思ったけど」
「…。」
鬼の形相…そんな凄い顔してたのか、俺? いや、それは確かに状況的にかなり切迫してたから余裕なんて欠片もなかったけど。
これまで俺の手術を受けて来た患者達も同じような恐怖を味わっていたんだろうか、なんて今更ながらに思ったが―― いやいやいやいや、みんなちゃんとわかってくれたさ。むしろニコニコしながらメスを入れられる方がよっぽど怖いだろ。特に今回は麻酔もないんだし。
「やっぱり赤兄のところに来て正解だった」
確かに…その沼田場からの距離にもよるが、里山に下りていたところでこの時代の人間にあれだけの傷口を治療できる技術があるとは思えない。運が悪ければ「どうせ助からないなら早いうちに楽にしてやるべきだ」と言う考え方の人間に当たっていた可能性だって充分にある。
「木ノ葉に感謝しろよ。お前が来た事真っ先に教えてくれたんだからな」
「そうだね。木ノ葉が傍にいてくれなかったらたどり着けなかったよ」
なんて言われて初めて思い出すほど、そう言えば、の木ノ葉と言う名らしい赤金の犬は恐ろしくよく訓練されていて、今思えば手術の間中も赤金の横でずっと静かだった。柴犬よりは大きいが秋田犬よりは小さいいわゆる日本犬らしい外見の狐のような赤毛の犬だが、確かに…あれだけ意識が混濁していたんだ、例え犬でもこんな山道では傍にいて道案内してくれる誰かがいるのといないのとでは精神的な安心感がまるで違う。黒金もこの犬がいてくれたからこそここまでたどり着く気力の糸を持たせることができたのは間違いない。
「ありがとうな、木ノ葉」
こんな時代から犬は日本人を助けてくれていたんだなと、改めて人間と犬の絆の長さを思い出させられた。




