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Iam estis  作者: Muffin
Dr. 白彦
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水の味

 正直無駄に大きくて重いし邪魔なだけで腰に差してるだけでも歩くのに辟易していただけのナマクラだったが、未使用の磨き上げた鉄器なんて貴重なもんを持っていて本当に良かった。飾り紐も本身もまさかこんなところで役に立つとは思いもしなかったが、だが、この使用用途は何も知らない人間から見ればただの拷問だ。

「黒金…黒金!! オイッ、…白彦てめえ!!!」

「大丈夫、気絶しただけだ」

 ただでさえ尋常でない痛みを伴う出血部位に焼鏝(やきごて)なんか押されたんだ、黒金は絶叫を上げるとそのまま気絶してしまった。まあ、執刀する側からすればむしろ好都合だが…昔はともかく、現代の医者には頸動脈を絞めて患者を気絶させてから手術するなんて芸当はさすがに不可能だからな。やったことのない俺、しかもこの子供の握力じゃ力の加減もわからないし、正直気絶させるだけのつもりが本当に殺しかねない。

「ホントにそれは治療なんだろうな?」

「俺を信じろ」

 幸い狙い通り出血は止まった。後は傷口を縫合して…黒金自身の自然治癒能力に任せるしかない。幸か不幸か黒金はまだ子供だから新陳代謝能力は高いし、可能性は充分ある。後は――神のみぞ知る。経過次第だが運が良ければ右脚を切断せずに済むかもしれない。抗生物質のないことが心底悔やまれるがないものはない以上諦めるしかない。せめてアルコール消毒だけでもできれば良かったんだが、残念ながら怪我をするのが早すぎた…まだ蒸留酒はできていない。

 準備不足で悔やまれることだらけながらもさっき帯紐に包んでおいた絹糸を取り出そうとしたその時だった。

「――白彦様、こんなん役に立つかどうかわかんねっすけど…」

 ふとウドが差し出したのは、椿か何かの葉っぱだった。

「ケガした時、婆ちゃんがこれ揉んで貼っとけって…」

「え…?」

「よくわかんねーっすけど、この実葛(さねかずら)の葉っぱの汁付けとくと傷が膿まねーらしいっす」

「本当か?!」

 あの老婆は柳の鎮痛効果を知っていた。菜の花の虫下し効果も知っていたし、もしかしたら本当に何か薬効のある葉なのかもしれない。

「俺、よくケガするから遠出する時はお守り代わりに2~3枚摘んでけって婆ちゃんに言われてて…臭いツンとするしすげー沁みるけど」

「ツンとした臭いで沁みる…クエン酸か!」

「クエン酸って、あのレモンとかの…?」

「ああ」

 治療とは言え客観的には充分残虐シーンと言っていい施術に距離を置いて目を逸らしていた倭代に口を挟まれて頷いたが、実際クエン酸は21世紀でも消毒や殺菌に使われている立派な医療品だ。そのクエン酸がこんなに手軽に手に入るなんて…あのお婆さん、マジで一体何者だよ? おばあちゃんの知恵袋の範疇完全に超えてるだろ。

 だがしかし、今ここでクエン酸が手に入るのはかなり大きい。エタノールも抗生物質もないがクエン酸なら火傷にも切り傷にも有効だ。

「ウド、手を良く洗ってソイツを準備してくれ」

「はいっ」

 クエン酸の準備が整うのを待つ間、俺は俺で縫合の準備だ。まだ熱い剣の上に針を置いて熱消毒し、それを技術を必要とする右手を温存するため敢えて左手で取り上げると、ジュッ、と指先のほんの一部分とは言え針を摘まんだ部分が火傷して刺すような痛みが指先に走った。

「お、オイ白彦、お前指…っ」

「大したことない」

 刺し込む時だけでも少しでも楽に皮膚に刺せるよう、剣の刃元の部分で針の角度を調整して鋭角に先を切る。このナマクラ、メスほどではないにしてもそれなりにいい切れ味じゃないか。

「白彦様、これ…っ」

「患部に塗ってくれ」

「はいっ」

 手慣れた様子で実葛のクエン酸を準備したウドに指示すると、アルビノの目が眼振を起こして針孔に糸を通すだけのことにやたら苦労はしたが、なんとか穴に絹糸を通すことには成功した。後は――こんな針と糸でどこまで耐えられるかわかったもんじゃないが、頼む…縫合が終わるまでだけでいいんだ、たった数針だけだ、もってくれ。

 こんな無茶苦茶な手術、したことなんかあるわけがない。しかも集中しようとすればするほど目がブレる。こんなギリギリの綱渡りが一体どこまで通用するのか、それこそ運の世界だ。

 だが、絶対に助ける…! 今の俺にできる限りの最善を尽くす、それだけだ!

「――白彦…お前結構エグいな…」

 ひと針、ふた針…折れないように慎重に縫い進めて行くとさすがの赤金も顔をしかめて思わず呟いていた。確かに、外科医にとっては当たり前すぎる超基本的な手術でも、傷口を糸で縫合するなんてのはそんな行為を見たことも聞いたこともないような人間の普通の神経ではとてもじゃないができる行為じゃないのかもしれない。黒金が気絶していてくれて本当に良かった。ひと針ごとに暴れられたんじゃこんな針での縫合なんて正直不可能だ。

 条件の悪さをカバーするために余裕をもって縫うことにはなったが、こま結びまでたどり着いた時、自分がそれまでずっと息を詰めて作業していたことに気が付いて笑ってしまった。

 こんな初歩中の初歩の縫合くらいで俺は何をこんなに緊張して――それは確かに久しぶりの手術ではあったが、自分の技術がたくさんの人達の築き上げた手術器具や薬品に支えられていることに改めて気付かされた。現実問題として俺自身の知識や技術なんて実はほとんど意味はなく、それを支えてくれる何十代、何百代に渡る人類の試行錯誤と知恵の結晶のすべてが揃っていて初めて意味を持つ程度のものでしかなかったんだよな。

「――お疲れ様」

 ふうっ、と天を仰いで大きく溜息を吐くと、頭上に竹の水筒を差し出した倭代がいた。今この世界では唯一、この女だけがこの手術の意味を理解できるんだろう。黒金だって気が付いたら自分の身体にこんなフランケンシュタインの怪物みたいな縫い目を付けた俺を恨むだけかもしれない。


   それでも。


「少なくともひとり、助からなかったはずの命を助けちゃったわね」

「…。」

 それは今この瞬間、俺は間違いようもなく過去を改変したと言うことだ。もちろん傷口から破傷風を発症して俺は単純に黒金の命を数日意味もなく伸ばしただけなんて結果になる可能性だって今はまだ否定もできないが、少なくとも「手術」と言う、この時代の日本にはまだ存在しなかったはずの技術を目前にした人間をふたりも生み出してしまったことだけは否定のしようのない事実だ。


   だけど。


「――別にいいさ」

 この達成感には代えられない。

 結局俺はどこまで行っても医者なんだ。

「神様の人選ミスの責任なんて、俺の知ったこっちゃない」

「あら、大した居直りようね」

 手術後の生ぬるい井戸水の旨さは格別だった。






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