言霊
「あの ――…」
正直な話、赤金と倭代はお互い同意の上だからいいんだろうが、何だかわからないうちに勝手に巻き込まれたウドからすれば驚天動地と言うか、ハッキリ言ってただのいい迷惑と言うか…いきなりこんな話を振られてウドは完全にパニックになっていたが、パニックが落ち着いてとりあえず考える余裕が出て来ると色々とウドはウドなりに考えたんだろう、何だかやたら盛り上がっているふたりの間にさも申し訳なさげに割り込むようにして声を上げた。
何かと集まった視線に気後れの気配こそ見せたものの、しかしここで退くわけにも行かず、だがこんなことを言ってもいいものかどうか躊躇いに躊躇って、やがて意を決したらしい、
「すんませんけど俺、やっぱ貰えないっす」
恐らくウドにとってはたったこれだけのことが天にも楯突くかのような勇気を必要とする言動だったんだろう。そもそも社会格差の激しいこの時代、一般庶民なんてある意味奴隷と大差ない。権力者が死ねと言えば死ぬしかない、それが権力と言うものだ。そんな一般庶民のウドにとって女王と対等の関係だなんて、そもそも成立するはずがないんだ。だから、やると言われたものを拒否する権利さえウドにはそもそもないわけで――…
なんて考えていた俺の耳に、しかしやはりウドは真正のバカと言うか、究極の天然だった。
「俺、バカだから赤金様みてーに技術とか何もねーし、持ってるもんなんてこの命と身体くらいしかねーのにそれ全部もう白彦様に差し上げちゃったから…だから俺、もう倭…日女巫女様に差し上げられるもん何もねーんっす」
「。」
…。
「…。」
「…。」
「…。」
代わりに返礼になるものを何も持っていないから受け取れない。
バカ真面目すぎだろ、ウド…。
確かに世の中ただほど高いものはない、とは言うが、それにしたってこの場合はさすがに――…いや。むしろ正しいのはウドの方なのかもしれない。こんな重大な提案を安易に引き受けたら後々何かあった時に自分の希望とは相容れない事態になっても拒否することもできなくなる可能性は十分にある。実際、俺の本意ではないが今のウドにとって第一は何は措いても白彦だ。と言うことは、万が一にも白彦と日女巫女が対立するなんてことになった時、今ここで倭代を選んでしまってはその時ウドは嫌でも俺を切り捨てなければならなくなる。それはウドにとって本意ではないし、自分の口にした宣誓を違えることにもなってしまう。
未だに嘘も方便が当たり前の感覚で生きている俺には理解できない世界の話ではあるが、言霊に縛られたこの世界で生きているウドにとってその矛盾は、きっと我が身を滅ぼすほどの一大事なんだろう。何しろ人生の契約の話なんだ、慎重にすぎることはない。
なのに。
「あなたって、聞いてはいたけどほんっとに底抜けのバカなのね」
「倭代、お前な…!」
「…すんません…」
何もそこまで言うことはないだろう、と俺の方が怒りの感情を押さえきれずに声を上げたってのに、言われた当のウドの方は自分の愚かさを他人に指摘されてそれを額面通りに受け止めていた。
ウドは不器用でこう言う性格だから、きっと色んな人から同じように言われ続けて来たんだろう…「お前はバカだ」と自分でも思い込むまでに何度も何度も。言葉の力ってのは不思議なもので、真実とはまるで違うことでも言い続けることでいつの間にか真実よりも真実に成り上がっていたりする。それはいい方向に働くこともないこともないが、残念ながら往々にしてこう言うのはマイナス方向にばかり働きがちで、そうして「洗脳」なんて馬鹿げたモノが世の中には大手を振って歩いていたりするんだ。
そもそも身分制度なんてのがそれの最たる例だろう。身分なんて要するに先祖にたまたま人に取り入ったり稼いだりする能力に長けていた狡賢く世渡り上手でやたら運と要領のいい奴がいたかどうかだけの違いなのに、いつの間にかそれがさも当人の実力でその地位を確保しているかのように思われているだけのものに過ぎない。人間の能力上の個人差なんて、一部の本当に奇跡的な例外を除けば実際にはほとんどない。そのほとんどは単なる親の七光りや財産に依るものか、どれだけ努力することができる環境に生まれ付いたかどうかだけの違いがあまりにも大きな違いを生んでいるだけに過ぎないのに、なんでひとは人間の種類が違うみたいな馬鹿げた思い込みを誰もができるようになってしまうのだろう?
だが。
「違うでしょ」
倭代になんて言われるまでもなく、自分でも自分がいかにバカな男かをわかっていると言わんばかりに落ち込んで俯いていたウドが顔を上げると。
「バカって言うのはね、二種類のまったく異なる意味を持つ言葉なのよ」
「。」
…え?
「ひとつ目のバカは自意識過剰で自分の欲望以外何も見えてないただの妄想バカ」
倭代が何を言い出したのかわからなかった。
「でも、あなたのバカはそれとは真反対にあるバカで」
俺と同じ言霊の世界の対極で生まれ育ったはずの倭代は、しかし言霊の力を最大限に利用することのできる女だったらしい。
「あなたのバカは、他人を守ることのできる"すごい"って意味のバカ」
その瞬間、バカと言う単語の中に渦巻いていたはずのドス黒い悪意を持った何かが突然雲散霧消した気がした。
「だから、そんなバカなあなただから私は欲しいのよ」
これが――"言霊の力"、なのか…?
「でも俺、白彦様と日女巫女様のどっちかしか助けられなくなったら絶対白彦様選んで日女巫女様は選べそうにねーっすから…」
「それでいいのよ。私のことは赤金が守ってくれるんだからあなたは何の心配もしなくて大丈夫」
「――オイ。当人に何の断りもなく前提条件かよ」
ムカ、と言う感情を隠そうともせずに唸るように忌々し気に苦言を呈した赤金のことなんか、当然だが倭代は聞いちゃいない。…かわいそうに…赤金、お前も俺主催・ワンマン女王被害者の会に入れてやるぞ。俺と一緒にいつかこの暴君に一矢報いてやろうぜ。
なんてこっちの気持ちなんか考えたこともないんだろう倭代は、しかし。
「あなたには全力で白彦を守ってもらいたいの」
「。」
…。
「――え…?」
倭代、お前一体何を――…
「日女巫女と白彦は一蓮托生。日女巫女の協力なくして白彦が存在しえないように、日女巫女も白彦の協力なくしてはありえないの」
――倭代――…お前はそこまで俺を信頼してくれていたのか…?
「あなたが白彦を守ると言うことは、同時に私を守ることになる」
言われてみれば、俺は知らなかったこととは言え倭代は最初から、見ず知らずにも等しい伊槻にも躊躇うことなく名前を明かした女だ。俺はともかく専門分野である倭代はこの世界の決まり事である言霊のことは理解していたはずなのに。
それはつまり、あの時から倭代は既に俺を信頼して人生を預けていてくれたと言う意味なんじゃないのか?
なんて思ったらなんだか胸が熱くなって来た。何で倭代はそんなに簡単に赤の他人を信じられるのだろうか――倭代だって、突然こんなことになってたったひとりで悩んでいたはずなのに。それどころじゃなかったはずなのに。
「だからウド、彼を守って。それが私があなたに名前をあげる唯一の条件」
「それは―― 日女巫女様に頼まれなくても俺は俺の意思で決めたコトっすし…」
「じゃあ、契約成立ね♪」
何で倭代はこんなに強くいられるんだろう? なぜ倭代は迷わずにいられるのか…こんなめちゃくちゃな事態に巻き込まれた倭代だって被害者なのに。
女ってのは本当に強いんだなと、改めて思い知らされる。種さえ蒔けばお役御免のオスとは本質的に強さの違う生き物なのかもしれない。
だけど。
「って言うか、何しろあの身体だからねぇ…ほっといてもぶっ倒れそうなほどひょろひょろなのに、性格まですぐ自分から自滅方向に突き進んでくからウドみたいなボディガードがホント欲しかったのよ~」
「…オイ。」
人が見直してやろうと思った瞬間それか! って赤金っ、何クツクツ笑ってるんだ、お前まで!!
「ウドなら死んでも死なせないでくれるでしょ?」
「もちろんっす!!!!!」
「…。」
死んでも死なせないって――…それ一歩間違うと完全にただの拷問の話だからな、オイ?!




