野焼き?!
正直な話、俺だって蒸留器なんてものを実際にマジマジと見たことはないが、その原理だけはわかっている。要は過熱して気化したアルコールを冷たい水で冷やして液体に戻して取り出すだけだ。
よって、下から原液を沸かす沸騰槽と、気化したアルコールを溜める蒸留槽、そしてその気体を冷やすための冷却水を入れる冷却槽のみっつの土器を重ねる必要がある。
「なるほど。これで一体何してーのかは知らねーが、作りてーモンはわかった」
ここに来る前に色々と理論を捏ね繰り回して板切れに描いて来た図面を見せながら説明すると、原理はともかく赤金は驚くほどあっさりと作りたいものの形だけは理解できたらしい。あの過酷なイカ刺し生活を続けたおかげでインクがあって本当に良かった。原理はわかっていてもいざその形を描くとなると案外想像通りには行かないもので、一体何度この板を削って描き直す羽目になったことか…ここまですんなり説明できたのは、前もって散々理屈を尽くしてプレゼンの練習をして来たからに他ならない。何だかんだ何事も、入念な準備が成功の鍵のほとんどを占めてるもんだ。
しかしそれにしても百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、モノを描く、と言うのは伝達手段としては本当に手っ取り早く、かつ誤解も少ない非常に知的な能力だと感心させられた。むしろ、原始的なレベルのみとは言えメモもなしで何万年も文化を継承して来たそれまでの人類の記憶力と伝達能力の方に感動さえ覚える。最近はスマフォの普及で若年性認知症が激増して社会問題になっているが、メモと言う文化があるだけで一体脳はどれだけ楽できるのか…改めて思い知らされることばかりだ。
「どう? 作れそう?」
「誰に言ってんだ、てめーは」
「あはははは。さっすが赤金サマ♪」
説明の方はすっかり俺任せだったくせに、こう言う茶々だけはちゃっかり入れて来る倭代に改めてぐったり感は否めないが、半面俺の隣で俺の説明を必死に理解しようと頑張っていたウドのただただ純粋無垢な尊敬のまなざしは気分の悪いものでこそなかったが、
何だかさっぱりわかんねーけど、白彦様、とにかくすげえ。
とばかりに全身から溢れ出るその真っ直ぐな感情は気恥ずかしくもなって来る。
「ところでちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ふと、説明の仕事をこっちに押し付けてさっきまでひとりであちこちブラブラ物色していた倭代が、蒸留器の説明が一区切り付いたのを確認して話題転換を試みた。
「外の焼き窯のことなんだけど」
…焼き窯?
「あれ、あなたが考えて作ったの?」
一体何を言い出すのかと思っていたら…バカバカしい。土器があるんだから焼き窯だってこの時代にも既にあるに決まってる。何かもっと高度な計算技術の求められる饅頭窯や連房式登窯だとか言うならいざ知らず、あの程度のピザ焼き用みたいな単純な窯で「考えて作った」も何も…
と思ったのは俺の思い違いだったらしい。
「ああ。煮炊き用の竈だと熱くなるから、それで土器を焼いたらどうなるのかと思ってな」
「。」
…。
――え…?
待て待て待て待て。それってつまり、縄文土器はもちろんのこと弥生土器も実は窯で焼いてたわけじゃないってことか? じゃあどうやって焼いてたんだ、この時代?!
焼物は当然窯で焼く、そんな先入観に完全に捕らわれていたが、考えてみれば弥生時代はともかくとして縄文時代は狩猟採集生活が基本で一部の大集落みたいな例外を除いて根本的に定住はしていないことになっている。と言うことは窯なんて持ち歩けないものをわざわざ使っていたはずがないわけで…え? 土器って窯がなくても焼けるもんなのか?
知らなかった…。
たり――――――――ん…。
知らないって、恐ろしいな…俺が何の疑問も持たずに見ていたものを、倭代はそんな衝撃を持って見ていたのか…道理でウロウロ落ち着かなかったわけだ。倭代の目にはこの旧石器時代ばりの穴居住居にあの文明的な窯はただただひたすら異様な光景に映ったんだろう。
「お、オイ、倭代…」
「ん?」
あまりにも衝撃的過ぎて、なんか予想外の話で盛り上がってる倭代と赤金の間に割り込んでしまった。
「(土器って窯で焼くんじゃなかったのか?)」
「(何言ってんの、野焼きに決まってるでしょ)」
「(野焼き?!)」
って、まさか焼き畑とかの…単純に燃えやすい枯草積んで火を点けるだけのアレか?!
「(弥生時代になればその上から土盛ってそれなりに温度が逃げない工夫もしてたみたいだけど、基本的には縄文土器と同じで形にして乾かしたモノをちょっと地面掘っただけの焼成坑って穴に入れて藁載せて火を点けてただけよ。窯で焼く技術が登場するのは古墳時代に入ってから)」
「(…マジかよ…)」
待て待て待て待て。それじゃカトルボーンを焼いて消石灰を作ろうとしていた俺は一体どうなる。枯草燃やしただけじゃどう頑張ったって800℃にはとてもじゃないが届かないぞ?
「(だから驚いてはいたのよ、まだ弥生時代のはずなのになぜか王宮には窯で焼かなきゃ作れない須恵器があったから…)」
倭代は――わかってたんだ、少なくともこの国には時代の最先端を行く突出した焼物師が確実に存在していることを。それでわざわざ「腕のいい職人」なんてカマをかけて白金達の口からソイツの存在を炙り出そうとした。
「(まあ、弥生時代ったって後数十年もすれば古墳時代に突入する転換期だし、中国や朝鮮半島にはとっくに龍窯って登り窯があるんだから、そろそろ古墳時代の技術が混在しててもおかしくはないんだけどね。その技術が文化的に広まるまでにはまだまだ時間もかかるだろうし)」
そうだ。
「(でも私はてっきり渡来人技術者がいるのかと思ってたのに、まさかそれを自力で思い付いてただなんて――…すごすぎない?)」
理論を知ってる俺達未来人からすれば陶器を窯で焼くなんてのは当然すぎて何ら特筆すべき技術でもないが、そう言う発想がそもそもない時代に土器を焼くために焼き窯を作ろうなんて発想が出ること自体が既に奇跡に等しい。
倭代だって言っていたじゃないか。
『 実現できる可能性が100%だとわかってるゴールを目指すだけなら、できるかどうかもわからないものをゼロから考え出すよりはよっぽど簡単なはず 』
そう。俺達がやっているのはあくまでも先にゴールがあって、それに向かって進むべきことを試行錯誤しているだけだ。つまり、いくら失敗してもその失敗の原因を考えるのに「どこがゴールと違っていたか」と言う考え方をするだけで済む。
だが、そもそもゴールの可能性があることさえ知らないこの時代の人間にとっては失敗はその挑戦が最初からただの不可能だったと言うことを意味している場合だって多分にあるわけで。ゴールの見えないまま、それでも挑戦し続けるのは時として心も折れるし成功するかどうかに付いて何の保証もないからその心的ストレスや経済的、時間的プレッシャーも相当なもののはずだ。
なのに、赤金はそれでも挑戦し続けて「窯焼き」と言う、日本人がこれまで考えもしなかったまったく新しい技術を自分の脳細胞だけで生み出したんだ。知識や技術は口伝えで伝えるしかないこの世界の、化学知識どころか文字も数学もメモを取ると言う技術さえないこの時代に。
つまり。
「――この人、間違いなくものすごい天才よ」




