ここはどこだ?!
目が覚めた時、俺はただの高さのある板の枠としか表現のしようのない簡素なベッドに藁を敷き詰め、上に毛皮一枚敷いただけの場所に寝かされていた。
なんでこんなとこで寝てるんだ、俺? としばし考えようとして――思い出した。
そうだ。足場の崩落事故で穴に落ちて――…岩かなんかで塞がれた妙な場所で気が付いた後すぐ、誰かに助け出されたんだったっけ? でも外から差し込んで来た光があんまりまぶしくて目が眩んで、そのまま脳がショートして気を失ったんだ。
思い出そうとすると人間なんでわざわざ額を手で押さえようとするんだろうな? 反射的に頭にやった手に何気なく視線が走り、ぎょっとした。
「え…?」
何だ、これ…なんでこんなガリガリに痩せ細ってるんだ、俺の腕?
そりゃまあ筋肉隆々な方じゃ間違ってもないが、真っ白に蒼褪めてるせいもあるんだろうが、それにしたってなんだってこんなに骨と皮だけみたいな状態になってるんだ。いくら何でもこんなに細いはずが――…
と思い、よくよく見ようとして更に愕然となった。
違う。これは俺の手じゃない。
いや、確かに俺の思い通りに動く俺の腕なわけだが、実際には痩せ細ってるとかそう言う次元の細さじゃなかった。明らかに黄色人種の色じゃない抜けるような白い肌の色は慣れ親しんだはずの自分のものとは似ても似つかない白人のもので、しかも――そこに繋がる手はどこをどう見ても子供のものだったのだ。
何だ? 一体何が起こった?
わけがわからない。頭打った後遺症でありえない幻覚でも見てるのか、俺は? それとも後天性の不思議の国のアリス症候群で認知機能がバグってるとか?
いや、現実的に考えてそんなことあり得るはずがない。夢だ。そうだ、俺は夢を見てるんだ。起きた夢を見てるだけで現実にはまだ眠ってるんだ。そうだ、そうに違いない。
何だ、夢か。だよな。いくらなんでもこんなことあり得るはずがない。そうだ、夢だ。夢ならもう一度ゆっくり眠ればいい。次に目覚めた時には万事解決、目覚めた時にはきっと搬送された病院のベッドの上かどこかで、「なんだ、やっぱり夢だったんだ」で終わりさ。
そう思おうと再び瞼を閉じようとして、
「気が付かれましたか、白彦様?」
「。」
誰かが傍にいた。言葉遣いはやけに礼儀正しいが、音だけ聞けば明らかに幼い少女の声だ。
ってかそれより。
「――白、彦…?」
状況から考えて明らかにその人物が指しているその名は俺のことだろう。だが、俺の名前はそんなんじゃない。なのになんでそんな名前で呼ばれてるんだ、俺は?
わけがわからないでいる俺のことなんかお構いもせず、声の主はパタパタと近付いて来て俺の顔を覗き込んだ。その顔は思った通り、10歳にも満たないであろう幼女のものだった。まったく見覚えはないが、あっちは真剣に心配してくれていたのがありありとわかる表情で、その子は真っ黒な長いストレートヘアの印象的な、見たこともない風変わりな和装らしきものを纏った日本人形みたいな少女だった。
七五三帰りか? いや、最近は色々と伝統行事も含めて以前では考えられなかったような形に変わって来てるのは知ってるが、それにしたってずいぶんと変わった服装だ。
「お目覚めになられたのですね。良かった…今何か食べるものをお持ちします」
「え? あ、ちょっと…っ」
誰だかは知らないが、その少女は心底ほっとしたようにほころぶような笑顔を浮かべ、そう言うが早いが混乱する俺のことなどお構いもせずパタパタと慌ただしく食べ物を取りに行ってしまった。
…マジかよ…。
誰か誰でもいいから一体何がどうなってるのかわかるように説明してくれ。一体ここはどこで彼女は誰なんだ? っつか、そもそも俺の身に一体何が起こった?
思い出せるのは穴に落ちて、どこかわからない場所で気が付いて、そして――…
「あのコスプレ女!」
そうだ、あの時俺の傍にはもうひとり誰かがいた。平時であればあまり関わり合いになりたいとは思えない、見るからに俺とは住んでいる世界の180度違いそうないで立ちの女だったが、今はそんなことを言っていられる状況じゃない。状況から考えて唯一事情を理解していそうなあの女――…あいつは一体どこへ消えた?
反射的に周辺で探そうと起き上がりかけて、
くら…っ
「ヤバ…っ」
低血糖だ…早く、なんか喰わないと…っ
職業柄食事を取り損ねることは多く、仕事中、手が離せない時の一時しのぎのカロリー補給用に習慣で常にポケットに忍ばせてあるはずの小さなクッキーやらチョコ片やらを口に放り込もうとして胸ポケットに手を伸ばしたものの、しかしそこにあるはずのポケットは感触さえなく指先はするりと滑らかなシルクの感触に流されて落ちた。
意識こそ失わなかったものの、一瞬真っ暗になった次の瞬間、ああ、またベッドに倒れたのか、俺…情けない。
おそらく俺の想像以上に長い時間、俺はあの穴の中に閉じ込められていたんだろう。意識がなかったから気付かなかったが、冷静になってみると異常に腹も減ってる。何食抜いたのかは知らないが、今はとにかく何か喰わないとマジで倒れる。っつか、既に倒れてる。
状況確認どころじゃなかった。とにかく今は安静にして無駄なカロリー消費は抑えるべきだろう。寝てみればそれなりに快適な干し草のベッドに仰向けに横たわり、見も知らない質素なログハウスの天井を眺めていると、少しずつだが冷静に物事を考えられる余裕も出て来た。
ここがどこだかはわからないが、俺はどうやらかなり特殊な場所にいるらしい。
何が特殊かって、なぜこんなことになってるのかはわからないが、このログハウスにはどうやら電気が来ていないらしいってことだ。今時キャンプ場だってログハウスレベルのグランピングにもなればスマフォ充電用とかでコンセントのひとつやふたつ付いていて当然だが、この部屋には天井どころかフロアライトのひとつも見当たらなければコンセントもなさそうだ。と言うか、そもそもどこをどう見ても電気を使用した器具が何ひとつ見当たらない。
レトロぶっていると言うはあまりにも質素なんだか豪華なんだか実に微妙な陶器の壺や木製の長持ち、衝立てなんかがお飾り程度にあるだけで、普通ならありそうなソファもなければ窓ガラスさえなく、春らしい心地のよい風は筒抜けの穴から入って来放題になっていた。本来窓があるべき所には生成り色のシルクのカーテンがかけられ、その薄布越しに差し込んで来る光は弱々しく目には優しい。
板張りの床にラグはなく、鹿か何かの毛皮がそのまま置いてある程度。自分の寝てるベッドだってどこまで自然に拘ったか知らないが竹を編んでなんとかクッション性を出してる程度で…普通ならマットレスくらいは置いてるもんじゃないのか、こう言う設備の場合?
っつか!
普通病人グランピングに連れて来るか?! あの状況で助け出されたならまずは検査も必要だし、誰がどう考えたって設備の整った病院に搬送されてしかるべきだろう。なのに俺は一体なんだってこんな場所にいるんだ!
わけがわからない。
普通に考えてあるべき場所に自分がいない。そもそもこの身体は何だ? 部屋の中に鏡がないから客観的に見ることはできないが、それでも視界に映る限りどう見てもこれは子供の身体だ。それも、この肌の白さから考えて白人のそれだ。純粋日本人の俺にはありえない血の気の引いたような白い肌。
―― いや。
ふと、耳元から垂れる自分の髪が視界に入ってその判断の過ちに気が付いた。
白人じゃない。白人どころか――アルビノだ。揉み上げから長く垂れるその髪はメラニン色素を一切持たない、いわゆる白髪そのもの。身体が縮んだ事実を先に認識していなければ自分が意識を失ってる間に浦島太郎よろしく一気に年取って総白髪になったのかと思い込んでも不思議のない髪の状態になっていたのだ。
だが、この身体がアルビノになっていると考えれば説明の付くことがひとつだけある。
あの、洞穴の穴が開かれて光が差し込んで来た時なぜ俺は光に意識を失うほどの衝撃を受けたのか。当たり前だ。アルビノは虹彩にもメラニン色素を持たない。それは光に対する感受性が高いことを意味する。通常の人間にはなんでもないレベルの光も、メラニン色素と言う言わばサングラスを先天的に持ち合わせていないアルビノにとっては強烈な刺激となる。メラニン色素の多い黄色人種や黒人と比べて先天的にメラニン色素の少ない白人が日差しの強い日、日中屋外でサングラスをかけているのはファッションどうこう以前の問題として第一にそう言う理由から来ている。
真っ暗な暗闇に慣れたアルビノの目に、突然飛び込んで来た外の陽光がフラッシュやサーチライトのようにまぶしすぎると感じたのは当然の流れだ。考えてみればあの、どこから漏れて来てるのかもわからないほど僅かな隙間から差し込んで来る光しか感知できなかったあの暗闇の中、こちらはあのコスプレ女を目視できていたのにあっちからはまったく見えていなかった。普通に考えれば白い俺の姿の方がまだ見えて当然のはずだが、実際には逆だったのはこの目がメラニン色素と言うサングラスをかけていない分暗闇の中での視覚には優れていたからだ。
だが、なぜだ? ごくごく普通の黄色人種の成人男性のはずの俺の身体がなぜいきなりアルビノの子供になってるんだ?
わけがわからない。
マンガなんかでよくある人格入れ替わりとかそう言う奴か? バカな、マンガじゃあるまいし。
大体この身体は誰のものなんだ? アルビノの子供に知り合いなんかいないぞ?
一体ここはどこで、俺の身体に一体何が起こったんだ?