愚か者の幸福
「それで俺…」
あまりに純粋無垢なモノを見ると大抵の人間は後ろ暗い気分になるものだ。自分がどれだけ薄汚れた存在なのかを思い知らされて、相手に悪意がないのは百も承知の上でもその存在自体が既に疎ましくなる。
ウドは、正にそんな男だった。
「俺はバカだし何の取り柄もないけど」
本人の言うとおり、それは底抜けのバカを意味していると言ってもいいのかもしれない。バカみたいに優しくてバカみたいに正直な奴は、残念ながら社会の中では汚い連中にいいように搾取されるだけだ。社会と言うのは一般に善人と言われるひと達に対して極端に冷たい。頑張って頑張って懸命に働いている真面目な人達より、そんな真面目な善人を騙して人の不幸に便乗する犯罪者の方がよっぽど裕福で幸せな一生を送れたりする。
きっとウドみたいなのは、ずっとバカ扱いされていいように使われ続けて来たんだろう。そしてきっと、これからもずっと死ぬまでバカにされて搾取され続ける人生しか待っていないのかもしれない。
「俺…だから俺、白彦様のためならどんな仕事でもやろうって決めたっす」
「。」
…。
「――――――――は?」
頭の中でグルグル回っていたネガティブ回路がいきなり一刀両断にされて砕け散った。
…て、なんだって?
「ウド…?」
「何でもやるっす! どんな汚い仕事でもどんなキツい仕事でもどんな危険な仕事でも、俺ホントに何でもやるっす!」
この時代に3Kって概念が既にあるとは思わなかった―― じゃなくてだな!
「俺、バカだけどその分体力と根性だけは人一倍あるんで!」
「待て待て待て待て!」
何がどうしてそうなった?!
「婆ちゃんすげー白彦様に感謝してて、でも俺達みたいなのは働くことでしか白彦様には恩返しなんてできねーんだから一生懸命働けって…っ」
いやいやいやいや、それはあくまでも「日常生活の仕事を頑張れ」って意味であって、それ多分、っつか絶対俺個人に仕えろとかそう言う意味じゃないと思うぞ?!
ウドが周囲からバカ扱いされる理由がわかった気がする…思い込んだら一直線。本人は人のためになることが自分のすべてだと本気で信じてるんだ。
「結局あれが婆ちゃんの遺言になっちまったし、だから俺、この命白彦様のためだったらいつだって投げ出す覚悟決めたっす!」
「待ってくれ!!」
その瞬間、叫んでいた。
命を投げ出す覚悟? そんなものはいらない。這いずってでも生きていて欲しい、それがほとんどの医者の望むすべてだ。もちろん今の時流として医療にも人生の充実度が重視されてるのは知ってる。だが、だからってQOLが叶えられないからって死んだ方がいい、なんて考える医者なんか絶対にいない。QOLはあくまでも命を助けられる大前提があって初めて選択肢として挙げられる程度の優先順位でしかない。命を助けることが医者にとってはまず第一の使命なんだ。
「白彦様…?」
だけど自分の誠意を精一杯伝えただけだと思っていたんだろうウドは、俺の悲鳴のような怒声に興奮気味だった状態に一気に水を差されてきょとんとなるだけだった。こんな俺の反応はきっと予想もしてなかったんだろう。
だけど。
「命は大切にしてくれ。俺に感謝の気持ちが少しでもあるならウドがお祖母さんの分も長生きすること、それが俺にとっては一番の恩返しだ」
俺は彼女を助けられなかった。だけど、まだ生きてる命なら助けることもできるかもしれない。
目の前で、もうあんな思いはしたくない。
いつどこの誰であっても結局俺は、骨の髄まで医者なんだ。
ところが。
「え…でもそれはさすがにムリっす」
「。」
…。
「――へ?」
あっさりと、あまりにもあっけらかんと言われて目が点になった。
「いやー、婆ちゃんすげー長生きだったから。婆ちゃんより長生きとかそれ、ハッキリ言ってもはやバケモンっつか」
「化け物って…」
彼女がどれだけ長生きだったか知らないが、敬愛する祖母に対してお前、いくらなんでもそこまで言うか?
だが。
「だって俺、婆ちゃんにとっちゃ玄孫みてーなもんだし」
「玄孫?!」
って、孫の孫?! いくら平均出産年齢が低かった時代っつったって、一体何歳だったんだよ、あの婆さん?!
「婆ちゃんすげー長生きだったから直系だけでも親族60人くらいいるし、村の人気者でもあったからあの晩の宴もほとんど村中の連中が集まったって感じで…」
「…。」
――なんか、別の意味で俺のやらかしたことがあれだけの大問題になってた理由が分かった気がする…詳細に付いては何にも聞いてないが、一体どれだけの経費がかかったんだろう…。
あの時は単純な思い付きで深く考えもせずに言ってしまったことだったが、今冷静に考えるとひょっとして自分が何かとてつもないことをしでかしたのではないかと冷や汗が出て来た。直系だけで60人…そこに婚族、友人まで集まったとすれば、呼ばれた人間全員が揃わなかったとしても普通に考えて100人は下らないだろう。飲み会どころか文字通りのお祭り騒ぎだ。
しかも、それだけの人数が飲み食い騒いでれば無関係な人間だって何かと思って寄って来るだろうし、それだけの数の人間が誰でもただ飲みただ喰いし放題…。
たりーん…。
想像するだけでもそれがとてつもない事態だったことがひしひしと迫って来た。それでなくても娯楽なんか大してないこの時代のことだ、電気もないから夜間赤々と火が灯っていればそれは遠目にもとんでもなく目立つだろうし、ただ飯目当てに集まって来ただけの人の数だってそれなりだろう。
そんな、自分達の知らないところで突然開かれた集落単位のバカ騒ぎに彼らを支配している立場の権力者達からすればメンツを潰されたと感じても何の不思議もない。意図せずにやったこととは言え、彼等からしてみれば結果的にひとりでそのパトロンになったことになる俺が民衆の人気取りを勝手に始めたと勘ぐられても何の否定もできない程度には充分な緊急事態だ。
あくまでも核家族化世代の常識の中だけで生きてたんだな、俺って。集まってもせいぜい10人20人程度としか想像もしていなかったのに、まさかの三桁…それは普通に大問題にもなって当然だ。
「ホントに婆ちゃん幸せそうだったんです」
「。」
そこへ響いた柔らかい、幸せそうなウドの声に我に返った。
きっと純粋で真っ直ぐな彼にとって祖母の幸せは自分の幸せも同然なんだろう。あのお婆さんが幸せそうだったこと自体がウド自身を本当に幸せに感じさせてるに違いない。
それは俺にも身に覚えのあること。
『先生、ありがとう』
自分の患者が回復して本当に幸せそうに笑う時、俺はどんな時よりも何よりも幸せだと感じていた。患者が生きていて幸せだと感じること自体が俺を最も幸福にしてくれていた。
「だから俺、婆ちゃんの分も白彦様のために働きます」
傍から見ればただのバカかもしれない。
それでも、ただ搾取されるだけの人生だったとしても、他人の幸せを自分の幸せとして感じられる人間はきっと自分自身の幸せにしか幸福を感じられない人間よりずっとたくさんの幸せを享受できる人生を全うできるのかもしれない。
『 運命は変えられない。だったら最期に「いい人生だった」と自分が納得できる一生を送れたひとが勝ちなんじゃないの? 』
彼女は結局死ぬしかなかった。この状況下では助けることなんか最初から出来っこなかった。
でもそれでも最期に幸せだと、いい人生だったと彼女が納得して逝くことができたのだとしたら。
「婆ちゃんの寿命の最後にあんな幸せな時間をくれた白彦様に返せる御恩なんて、俺にはこの身体くらいしかないから」
俺は――…医者としてあのお婆さんのQuality Of Life(QOL)の役に立つことだけはできたのかもしれない。




