ウド
正直、王宮を出たまでは良かったがその後さて一体どっちの方向へ向かうべきか見当も付かない。楼閣から一望できる限りにおいては黄色の花畑なんてまったく見えなかったから、恐らく見付かったとしてもそれなりの距離を移動しなければならないことだけは確実だ。この脚力だとどうせ長距離移動なんかできないんだから貴重な体力も使うだけ無駄だし、何は措いてもまずは情報収集と言うのがセオリーだろう。
とは言え、身分の壁と言う奴は俺の想像以上に高かった。
話を聞こうにも目どころかまず顔も合わせて貰えない。彼らからしてみれば単純に恐れ多いなんて感情であって悪気などかけらもない、それどころかむしろ誠意の現れなのかもしれないが、正直な話ここまで徹底して避けられるとこっちもさすがに傷付くってなもんで。
何か取っ掛かりさえあれば少しは現状の打開もできるのかもしれないが、生憎のこの外見では正体もバレバレで隠しようもないし、正直お手上げだ。倭代の奴もホントにこの国をどうこうする気があるならまずはこの絶対的な身分社会からどうにかしてくれよ…これじゃホントに何もできないじゃないか。頼まれてる虹彩検査だって全然進みやしないし。
なんてげっそり気分で落ち込みかけたその時だった。
「…っ」
畔の傾斜まで身を引き、地面に額をこすり付けんばかりに平服していた若い男が突然、意を決したように勢いよく上半身を跳ね上げ、顔をこちらに向けたのが見えた。
瞬間的に襲われるのかと警戒した脳が反射で腰に差した剣に手を伸ばしていたが、外に出るなら持って行けと強制的に持たされた時も、歩いている時の邪魔さ加減でもその重さだけは思い知らされてはいたものの、お、重い…鉄剣の想像以上の重さに改めて白彦のモヤシっぷりを思い知らされる羽目になった。
「白彦様?!」
突然の敵襲にスズの悲鳴が響いたが、いや、マジ無理だって。重すぎてまず抜けないし! マジで持ってる意味全然ないだろ、これ!!
スズを守るどころか自分の身さえ守れない。仮に抜けたとしてもこんな重いもん振りまわせるような腕力はこのヒョロっちい腕には間違いなくない。鉄ってのがこんなに重いものだなんて、ステンレスだのアルミだのに囲まれて生きて来たこれまでの人生ではマトモに学ぶ機会もなかったんだなと今更ながらに思い知らされた。
一方男の方はと言うと這いずるようにして俺の前に飛び出て来て、完全に俺の進路妨害になる場所を位置取る形になってしまったせいで周囲にどよめきが走ったのが聞こえた。
そもそもにして仮に剣が抜けたとしても所詮はこの体格差だ、本気で襲われたらひとたまりもないのはこっちだと言うのは誰の目にも明らか。武器なんか持ってたって抜けないんじゃむしろ百害あって一利なし。逃げるのに邪魔になるだけでも迷惑千万なのに、奪われたりなんかした日には目も当てられない。
だからいらないって言ったのに…っ、あれだけ拒否したのに!!!
下手に身分制度なんかあるから何もしてないのに他人の恨みを買う羽目になるんだ! 倭代の奴! マジでこの国をどうこうする気があるならまずはこの絶望的な身分社会の方からどうにかしろよ!!
ところがだった。
良く見ると男の顔には見覚えがあった。
そうだ、あの時の ―― 間違いない。あの、TIAを起こした老婆に寄り添っていた孝行孫じゃないか。
でも、その彼がいきなり現れた理由がわからない。祖母を助けられなかった俺を恨んでお礼参りにでも来たのか。
なんてネガティブ街道まっしぐらな思考回路に陥りかけたその時だった。突然男が俺の前に跪いて、
「白彦様…俺…っ、俺! どうしても白彦様に礼が言いたくて…!」
ってやっぱりお礼参りかよ!
「。」
…。
いや、待て。
「――へ?」
それでなくても威圧感のある巨体であまりにすごい剣幕で正面に飛び込んで来られたせいで反射的に「襲われた」とばかり思い込んでしまったが、なんか今、本能的に想像の外に追い出されていた単語を聞いた気がしたんだが――…何だって?
「俺バカだからどうすればいいのか全然わっかんねーんすけど、でもどうしても俺、白彦様に直接礼が言いたくて…っ」
「…。」
――えーと…
「…お礼?」
お礼参りじゃなくて?
俺、こいつに何かしてやったっけ?
まったく身に覚えがない。ただ、俺の勝手な自己満足に付き合わせただけって言うか…まあ、そのせいで首が飛びかけたのは事実だけどあれは単に自業自得と言うか、正直何もかもどうでもいいって気に俺が勝手になってただけだし。
と、ともかく。
「何でもいいからとりあえず立ってくれ」
そんな、所構わず地べたに膝なんか突くから服も手も顔まで泥だらけじゃないか。毎日風呂に入れるわけでも舗装された道路なわけでもないのに、単純にこれがこの時代では当たり前の常識的行動なのかもしれないが、衛生感覚的にもこの習慣は医者として看過しがたい。
だが、ここでは権力者を前に立ち上がるなんてのがそもそも非常識な行為らしく、男はなかなか膝を上げようとしない。まあ、この状態で立ち上がったら身長差から100%確実に白彦を見下ろすことになるからな、それはこの絶対的な格差社会の中では例え不可抗力でも許されることではないんだろう。
参った。
この時代の普通の権力者ならこのままこいつを無視して立ち去るところなんだろうが、いや、周囲から漂って来るやたら緊迫した空気感からすると下手すりゃこの場で打ち首にするくらいの状況なのかもしれないが、生憎そう言う感覚は俺にはない。それどころか何とかこの場を収めて、あわよくばこのチャンスに乗じて彼からなら何か情報も聞き出せるかもしれないなんて期待すらも抱いていた。
「――名前、聞いてもいいか?」
「。」
突然予想外のことを言われたとでも思ったんだろう、驚いて顔を上げた男は慌てて頭を下げて、
「あの…ウド、です…俺、ムダにデカいから…」
「ウド…」
って、つまり独活のことか…。
何と言うか、この時代のネーミングセンスってマジ理解不能なんだよな…そりゃまあ教育なんて概念のそもそもないこの時代、親の知識レベルにも限度はあるし、そもそも名付けなんてそんなに色々考えてやるもんじゃないのかもしれないが、それにしたって独活って――…いや。
「独活は一本でも折れたりせず真っ直ぐに大きくなる植物だぞ。いい名前じゃないか」
薬学は専門外だからよくは知らないが、確か独活葛根湯なんて漢方薬も名前だけなら聞いたことがあったような気もする。それはつまり、昔から独活は薬として重宝されて来たってことのはずだ。だったらこの時代、独活が必ずしもネガティブな印象だけの単語とは限らないだろう。
そんなつもりで言った言葉に男は驚いたような顔を上げたが、はたとその行為の不敬さに気付いてか慌ててまた顔を伏せた。
こうやって改めて良く見ると、体格が立派だからなんとなく20歳くらいかと思っていたが、表情の幼さなんかもあって実はもうちょっと若いんじゃないかと言う気もして来た。いや、これは確実に若いだろ。せいぜい中学生くらいなんじゃないか、こいつ? 言動もやたら子供っぽいし。
「婆ちゃんもそう言ってました。俺が健康にでっかくなるようにって…」
「お婆さん…そう言えばお祖母さんは元気かい?」
別にふたりがいつも一緒にいるとは限らないが、そう言えば彼女の姿がない。今日は別行動なんだろうか。
なんて本当に何気ないつもりで訊いただけだったんだ。
なのに。
「――婆ちゃんは死にました」
「。」
…。
「――…え?」
瞬間的に思考が強制停止した。その先の言葉を想像もしたくないと言うブレーキが耳障りな騒音を立てて思考の輪に爪を立てる。
そんな俺の耳に、容赦のないウドの言葉が突き刺さる。
「白彦様が開いてくれた宴の翌朝、婆ちゃん珍しく朝寝坊してたから起こそうとしたんだけどもう息してなくて」
―― 何もできなかった。
この時代の医療技術ではどうにもならない。あの状況で例え俺が救おうと必死になったところでこの環境下じゃできることなんか何もなかった。
そんなことはわかってる。わかってるけど、でも―― 何もできなかったことが悔しかった。直接的には何もできなくても、それでも何かこの状況でも俺にできることはあったんじゃないか。そんな後悔が次々に押し寄せて来て呆然となった俺を心配そうにスズが見てる。なのに、こんな幼気な少女に心配をかけて俺は一体何をやってるんだ。
そんな情けなさでいっぱいになりかけた俺の中に、予想もしなかったウドの言葉が流れ込んで来た。
「婆ちゃん、すげーいい死に顔でした」
「。」
…。
「――え…?」
ウドは笑っていた。
「宴の最中にいきなり高いびき掻き始めた時はびっくりしたけど、すげー幸せそうな顔して寝てて、朝もその顔のまま死んでたんです」
それは違う。脳梗塞で意識障害を起こすと舌根が沈んで気道を塞ぐから呼吸が鼾に聞こえただけだ。明白な脳梗塞の初期症状だ。
「婆ちゃんすげー家族大事にする人だったから、死ぬ前にあんな風に家族みんなで集まれて、家族みんなにあんなうまいもん腹一杯喰わせてやれて、すげー嬉しかったんだと思います」
違うんだ、そうじゃない。彼女はその時、気持ち良く寝てたわけじゃない。
「白彦様のおかげだって、婆ちゃん宴の間中何度も何度も繰り返してて…」
ただ単に脳に血が回らず、意識不明の状態に陥ってただけなんだ。
「だから俺、婆ちゃんが言えなかった礼だけは絶対俺が白彦様に伝えなきゃってあれからずっと心に決めてて…」
違う。そんな状態の病人を、わかってて俺は何もせずただ見捨てたんだ。
「言えて良かったです。死ぬ前にあんな楽しい時間を婆ちゃんなんかにくれて、ほんとにありがとうございました!」
俺は何もせず、ただ見捨てただけなんだ…!




