正解
まったく! 一体誰のせいでこの目には苦痛でしかない日差し燦々の中出かけなきゃいけなくなったと思ってるんだ! はっきり言ってサングラスなしじゃ拷問なんだぞ、拷問!
とまあ、イライラはするものの、それでも久々の外の空気はやっぱり気持ちが良かった。まだ化学物質で汚染されていない空気の味も格別だ。――まあ、時折流れて来る有機農法と言うか、自然ならではの特有の堆肥臭には笑うしかなかったが…そう言えば宮殿内は超原始的とは言え一応水洗だから妥協の範囲内だが、一般人のトイレ事情はどうなってるんだろうか。
医者と言う職業病のせいで衛生面の方にばかり注意が向くのは俺のもはやどうにもならない習性と言う奴だが、最低限の衛生条件だけは整っていることを祈りたい。蛇口をひねれば水の出る水道なんて便利なものはないし、毎日入浴する習慣だってなさげだし、そこそこ密集状況にはあるようだからこんな衛生状態で感染症でも流行れば一発アウトだ。こんな時代じゃまともな医療もないだろうし、きっと感染症で片っ端からバタバタ倒れてもやるのは神頼みだけなんてのが目に見えて来るから頭が痛い。
なんて思いながらさて、どうやって情報を集めるか。
女王御大が直接出張って来るよりはマシなんだろうなとは言え、実際外に出てみると白彦は上質なシルク素材の服はもとよりその髪の色だけでも正体がバレバレだから、進行方向にいた人達は姿を見るなり慌ててひれ伏して俺とは目も合わせないようにする始末だ。
これが古代の身分制度って奴なんだろうが、これじゃ情報集めもへったくれもあったもんじゃない。もっと気楽に話ができるのを期待したんだが、それでなくても遮光器のせいで充分怪しまれてもむりもない状態だってのに、これじゃ取り付く島もないじゃないか。
ふと、そんな中で視線の結構向こう側、ここから歩くならまだまだずいぶん距離のある場所に、明らかに何かトラブってそうな二人組が見えた。一方は腰が砕けたかのように座り込んでいる老婆。もう片方はその孫なんだろうか、必死で老婆を宥め透かしている20歳そこそこに見える男。おそらく俺が通るとわかってる路上で老婆がひれ伏そうとしないんで不敬罪に当たると男の方は必死なんだろう。
だが。
「――まさか…」
ここからじゃ遠すぎてよく見えないが、直観的に何か嫌な予感が湧き上がって来て、ざわつく胸に気付けば俺は走り出していた。
「白彦様…!?」
あまりに突然のことに付いて行けずに後れを取ったスズが悲鳴にも近い声を上げるのが聞こえたが、それどころじゃない。あれはまさか…まさか。
「婆ちゃん! 頼むから…っ」
この時代、どうやら庶民は粗末な苧製の貫頭衣を纏うのが普通らしい。まあどの時代でもシルクが高級品なのは変わるわけもないが、宮殿の中にいると布製品と言えばシルクや木綿、麻が主流だから、改めてこの時代の格差状況を思い知らされる気分だ。
だが、今はそんなことより。
「婆ちゃんっ、婆ちゃん!!」
いきなり一番近付いて欲しくなかった、できることなら気付かれずに済めばくらいまで神に祈る気持ちでいたんだろう男は一直線に駆け寄って来た「白彦」に完全にパニックだ。必死で老婆を正気に戻そうと揺り動かしているが、
「動かすな!」
「?!」
たまたま老婆のいた場所が日陰だった幸運もあって遮光器を殴り捨てるように外した俺に怒鳴り付けられて、男は固まり慌てて地面に額をこすり付けるようにしてひれ伏した。
「申し訳ありませんっ、でももう老い先短い老婆なんです! ひらに…ひらにご容赦を…!」
やはり祖母なんだろう。必死に許しを乞う男の声が届いたのか、ふと老婆が正気に戻ったのが傍目にもわかった。
「あ…わたし、は…?」
明らかに何が起こったのかわかっていない老婆は、真正面から両耳を包み込むようにして顔を覗き込んでいるのが自分には直接目にすることも許されていない真っ赤な瞳だと知りパニックを起こし、
「白彦様…?!」
慌てて俺の手を振り払って隣の男同様ひれ伏した。
おそらく老婆にこの数分間の記憶はない。なのに気が付いたらいきなり雲の上の殿上人である白彦が至近距離で顔を覗き込んでたんだ、そりゃ驚いたに決まってる。
「もももも申し訳ありません…っ、あの…っ、その…っ」
自分が何をしでかしたのかもわかっていないながらも緊急事態が起こっていることだけは理解してパニック状態の老婆を庇うため、ひれ伏した状態のまま隣の男が必死に言い訳を重ねる。
「年なんです…っ、ボケちまっててこうやって時々突然記憶が飛ぶことがあって…っ! 本人も本当に覚えていないんです! 決して悪気があってのことじゃ…」
「時々突然記憶が飛ぶ?!」
本人も意図して説明したわけじゃないのはわかってるが、状況から考えて老婆に何が起こったのかは明白だった。しかも、時々ってことは今回が初めてじゃないってことで。
「白彦、様…っ」
出遅れたスズが今更追い付いて来たものの、普段から走り付けていないんだろう、たかがこの距離でもぜはぜは息が上がって言葉もまともに話せる状態じゃない。
「嘘じゃないんですっ、婆ちゃんほんとに記憶がなくなることがあって…っ」
「嘘だなんて思ってないから心配するな」
この話がただの口八丁だと思われることには慣れているのかもしれない、それでも必死で仕方のないことなのだ、許して欲しいと訴えようとする男の肩に手を置き、まずはこのふたりを落ち着かせることからだなと言う状況判断の方が早かった。
だが。
「お婆さん、両手、出せますか?」
「え?」
突然何を言われたのか理解できなかったのは老婆だけでなく孫の方も同じだった。そんなふたりに構わず強引にひれ伏そうとする老婆を制して両方の手を手のひらを上にして持ち上げる。
「白彦様?!」
「目を閉じて」
俺が一体何を目的として何を始めたのか、この時代のふたりにはわかるはずもない。わかるはずもないが有無を言わせない白彦に逆らえるはずもなく、言われるままに老婆は瞼を閉ざす。
「そのまま両方共手を下ろさずに…」
そっと支えになってる手を外すと、危惧した通り左手だけがゆっくりと下がっていく。
「婆ちゃんっ、何やってんだよっ?!」
そんなことができないなんてこと自体が理解できない孫に叱られて何事かと老婆はすぐ目を開いてしまったが、目的は既に達成された――残念ながら。
間違いない。
「…。」
言葉が出なかった。今やらなきゃいけないことはわかってる。わかってるし、それができる技術だってやった経験だって俺にはある。
『 今更軌道修正なんか試みたって意味ないじゃない 』
『 だからこれ以上改変しないようにだな… 』
頭の奥底で、過去を改変すると言う行為に対する絶対のタブー意識とそのタブーを正面から破壊して憚らない倭代の言葉が正面衝突する。
「あの…白彦様…?」
だって俺は医者なんだ。目の前の患者を助けずにはいられないのが俺なんだ。
きっとその時の俺は、泣き出しそうな顔をしていたに違いない。
「――今すぐお婆さんを連れて家に帰るんだ」
「え? あの…でも仕事が…」
できるのに。
助けられるのに。
「いいから今すぐ家に帰って、今晩は親戚と親しい友人をできるだけたくさん招いて宴会をするんだ」
「は?」
突然何の関係もないことを言い出した俺の意図を掴みかねて老婆も男もスズも盛大にクエスチョンマークを飛ばしていたが、だが、今の俺に他に何かできることがあるのか?
「酒とつまみは宮殿から支給する。費用の心配はしないでいいから今晩はできる限り盛大に楽しむといい」
「でも…」
「スズ。お婆さんの家を確認して手配してくれ」
「え? あ、はい」
そんなことをして貰う理由がわからない男を無視して否応なく話を進める俺に、理解できないながらもとにかく白彦に逆らうと言う選択肢だけはないスズに手配を頼み、先刻投げ捨てた改めて実感する実に不細工な遮光器を拾うと、もう何をする気にもなれずに俺の足は再び今来た道を早足で宮殿へと戻っていた。一秒でも早くこの場を立ち去りたかった。
過去の改変は絶対にしちゃいけないタブーだ。
そんなことわかってる。わかってるが、じゃあ俺に、目の前の患者を見捨てることができるのか? 見捨てなきゃいけないと頭では理解できても、果たして俺に本当にそんなことができるのか?
そして何より、本当にそれでいいのか?
『だったら最期に「いい人生だった」と自分が納得できる一生を送れたひとが勝ちなんじゃないの?』
過去を変えないために自分を抑えて生きる人生を選ぶのか、倭代の言う通り他人になんて構わずただ自分の納得できる人生を選ぶのか。
そもそもこの問いに正解なんかあるのか。




