人生の勝ち組
「さてと」
取れた珠は指先ちょちょいで直るようなものではないと諦めた倭代が改めてこちらを振り向いた。
「(見ての通り、私はこの通り常に御付きが付いてまわってて自由に動けないの)」
「(みたいだな)」
ずいぶん優秀なボディガードみたいだし。っつか、普通に考えて神聖な女王陛下がフラフラ歩き回ってること自体が問題だろう。
「(何言ってるのよ、ここは私の宮殿なのよ)」
「(だから?)」
「(自分の家の中も自由に歩き回れないとかありえないでしょ)」
「(3LDKのマンションじゃないんだから当たり前だろ)」
国王ってのは本来そう言うもんだろ。エリザベス女王だってバッキンガム宮殿の中いつでもどこでもフラフラ歩き回っているとはとても思えない。一生涯入ったことのない部屋だっていくらでもあるだろう。下手すりゃ半分も知らないかもしれない。
「(そんなわけで、この国の常識を知りたいのよ)」
「。」
…。
「(――常識?)」
は?
「(――って、どんな?)」
「(常識は常識でしょ。日常生活とか政治状況とか経済状況とか…)」
「…。」
いや、常識と言う言葉の意味は分かる。意味は分かるが一体それが何を意味しているのか分からない。まさかとは思うが、
「(…この期に及んで考古学的興味を唆られたとか言わないだろうな?)」
俺も一応学者の端くれだから学者ってのが自分の興味のある領分に付いてはどこまでも突っ走ってしまうどうしようもないオタク人間なのは知ってるし、専門分野の本物が目の前に広がってりゃそりゃ興味は尽きないだろうが、いくらなんでもこの状況で論文のこと考えてるなんてことはさすがにないだろう、とは思いたい…んだが――十二分にありうるってのも学者って生き物の生態としてわかってしまうところが悲しいと言うか身につまされると言うか…。
だが、倭代の目はそんなド近眼じゃなかった。
「(何言ってるの。私は女王なんだからこれからこの国の将来に付いて考えてかなきゃいけない立場なのよ)」
「。」
…。
「(――へ?)」
「(即位式の時のあの大衆の数、見たでしょ? あれだけの人間の一生に対して責任持たなきゃいけないのに、当たり前の日常生活も知らなくてどうするのよ?)」
は?
え? 人生に責任を持つ?
「(――って、お前まさか本気で女王やるつもりなのか!?)」
「(他に選択肢ないでしょ、即位しちゃったんだから)」
「(待て待て待て待て)」
何だこいつ、一体何考えてんだ? 自分とは縁もゆかりもない世界に本気で爪痕残そうとしてるのか? っつか、過去改変だろ、本気でタイムパラドックス起こしたいのか、こいつは?!
「(だーかーら! タイムパラドックスなんか起きないって言ってるでしょーが)」
「(それはお前の勝手な意見であって、事実である保証なんかないだろ!)」
起こってしまったことは今更変えられないし、戻る手段もない以上、俺達にできるのは歴史には寄らず触らず、できるだけ何もしないのが一番だ。俺達が何かしたことで万が一歴史が変わったりしたらそれこそ一大事。他人様の人生を根底から左右しかねない状況にあるんだぞ、今現在の俺達の存在ってのは!
なのに、よりにもよって女王として国政を預かるつもりだと? 改変しまくる気満々じゃないか!
しかし。
「(あのね、もしタイムパラドックスってもんが起きるのなら私たちが飛んで来た時点で既に歴史なんて変わっちゃってるのよ。今更軌道修正なんか試みたって意味ないじゃない)」
「(だからこれ以上改変しないようにだな…)」
「(じゃあ聞くけど、未来ならタイムパラドックス起こしても許されるの?)」
「。」
思わぬことを言われて止まった。
未来を改変する? そんなこと、できるわけがない。そもそも未来は確定していない。未来はその時代に生きている人間達が作り上げて行くものであって、そこで何か不確定な事件が起ころうともパラドックスと言う概念そのものがまず成立しない、それが時間の流れと言うものだ。
だが。
「(私たちがいた世界がこの世の最後の時間帯の世界だなんて保証はどこにあるの? 私たちがあの時間帯から消えたことで未来の世界は変わってしまったかもしれないとは考えないわけ?)」
「(それは…)」
理論としては正しいのかもしれない。実際俺達のいた未来と言うものが存在しているのは事実だが、この時代の人間達にとっては今が現在、俺達の世界こそが未来だ。
「(――あなた、お医者さんだって言ったわよね?)」
「(…それがどうした)」
俺と倭代が過去と未来の間を移動したのは否定のしようのない事実だ。未来である俺達の世界を基準にするからここは過去の世界なんであって、過去であるこの世界を基準にすれば俺達のいた世界は未来でしかない。
そして、医者としては一番聞きたくない、意図的にか無意識にか俺が一番目を逸らしたがっていた可能性を指摘されて言葉も止まってしまった。
「(なら、あなたが過去に来たことで将来、未来の世界であなたに助けられるはずだった命は当然助からないことになるわけよね?」
「…。」
――確かにその通りだ。運命と言うものが決まっていたとしても決まっていなかったとしても、俺がその場にいさえすれば助けようとしたのは絶対に変わらない。だが、現実に俺はその場にいることはできない。俺と言うたったひとりの存在が消えたことで本来助かるはずだった命が絶対に助からなくなったと言う未来があの瞬間に生まれたのは曲げようのない事実だ。
例えその人物が歴史にとっては何の違いも生まない人物だったとしても、俺がいたはずの未来といない未来、ふたつの分岐点の先には更に未来に生まれたかもしれない命の数が変わって来ると言う厳然とした事実がある。
いや、未来は確定していないんだから、例えそのせいで生まれなかった命があったとしてもそれは最初から生まれる可能性がなかったんだからパラドックスにはならない。パラドックスは、既に起きていたことが確定された未来が改変されることを指す言葉であって、まだ確定していない未来に付いては適用されない。だからまだ存在しない未来には何の問題も――…
「(あなたは本来の世界から消えたことで確実に誰かの未来を変えたのよ)」
「(それは俺がしたくてしたことじゃない!)」
じゃあどうすれば良かったんだ! あの時崖から落ちたお前を見捨てれば良かったのか!? そんなことをすればお前が生き残ったはずの未来を俺が捻じ曲げたことになる。俺なら例えどんな状況にあろうとも――例えば今回、こんな事態になることが最初から分かっていたとしても、俺が目の前で危険にさらされた命を見捨てたりすることは絶対にない、それが俺だからだ。それが医者と言う生き物だからだ。
「。」
自分で自分の言っていることの矛盾点にたどり着いてしまった。
自分が意図しようとしまいと、未来を変えることは簡単に起こりうる。だが、その「変える」とは一体なんだ? そもそも存在していないものを変えるなんてことは誰にもできないはずなのに、確実にあったと断言できる未来が実際に存在するからこそそれは出て来る単語なんじゃないのか?
「(だったら今自分にできる最善の努力をするしかないじゃない)」
それは。
「(運命は変えられない。だったら最期に「いい人生だった」と自分が納得できる一生を送れたひとが勝ちなんじゃないの?)」
ただの詭弁かもしれない。解釈の違いだけなのかもしれない。
だけど。
「(最初から決められているかどうかは措いておくにしても、どんな人生でもその人生に価値を見出せるかどうかは結局自分次第でしょ)」
俺がこれまで助けられなかった、道半ばで果てたとされる悲劇的な命にも間違いなく価値はあったはずなんだ。
あの人達が、結果があんなことになってもそれでも自分自身で「いい人生だった」と思うことができた状態で最期を迎えられたのだとしたら――それは、全力を尽くして負けた本人にとっても医者にとっても、最後の救いになるのは事実なのかもしれない。




