正当性
「あの…日女巫女様…」
「ん?」
何しろ「神聖な」言語で「絶対の」権威がふたりだけで話をしていたんだ、口を挟むのも憚られてどうしたものかとオロオロするしかできなかったスズが、意を決して声を上げてくれたことでぶっ飛んだ世界の話題からやっとマトモな世界へと引き戻された。
「申し訳ありません、あの…簪の玉飾りが…」
「…簪?」
いかにも申し訳なさげにしかし恭しくスズの差し掲げた両手の絹の上には、翡翠の珠が載せられていた。多分何かのはずみで倭代の簪から外れ落ちたのを見付けたんだろう。
「え?」
言われた倭代もそこで初めて気付いたらしく簪に手をやったが、当然のことながら自分の頭の上の話だ、見えるわけなんかない。
「ねえ、そこのあなた」
「。」
いつも通り壁の向こう側、廊下で今はあまりにも畏れ多い女王陛下の御前で平伏するしかなかった18歳くらいの、これまた俺付きの婢ってことになってるらしい侍女・アカネが突然当の女王陛下に声をかけられて一瞬何が起こったのかわからないと言わんばかりの当惑顔を見せ、直後呼ばれているのが自分だと気付いてパニックを起こしたのが見えた。
まあ、普通に考えればこんな女でも実は文字通り神聖にして不可侵の巫女女王様だ、そんな雲の上の彼方に住んでるような権威からなんて声をかけられるだけでも光栄の極みなんだろう。
「そう、そこのあなた。鏡持って来てくれない?」
「鏡――、ですか?」
「そ。鏡」
この部屋に鏡はない。俺だって目覚めた時鏡さえあれば状況はかなり違っていたはずだが、幸か不幸か自分の姿を自分で確認することができなかったから状況把握があれだけ遅れたわけで。もしまず第一に自分が自分の身体にいないことを理解できていればまだ話は違っていたはずなんだ。――まあ、あの究極とも言える状況下では精神的に更にダメ押しをされただけだったかもしれないが…今思えば鏡がないことで多少の時間的ワンクッションがあったのは精神的には幸運だったのかもしれない。あの衰弱状態でこの現実を一気に受け止めるにはあまりにも事態は非常識すぎた。
ところがだった。
「――こちらに」
突然、スズでもアカネでもない実に落ち着き払った聞き慣れない声が響いたかと思うと、アカネの背後から見たこともない、だが一見して高級侍女とわかる天女のような衣装を纏った女が現れてその長い袖で直接触れないように恭しく鏡を掲げていた。
と言うか、正にその姿は天女そのものだった。
衣装だけでなく金色の流れるような絹糸、透き通るような白い肌。実に洗練された身のこなし――…っつかこいつ、どこからどう見ても東洋人じゃないだろ?!
そう、明らかに白人だった。彫りの深い目鼻立ちもどう見てもアルビノだとかそう言う世界の違いじゃない。自信に満ちたその立ち居振る舞いのせいだけじゃなく、スズやアカネよりずっと背が高いせいかその場における威圧感がまず違うし、白人、おそらくは北欧系かロシア系あたりの、最も体格のいい系統の人種だ。
何で古代の邪馬台国に白人がいるんだよ?!
わけがわからないでいる俺の目の前で
「あっちゃー、もうバレたか」
「私の勤めは日女巫女様の御付き、片時たりともお側を離れることはございません」
「うまく撒けたと思ったんだけどなぁ」
やれやれ、なんて渋い顔をしている倭代に、思い出した。この声――あの時の侍女だ。垂れ絹の向こう側、倭代の傍に座っていたふたりの気配のうちのひとり。
『 日女巫女様のお言葉ですよ 』
伏せられていた瞼を上げるとそこには1000万分の1の奇跡の結晶とされる鮮やかな紫色の瞳。
オイオイオイオイ、いるんじゃないか、アルビノ。俺以外にも。
いくら時代が違うとは言っても黄色人種天国のはずの日本のど真ん中にあって、一体どうなってるんだ、この国は? それとも古代日本は実は人種の坩堝だったってのか?
聞いたこともない、だが否定のしようのない現実が目の前で静々と倭代の下へ鏡を捧げ持って歩み進んで来た。
っつか。
鏡って――銅鏡かよ?! いや、言われて初めて気付いたけどこの時代で「鏡」と言えば確かにそれしかないよな。ないけど博物館に展示されてるような遺跡から発掘されたもんしか見たことなかったから、まさかあの丸い銅鏡がこんなにキラキラ光り輝いてるもんだとは思いもしなかった。正直、何をどうすれば「鏡」になるのか理解不能なほど曇りくすんでいるのがデフォルトだと思い込んでいたが、本来銅鏡って、磨けばこんなにはっきりと顔を映せるものだったのか。
「ありがと、黄金」
「白彦などわざわざ日女巫女様がお越しにならずともお召しになればよろしいのです」
「私だってちょっとくらい歩き回りたかったのよ」
あ、ホントだ、ここ取れてる~、とかなんとか呟きながら鏡に自分の姿を映して簪を確認している倭代は慣れた仕草で黄金とか言う婢にずいぶんと軽い口をきいているが、対し女王をこんな近くで目にしたのは初めてだったのだろう、スズもアカネもそれだけで完全に固まって言葉もない。
「 (――オイ)」
「(何よ、馴れ馴れしいわね)」
「(そうじゃなくて!)」
お前の本性がわかれば誰だってこんな口調にもなるわ。
「(お前まさか、婢相手でもその調子なのか?)」
女王の威厳もへったくれもあったもんじゃない。さすがにそれはアウトだろう。
なのに、
「(その調子って?)」
「(だから、そんな友達みたいな気安さで…)」
「(ああ、そのこと)」
言われて初めて気が付いた、みたいなこの反応…いいのかそれで?! 仮にも伝説の女王だろ、お前?!
だが、この女は俺の想像よりはるかに現実的だったのだ。
「(いいのよ、四六時中側にいる人間相手にまで気を張ってたらこっちの神経が持たないじゃない)」
「(そうかもしれないが仮にも女王としての威厳とかがだな…)」
「(そんなの私にとってはどーでもいいことだし)」
「(どうでもいいって…)」
どうでもよくはないだろう。ある程度のハッタリは立場上必要だし、と言うかそんな態度取ってたら正体がバレるのは時間の問題だ。そっちの方危険性は考えたことあるのか?
「(べっつに。バレたって別にいいじゃない)」
「(はあ?!)」
いいわけあるか!! お前が失脚するのはお前の勝手だが、巻き込まれてこっちまで割を喰ったんじゃ堪らない。最悪殺されかねない事態なんだぞ、コラ!
「(大丈夫よ。中身が入れ替わってるなんてバレたからどうだって言うの? そんなの普通に考えてあり得ないし、大体私たちが権力を手に入れたのは外見だけが理由じゃないもの)」
「(いや、お前はそうかもしれないが…)」
――言いたくはないが白彦は果てしなく外見だけが理由でこの立場に付いているはずで…
「(あなたもでしょ)」
突然、想定外のことを言われて思考が固まった。
「(私たちの立場の後ろ盾は神籬の儀よ。あの儀式を通して神に選ばれたことを自力で証明したことが私たちの正当性を絶対化してる唯一無二の証)」
「(それは…)」
言われてみれば確かにその通りだ。
「(仮に中身が入れ替わってるとバレたからどうなの?)」
何でこの女はこんなに自分に自信が持てるんだ。
「(経過はどうあれ事実として結果的にあの儀式を通して生き残ったのは名前も知らない日女巫女と白彦じゃない、私とあなたなのよ)」
お前はどうしてそこまで自分の存在に絶対の確信が持てるんだ。
「(私たちは神様に選ばれてここにいるってことになってるのよ? 中身が変わってようとその事実は変わらない。つまりそれって、今ここにいるこの"私"こそがこの国の女王で、あなたが白彦だってことでしょ)」
理論としてはきっと倭代は正しいんだろう。
正しいのかもしれないが、果たしてそれを万人が受け入れられるどうかはまた別問題なんじゃないのか?




