日女巫女?!
「―― もしかして、あなたってロリコンなの?」
「?!」
突然思わぬところから声がかけられて心臓が飛び出るかと思った。
はっとして我に返ったスズの反応を見て逆にこちらが我に返ったが、って、今の…。
「何でお前がこんなところにいるんだよ?!」
「何でって、あなたに話があるから来たに決まってるでしょ」
そこにいたのは倭代だった。
いきなりの女王陛下御光臨にスズは完全に固まってるし、見れば入り口付近に控えていた年嵩の侍女達も見た目にもありありと動揺していて、だが立場上中には入れずどうしたものかとオロオロとするばかり。
「あれから何日待ったと思ってんのよ? 協力するって言ったくせに、一体いつまで寝てるつもりよ?」
「寝てるんじゃない、養生してるんだ!」
むしろ既にフラフラ歩き回れるお前の方が異常だろ! どうなってるんだよ、その回復力?!
そう言えば初めて会った時もまったく衰弱具合見せてなかったよな、こいつ…厚化粧のせいである程度隠せてたのは事実だろうが、それにしたって大したスタミナだ。怪物か。
「ま、それは措いておくとして」
「だから措いておくなよ!」
自分から振った話題だろ! こっちは名誉棄損で訴える権利がある!! 誰がロリコンだ!
「で名前って、何の話?」
「。」
いきなり本題を振られて一瞬話すべきかどうか逡巡した。
「―― いや、卑弥…Even t...(卑弥呼は名前わかってるのに、白彦は本名もわからないなんて哀れだな、と思って)」
「…。」
日本語で言いかけたが心配げなスズの姿が目に入ってとっさに英語に切り替えていた。さすがにこの話題じゃスズや他の婢達に知られるわけにはいかない。倭代の言う通り「英語がわかれば助かる」事態は現状においてかなり助けになるのは事実だった。
しかも、神籬の儀と言う不可能にも等しい宗教儀式での繋がりのある俺達が彼女達にはまったく意味の通じない言語を話し出してもスズ達は都合良く「何か高尚な話題を儀式をパスした者だけが話せる神聖な言語を使って話しているのだろう」と勘違いしてくれる。…英語もずいぶんとまた出世したものだ。
そんな俺の感傷的とも言える発言に、しかし。
「What t...(何言ってんの? 卑弥呼だって本名じゃないわよ?)」
「。」
…。
「―― Pardon? (へ?)」
何か、至極当たり前のことのように予想外の話を聞いた気がして思考が停止した。
そこへ畳みかけるように倭代の英語が続く。
「I m...(だから、名前じゃないわよ、卑弥呼って)」
「WHAT?! (違うのか?!)」
「Actually, t...(まあ、学説としては色々あるから100%名前じゃないとは言い切れないけどね)」
予想外だった。むしろ実在する日本人名としては史上最初に文書で証明されてる人物なのかと思い込んでいた。
「(大体、卑弥呼なんて中国の文書の中にしか出て来ない人物名よ? 中国人が耳で聞いた音にテキトーに侮蔑的な漢字当てはめただけの単語で正確な音を表現できてる保証なんてどこにもないじゃない)」
「(いや、まあ確かにその通りなんだが)」
実際、外来語として定着している日本語だってできるだけ原音に忠実に音訳しようとはしても日本語にはない発音とかだったりして「何がどうしてそうなった?」的なカタカナ単語で定着している例はいくらでもあるし、考えてみれば日本と中国では漢字の読み方がまず違う。卑弥呼を日本語の読み方で読めば「ヒミコ」にはなるが、中国語で読んだ時もそう言う音で読まれるのかどうかも疑問だ。中国語は専門外だからさっぱりわからないが、例えば香港や上海、北京…どれもこれも日本語の読みからは程遠い。時代の違いがあるんだから漢字の読み方も現在とは違っていた可能性があるにせよ、地名と同じことが人物名にも当てはまってもおかしくはないんじゃないのか?
「(ちなみに私はヒメミコって音が約まってヒミコになった説派)」
「…。」
ヒメミコが―― ヒミコ。
「(…確かに、良く似てる…)」
いかにもありえそうではある。実際少なくとも俺はここに飛ばされて来てからと言うもの誰の口からも「ヒミコ」と言う名前を一度たりとも聞いたことはないが、誰もが口を揃えて「姫巫女様」と呼んでいるのは聞いている。それが日本語の良くわからない中国人には「ヒミコ様」に聞こえていたとしても、それは充分あり得る範囲内の聞き間違いかもしれない。
それに、聞き馴染みのない外国語の場合なんかにも多いことだが初めて聞いた音を一言一句正確に覚え切れなかった場合、少しでも覚えようとして脳内で勝手に音を省略してしまうのはよくあることだ。
「(ちなみにこの時代以降の日本は農耕国だから何よりも太陽が大事。その大事な太陽にあやかってお日様の"日"と、男子を表す"子"を付けて「ヒコ」、女子を表す"女"を付けて「ヒメ」。卑弥呼の場合は女の巫女だから日女巫女。名前どころか卑弥呼なんてわかってるのはそれだけなのよね)」
「(マジかよ?!)」
女の巫女だから姫巫女…なんて安直な。彦は郎なんかと同じで現代でも「男」って意味で普通に名前に使われてるから何とも思わずすんなり受け入れられたが、現代語では「姫」はプリンセスの直訳的な単語で高貴な身分を表す尊称としか思っていなかったから繋がらなかった。
っつか、確かに白彦も白い男だから白彦…姫巫女も白彦も名前でもなんでもないんじゃないか、それじゃあ。
「(日本は言霊の国だからね、昔っから身分の高い人なほど名前じゃなくて役職とかで呼ぶ習慣もあるし)」
「(そう言えば…)」
上司なんかも本人前にした時は名前じゃなくて役職名で呼ぶよな。大抵は尊敬とは程遠い関係性しかない血の繋がった年上の兄姉でさえその立場名でしかない「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」だし。
…ん?
「(何で「言霊の国」と「身分の高い奴ほど役職名で呼ぶ」が繋がるんだ?)」
何が「だから」なのかわからない。
「(そりゃ名前はその対象の魂とか本質を表すものって考え方があるからでしょ)」
「(だからそれがどう繋がるんだよ?)」
そりゃまあ代名詞と言うか、名前ってのはその個体を特定するシンボルだし、名は体を表す、なんて現在でも言われてるくらいではあるが、それで呼ぶか呼ばないかとなると話はまったくの無関係だろう。
だが、
「(要するに、名前を知るって言うのは言霊の世界ではその対象の魂を手に入れるって意味でもあるのよ)」
「(魂って、大袈裟な…)」
ああ、でも言霊って書くくらいだからある意味そうとも言えるのか。
「(言霊信仰の世界では大袈裟でも何でもないのよ。魂取られちゃうんだから、そう簡単に自分の名前なんて他人には教えないのが当たり前の世界なのよ、ここは)」
「…。」
なんか、話が宗教的過ぎてイマイチ実感が湧かないと言うか、興味が持てないんだが。
「(大体いつ敵国になるかもわからない外国人に本名なんか教えるわけないでしょ、魂支配されちゃうんだから)」
「(そんなもんか?)」
魂を支配される、ねぇ…まあ、それが本当だと信じているのが前提になっていれば隠したがるのもわからなくはない理論ではあるが、だが、あくまで他人事の俺にとっては「そんなたかが迷信ごときで」としか思えなかった。小学校あたりの女の子とかがいかにも好きそうなおまじないなんかレベルの話だろ、それ。好きな男子の名前何かに書いてどうこうとか…ん?
――好きな男子の名前?
「(今は夜這いなんていかにもな当て字付けられちゃってるからわりと誤解されてるけど、あれだってもともとは"呼ばう"、つまり呼ぶって動詞から来ててね)」
…なんか、いやなものに話が繋がって来たような…。
「(女性の名前を呼ぶ、つまり相手の名前を手に入れるってのは、古代においてはプロポーズするって意味だったのよ)」
そこに繋がるのかよ!!!
いや、名前くらいわかってやれたらな、と思ったのは事実だが、名前なんて結局その人物を特定、呼ぶための記号でしかない、って感覚だけで呟いたあの言葉にスズが異常反応示した理由が今になってやっとわかった。
「(実際、雄略天皇なんか「ヘイかーのじょ、ドコ住んでんの? 名前教えてよ~」なんてナンパソングも残してるし)」
「(ナンパソング…)」
要するに、俺が「プロポーズしたい相手がいる」なんて話を始めたとスズは勝手に思い込んだってことだ。
ちっがああああああ――――うッッッ!!!!!
何気ないひと言がここまでとんでもない勘違いを生むなんて、無知の恐ろしさ、常識の違いによるカルチャーショックを改めて思い知らされて目の前が真っ暗になった。
ああ、確かに丑の刻詣でとか、呪いたい相手の名前書いた藁人形に五寸釘打ち込むなんて迷信もあるよな、確かに! 冷静になって思い返してみりゃ相手の名前書いたもん使った呪い系の迷信って現代でも結構色々ある気がして来たよ! 迷信否定しまくりの科学文明真っただ中の21世紀でさえ未だにいわゆるただの習慣の中にも散々言霊ネタが揃ってるんだ、1800年も前の古代にこの傾向がもっと強くてもそれは納得せざるを得ない話だろうさ。
ここは古代、それも言霊の国。ここでは言葉と言うものに対する概念が俺の感覚の中にあるものとはあまりにも違いすぎていたらしい。
…マジかよ…。




