ショートコメディ『蔵杉くん』
廊下の突き当たりのスペースで、頭を抱えて倒れている生徒がいた。膝を折りたたむようにして、丸くなっている。初めて彼を見たとき「あれ、こんなところに丸まった団子虫がいるなあ」と思ってつい蹴りそうになった。よく見ると違うことに気づいた。
彼は、いつも独り言をつぶやいているようだった。ぶつぶつと、言葉になるような、ならないような声を発し続けている。
ある日、彼の近くで耳をそばだてて聞いてみた。
「いやだ。苦しい。やめて。お願い。殺して。殺して。お願い。死にたい。死にたい。殺して。殺して。殺して。もう嫌だ。殺して殺して。死にたい死にたい殺して殺して殺して殺して」
ぞわっと悪寒がした。私は、ここまでの腐りきって駄目になった人間を見たことがなかった。彼は私とは違うクラスだけれど、一度、声くらいはかけた方が良さそうだと判断した。
「あの。大丈夫?」
「……なにが?」
「いや、だから。なんか、暗そうだから……」
「え? それって、どういう意味? 僕になにをさせたいの? わからない。人間の言葉がわからない。僕の言葉も的外れ。わからない。わからない。わからない。わからないという言葉の意味もわからない。わかるということは、わからないってことだし、わからないってことは、わからないということをわかっているということだし」
「そうだよね〜。わからないよね〜うーん」
アウトだ。人間、ここまできたら、心の病院に行くしかない。蔵杉くんは、廊下の奥で、頭を抱えて座っている。いつも、いつも座っている。精神に問題があるのだろうか。そんなやつに、死ねなんていえない。
だって私は、地味で本音のいえない根暗なのだ。うじうじとてめーの身にならないことばかり呟いてんじゃねーぞ! クソが死ね! なんて言えないのだ。
ある日、私はいつものように蔵杉くんに会いに行った。廊下の突き当たりに位置する窓から、直射日光の当たらない湿った暗い場所でうずくまっている。彼は、きっと私なのだ。私は、今の私が嫌いで死んでほしいと願っている。
なのに、私は、私を見捨てることができないでいた。
死んでほしいと願っているのに。私は、今日も、彼のところへ、会話になっていない会話をした。
「蔵杉くん。そんなところで寝てたら、周りの生徒に気味が悪いと思われるよ」
「なんで、僕が悪いことになってるのかな?」
「その君じゃないんだけどね」
ていうか、廊下で寝るな。