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博文さんはすこぶる気がつく人だ。
私が顔をこわばらせているのを見て、「他には劉伶さましかいませんのでご安心を」と付け添えた。
「あのっ、劉伶さまはおふたりの主でいらっしゃるんですか?」
「劉伶さまは私たちより位が上です。ですが、よそよそしくされるのを嫌うので私たちもそうしています。普通に接していただいて結構です」
よかった。高貴な人の前でどうしたらいいのかと心配していたからだ。
皇帝が後宮に下られるときは、女官は常に顔を伏せ、皇帝の顔を拝見することも叶わないと聞いたたことがある。
もしかして劉伶さまがそれに近い存在だったら……と心配だったが、昨日普通に歩いていたし多分違うのだろう。
前に博文さん、そしてうしろに玄峰さん。
三人縦に並んで廊下を進む。
そしてとある大きな扉の前で、博文さんに足が止まった。
「まずは劉伶さまの加減を診ていただきたい」
そんなに悪いのだろうか。
それならば医者を呼んだほうがいい。お金はありそうだし。と思ったけれど、一度話をしてみてからでもいいかもしれないと思いなおしてうなずいた。
博文さんが扉をトントントンと三回叩くが、応答がない。
「博文です。入りますよ」
だからか博文さんは勝手に扉を開けて房に足を踏み入れた。
なんて広いの?
私も続いて足を踏み入れた部屋は、私の家がすっぽり三つ、四つは入ってしまいそう。
これがひと部屋なのだから、顎が外れそうだった。
しかし唖然としているのも束の間。
「はぁー」という博文さんの大きな溜息で我に返る。
彼は片隅に置かれた寝台の上で寝息を立てている劉伶さまに近づいた。
「起きているんでしょ。麗華さんですよ」
「麗華さん!?」
博文さんの言う通りだった。劉伶さまは寝たふりをしていただけのようで、飛び起きた。
長めの前髪が顔にかかり、それをかきあげる様子が妙に色気を漂わせていて、心臓が大きな音を立てる。目も綾な姿に、恥ずかしくなった。
それほど体調が悪そうには見えない。
しかしやはりよく見ると顔がむくんでいる。
この程度なら医者はいらないかもしれない。
「麗華さんが市場を案内してくださいました。それに、薬膳料理の心得があるそうで作っていただけると」
博文さんがそう伝えるのに合わせて「買い込んできたぞ」と玄峰さん手に持っている食材を差し出す。
「やっとうまい飯にありつける。麗華さん、調理をしてくれるなんて君は仏か!」
食べてないのかしら。
昨日は市場がわからず食事を抜いたってこと?
それにしても『仏』は言いすぎだ。
「劉伶さまの体調がすぐれないのは、水毒ではないかとおっしゃっています」
「水毒?」
博文さんの言葉に劉伶さまは端正な顔立ちをゆがめ、その視線が鋭くなる。
「体の状態のことです。腎が弱っているため、代謝が悪くて体内に水が溜まっている状態なのではないかと。舌を見せていただけませんか?」
そう願い出ると、彼は一瞬博文さんに視線を移した。
そして博文さんが小さくうなずいているのを確認したあと、大きな口を開けて舌を出す。
私は近づいてまじまじと見つめた。
「やはり、水毒かもしれません。舌の両側に歯の痕が残っていますよね」
そう伝えると、玄峰さんも覗き込む。
「本当だな。凹凸がある」
「これは水毒の状態にあるときによく見られます。腎の状態を整えて、体から余計な水分を抜きましょう。それで幾分かは体調もよくなるかと」
私の発言に劉伶さまは目を大きくしている。
「麗華さんって、医者なの?」
「いえ、ただの村人です」
「村人って……」
劉伶さまがとてもおかしそうに笑みを漏らすので安堵していた。
もっと体調が悪いと思っていたからだ。
「早速ですが、調理をさせていただきます」
「うん、お願い」
それから私は玄峰さんに案内されて厨房に向かった。
これまた広すぎる厨房は、二十人くらいの料理人が作業をしても余裕ではないかと思える。
私はまず水分の排泄を促す陳皮を酒につけて陳皮酒を作った。
これはしばらく寝かせておいてはちみつを加えて飲んでもらおうと思う。
その次に胃腸の働きを助けるという鶏肉を、臭みを取るために生姜と葱を加えて茹でて一旦取り出す。
この汁を使い、肝や腎の働きを高める枸杞の実を入れた米で粥をこしらえる。
それが煮える間に、体内の新陳代謝を高めて解毒や発汗の作用があるうどを取り出した。うどの根は『独活』という漢方薬でもある。
先ほどの鶏肉とうどを合わせて生抽と黒砂糖、湯を少し加えて煮込む。
これで二品。
次は腎の働きを助ける海老を手にした。
海老には体を温める効果もある。叩いて生姜と混ぜ、団子にする。
そしてこれまた腎機能を高めて疲労回復に役立つにらと一緒に、鶏から取った湯で煮込み塩で味付けをした。
塩だけというごく単純な味付けだが、鶏や海老から出る旨味で十分おいしい。
そしてもう一品。
利尿と解毒作用がある緑豆を手にして、市場でも手に入った南瓜とともに、やはり生抽と黒砂糖で炊いた。
あとは明日以降のために、高麗人参や小豆などを水に浸して戻す準備をしたあと、棚にびっしり用意されていた立派な器に盛り付ける。
「どうしたらいいんだろう……」
三人分こしらえたので結構な量だ。ひとりでは運べないし、あの部屋に持っていけばいいのかもわからない。
どうすべきか聞こうと、劉伶さまの部屋に向かった。
扉を叩こうとすると、中から三人の声が聞こえてくる。
「それで、他に情報は?」
「まだ無理です。もう少し時間をください。慎重に進めなければ」
劉伶さまのあとに博文さんの声がする。
なんの情報だろう。
「そうだな。しばらくはゆっくりしよう。体を整えないと。でも麗華さんに水毒って言われて驚いたよ。毒を盛られたことに気づかれたと思った」
「えっ!」
しまった。劉伶さまの発言があまりに衝撃で、声を出してしまった。
するとすぐに扉が開き、玄峰さんが私をにらむ。
「す、すみません。立ち聞きするつもりは……。お料理ができたのでどうすればいいのかと」
なにかわけがあって離宮に滞在しているのは承知済みだが、毒を盛るとか盛られるとか、そんな強烈な言葉が出てくるとは思わなかった。
「玄峰、運んで。麗華さん、ちょっとこっちへ」
劉伶さまの表情は柔らかいが、私は焦燥感に駆られていた。
聞いてはいないことだったのならば、殺される?
「……はい」
私が戸惑う間に、玄峰さんは厨房のほうへと歩いて行く。
「ごめん。玄峰の顔だけじゃなくて、怖がらせてばかりだね」
私の足がすくんでいることに気がついた劉伶さまは、自分が立ち上がって歩み寄ってきた。
「心配しないで。殺めたりはしないよ。俺は争いごとを好まないんだ」
目の前まで来て私の目線に合うように腰を折り、口角を上げてみせる。
彼の大きな目にはどこにも怒気を感じられず、気持ちが落ち着く。と同時に、間近で見つめられることに気がつき、全身の火照りを感じる。
昨日と同じ症状だわ。やはり陽盛かしら。
そんなことを考えていると、「座って話そう」と手を握って引かれた。すると心臓が苦しく感じる。
やはり病?
ううん、男性に触れられたことなんてないから緊張しているんだわ。