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それから数時間後。


私は後宮に戻り、厨房で料理を作っていた。

尚食の仲間は私の復帰を諸手を挙げて歓迎し、共に調理にいそしんだ。


この場に青鈴がいないのだけが残念だが、劉伶さまが彼女のこれから進む道を示してくれたので、落胆ばかりしてはいられない。



今日の献立は、白露さんに頼み込んで献立を立てさせてもらった。

皆の労をねぎらうために、なんといっても好物を食べてもらいたいと思ったからだ。


劉伶さまが一番好きなピリッと辛い花椒を入れた麻婆豆腐。博文さんの好物、海老団子の羹。そして肉好きの玄峰さんには丁香や八角、桂皮などの粉を混ぜた五香粉を効かせた焼き豚。


他にはおそらく疲れ果て“気虚(ききょ)”に近い状態にある彼らのために、薏苡仁と棗を入れたお茶を淹れた。

気虚には豆も効果があるので、黒豆と南瓜を一緒に炊く。

さらには、気を補うのに最適な高麗人参や血行を改善するという八角、疲労回復にはうってつけの大蒜や食欲を増進させる唐辛子などを加えて丸鶏を砂糖と酒と生抽で煮込んだ料理も作った。


おそらく後宮に来てから一番贅沢な夕食だ。


いつものように応龍殿で尚食として平伏したまま薬膳効果について説明したあと退室しようとすると、博文さんに止められる。



「朱麗華と黄子雲は、無実の罪を被せた詫びとして、陛下が夕食を共にしたいとおっしゃっている」



またあの離宮のときの楽しい食事を経験できるの?

うれしさのあまり、笑みが漏れるのをこらえきれない。



「ありがたくお受けします」



すると落ち着いた様子で子雲さんが答えている。そうか、こういうときはそう返事をするんだ。



「ありがたくお受けします」



私も真似ると、私たち以外の尚食と宦官は出ていった。



「今日は豪華だな。麻婆豆腐、食いたかったんだよ」



私たち五人だけになると、劉伶さまは途端に素に戻る。



「麗華さん、俺が肉が食いたいってよくわかったな」

「玄峰はいつも肉だろ」



玄峰さんは博文さんに指摘されてもおかまいなしに、大口を開けて焼き豚を運ぶ。

もちろん博文さんは海老団子からだ。



「子雲さんはなにがお好きなんですか?」

「私はなんでも。食べられることが幸せです」



謙虚な言葉を口にすれば、劉伶さまが食べる手を止める。



「子雲、それは麗華に失礼だ。麗華は俺たちを元気にしたくて食事を作っている。お前が一番笑顔になれる料理を伝えるのが正解だ」



その通り。『おいしい』と食べ進んでもらえるのが一番うれしい。



「申し訳ありません。それでは……。私も肉が好きです」

「俺の分はやらないからな」



思いきりしかめっ面をする玄峰さんを劉伶さまが笑う。



「玄峰。麗華さんが怖がられる。その強面顔はしまえ」

「しまえるか!」



博文さんに茶化され口を尖らせているけれど、本気で怒っているわけではない。


私は初めて会った日のことを思い出していた。

偶然出会った私たちが、彗明国の中枢である昇龍城で夕食を共にすることになるなんて想定外だった。でも、とても幸せだ。



たくさんあった料理が半分くらい胃の中に入った頃、博文さんが口を開いた。



「それで、劉伶さまは、いつ麗華さんのところに渡られるんです?」

「そうだな。今晩でもいいし」

「ゴホッ」



突然始まったとんでもない話に、喉を詰まらせそうになり慌てる。



「麗華。お茶を飲め」



隣にいる劉伶さまが私に薏苡仁茶を差し出してくるので受け取って飲んだ。



「まったく無粋な会話だな」

「玄峰に言われたくない」



表では皇帝として眼光炯々(けいけい)としている劉伶さまが、子供のように不貞腐れるのが新鮮すぎる。



「麗華さん。茶会で後宮をまとめた手柄としてまずは貴妃となり、藍玉(らんぎょく)宮に移ってもらいます。さすがにあの房に皇帝が渡るというのも……」



博文さんの言葉にはうなずける。

私には十分な広さだが、たしかに皇帝が来るべき場所ではない。



「適当な理由をつけて位を上げようと考えていたけど、そんな必要なかったね。麗華は今や後宮の妃賓や女官から一目置かれる存在になっている。誰も文句は言えないだろう」



劉伶さまは口元を微かに上げる。



「よく妃賓に引きとめられて、麗華さまに薬膳料理を作ってもらうにはどうしたらよいかと尋ねられます」



次に子雲さんがそう言うので驚いた。



「そうだったんですね」

「はい。ですが最近では数が増えすぎてまいりましたので、不公平になるとよろしくないと思い、茶会を楽しみにしてくださいとお伝えしています」



妃賓が私の料理を食べたいと思ってくれているのが素直にうれしい。



「それでは茶会を開かなければ。中華まん、だめにしてしまいましたし」



あの騒動のせいでせっかく作った中華まんは破棄されたはずだ。



「皇后になっても続けるつもりか?」

「もちろんです」



劉伶さまの質問にうなずく。


皇后だからこそやらなくては。

後宮の頂点に立つなら、後宮をまとめるのが私の仕事。もう二度とあんな事件が発生しないように、妃賓同士の絆を深めたい。



「働き者の皇后が誕生ですか。早急にお手付きをしていただいて、翠玉宮に移りましょう」



博文さんがそんなことを言うので、頬が赤らむ。


つまり、閨を共にして劉伶さまの寵愛を示し、貴妃から皇后となってその住まいの翠玉宮に移れと言っているのだ。貴妃になるのは、お手付きをするためだけらしい。


でもこれ、後宮の女官たちにそういう事実があったと公表することになる。

妃賓が皆望んでいることとはいえ、さすがに恥ずかしい。



「あっ、えっと……」

「麗華。照れなくてもいい。全部教えてやるから」



どうして皆、こんな会話をして平然としていられるの?

淡々と食べ進んでいる四人に目を丸くする。



「麗華さんが目を丸くしているぞ」



この中で一番がさつそうな玄峰さんが私を気遣う。

人は見かけによらないのだと知った。



「まあ、焦らずゆっくり進もう。逃すつもりはないから」



だからそれが恥ずかしいのに。

愛を囁かれるのはうれしいけれど、皆の前ではちょっと。



「そういえば、先ほど青鈴に任について話をしました。彼女はふたつ返事で受け入れました」



博文さんが話を変えた。



「そう、ですか」



ここからいなくなるのは寂しいが、精いっぱいの温情に感謝しなければ。劉伶さまが心の優しい人でなければ、青鈴も処刑されていた。



「これからは陛下と麗華さんに恥じない生き方をしますと言っていました。必ず恩返しすると」

「青鈴……」



彼女なら立派な働きをするだろう。

劉伶さまが授けた未来は暗くない。



「明日の朝、旅立つはずです」

「えっ、もう?」



私は思わず立ち上がった。

こんなに早いとは思っていなかった。最後にもう一度会いたい。

でも、許されないかもしれない。

私たちは罪を被せた者と被せられた者という関係だからだ。



「彼女の房は宦官が取り囲んでいるし、他の女官の目もあるから会うのは難しいかもしれない。でも、城を出るときは目をつぶるように言っておく。行っておいで」

「いいんですか?」

「光龍帝の意思にそむけるものはいないだろうな。玄武門から出るはずだ」



劉伶さまの提案を玄峰さんがあと押ししてくれたので、うなずいた。



翌朝。朝日が昇る頃に子雲さんが声をかけてくれた。



「麗華さま、そろそろ出発するそうです」



なんて早いの? 

でも、他の女官と顔を合わせない配慮をしているんだと思い、昇龍城にある四つの門のうち、北の玄武門を目指して走りに走った。



「青鈴!」



宦官に付き添われて門に向かう彼女に声をかけると振り向く。



「麗華……」

「青鈴。元気でいて」



私は勢いよく彼女に飛びつき、抱きしめる。



「本当にごめんなさい。私がしたことは、死に値するのに……」

「陛下のご意思は絶対よ。生きて。またいつか会えるとうれしいな」

「麗華。ありがとう」



彼女は大粒の涙をこぼし声を震わせる。

私は彼女から離れて、目を見つめた。



「陛下は、彗明国の隅々の村の人たちまで幸せにしたいとお考えよ。今は苦しい地域も、いつか必ず生活が好転する。私は後宮で自分の出来ることを全力でする。青鈴。どうか陛下のご意思を伝えて。そして青鈴も幸せになるの」



彼女は涙が止まらなくなったらしく、手で拭いながら何度もうなずいている。



「徐青鈴、そろそろ」



宦官に促されたので、私はもう一度彼女を抱きしめる。



「青鈴はずっと私の友だからね」



そしてそう囁くと、彼女も私の背に手を回して最後の抱擁を交わし、そのあと香妃から受け取った歩揺を彼女に握らせた。



「これ……」

「香妃に許可をいただいてあるわ。青鈴の料理はとてもおいしかったのに、悪いことをしたとおっしゃってた。香妃は医者がお嫌いみたいで、薬膳でなんとかなるならと気持ちが暴走したと。だからこの歩揺は青鈴のものなの」



彼女は歩揺を強く握り、嗚咽を漏らしだす。



「私、なんて馬鹿だったんだろう……」

「青鈴。まだこれからよ。私たちは食で誰かを幸せにできる。頑張ろうね」

「……うん」



泣きじゃくっていた彼女も、最後は笑顔を作ってくれた。


私は必死に涙をこらえてはいたが、大きな門が私たちの間を隔てたのを機に一粒だけ涙がこぼれる。

でも彼女は必ず活躍してくれる。そしていつかまたきっと会える。



「私も頑張ろう」



皇后の道を示されても戸惑いばかりだ。

けれども、劉伶さまの――彗明国の役に立ちたい。


私は気持ちを新たにした。


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