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「それには、劉伶さまの寵愛を受けそうな麗華さんが邪魔だということだ」
李貴妃はまさしくそうだ。
薬膳の知識を使って劉伶さまに取り入ろうとしていると勘違いしているのだし。
どうしたらいい?
私以外の人間があの酒に近づいた証明なんて、目撃者でもいない限り難しい。
それに、牢にいる限り目撃者を探すこともできない。
頼みの綱の子雲さんもここにいるのだし……。
「劉伶さまは、麗華さんの茶会の様子を見て、妃賓たちが麗華さまを信頼し、心を開きつつあるよう見えると口にされていた。それは麗華さんの努力の賜物であっぱれだと」
「そんな……」
私はただ、劉伶さまと同じように後宮で血が流れてほしくないだけ。毒を盛られるという壮絶な経験をした彼の意志を貫く手伝いがしたい。
「皇后への昇格を後宮の他の妃賓が認めているかいないかで、その後の生活が大きく変わる。反発が強ければその地位から引きずり下ろそうとする輩が必ず現れる。だから、麗華さんの力に頼るのも申し訳ないが、もう少し和が広がるのを待とうと言っていた。麻の中の蓬だと」
『麻の中の蓬』って?
首を傾げると、子雲さんが口を挟む。
「善人と交われば、自然に感化されて善人になるという教えです。麗華さまのお優しい気持ちが後宮の妃賓たちに伝わることを信じておられたんだと」
彼がそんなことを……?
「でも、こんなことが起こるくらいなら、すぐにでも皇后にしておくべきだったと悔やんでおられる」
玄峰さんが痛惜の念のこもった声を吐き出す。
たしかに、ひとりでも多くの妃賓に認めてもらって劉伶さまの妻となりたい。そうでなければまた嫉妬や恨みの念が渦巻く。
劉伶さまは国政という大きな責任を背負う中で、後宮のことも深く考え、茶会にも足を運び手を尽くしてくれた。
罪人に仕立てられるという状況に陥ってはいるが、乗り越えなければ。
「私は、皇后の地位なんていりません。でも李貴妃のように他人を傷つけででも次の皇帝の母に収まりたいと考えている人がその地位に就くくらいなら私が、と思いました。劉伶さまには人の温情を感じながら生きていただきたいから」
「その通りだ。離宮に向かうときは劉伶さまの目は死んでいた。でも、息を吹き返したのは麗華さんのおかげだ」
「麗華さま、どうか陛下をお支えください」
玄峰さんに続き、子雲さんが悲痛の面持ちでそう声を震わせたあと、床に頭をするくらいに下げるので慌てる。
子雲さんのことはよく知らないけれど、玄峰さんのように劉伶さまを慕っていることだけは伝わってくる。
「とんでもない。皆さんも劉伶さまの大切な友です。なんとかこの事態を切り抜けなければ」
どうしたらいいのかわからない。でもそう決意した。
その晩は牢で過ごした。
まともな衾もなく、片隅で膝を抱えてただ月を眺めるだけ。
けれどその月は、離宮いた頃と変わらず煌々と輝いている。
まだできることはある。私は死なない。
「麗華」
すると微かに外から声がする。
「劉伶さま?」
「そうだ。表は武官が立っていて入れないんだ。ごめん。一刻も早くここから出すから」
「大丈夫です。まずは国をお治めください。村の人たちが幸せでなかったら悲しいですから」
反対勢力に乗っ取られたら、香呂帝のときのような不遇が待っている可能性がある。どうしても劉伶さまに皇帝でいてもらいたい。
「本当にお前は……。剣を向けたりして怖かっただろう?」
「怖くなかったと言えば嘘になります。でも大丈夫です」
あの瞬間は死を覚悟した。しかし、あれは彼の個人的な意思ではなく、皇帝としてそうするしかなかったはずだ。
「本当にすまない」
「謝らないでください。劉伶さま。月、見えますよね」
「あぁ」
私はもう一度月を見上げて口を開く。
「今は壁を隔てた場所にしかいられません。でも、同じものを見ることはできます」
「そうか……そうだな。麗華とは同じ未来を見ていたい。必ずお前と幸福をつかむ。子雲」
「はい」
次に彼は子雲さんにも声をかける。
「しばしの間、麗華を頼む」
「御意。この命に代えてでも」
「いや、お前も死なせない」
そういえば以前にも子雲さんを『死なせたくない』と言っていた。
「ありがたきお言葉……」
子雲さんの表情は見えないが、微かに声が震えていた。
翌朝、朝日が昇るとともに玄峰さんがやって来て、私と子雲さんを白澤殿に連れていく。
その間は筋肉隆々の武官数人に囲まれて、完全に罪人扱い。
しかし、白澤殿に入るやいなや人払いされ、縄を解かれた。
「玄峰さん、劉伶さまは眠られましたか?」
「いや……」
責任感の強い彼のことだから、一睡もせず私たちのことを考えていたような気がして尋ねると、玄峰さんは首を振る。
「お願いです。眠ってもらってください。私たちを陥れようとしている人たちは強敵です。いざというときに、劉伶さまの知恵と力が必要です」
「わかってる。でも……」
目を閉じても眠れないのだろう。
「ゆり根酒はもうないし……。あっ……」
そう口にしたとき、とあることに気がつき目を瞠る。
ずっと引っかかっていたのは、これだったんだ。
「麗華さま、どうかされましたか?」
子雲さんが尋ねるが、しばらくなにも言わずに考えを巡らせていた。
「毒の入ったお酒の存在は、青鈴が李貴妃に知らせたんですよね」
「青鈴が李貴妃の耳に入れたと言ってたな」
玄峰さんがうなずく。
「そう、ですよね。他にあの酒の存在を知っているのは、劉伶さまと子雲さんだけですから」
他の人には決して見られてはいない。
「茶会のとき、私の房を探されるまでは、毒が入っているという情報だけで実物は誰も見ていないんですよね」
これはとても重要なことだ。
「そうだ。あのあと李貴妃に詳しい話を聞いた文官が、青鈴に毒酒の話を耳打ちされて麗華さんの房を探す許可をもらうつもりだったと。だからそれまでは情報だけだ。でもそれがどうかしたのか?」
玄峰さんが身を乗り出すようにして尋ねる。
私はとある重大な事実に気づいてしまった。
しかしこれを告げるということは……。
「毒を入れたのが私以外の人間だという証明はできるかもしれません。でも……茶会のときの細かな発言を思い出せなくて」
あのとき青鈴はなんと言ったの?
とても重要なことなのに、はっきりとはわからない。
「なにを知りたい? 子雲もいたぞ」
「はい。青鈴が劉伶さまの尋問を受けたとき、あの酒のことをなんと言ったでしょう」
「酒のこと?」
玄峰さんと子雲さんが顔を見合わせている。
「陳皮酒ではありませんか?」
子雲さんに逆に問われ、もう一度深く考え直す。
そうだっただろうか。李貴妃はたしかに『陳皮酒』と言ったような気もするけれど、青鈴もそう?
いや、たしかあのとき青鈴は……。
「それがどうかしたのか?」
玄峰さんが視線を鋭くする。
「あの……。もし私の冤罪が晴れたら、あの酒に毒を入れた者の罪は……」
「もちろん死罪だ。皇帝に毒を盛ってただでは済むまい」
わかっていたことだが、確認した。
「ですが、あれは私を陥れるための行為で、実際に劉伶さまに飲ませるわけではなかったとしたら?」
「麗華さん、なにを言っている。犯人を捕まえなければあなたの命がないんだ。そいつがどんなことを考えていたなんて関係ない」
玄峰さんが声を荒らげるがその通りだ。なにがあっても犯人を炙り出さなければならない。
「しかも、劉伶さまに飲ませるつもりはなくても、飲む可能性はあったんだ。後宮でそのような行為があったこと自体が問題だ」
たしかに。あの酒は毎日飲んでいたのだから、知らずに私が飲ませていたかもしれない。
そうしたら毒見していた子雲さんは確実に死んでいた。
だから許すべきことではない。




