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「あぁ、申し訳ない。麗華さん、話を聞いていただけないでしょうか。私は傍若無人な玄峰とは違います。麗華さんの意に反することは決していたしません」
どうやら博文さんには常識というものが備わっているようだが、簡単に信じることができない。
無言で体をこわばらせていると、玄峰さんが口を開いた。
「なにもしねぇよ。するならもうとっくにしてる」
それも一理ある。
私は渋々納得することにした。
「お話、とは……? よろしければどうぞ」
『どうぞ』と座ることを勧めたものの、もうすでに勝手に家に上がり込まれているような気がしなくもない。
狭い二人掛けの椅子に無理やり尻をはめ込ませるように座ったふたりは、「尻をすぼめよ」とか「触れるんじゃない」とかまた喧嘩をしている。
しかしその様子が子供のじゃれ合いのようで微笑ましくて、今までの緊張が吹き飛んだ。
「狭くてすみません。棗入りの杜仲茶です」
超さんの家で作ってから自分でも棗を浸しておいたので、それで作った杜仲茶を差し出した。
「恐縮です。棗が入っているのは初めてです」
博文さんがそう言いながら口に運ぶ。
「棗は胃腸にいいんです。あと不安を和らげる効果もあります」
「へぇ。それが薬膳料理のひとつですか」
「まぁ、これは料理ではありませんが、そうです」
私と博文さんが会話をしている間に、玄峰さんが一気に飲み干した。喉が渇いていたのだろうか。
棗は体を温める効果があるが、玄峰さんは冷やすもののほうがよかった気がする。彼からは熱量を感じるのだ。……これも見かけ判断だけど。
「麗華さんは医学の心得もおありで?」
「いえ、まったく。ただ、この村には医者がおりませんので、体調を崩した方に薬膳料理を振る舞ったり、取るべき食べ物をお教えするようなことはしております」
正直に告げると、博文さんが満足げな顔をしてうなずいた。
「その能力をお借りできませんか? 実は劉伶さまが少し体調を崩していて――」
「やはりそうでしたか」
博文さんの言葉を遮ると、玄峰さんが二度瞬きを繰り返す。
「お気づきだったんですか?」
「あっ、いえ……。劉伶さまが少しむくんでいるような気がして、水毒の状態ではないかと感じたもので」
最後は声が小さくなる。
これは完全なる直感であって、当たるも八卦当たらぬも八卦程度のものだからだ。
「水毒とは?」
珍しく玄峰さんが口を挟んだ。
「腎が弱っていることが多いのですが、代謝が悪くて体内に水が溜まっている状態です。こういうときは朝起きれなかったり、立ちくらみをしたりなんていうことがよくあります」
「その通りだ」
玄峰さんが自分の膝をパンと叩いた。
「その通りと言いますと、劉伶さまが?」
「そう。もともと朝は強い人じゃないが、最近はますますその傾向が強い。それに、時々ふわっと倒れそうになることが。空元気が好きな人だから、俺たちの前では虚勢を張っているんだろうな」
虚勢って……。たしかに元気そうだったけど、実は違うということか。
玄峰さんの次に博文さんも口を開く。
「実は私たち、わけあって離宮に滞在することになりまして」
「離宮!?」
もしかしてなんて頭をよぎったけれど、本当にそうだったなんて。でもそれじゃあ、皇族関係の高貴な人たちなんだわ。
「申し訳ございません。なにも知らずにこのような汚いところでおもてなしなど……」
「私たちが押しかけたんですよ」
博文さんは頬を緩める。たしかにそうではあるけれど。
「ただ、このことは内密にお願いしたい」
『わけあって』と濁したということは『聞くな』と同義語なのだろう。
香呂帝が渡られる準備なのかもしれないが、私が聞いたところで関係がないし黙ってうなずくことにした。
「……承知しました」
「それで生活をするにあたり、食べ物の確保をせねばなりません。それで昨日この辺りに市場がないか散策していたのですが見当たらず、お聞きしました」
なるほど、一、二日の滞在ではないということか。
「市は歩いて二十分ほどのところにあります。この村は野菜が豊富に取れますので、市では肉や魚類を手に入れることが多いです。あとは漢方食材なども。私も欲しいものがありますので、よろしければ早速」
食べ物は大切だ。野菜を分けることはできても、この若い男たち三人には肉や魚も必要だろう。
そんなことを口にしながら、先ほど採ってきたうどを劉伶さまに食べさせてあげたいと考えていた。
そしてそれからすぐに出発した。
市場に到着すると、超さんが野菜を売りに来ていた。
「麗華じゃないか。今朝、棗を届けてくれたんだって?」
「はい。棗は売るほどありますので」
秋になると裏山にたくさんなるので、それを天日干しにして保存してある。それこそ市場で売ればいいのだが、村の人たちのために取っておきたい。
「ん? 見慣れない顔だね」
超さんはすぐに玄峰さんと博文さんに気がついた。
まあ、身なりも整い眉目秀麗であるふたりは、いやおうなしに目立ってはいるけれど。
「あっ、えーっと……」
なんと説明したらいいのだろう。離宮の話はしてはいけないようだし。
「初めまして。私たちは麗華さんの料理の腕を聞きつけて、近くの街から参ったものです。彼女に私たちの主の料理番を務めていただきたいとお願いに上がった次第でして」
主というのは劉伶さまのことか。
主というより仲間という感じではあったが、たしかに最も貴顕紳士であるように感じたのは認める。
「なんと。麗華、すごいじゃないか。麗華は本当にいい子でして。両親を亡くしてからもひたすら頑張ってきた。料理の腕も一流です。どうかよしなに」
超さんが私のために頭を下げるのを見て、目頭が熱くなる。
両親を亡くしてから迷惑をかけたのに。
露命を繋ぐことができたのは、近間の人たちのおかげだ。
「麗華さんの料理は私たちも楽しみです」
博文さんは目を弓なりにして微笑み、玄峰さんは「はい」とぶっきらぼうに小さく頭を下げた。
「超さん、野菜をいただいても?」
「もちろんだ。でも麗華は家で分けてあげるよ」
代金はいらないと言っているんだ。
「私たちがお支払いします。あなたの働きに見合った代金をお支払いしなければ、経済というものが動きません」
博文さんがすぐに口を挟む。
経済というものがどんなものなのかはよくわからないが、お金が流通するということなのだろう。
超さんは野菜を売って肉を買う。肉屋は別のものをとつながっていくだろうから。
「それはありがたい」
超さんからは緑豆とにらを買い、他から大蒜、ゆりね、などの野菜と、鶏卵、鶏肉、海老などの肉魚類。そして高麗人参、陳皮、枸杞の実などの漢方食材をたっぷりと買い込んだ。
いつもはもっと吟味して買うものを絞るのだけど、博文さんが「それもね」とさっさとお金を払うので、莫大な量になる。
しかも、力持ちの玄峰さんがそれらすべてを軽々と運んでくれたので、今までで一番楽なそして贅沢な買い物だった。
村に戻ると、そのまま離宮に向かうことになった。
なんと村の外れに馬がつながれており、博文さんの馬に乗せてもらうことに。
初めての乗馬に「うおっ」とか「わわっ」とか叫んでいるばかりだった。
馬がいるなら、市場にも乗って行けばよかったのにと思ったけれど、これ以上目立ちたくないのかもしれない。
離宮の大きな門の前に立つと、妙な緊張に襲われる。
後宮ではないので出られないわけではないし、料理を作ったらすぐに戻るつもりだが、後宮に入る女性の覚悟を耳にしていたのでそんな気分になったのだ。
玄峰さんが重そうな扉を開くと、ギギギーッと音を立てる。ずっと使われていなかったので蝶番が錆付いているのかもしれない。
目の前には開いた口が塞がらなくなるほどの大きな宮殿。
皇帝の住まいである昇龍城は見たことすらないけれど、離宮でもこの規模なのだからとてつもなく立派なのだろう。
「こちらへ」
ふたりはすぐに馬を大きな木に結び、私を促した。