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「白露、始めなさい」


一緒にここまでやってきた宦官の声で、いっそう緊張が走った。



「はい。まずは粥でございます。本日は黒豆と薏苡仁を入れておりますが、鶏の湯を使って炊きました」

「鶏の湯とは、初めてではないか?」



これは陛下の声? それとも側近の人?



「はい。本日より尚食として働きます女官の案でございます。このほうが美味であろうと」



白露さんに私のことについて触れられて、心臓が口から出てきそうなほど暴れだした。

お気に召さなかったらどうなるのだろう。


そんなことを考えているうちに、他の料理についてもひと通り説明が終わった。



「本日も感謝する」



先ほどから聞こえているのはひとりの声。

おそらく陛下だ。


しかし、『感謝』なんて言われるとは思わなかった。

彗明国で一番偉い方だし、私たち女官が食事の準備をするのは当然なのだから。



「女官は下がりなさい」



宦官なのか側近の者なのか、先ほどとは違う人の声がして腰を浮かしかけたそのとき。



「待て。鶏の湯で粥を作るとうまいと言ったのはどの女官だ」



えっ、私? やはりよくなかったの? 私、初日にして処分される?


手に汗握り、身動きひとつとれない。



「朱麗華という女官でございます。お気に召しませんか?」

「いや、うまそうだと」



白露さんの質問にそう返され、やっと息が吸えた。命はつながったようだ。



「朱麗華」



えっ、私に話しかけているの?



「は、はい」



おどおどしながらなんとか声を絞り出す。けれど相変わらず顔は伏せたままなので、陛下が怒っているのか笑っているのかもわからず不安しかない。



「得意な料理はなんだ?」

「はい。麻婆豆腐が得意です」



得意料理がなにかなんて自分ではわからない。

しかし、劉伶さまの顔が浮かんでとっさにそう答えた。



「そうか。昼は街に出る。本日の晩に作ってくれ」

「かしこまりました」



まさか、陛下に献立の要望をいただくなんて思ってもいなかったので、唖然としながら答え、今度こそ退出した。



「麗華、すごいじゃない」



青鈴が興奮気味に話しかけてくる。



「陛下から要望があることはないの?」

「初めてね。驚いたわ」



今度は白露さんが答える。

そうなんだ。



「でも、まだ粥を食べられたわけではないのに、どうしてでしょう……」



気に入って他の料理も食べてみたいと言うならわかるけど。



「鶏の湯を使うなんて一度もしたことがないの。陛下も驚かれて、興味を持たれたんじゃない?」



青鈴は言うが、本当にそうなのかな……。

とはいえ、今晩は麻婆豆腐を作ることに決定した。

腕によりをかけて作ろう。

いきなりの大役に身震いしながら決意する。


しかし……劉伶さまは、いなかっただろうか。


もしあそこにいたのなら、私の名前を聞いたはず。陛下の前でうかつな行動はできなくても、なんとか接触してくれないだろうか。

とはいえ、文官として優秀だったと聞いたのでもしかして……というだけで、昇龍城にいる確証はなにもない。


私は麻婆豆腐を頼まれたときとは別の緊張感に包まれていた。



房に戻ると、青鈴が後宮内を案内してくれると言っていたのに、緊張と村からの移動で疲れがたまっていたせいか眠ってしまっていた。



「麗華さま、そろそろ厨房へお願いします」

「あっ、すみません」



そして太陽が西の空に傾きかけてきた頃、子雲さんが呼びに来たのでようやく起きて、再び厨房に入った。

麻婆豆腐を作らなくては。



「麗華、疲れてたみたいね。声をかけても返事がなくて。寝てたでしょ」

「うん、ごめん」



青鈴に謝りながら、豆腐を手にした。

いつもは豆腐作りから入るけれど、この厨房には用意されていたのでそれを使うことにした。


豆腐は肌を潤す効果もあるので私も積極的に食べるようにしているが、他には余分な熱や毒素を取り除く効果もある。

それで離宮で麻婆豆腐を作るようになり、劉伶さまの好物になった。


陛下は数人の臣下と食事を共にすると聞いた。文官としてあの場にいたのなら、もしかして彼にも食べてもらえるかも。

後宮入りしてから、そんなことばかり考えている。



麻婆豆腐にする豆腐は、切ったあと水に浸けておく。

その間に、玄峰さんの好物の豚肉を細かく叩き、それを炒める。

それからは調味料。大蒜、空豆や唐辛子で作られた豆板醤、小麦粉に麹を加えて作る甜麺醤などを入れて炒め、その横で豆腐を先に下茹でする。こうすることで形が崩れるのを防ぐ。


それらを合わせたあとは紹興酒や生抽などで味を調え、体を温める効果のあるねぎを追加。

あとは片栗粉でとろみをつける。そして仕上げは脾や胃を温める効果があり、胃もたれや下痢に効く花椒を散らす。



「できた」

「麗華、すごく手際がよくてびっくりした。手出しできなかった」



鶏卵を手にしている青鈴が目を丸くしている。

しまった。いつもの調子で、最後までひとりで作ってしまった。



「ごめん」

「なに謝ってるのよ。褒めてるの。それに楽できたし」



彼女はそんなことを口走りながら、金華火腿(きんかかたい)(ハム)と卵の上湯を作っている。

青鈴はこの厨房に慣れていることもあってか、さすがに手際がいい。


それからすぐに子雲さんたち宦官が入ってきて、出来上がった料理から運び始めた。

もちろん、私の作った麻婆豆腐も。


そして白露さんに促され、朝と同じように応龍殿に向かい、顔を伏せて陛下を待つとすぐに現れた。



「麻婆豆腐、作ってくれたんだな」

「陛下のご希望であればなんでも作らせていただきます」



白露さんが恐縮しながら伝える。



「余のために、感謝する」



また『感謝』だ。

光龍帝はとてもお優しい人なのかもしれない。

皇位簒奪なんて大胆なことをした人だから、最初は冷酷非道だと言う噂が飛び交った。けれども、税率を下げたり、兵を地方に返したりという行動で皆見直してはいたが、人柄のよさを肌で感じている。


それから白露さんがひと通り説明し終えると、また「下がりなさい」と命が下った。



「朱麗華。料理について聞きたいことがある。残りなさい」

「は、はい」



どうして私? 尚食長の白露さんならまだしも、昨日やってきたばかりの私をどうして指名するの?

もしかして……劉伶さまが陛下に頼んで?

瞬時にそんな考えが駆け巡り、緊張と欣喜の想いが交錯する。


私が頭を下げたまま微動だにせず待っていると、他の尚食たちは出ていった。



「さて、朱麗華。顔を上げなさい」

「えっ……。とんでもございません」



陛下のお顔を拝見できるのは、ごく一部の女官だけ。尚食程度の身分では絶対にしてはならないと言われているのに。



「ふっ、全然気がつかないんだ」



ふと陛下の声が柔らかくなった。

あれ、この声……聞いたことがある。まさか。


恐る恐る顔を上げていくと、美麗な御衣が順に視界に入った。


濃藍色の膝蔽(へいしつ)には龍の刺繍が施されている。大帯から下がっているのは翡翠の玉佩(ぎょくはい)


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