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「お待たせしました」
すぐに出ていくと、子雲さんが一瞬眉を上げた気がするが、気のせいだろうか。
「よくお似合いで。妃賓や女官のお世話は私たち宦官がいたします。申しつけください。それでは尚食長のところに参りましょう」
「はい、よろしくお願いします」
少し緊張しながら彼のあとに続く。すると広い厨房があった。
「白露さま」
彼が声をかけるとひとりの女官が振り向いた。尚食長の彼女は私より十くらいは年上に見える。
「あぁ、朱麗華ね」
「初めまして。よろしくお願いします」
私に与えられた襦裙でも十分艶やかだと思っていたのに、白露さんの上襦の襟元にはさらに銀糸で刺繍が施されている。
挨拶を交わしていると、子雲さんは下がっていった。
「仕事は明日からでいいわ。青鈴」
白露さんは誰かを呼んでいる。
するとすぐに私より小柄で目が真ん丸なかわいらしい女性がやってきた。
「麗華よ。仕事を教えてあげて」
「初めまして、朱麗華です」
「ようこそ。徐青鈴よ。私は青鈴って呼んで。麗華でいいかしら。これから一緒に働きましょう」
「はい」
青鈴は頬をわずかに赤らめにこりと笑う、優しそうな女官だった。
白露さんが離れていくと、青鈴が厨房を案内し始める。
聞けば私と同じ歳の彼女は、光龍帝が即位されたときに後宮入りしたのだとか。
「麗華は料理が得意なんだってね」
「得意というほどでは。少し薬膳の心得があるくらいで」
そう返すと、彼女は口を開け驚愕している。
「薬膳! それはすごいわね。麗華の肌が美しいのもそのせいかしら」
「どうかしら。“血”や“水”が不足すると肌によくないと言われているので、血を補う棗や枸杞の実、水を補うゆり根や豆腐はよく食べるかも」
そう口にしながら、ゆり根をつけた陳皮酒を安眠のために毎晩飲んでいた劉伶さまを思い出した。
「へぇ、そうなんだ。料理法を教えてよ。私も食べよ」
「うん」
同じ歳ということもあってか、青鈴とはすぐに打ち解けた。
尚食は皇帝陛下の食事を作ることが仕事。
女官の中では序列が低いとばかり思っていたが、そうでもないらしい。
私たちの下に雑用をしてくれる女官が数えきれないほどいるとか。
「尚食は応龍殿に食事を運ぶと聞いたけど、皇帝陛下や官吏にも顔を合わせるの?」
「うーん。陛下は無理ね。陛下の前で顔を上げていいのは、上位の妃賓や許された人たちだけなの。陛下がお気に召して閨を共にすればとは聞いたけど……」
彼女は私を手招きしてなぜか厨房から出ていく。そして人気のない場所で私の耳元に口を寄せた。
「どうも、両貴妃ともないらしいのよ。そういうことは一度も」
そういうことって……。子をなす行為をということ?
「だからね、男色なんじゃなんて噂が立ってるくらいなのよ」
「だ、男色?」
「しーっ」
声に出してしまい、青鈴に止められた。
子雲さんは宦官で、大切な物を切り落としているわけだけど、男性の猛々しさとは違う妖艶さを持ち合わせている。
女性と言われると違うのだが、魅力的というか。
そうした宦官が好きという可能性もある?
「それか、心に決めた女性がいるとかね。私は断然こっちの説派なの。だって素敵じゃない」
青鈴は目を輝かせる。
そうだとしたら素敵な話だ。
だって、後宮にいる男性は自分ひとり。それなのに妃賓以下女性は何千人もいる。しかも意のままに閨を共にできるのに、その女性のためにそれをしないなんて驚くほど一途だ。
「そうね。青鈴も陛下のお顔は知らないの?」
「うん。視線を合わせてはいけないの。だから足先は拝見したことがあるわよ」
くすっと笑いを漏らす彼女に追加の質問をする。
「そっか。文官や武官は?」
どちらかというと陛下よりそちら。劉伶さまたちを探したい。
「文官や武官はあるわ。話したことはないんだけど、陛下が特に重用している文官と武官がひとりずついてね。その方のお顔は拝見することも多いわよ」
「そうなんだ」
劉伶さまじゃないかしら。それなら会えるかも。
そんな淡い期待を抱いた。
翌朝は日が上る前から厨房で朝食づくりにいそしんだ。
陛下に献上する食事は種類も豊富で、それを一部の臣下と共に食するのだという。
初めての私は青鈴の手伝いをして、薏苡仁(はとむぎ)と黒豆を入れた中華粥をこしらえることになった。
薏苡仁も黒豆も、水毒に効く食材だ。薏苡仁は肌荒れにも効果がある。
「これ、鶏で取った湯を使って炊くとおいしいと思うよ。その鶏も少し加えるとなおいいかも」
作り始めた青鈴に口を挟む。
「なるほどね。やってみよう」
離宮ではこうした粥や炊き込みご飯をよく作った。
劉伶さまが好きだったというのもあるけれど、一品でたくさんの栄養を補えるからだ。
それから他にも数品担当して、黙々と働いた。
私たちが作った食事は、応龍殿の陛下たちが食事をする房の隣まで宦官が運ぶ。
その隣室で毒見が行われるとか。それも宦官の仕事らしい。
子雲さんをはじめとして五人の宦官がやってきた。
そして私たちが作った朝食を軽々と運んでいく。
いつもこの五人の仕事で、毒見も交代でしているという。
「麗華。私たちは陛下のいらっしゃる房に行き、料理の説明をします。あなたはうしろで顔を伏せていればいいわ」
白露さんにそう告げられてうなずいた。
いよいよ、陛下の御前に行ける。
いや、陛下ではなく劉伶さまがいるかもしれない場所へ。
私が顔を上げられなくても、彼がいたら気づいてくれるかもしれない。
尚食は、白露さん以下私を含めて十一人。
陛下の食事の準備するのだからもっと多くてもいいのでは?と思ったけれど、どうやら人が多くなればなるほど毒を入れられる危険が増すということであえてこの人数なんだとか。
陰謀渦巻く後宮では、女官たちも他人が作った物は食べたがらないらしく、位の高い貴妃たちは自分の宮で信頼する女官に作らせているようだ。
私たちは白露さんに従って応龍殿に向かった。
陛下たちが食事をするという一室は、脚に見事な彫刻が施された大きな卓子と立派すぎる椅子があり、壁には朱色で金の龍が描かれている。
豪華なことには間違いないが落ち着かないなんて思いながらも、青鈴の隣で彼女を真似て膝をつき、首を垂れる。
「陛下が参られます」
誰かの声がして何人かの足音がする。
青鈴が陛下の足元なら見たことがあると言っていたが、私は決して目を合わせてはならないという緊張で一層深く頭を下げた。




