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羽撃く者達の世界 ~演劇部異世界公演~  作者: かなみち のに
第一幕 「羽撃け、友よ。」
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「羽撃け、友よ。」 04

織機キリがこの村を見て回っているのは

それが勇者の務め。だからではない。

することがないから。

演劇部部長の月夜野アカリに「余計な事は言うな」と言われ

ただただブラブラと着の身着のまま歩いていた。

行き着いたのは村の外れの牧場。

馬がいて、牛もいて、ヤギもいる。

そして犬。

馬は見慣れたサイズより一回り小さい。

サラブレッドより脚は太く、小型だが

ポニーよりは大きく「馬」だ。

「モンゴル馬に近いかな。」

頭に角が生えたり翼のある馬は見当たらない。

牛はアンガス種に近い。

つまり食用に特化しているようだ。

乳製品はヤギだろうか。

犬。牧羊犬だろうか。オーストラリアンケルピーに似ているが少し小さく見える。

遠巻きなのでよく判らないが牛やヤギを監視しているようだ。

別の場所から鶏らしき鳴き声も聞こえる。

畜産としての牧場。規模的には個人経営か。

キリにとってはこの異世界と思われる世界でも見慣れた情景。

「これは勇者様。」

背後からの声に少し驚く。

「何かご所望ですか?」

男性が二人。一人は年配で一人は青年。

牧場主とその息子さん。だろうか。

「すみません。見学していただけです。素敵な牧場ですね。」

「恐れ入ります。どうぞゆっくりなさっていってください。」

話をしていると、青年は柵を開け馬を一頭引く。

「私はこれから鉱山で牛の出産に立ち会わねばなりません。」

青年は馬を引き小屋に行き、鞍を乗せ手綱を付け戻る。

「いろいろとお話を伺いたいところでずがこれで失礼させていただきます。」

なんとも丁寧な日本語だ。

「はい。お気をつけて。」

男性は青年に

「あとは頼むぞ。」と言い残し走り去る。

残された青年はおそらく自宅へと戻る。


キリはもうしばらく眺めていようと柵に近寄る。

「まあ本当に勇者様。」

背後から女性の声。

先程の青年が、どうやら母親を連れて戻った。

勇者じゃないのになぁ。

「すみません。勝手に見学して。」

広いだけの牧場で。

あいにく夫は鉱山近くで牛の出産を。

の話から、なぜか

息子は跡を継ぎたく無い。

俺は王都で騎士になるなんて大それた事を。

等々身の上話まで。

すると遠くで鐘の音がする。

「勇者様。どうぞ中へ。」

彼女は無理矢理キリの手を取って家の中に連れ込む。

何事かと思っていると席に着かされ、

昼食を振る舞われた。


食後、キリは

「食事の礼に手伝いさせてください。」

勇者様にそんな事をと断られるが

青年を追って納屋に行き、扱えそうな道具で出来そうな仕事を探す。

日中、動物達は外で放牧。夕暮れに戻す。

放牧の間に小屋の掃除。

「手伝います。」

寝床にオガクズと藁が使われている。

清潔に保たれ、毎日掃除しているのが判る。

「ここはもう終わりますので一緒に積みわらをお願いします。」

キリの目が輝く。

キリは小屋からフォークを取り、

「やってみたかった。」

日本の稲刈り後の田にある小さな円錐のそれではなく、

モネの「積みわら」のような。

キリは喜々としてお手伝い。変なヤツだ。


夕食までご馳走になって、お風呂まで借りた。

馬や牛たちをそれぞれの舎に戻すと

ケルピーに似たあの犬がとても人懐っこく一緒に遊び

ホクホクで部室に戻るキリ。

持たされた土産をアヅマに渡すと

「お前もか」と言われた。

「君も就職先を見付けたのだな。」

当の月夜野アカリは無職のようだ。

「いいのよ。しばらく勇者の冒険を語るから。」

皆が笑っているのは、不安を隠したいから。

その時、部室の戸を叩く音。

「勇者様。助けて下さいっお願いしますっ。すぐに牛舎へっ」

牧場の青年。

キリは訳も聞かずに走る。演劇部員達も何事かと続いた。

向かった牛舎には母親が一人オロオロしている。

掃除は終わるからと中に入らなかったので気付かなかった。

「出産だ。アンガス種は経験がない。」

牧場主は鉱山近くの牧場で同じように牛の出産の手伝い。

空を見上げるが月はまだ出ていない。

「月とかあるのかな。」

満月になると牛の出産が増える的なデータがあるらしい。

などと悠長に構えてはいられない。

「後ろ足が上を向いて。逆子た。」

キリは慌てて駆け寄り、自分が呼ばれた理由を理解した。

「飛節まで出ているって事はこれ以上母牛が押し出せないのか。」

何の躊躇もなく腕を突っ込む。

「ダメだ。引っ張れない。」

こんな時、どうした?知識はある。似たような経験もある。

だが道具は?

ロープ。長い縄それから滑車があると。

「物」を示す言葉は的確に伝わるのだろうか。

牛の足元に水の入った桶。

「もしかして井戸があります?」

「あります。牛舎の掃除用に昔から井戸が。」

「何処です。」

取り囲む部員が避ける先に井戸。

「良かった。ポンプ式じゃない。たしかつるべ井戸とか。」

キリはその井戸に走る。

櫓の下には滑車が付いている。ロープもこれなら。

「牛の向きを、井戸に対して後ろ向きにしてください。」

指示をしながら井戸から縄を全て出し、それを持って走る。

桶のついたままの縄を、足だけ見えている牛に結ぶ。

「すみません手伝ってください。向こう側から引っ張って。」

部員達が井戸に走る。キリは再び腕を入れる。

「いいですか。引いてください。」

ずるり、と呆気無く子牛が落ちる。

「息をしていない。」

桶の中の水を掛けるが覚醒しない。

鼻の中に指を入れて刺激を与えてもだめだ。

子牛の足を開いて閉じてと肺に空気を入れようと試みるがダメだった。

キリは一度深く深呼吸をする。

「感染症のリスクがあるからマウストゥマウスは最後の手段。」

その覚悟の深呼吸。

牛の鼻を押さえ、口に直接息を吹き入れる。

何度も、何度も繰り返す。

「息をして。息をしてよ。」

もうダメだと判っているから涙が溢れた。

それでも何度も続けるが、やはり子牛は目覚めなかった。

キリは、最初に手を入れた時にもう判っていた。

心音が無い。きっと長いあいだこの体勢だった。

僕がもう少し早くここにいたら。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

キリは、起き上がることの無い我が子を綺麗にしようと舐め続ける母牛に謝り続けた。


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