ヘルダーリンの自然讃歌 あるいは ヘルダーリンの自然哲学に関する一考察 Eine Studie zur Naturphilosophie von Hölderlin
ヘルダーリンの生涯の問いとは、形骸化し、活力を失った旧来の宗教の下で
私たちの荒廃した生命をいかに再びあの古代ギリシャのように歓喜と賛歌と横溢に
再生できるか、ということだった。
ヘルダーリンは詩人の直観でそうした現代の荒廃した危機的状況を
「乏しき時代」と端的に表現するのである。
「乏しき時代にあって、いったい何のための詩人であるというのか?」 (パンと葡萄酒)
と
自問を重ねるのである。
その問いを深めさすらいの果てにたどり着いたのが
「聖なる自然」への回帰であり
古代ギリシャへの回帰だったのだ。
古代ギリシャこそ人間が達したもっとも充実した時代だったとヘルダーリンは考える。
それに比べて、、今のこの時代とは何だろうか?
あまりにも乏しくあまりにも荒廃しているではないか。
そこから熱狂的な古代回帰、ギリシャ賛歌の詩が生まれる。
こういう熱狂的な古代ギリシャ賛美のポエムは
周りに人々にはどう映っただろうか?
ある批評家は「彼はギリシャ狂いの変人ですよ」とさえいうのだった。
このようなヘルダーリンを誰も理解できなかった。
ゲーテですら、もっと小さな詩を作るように勧めた。
それはヘルダーリンのような無限を求めて、ともすれば現実を踏み外してしまいがちな青年への良識ある忠告だったのだろう。
また、
シラーは、この理想に燃える詩人に対して、かっての自分の姿を重ねるのだったが、
その極端な主観主義を心配して
もっと、現実的な、良識的な詩を作る様に勧めるのだった。
しかしヘルダーリンはあの「群盗」のあの理想主義詩人から
もっと励ましてもらうことだけを期待していたのだ、
ヘルダーリンは失望するしかなかった。
そしてゲーテのいかにも現実的な人柄にも
ヘルダーリンは絶望するしかなかった。
その絶望はやがてドイツ人全体への絶望に変わっていった。
ドイツ人の国民性そのものがやがて耐え難いものとなってくる。
ヘルダーリンはこう言っている。
「ドイツ人ほど支離滅裂な国民は思い浮かべることができない。
そこに職人はいる、だが人間がいない。
思想家はいる、だが人間がいない。
牧師はいる、だが人間がいない」 (ヒュペーリオン)
ヘルダーリンにとってドイツとは時代の乏しさのそして生の全一性への欠乏の
典型なのである。そしてヘルダーリンは喪心のうちに自らの理想を古代ギリシャに発見する、ドイツへの深い失望とその裏返しの古代ギリシャへの熱狂的な賛美の歌が次々と生まれてくるのだった。
古代ギリシャが今どこにもないことへの痛恨。
それが例えば彼の代表作である「ギリシャ」というポエムのテーマである。
ドイツ人への絶望、時代への絶望はその裏返しとしての
熱狂的なギリシャ賛美へと傾倒してゆくのだった。
ところでヘルダーリンにとってのギリシャとはなんだったのだろうか?
彼は少年時からホメロスを愛読していたし
ギリシャ悲劇に対する愛着がヘーゲルとの友情の基でもあった。
ホメロスとプラトンとソフォクレス、
これがヘルダーリンにとってのギリシャなのであろう。
例えば
プラトンのあの理想主義こそがギリシャの絵姿だった。
たとえばソフォクレスの悲劇に於いては
神々と人間の壮絶な運命の戦いがありそして和解がある。
そこでは人間は神から下された宿命と主体的に和解しえて
絶望せずに生きてゆくのである。そうした生の航路には
乏しさはないと、ヘルダーリンは考える。
そうした生き方こそがヘルダーリンは「生の航路」だというのである。
しかし現代はそうではない。
全的な総体としての運命の統御者としての人間がいないのだ。
しかし現実の
ヘルダーリンは神学校は出たものの、牧師になることを拒否して
しがない家庭教師として生活の糧を得るしかなかった。
そんな中で運命的に家庭教師先で、出会ったのが理想化された現実の女性だった。
その人の名は仮称で「ディオティーマ」と呼ばれた。
ヘルダーリンのような常に傷つきやすく、過敏で、繊細な心は
その落ち着いた夫人の包容力で初めて調和と安らぎを見出したのであろう。
正にこの婦人こそがギリシャの理想的な女性である「ディオティーマ」その人と思われたのであろう。
このヘルダーリンにとっての永遠の女性は
おそらく現実の家庭教師先の令夫人。ゴンタルト夫人と
ギリシャの理想の女性とのアウフヘーベンされた存在だったのであろう。
しかし
現実のゴンタルト夫人は賢夫人であって物静かな人だったそうであるからあながちヘルダーリンの理想化のし過ぎ?というわけでもなかったようではあるが。
彼女は傷付きやすいヘリダーリンの心情を理解して庇護した。
しかし彼女は現実の世界では人妻であり、
良識のある、、いわば現実と和解した女性だから
到底、、夢幻への飛翔を続けるヘルダーリンの熱意を受け入れることなど不可能だったろう。
二人の関係を邪推した周囲は二人を引き裂いてしまうのだった。
ここでもヘルダーリンは深い絶望とともにディオティーマと別離するしかなかったのだ。
そうして古代ギリシャの理想をこのドイツに実現しようというヘルダーリンの試みも
遅々として進まず、現実の前でぼろぼろとついえてゆくのだった。
こうしていっさいに絶望したヘルダーリンは
乏しい現実の前に押し流されて行くばかりだった。
現実に対する深い絶望、
愛は深く傷つけられ、
理想は実現できず
世界は空虚で荒れ果てている。
こうして一切に絶望したヘルダーリンが
そんな彼が最後にたどり着いたのは、、
永遠に息づいている「自然」だったのだ。
かれを最後に抱き留めてくれるのはそう、豊かな自然だったのだ。
それを、やっと彼は長い彷徨と迷妄の果てに気が付いた、
気づかされたのだ、。
彼は自然を再発見する。
そうして
一切に絶望した彼は自然を「聖なる自然」とよび、
「聖なる自然」に、こう、呼びかける。
「私はもうすっかり見終えた。人間についての夢は。
おお、太陽よ、そよ風よ、
今でも私の心にまるで兄弟のように、
生きているのはあなたたちだけだ。」 (ヒュペーリオン)
永遠の聖なる自然だけが唯一の救済なのだ。
「さまざまの苦しみと憤懣を重ねて,飢え、求めている心よ。
そして、、かえって行くがよいのだ。
お前が出でたったところへ、
自然の腕の中へ、
うつろわぬ静かな美しい、この母の懐の中へ」 (ヒュペーリオン)
これより以後、彼はただ自然を賛美することだけが使命となる
自然をほめたたえることが一切となる。
かって彼は様々な苦悩の中にいた。
「この世での私の事業はすべて終わった」(ヒュペーリオン)とまで言った。
「意欲に満ちて仕事に赴いた、その仕事に血を流した、だが、世界を一文も富ませはしなかった」
文化的には荒れ果てた墓地のような祖国
そして運命に抵抗して力強く生きた古代ギリシャのような人間は今はもうどこにもなくて。
乏しさに満たされた人間が影のようにさまよう夜の様な時代、
しかし今ヘルダーリンは「聖なる自然」を再発見したのだ、。
「天上の日輪よ。おんみはまだ輝いている。
聖なる自然よ、御身はまだ緑している」(ヒュペーリオン)
そのような聖なる自然の中にあると感じるとき、一切の乏しさは消える。
まるで
「孤独の悲しみが神性に満ちた生の中に、溶けいってしまうように思われる」(ヒュペーリオン)
のだ。
だが、、と、続けてヘルダーリンは言う。
「そういう高みにしばしば私は立つ。
しかし、一瞬、意識が戻ると、私は下界に投げ落とされる、分別の世界へ帰ると、私は元のままの私であり、孤独で、現世のあらゆる苦しみを負っている」
かってのヘルダーリンのポエムはこういう現実を嘆くものだったが、
後期の自然賛歌のポエムになると、そういう悲傷の言葉は消え失せて、
ヘルダーリンは今や聖なる自然の大司祭となって人々に
聖なる自然の福音を伝道しようとするのだった。
例えば「平和の祝い」というポエムにおいては
この乏しい時代ののちに世界は再び充実と平和を取り戻して、満ち足りるだろうと高らかに予言して賛美している。、
ここにはもはやかってのように、生の乏しさに苦しんだヘルダーリンの姿はない、
そこには聖なる自然がそして未来の讃歌が力強く宣言されるのである。、
だがそのような精神の高揚のさなかになぜ、精神の闇が彼を襲ったのだろう?
ヘルダーリンは南フランスのボルドーに家庭教師の職を得て
ドイツを去る。
それは1801年の12月だった。
ボルドーについたものの、すぐ家庭教師はやめている。
あとの消息は、、途絶えて不明である。どこに行ったのか?
やがて1802年7月になって、故郷のニュルティンゲンに突然帰ってきたとき、
その姿は、、神学校時代には級友から「ヘルダーリンはまるでアポロンのようだ」といわれた端正な姿とは変わり果てて、ぼろぼろの乞食のようだったという。
そしてその時すでに狂気の兆候は明らかだった。
あまりにも純粋な彼の精神は荒廃した俗世間生きるには
長くは耐えられなかったのだろう。
やがてその闇は深さを増して、もう二度と元には戻らなかった。
以後36年間精神の闇の中、肉体だけ生き延びて
自分の名前も忘れ果て、自らを「スカルダネリ」と自称して
乞われれば不可解な詩を朗誦するのだった。
のちに「ヘルダーリンの塔」と呼ばれる古城でこころの闇を抱えたままのヘルダーリンは
孤独のうちに過ごすことになる、そして36年後のある日、
一度も元に戻ることもなく、精神の闇の中で死んでいくことになる。
彼はかってこう歌っていた。
「私たちが抑えることができなかった炎を、私たちは、炎にやかれながら
償うのだ」
ヘルダーリンはこの時すでに自分の運命を予知していたのだろうか?
いったい彼はどこ行こうとしていたのだろうか?
彼の最終目的地はどこだったのだろうか?
狂気に淵に沈んだヘルダーリンに聞いても答えはもう帰ってはこない。
だったら、
それは、、彼のかってのポエムの言葉の中にそれは探すしかないのだろう。
それはたとえば、、、
「完成の中ではいかなる嘆きも、もはや存在しない」
という謎めいた言葉に体現されるのだろうか?
狂気の淵に沈んだヘルダーリンはかえってそこにやすらぎを見出したのかもしれない?
なぜなら
あまりにも繊細で
ふかくきずつきやすい
彼の魂は狂気に囚われることによってのみ、やっと安らぎを得ることができたのかもしれないのだから、、。
彼の墓碑銘にはかれの「運命」という詩の一節が刻まれている。
「聖なる嵐の前にわが牢獄の壁は崩れ落ちよ。
そして今よりは、わが心よ。
壮麗に自由に翼を振るっていまだ見ぬ国へと飛んで行け」
終わり
付録
ヘルダーリンの代表作
「ヒュペーリオン」の梗概。
「ヒュペーリオン」は18世紀、露土戦争を舞台として、ギリシャの青年ヒュペーリオンが祖国ギリシャの独立運動に挺身し、戦争に参加するが、
現実の戦争の悲惨に絶望し、あわせて、永遠の女性、古代ギリシャの理想を体現した、
恋人ディオティーマも死んでしまい、今は隠者として荒れ果てたギリシャの地を彷徨しながら
遠いドイツに住む友、ベラルミンに当てた、書簡体小説である。
其の格調高い文体と清冽な内容は、到底卑俗な現実になじめなかった、ヘルダーリンその人の姿でもあったのだろう。
全編に古代ギリシャへの憧れと、現実の世界の乏しさの対比が歌われ、深い悲しみの文体が面々とつづられている。
人間のはかなさ、もろさ、そして、乏しさがこれでもかというくらい繰り返し美しい文章でつづられていく。
そして最後にたどり着いた結論は自然への回帰であった。ベラルミンへ当てた最後の手紙では、自然賛美の称讃がつづられる。
ヒュペーリオンはその最後にこう言う。
『私は人間界の夢は見つくしたのだ。そして今御身よ、自然だけが生きていると言おう。
人間たちは腐った果実のように朽ち果てるに任せよう。そうすれば彼らは御身の根元に
戻っていくだろうから。
死とはなんだろう?哀しみとは何だろう?
そんなものは人間の幻に過ぎないのだ。
一切は喜びから生まれ、平和の裡に終焉するのではないか?
別れ別れになったものは再び巡り合うのだ。
そして争いとは愛し合うもの同士のささいな不和に過ぎないのだ。
血管は心臓で別れてまた心臓に戻る。
そしてすべては、一なる、永遠に灼熱している生命なのだ、』
これが決定稿の「ヒュペーリオン」の最終節である。
筑摩書房世界文学全集「ドイツロマン派集」に収載されています。
河出書房よりヘルダーリン全集が出てますので全作品が日本語で読めます。
参考文献
ヒュペーリンの初期稿「タリーア断片」について↓
https://ncode.syosetu.com/n0426by/
ヘルダーリン全集 全4巻 河出書房新社
ヘルダーリン ロロロモノグラフィー叢書 理想社




