6.しの
二日目 午後9時
七森は貸し与えられた部屋で、澄水と一緒に震えているしかなかった。
首の痣。
祟りの象徴。
人柱。
さすがの七森も出された夕食に手がつかなかった。
「七森さん……」
澄水が辛そうに声をかける。
その声に七森は顔を上げた。七森は無理やりに笑顔を作る。
「――――澄水さん、きっと大丈夫ですよ。四条先生って結構すごいんですから!」
空元気と分かる分辛い澄水だったが、暗い顔をしていても事態は好転しない。
「そんなにすごいんですか?普通のおじさんに見えちゃったんですけど」
「あはははっ それ、本人に言ったらすっご―――く、いやそうな顔されますよ。あ、でも澄水さんなら大丈夫かな?」
「ホントに仲良しなんですねぇ」
「ちょ、ちょっと何を言ってるんですかさっきから! 祟り以上に無いですって!!」
そう言って二人で笑う。
「いやまぁ、ホントにそういうんじゃないんだけど、でもスゴイのは本当なんですよ。前の取材の時も、あ、四条先生って基本ホラ―とか伝奇小説書くんですけどね。取材先は出るって有名な廃墟みたいな病院なんです!夜の病院ってだけで怖いのに、平気で一人で取材に行っちゃうんですよ!」
「うわ―― さすがに廃墟の病院は行かれませんね。七森さんは行かなかったんですか?」
「ムリムリムリ。基本取材に編集がついて行くのは、作家さんに負担が無いように雑用のためとか、あと経費で落としたりとかなので現地までは行かなくても良いんですよ」
「でも今回は来たんですね?」
澄水はほほえましいものを見るように笑っている。
七森は勘違いされていることをひしひしと肌で感じた。
「ほんっと----に、何もないですからね」
「はいはい。分かりました」
「分かってないでしょ―――!!四条先生がすごいのは一年のうち、ほんの二日か三日位なんですから!」
「それは何と言うか… その他の360日ちょっとは?」
「ただのスケベ親父です!!」
そしてまた二人で笑う。
ガールズ?トークの威力なのか、確かに暗い雰囲気は少しずつ無くなっていた。
基本的には楽天家の七森の性格所以なのかもしれない。
そのまま他愛ない話を澄水としていた七森だったが、突然扉が開いた。
「父さん!」
「澄水、首に湿疹が出たと言うのはそのお嬢さんか?」
言葉は疑問形だったが、顔はそうと断定しているようだった。
「え、あ… そ そうです。でも――」
「澄水、私は今からそのお嬢さんと話しをしなければならない。自分の部屋に行っていなさい」
「―――でも… 」
「澄水!」
「―――――――私も、ここにいます。私の村の事なのに、何故私が聞いてはいけないのですか?!」
「そう言う決まりだと教えただろう!」
「納得できません!!」
「澄水!!」
「結菜とも関係のある話ですよね。私、ここを動きませんから!!」
父も娘も一歩も引きそうにない。
しかし、七森には話しを聞かなければこの先に進むすべは無かった。
「澄水さん、ありがとうございます。私、話し聞いてみます。って言うか聞くしかもう方法が無いでしょ? 話しが済んだらまた呼んでもらいますから」
「七森さん――― でも。…でも」
「大丈夫です。廃病院は行って無いけど、普通の廃墟位なら行ってるんですよ? 大丈夫大丈夫!」
「……父さん。話が終わったら必ず呼んで下さいね。必ずですよ!!」
澄水の声を聞いても父――村長は無言だった。
答えたくないのか、答えられないのか――
「それで私に、どう行ったお話が?」
七森は村長をまっすぐに見た。村長の視線は一定せず、落ち着いていない様子が七森には見て取れた。
村長はしばらく逡巡した後、扉開けて外に待機していた人を部屋の中に入れた。
ほとんどが老人で、村長を入れて三人。
「お嬢さんにはこれから一緒に神域へ行ってもらわないといけない」
そう村長は話し始めた。
「聞いたと思うが、その首の痣はアシノ様の祟りのしるしなのだ。このまま家に帰っても祟りはついてくる。神域に行って、アシノ様の許しを貰わなくてはいけない」
「許しって――ー?」
「その儀式がある。その儀式に参加してもらわねばならない」
「どんな、儀式なのですか?」
「酒などの供物と共に、――――舞を奉納する。舞は結菜が知っているだろうから、ついて一緒に舞うだけで良い。簡単な動きだ」
「それだけ……?」
「それだけとは言っても、明かり一つない暗闇の中、神域に入るのだ。深くは無いが森の中だ。そこを松明の明かりだけで登る。若い娘には、そう簡単なことではないと思うが」
「あ、いえ―― もっといろんなことを想像しちゃって」
「良ければ着替えをしてもらおう。その服装と言う訳には行くまい。アシノ様に罪の無いことを証明するため、と言う意味があるらしく白装束と決まっている。妻が持ってくるので着替えが終わったら声をかけるように」
そう言って部屋を出る村長。
七森は気が抜けたように、座り込んだ。
「―――――そうよね。この時代に人柱なんて… バカみたい」
そう呟いて座り込んだ七森は、その後は行ってくる村長の妻の言う通りに白装束に着替え車に乗る。
「あ、…澄水さんにも同行の者にも何も言ってこなかったんですけど…」
「澄水には父から話がいっておりますよ。もう一人のお客様の方には私の方から伝えておきます。そう時間はかからないでしょうし。―――では本当に暗いので気をつけて」
そう言って村長の妻に送り出された。
車の運転は村長ではない。
見知らぬ村の老人だった。
これで良かったのかと、突然に不安になる七森。
四条に一言言わなかったは最大の失敗ではないのか。
しきりに後ろを気にする七森に、運転していた老人が声をかける。
「すぐに終わりますよ。そんなに気にしないで」
そう言われて、はいそうですかと言って良い状況なのかも七森には分からない。
不安になりながらも、ここまで来てしまったら行くしかない。
行く先には結菜も居るはずなのだ。
本当に街灯一つない村の中を、車のライトだけを頼りに進む。
確かに道に不案内の者が車を運転したら、田圃に突っ込みかねない。
そのまましばらく走ると、片側に森が出現した。
◆
二日目 午後十一時
これが神域か、と車のライトが消えないうちに森を見上げるが、さすがに全容は見えるはずがない。
車が止まったかと思うと、両サイドより松明を持った老人が迎えに来る。
「ここなんですか?」
「はい。…この上になります。暗いので気をつけて」
老人たちは七森とは逆に真っ黒の着物を着ていた。
闇にまぎれそうで、見失わないか不安になる。
慣れない草履の上に、着物の裾が邪魔で歩きにくい。
七森は車を降りたものの、このまま行って良いのか不安はさらに強くなる。
「あの、結菜さんは」
「既に上で待っております」
そう言われれば行くしかない。
老人は左右に一人ずつ。
前に一人。
それぞれが松明を持っているので明かりに困ることは無いが、火がある分その奥の闇が深い。
なだらかな斜面を登って行くと、昼間四条の見た石碑の所まで来る。
その向こうには篝火がたかれて、石碑の前には結菜が同じ白装束で待っていた。
「七森さん―――」
結菜の表情は硬く、顔色は白に近い程青ざめている。
「結菜さん、大丈夫ですか?」
「わ、私こそ七森さんまでこんな事に――――」
「私は大丈夫ですよ」
七森はまた、気合を入れて笑顔を作った。
「二人とも揃ったな」
と村長が昇って来る。
「七森さんは外の人じゃないですか! 何で彼女に――!」
「それは私にはわからない。しかし印が出た以上仕方ない」
「そんな―――!」
村長に駆け寄ろうとする結菜を、側にいる老人が止めた。
「そろそろ準備を」
村長の一言で二人は石碑の内側に入るよう促される。
途端に結菜が抵抗した。
「この先は神域だわ!何故女を入れるの!?」
「―――今日は儀式だ。そのための白装束だと言っただろう」
「でも―――!!」
結菜の態度に、この社に対する信仰がこれほど深いのかと、七森は不思議に思う。
しかも、結菜を見ているとただ舞を舞って終わりと言う訳には行かなそうだ。
「入れ!」
「あ!」
結菜が老人に腕をひかれ神域に入る。
途端に何かに殴られたかのように動きを止め、そのままくずおれた。
「結菜さん!?」
「これが神域に女が入れない理由だ。―――すぐに目を覚ます。お嬢さんも入りなさい」
さすがにこれは、素直に入れないだろう。
「いや、でも――」
後ずさろうとしたが、やはり老人に腕を掴まれる。
「や、ちょっと待って―――!!」
そう言っても待ってもらえるはずが無かった。
神域に一歩入った途端、七森の頭の中に見たことも無いような光景が広がる。
「あ…… ――――――!!」
七森も結菜と同じように倒れる。
しかし七森は気を失った訳ではなかった。
意識はあった。
ただ、その意識は別の所にあったのである。
◆
???年前
(なに、これ… この風景――― )
そこは小屋の中のようだった。
木を適当に組んだような、家とは言えないような、小屋。
そこに娘が一人で住んでいた。
娘は顔の半分に酷い傷があり、片目は見えていないようであった。
着ている物は襤褸を纏っており、酷くみすぼらしい。
しかし、顔の傷さえなければ綺麗な娘だと七森は思った。
娘は日々の食べ物にも困るほど貧しかった。
年は二十歳前後だろうか。
娘が外に出る。
それと一緒に七森の意識も小屋の外に出た。
(この子は誰? 神域と何か関係があるの?)
七森はそう思うが、思うだけで声が出る訳でも自分で動けるわけでもない。
映画を見るように娘の生活を見ていた。
どうやら、娘はかなり昔の―― 少なくとも明治よりもはるか以前の時代であると思われた。
娘には家族は無かった。
親はとうに死んだらしい。
そんな会話を村人がしている。
娘は豪農の下働きをすることでやっとやっと食べて行く生活をしていた。
(あれ?あの子の雇い主の農家って……照冶さんに似てる?)
その豪農は村の最奥に屋敷を持っており、照冶の先祖を思わせた。
娘の雇い主は、娘を手荒く扱ったりはしなかったが、最低限の物しか与えなかった。
しかし、その村自体が貧しく、田圃の稲も萎れてこのままでは秋の収穫は見込めないのではないだろうか。
そんな中、雇い主の豪農の息子だけは娘に優しかった。
息子は、時に食べ物を分け、時に娘の仕事を手伝った。
娘―― 名を「しの」と言った。
しのがそのの息子に恋心を抱いていることは七森には痛いほど分かった。
しかし、水面に移る自分の顔の傷を気にしていることも。
日々は過ぎ、水不足はいよいよ深刻になって来る。
もうこれ以上待ったら、冬が越せなくなると言う段階まで待ったが雨は降らなかった。
この時村長は、人柱を建て降雨を祈願することを選択する。
(――――人柱――― 本当に、あったんだ)
村長は言う。水神は一つ目を好むのだと。
この村に片目の者はしのだけであった。
村長はしのに人柱になるよう頼んだ。
他に一つ目の者がいないのだと言って。
事実それに相違なかったし、しのには家族も無く反対する者も居なかった。
しのはそれを承諾した。
承諾したのだ。
しのが人柱にされると知った息子だが、反対は出来なかった。
その代わり、しのに一つの櫛を送った。
身の回りを整える物一つ持たない娘であったしのは、殊の外喜び、残された日々その櫛を使い髪を梳り、また結った髪に飾った。
人柱となるその日まで。
その日。
しのは白装束で、小さな山の上にいた。
現在の神域である。
「照太郎様――― しのはあなたのために村を守ります。必ず雨を降らし、この村を守ります」
村人の見守る中、しののその小さなつぶやきを聞きとれた者がいるだろうか。
しのを見守る村人のなかにしのの思い人――照太郎も入っていたが、聞こえた様子は無かった。
そしてしのは小さな懐剣で自分の咽を突いた。
その血で赤く染まる大地。
そしてその側のがけ下にある川へ赤は流れる。
村に雨が降ったのは、その次の日であった。
(しのさん―――)
一部始終を見た七森は、泣いていた。
自分で動くこともできないのに涙が出ていることは分かった。
しかし、これで終わりではなかった。
山の中腹に位置するこの村は、中央に流れる小さな川のみを水源としており、旱魃の被害は度々おこった。
その度に、しのの霊が現れ人柱を指名して行くようになったのである。
しのは、今際の際の言葉通り村を守ったのだ。
人柱を建てることによって。
ある時、指定された人柱を建てない事があった。
家族が、その娘を隠したのである。
その時、村を守ろうとしたしのによって祟りが生じた。
村のあちこちで干からびた死体が見つかった。
この頃にはもう「しの」としての意識は曖昧だったのだ。
無差別に起こる祟りに、結局指定された人柱を建てるほか鎮める方法は無かった。
村は、しのを手厚く葬った。
石碑を建て慰めたが、やはり旱があればしのは人柱を指定した。
そのころにはしのの姿はすでになく、しのの突いた咽に痣が出ることが人柱の印となっていた。
この方法では、しのを止めることが出来ないことを知った村は、しのが人柱になった場所に社を建立し、しのが最後まで大切に持っていた櫛を御神体とした。
しのの櫛は照太郎が大切に保管しており、代々の村長に受け継がれていたのである。
そしてその後にも人柱として建てられた娘たちと共に、しのの名を取り「アシノ様」として大切に祀らた。
その後は、しのの「しるし」が出る回数は減ったが、やはり村が壊滅的な程に雨が降らない時には「しるし」が出現した。
そして人柱を建てると、不思議と雨は降るのである。
そうして、大切に祀られて過ごすうちに「しの」の意識は更にぼやけて行った。
雨が降らねば、人柱を建てさせる。
そのことしか、しのの意識には残らなくなっていった。
そんなある日。
常には村長が行うアシノ様の祀りを、村長が不在のおりその妻が行ったことがあった。
するとその妻は、しのの体験したことを、全て見たのである。
―――――そう。現在の七森のように。
妻はあまりの事に驚き、正気に帰るのにしばらくの時間が必要だった。
それ以降、神域を禁足地とし、特に女が入ることを禁じた。
旱の度に、繰り返される雨を呼ぶ儀式。
それは当たり前のように戦前まで続けられていた。
上流にダムが造られ、雨が降らずとも農業用水に不自由しなくなっても、しのは村を守り続けたのだ。
そして現在。
記録的な猛暑。
降雨量は記録史上最低と言う。
しかし、取水制限は出ているものの、水田には青々とした稲が育っている。
それでもしのは雨が降らぬため今回は結菜に「しるし」をつけたのだ。
村を守るために。
村を守るために。