4.人柱
二日目 午前7時
昨日は、あの後老婆を連れて四条・七森と澄水は結菜の母の車で水無家に帰ったが、老婆は照冶の父や祖父と長い間話をしており、夕食に出てくることもなかった。
結局は照冶の両親や祖父母にはまだ会えていないのである。
朝食の席で照冶と澄水は、四条と七森に昨晩遅くまで両親や祖父母、更に深夜にもかかわらず村の老人が複数訪ねて来ていることを話した。
「やっぱり神域に子供とは言え女の子が入ったのが、そんなに悪いんですかね―」
比較的のんきに食べながら話をする七森。
ちなみに七森は箸の持ち方が悪い。それを何度か四条が注意したことがあるのだが、治る兆しは無い。
「大問題になっていますよ。僕が物心ついてから初めての出来事ですし」
「大体は厳しく言われるんですよ。どこの家でも。女の子が生まれたら何より先に教えろって言う位に」
「それはすごいですね」
若干四条が呆れたように言う。
そこまで厳密に守らねばならない神域とは。
「今日はその神域へは行けそうでしょうか?」
と四条が一番気になる部分を聞いた。
「それは大丈夫だと思います。七森さんはその間どうされますか?」
「あ、私は電話とファックスを貸してもらっていいですか?出版社の方がこの辺の伝承とかを調べてくれているはずなので、それを読んでます」
「分かりました。家族には言っておきます。澄水、今日は出かける予定は?」
「午前中は無いので七森さんと一緒にいますね。何か手伝えることがあったら言ってください」
「ありがと―ございますっ」
にこにこと笑う七森はすっかり澄水と仲良くなったようだ。
「実際その神域とはどんな所なんですか?」
食事を終えお茶を飲みながら、四条が話し始める。
朝食と言えば、コンビニおにぎりだった四条には、焼き魚から味噌汁・漬物に、きっとここで採れたと思われる野菜までついた朝食はとても美味しいものだったが、やや胃にもたれる。
「普通に小さな山ですよ。登り口と反対側が崖になっていて、その下に川が流れています。まわりは水田でその中に半分に割ったお椀をふせているような感じかな?」
「社はその頂上に?」
「はい。もう少し行けば断崖と言う感じの所に建っていますね。――じゃぁ少し休んだら暑くならないうちに行きましょうか?」
「その方が良いだろうな」
外は今日も快晴だ。
日中出歩くなど、考えたくもない。
◆
二日目 8時30分
社のある神域までは、照冶が車を出した。
そんなに離れてはいないが、帰りを考えると暑いのは遠慮したい四条は断らなかった。
水田の間を少し走ると、そこだけ取り残されたように小さな森が見えた。
「あれが御社のある山ですよ」
それは、四条の思っていた『山』よりはずっと小さかった。
普通ならば丘や峠と呼ばれてもおかしくない高さである。ただ、なだらかな平地にそこだけ高くなっているため、山だと言われたら山なのかもしれない。
しかも、水田の中にポツンとある森のせいで人を寄せ付けない神域になっているようだった。
「あの森全体が神域なのか?」
「いいえ、厳密には山の山頂近くにある石碑から上なのですが、あの森自体に女は近寄りません」
「……あれだけ分かり易ければ近寄らないだろうなぁ」
「でもまさか子供が入ってしまうなんて―――」
照冶が顔を曇らせる。
「昨日は言わなかったが…… 首に痣が出来る。その娘は神隠しにあう。そして川が赤く染まる。ってことはその娘は上流で殺されたっと、水無さんは考えている――と言うことで良いですか?」
「そうですね。はっきりとは言いたくはありませんが、過去にこの村でそんな事件があったのかもとは考えています」
「しかし、一度そんな事件があったとして―― いや、事件はきっと一度ではなかったはずです。昨日結菜さんのお婆さんが「しるしは一度出ると続く」と言っていました。しかも水無さんの御両親や村の人の反応を見ると、言い伝えなどの生優しい物じゃない。現実味のある恐怖を感じている印象があります」
「確かに僕も今回の事には疑問が多いんです。何故結菜さんだったのか――神域に入ったのが妹だったのに」
「私もそれは疑問に思いました。しかも―― 何故祟りのしるしが出るのでしょう?普通に聞く祟りは突然事故になったり病気になったりしてそれが祟りだと気付かない場合が多い。なのにこの村ではしるしの方が先に出る。これが何を意味するのか…」
そんな話をしている間に、車は神域の山の入口まで来る。
車のドアを開けるとむっとした空気が四条をうんざりさせた。これから山に登るのに。
「四条先生、こちらです」
「ああ、入口は分かりやすいんですね」
神域の入口は、綺麗に石段が組まれ雑草なども見えない。
毎日誰かが手入れしているのだろう。
最初の数段の石段の後は、なだらかな斜面だった。
これなら登山と言う雰囲気ではない。
四条はホッとして肩から力を抜いた。
参道は道幅も広く取ってあり、登りやすかった。
掃除が行きとどいているのはもちろん、適度に伐採された木々は陽射しを上手く遮り、心地よい風に汗がひく。
「こんな時でなかったら気持ちの良いところですね」
「ええ、村のみんなで大切にしている場所なので」
しばらく登ると、石碑が見えた。
「ここからが神域です」
「これが―――」
四条は石碑を観察する。
石碑と言うからには、何かしら由来などが彫ってあると思ったのだ。
表面はつるりとしりており、何の文字も見いだせない。
裏に回ると小さな文字で何か彫ってあるのは分かるのだが、とても読める状態ではなかった。かなり古い物のようだ。しかしこの石碑も、苔むすことなく綺麗な状態に保たれている。
「本当に丁寧に、大事にされているんですね…」
四条はつぶやくように言う。
この時代にこれだけ大切にされている社が、他にあるだろうか。
「石碑からはすぐなんです。ああ、あそこが御社ですよ」
照冶の声に目を向ければ、社が見える。
四条の予想よりはるかに小さな社だった。いやむしろ祠と言っても良いかもしれない。
「思ったより小さいんですね」
「そうですね、神社とかの規模はありませんね」
しかし、ここも綺麗に拭き清めてあり、ここ数日の一件のためなのか供物が多い。おそらく朝飾られたのであろう花は、この暑さにも関わらず美しく咲いており、菓子や御酒、果物などが社の規模に比べ場違いな程多く捧げてある。
「いつもこの位の御供物を?」
「いえ、いつもは花と菓子位ですよ。しるしの一件があったからじゃないかな?」
四条は社から目を離し、周りの様子を確認する。
社のすぐ後ろは崖になって、下は川が流れているのがよく見える。
しかしそれだけで、木立以外は何もない。
普通あるべき鳥居や狛犬などのものが全くなかった。
「鳥居とかが無いんですね」
「え、ああそうですね。気にしたことは無かったな」
四条は再度社を見る。
格子になった、両開きの扉があり中に何かある。
「この中は?」
「御神体があります。古い櫛のようですね」
「櫛――?」
御神体として、櫛と言うのは珍しい。
「ここで御祀りしている神様は女神なのか…?」
「アシノ様ですか?そうですね、供物に御酒よりも菓子が多かったりしていますし、そうなのかもしれません」
「それで、女人禁制の神域が出来たってことなら、そこまでは分かるが」
「女神だったら女人禁制になるんですか?」
「そういう例は多いと思う。そもそも山の神は女神が多いそうだ。なので昔は女人禁制の山は多かった」
「そうなんですね」
「しかし、御神体が櫛で女神と言うと―――」
そこまで言って四条は黙り込んだ。
情報が、点で入って来る。それが繋がらない。
しばらく四条が考え込んでいると、照冶が声をかけてきた。
「そろそろ戻りますか?帰ったらちょうどお昼位でしょう」
「あ、ああそうだな。すまない考え込んでいた」
「いいえ。そのために来ていただいたんですし」
四条は帰りの車の中でも無言だった。
◆
二日目 9時
七森は出版社のミーティングが終わっているだろう頃を待って電話をしてみた。
昨日の今日ではなかなか情報収集と言っても進んでいないかもしれない。
電話に出た七森の先輩編集者は、案の定なかなか集まらないと言う。
とりあえず今集めっている分だけでもファックスしてもらうようお願いする。
「はぁ。」
「どうしたんですか?七森さんいつも元気な感じだったのにため息なんて」
「うーん。何だか調査進まないし、上手くいかないなぁって」
「私が言うのもなんですけど、何でもうまくは行かないんじゃないですかねぇ。私も大学じゃ上手くいかないことばっかりですよ」
「そうですね―」
「でも結菜の事が夏休みの間で良かった。せめて側にいられる…」
「―――今日は結菜さんは?」
「さっき電話したんだけど、お婆ちゃんが今日は離してくれそうにないって」
「心配なんでしょうね」
その言葉に澄水がうなずく。
「私も、心配です――」
その声は、とても細く心もとなく聞こえた。
その後、10分以上にわたり水無家のファックスは資料を吐きだし続けた。
「何よこの量!!先輩の嘘つき――――っ!!!」
七森の大きな悲鳴が水無家中に響きわたった。
それから、澄水と二人で資料の整理をして分類。
その後必死で目を通す。
『この近辺の』伝承と言う曖昧な注文をした七森も悪かったが、近隣の県の伝承まで入っている。
どこの資料館か図書館に行ってきたのか、または自社の資料にあったのかとにかく量が多い。
それから二人は四条達が帰ってくるまで必死で資料に目を通したのだった。
◆
二日目 12時
社を見に行った四条た照冶と、七森達は昼食時に情報交換となった。
昼食には、やはり野菜の多くのった冷麺が出された。
「本当にここのお野菜おいしいですねー」
と、とにかく食い気は何よりも優先される七森が絶賛する。
「確かに野菜が美味しいですね」
四条もそう言うと、照冶が嬉しそうに笑った。
「全部うちで作ってるんですよ。うちは米だけじゃなくて野菜もやってますから」
言われてみると照冶は、よく日に焼けており高い身長もあって、さぞ肉体労働でも苦にならないだろうと言う体型をしている。
40歳の大台に乗った四条では敵う訳がない。
「でも毎日こんなうまい野菜が食べられるんだから、農家も良いよなぁ」
「年中無休で大変は大変ですけどね」
「年中無休は俺もだな」
と、ちらっと七森を見る。
七森は、ムッとしたようだ。
「年中無休なのは四条先生のせいじゃないですかー!ちゃんと締め切り守ってくれたらおやすみだってあったのに!」
「今回は原稿渡したその瞬間次の仕事が入ったけどな」
「それだって…」
そこまで言った所で、我慢できないと言うように澄水が笑いだした。
照冶も笑うのを我慢しているようだった。
「仲が良いんですね」
「違います――!」
「無いな」
「そう言われても腹が立つんですうが」
「仕方ないだろう。無い物は無いな」
平常運転の四条につっかかる七森を、水無兄弟はほほえましく見ていた。
「で、お前の方は成果はあったのか?」
食事が終わって、お茶が出てきた所で四条が何森に聞いた。
「うーん、『この辺』って言う曖昧な指定が悪かったのか結構いろいろな伝承とか出てきたんですが、本当にここだったのかははっきりしないんですよねー」
「ってことは、何か出たのは出たんだな」
「ええまぁ」
「じゃぁ、『御神体の櫛』『女人禁制の山』『連続する祟り』『前兆のある祟り』それと…『御霊信仰』とかに引っかかる言葉は無かったか?」
「えーと。どうかな…… あ、人柱の伝説がありました! もしかして御霊信仰に引っかかります?」
四条は目を見開いて、動かなかった。
人柱。櫛を御神体とする社。おそらくそれは繋がるのかもしれない。それは御霊信仰だろう。祟りを恐れるのはそのためか―――
おそらくこの村は昔、あの櫛を使用していた娘を人柱として建てたのだ。