3.禁を犯した子供
一日目 午後4時40分
澄水の案内で行くことになった雨音家は、ここから歩いて10分もからないと言うことで、四条達は歩いて行くことにした。
村の様子も見たいと四条が主張したためである。
「暑いですけど、良いですか?」
と、澄水は気にしているようだったが、七森はもちろん平気だったし四条もまぁ何とかと言うところだった。
「今年は暑いですよね」
手で日差しを遮るようにしながら、前を歩く澄水が言う。
確かに今年の暑さは異常だとテレビが「観測史上最高」を何度も繰り返していた。
「エルニーニョとか言うやつですかねー」
と、こちらは暑さなど気にもしない七森。
四条はさすがに室内労働者だったため、歩きながらしゃべる気にはならない。
それ程に今年は暑かった。
しかし村の様子を見たいと言ったのも四条だったため、ここは目的は果たさなければならない。
もう夕方になろうかと言う時間なのに、相変わらず日差しは強く濃い影を作る。
蝉の声は既に感覚の外に行ってしまい、気にならなくなってしまった。
この暑さでは仕方ないが、人影が見当たらない。
周囲は稲作を主とした田園が広がっており、なだらかな斜面を水田が美しい模様を作りだしている。
田圃にももちろん人はいない。
道は舗装されていない砂利道で歩きにくく、雨でも降れば歩くのも大変だろう。
田圃の合間にとびとびに家屋があり、それぞれの家の間隔は、都会の人間に言わせればとても『お隣さん』と呼べる距離ではない。
上を見ると、目に滲みるような青空が広がっており、電柱は所々にあるものの街灯と言う物が見当たらない。
田圃の合間に家があるため、村全体の面積は広いだろうが、人口密度は恐ろしく低そうだった。
「この辺りは街灯は無いんですね。夜はさぞ暗いでしょう」
「ええそうですね。でもここで生まれて、この環境に慣れているのであまり苦にはなりません」
澄水が笑顔でそう言う。
しかし四条には苦になりそうであった。
「夜は出歩けないな」
「あ、本当に夜は止めておいた方が良いですよ。時々酔っぱらって田圃に落ちちゃう人もいますし」
「……親父に街灯をつけるように言っとけ。補助金が出るはずだ」
「うーん…父は、あ、父に限らないんですけど、外の人が入ってくるのを嫌うんですよねぇ」
「―――じゃ俺たちは?」
「兄さんが必死で説得しました。……でも態度悪かったらすみません」
「…了解しておく」
本当に取材になるのか怪しいと言うように、四条はため息をついた。
「ホントにこの辺、人にあいませんねー」
「まぁ、人口自体少ないですしね」
「でもその分、自然がキレイだよね」
取材に関しては、七森の方が必死になっても良い位だと言うのにこの態度である。
「あ、こんな色の朝顔もあるんだ― 綺麗な黄色だね」
「あ?お前それ…」
「あ、あそこです。結菜ちゃんの家」
二人が前を向くと、これもまた立派な門構えの屋敷だった。
「ふわー 何だかこの辺のお家って立派なんですね―」
「ああ、正確には結菜ちゃんの家は私の家の親せき筋になるんです。普通の家の方がもちろん多いですよ」
この閉鎖された村で育った澄水の『普通』が当てになるのかは分からなかったが、とにかく雨音家は大層な旧家であるように見えた。
「おじゃましまーす!」
ベルも鳴らさず、挨拶だけして入って行く澄水。どうやらこの村ではこれが『普通』らしい。
「ああ、澄水ちゃんいらっしゃい。結菜のためにありがとうね」
中から中年の女性が現れる。
この人が結菜と言う、仮定祟りの被害者の母親だろう。
「こちらが作家の四条さんと、七森さんです」
「四条太一郎と言います」
「担当の七森です」
その二人のあいさつに、申し訳なさそうに結菜の母親が頭を下げる。
「遠いところから申し訳ありません。私達ではもうどうしようも…… このようなことは病院でも相手にしてくれませんし、何か出来るとも思えません。かと言って、この地にお寺も神社もありませんし」
「娘さんをこの地から離して、寺なり神社なりにつれて行くという方法は?」
「それも考えています。でもそれで解決するとも限りませんし、原因がこの地ならここで調べた方が早いと思いました」
理にかなっている。四条はこの母親に対する認識を改めた。
「とにかく入って下さい、歩いて来られるとは思いませんでした。暑かったでしょう」
「すみません。村の様子を見ておきたかったので」
「何もない所ですよ」
母親は苦笑しながらそう言う。
「どうぞ」
やはり立派な日本庭園の見える応接間に通された三人は、冷たい麦茶をまず飲み干す。
「あー、暑いですね―」
「もうお前は黙ってろ。それで、本題に入っても良いでしょうか」
水分を補給して少し元気になった四条は、暗くならないうちにと話を切り出した。
澄水が結菜を呼びに行き、本人を交えて話を聞く。
「まず、最初に異常に気がついたのは何時ですか?」
「ちょうど10日前の朝です。起きて、顔を洗おうと思ったら、ここに――」
と、頸部の中央を指す。
「二三センチの帯状の湿疹があったんです」
「鏡を見て気がついた?痒かったりとかは?」
「ありません。今も痛いとか痒いとかは無いんです。でも今も広がっていて、明日くらいには首を一周して繋がってしまいそうです」
「すぐに変だと思ったのかな?」
「いいえ。その日は何か擦れたのかな?位にしか思わなかったんですけど……」
結菜が少しうつむきながら言う。
「けど?」
「……最初におかしいって言いだしたのはお婆ちゃんだったんです。次の日でした。湿疹が広がっていて、お母さんと病院に言って方が良いかなって話をしていたら…」
「お婆さんは何と?」
「それは祟りのしるしだと――」
「他には?」
「いいえ、特に…… ただ、このしるしが出たら神隠しにあうから、アシノ様にお許し下さるようにお参りにいくんのだと、父と祖父が澄水ちゃんの所に行きました。それからの事は私には分かりません」
「アシノ様に御許しを貰う…?」
「このしるしはアシノ様の祟りだとされていますから…」
「澄水さん、最近そのアシノ様の御祀りが出来なかったとか、何か異変があったとかは聞いていないかな?」
「いいえ。父の仕事の半分以上はアシノ様の御祀りに関することだと思いますが、異変があったと言う話は聞きません」
「祟りが出る条件は、御祀りを怠ることと――?」
「女性が神域に入ることです」
「結菜さんがその神域に近づいたと言うことは?」
「絶対にありません。神域と言うか、あの一帯に近づく女性はいません」
その言葉に澄水も一緒に頷く。
「では、今回の祟り… これが祟りだと仮定するとして、この祟りの原因は分からないんですね」
「はい… せめて原因が分かればとは思うのですが」
「では、原因が分かったとして、その原因によっては何とかすることが可能なのですか?」
「いえ、私ではそこまでは…」
と、結菜は母親を見る。母親も首を振っている。
「お婆ちゃんなら何か知ってるかな?」
「……話してくれるかどうかは分かりませんが、呼んできます」
そう言って母親が席を立つ。
その直後、六・七歳位の女の子がちょこっと顔を出した。
「春菜! 大事なお話をしてるからお部屋に行っててって言ったのに」
「お姉ちゃん… 私――――」
「どうしたの? お腹すいたんなら…」
「ちがうの! ちがうの… 私、私が―――」
「春菜?」
「私が、アシノ様の所に行ったの……」
最後の方は消え入りそうな程の小さな声だったが、その場にいた者にははっきりと聞こえた。
「え?! 春菜?アシノ様の所って―――」
「行ったらダメだって、言われてた所…… だってクラスのみんな行くって言うんだもん」
「クラスのみんなって、あんたと後、男の子が二人いるだけでしょ!!」
「行かないって言ったら、弱虫って……」
「春菜――――」
結菜はそれ以上言葉が出なかった。
そこへタイミング良く母親が祖母を連れてやってきた。
「お母さん! 春菜が神域に入ったって――!!」
「え……?!」
「なんてことを!!」
一番大声で叫んだのは祖母だと言う老婆だった。
四条達はもう会話に入ることが出来ない。
「春菜! それは本当かい?一体いつ―――!?」
「夏休みに入る前位…」
「春菜!! あんたが原因だったのかい!」
「だって、だって――――」
激昂する老婆に対し、どしたらいいのか分からずにいる母、目に涙をためた結菜。
「ちょっと、ちょっと待って下さい。落ち着いて。落ち着かないと話はできません」
とにかく止めなければ話しが出来ない。四条は老婆と結菜を宥めにかかった。
「七森、澄水さんと一緒に春菜ちゃんを別の部屋へ」
「はい!」
こう言う時の七森の行動は早い。
ぼろぼろと泣きだした春菜を連れて、澄水と共に別室へ向かう。
「待ちなさい春菜!!」
「落ち着いて、いいですか、今春菜ちゃんは話しが出来る状態ではありません。まずは大人が落ち着いて下さい」
「よそ者に事態の恐ろしさは分からん!!」
「私は確かによそ者です。しかし外部の者だからこそ見えることもある。とにかく、落ち着いて下さい」
四条は必死で老婆を宥めるが、祖母は春菜を追いかけようとする。
「例え、原因が春菜ちゃんであっても解決しなければならない問題は結菜さんではないのですか?落ち着いて下さい」
結菜の老婆は、ここでやっと四条の顔を見た。
視線が合えば、大体の人を説得できる自信が四条にはあった。
「しかし――春菜をこのままには…」
「それは結菜さんの問題よりも優先すべき問題ですか?春菜さんは今、澄水さん達が見ています。ここで話をして、落ち着いてから会ってあげてください。――――そもそも、このままに出来なければ、どうすると言うのですか?」
「それは――――」
「神域に入ったと言うことなら、澄水さんも聞いていました。私達が帰る時には澄水さんも一緒に帰ります。その時村長さんに報告するなり一緒に対処しましょう」
「―――それでも、それでも――― このままでは春菜のせいで―――」
「春菜ちゃんのせいで? どうなるんですか?」
四条は老婆の力ない肩に手を置いてゆっくり話す。
「今は結菜さんが大変な時です。その原因がどうあれ彼女を何とかしなければいけないのではないですか? そもそも何故神域に入った春菜ちゃんでなく結菜さんが祟りを受けるのですか? しかも夏休み前と言うことは既に三週間以上が経っています。そんなに長いインターバルがあるんですか?」
老婆は四条の目をじっと見ていた。
そしてゆっくりと視線を下げる。
「確かに問題は結菜だ―― しかしこの話は私から村長にせねばならん」
「分かりました。一緒に行きましょう」
「お前さん達は一刻も早くこの村から出た方がいい」
「それは何故?」
「―――――『しるし』は一度出れば続くことがある…」
「続く?それは首に湿疹が出る人が他にも出る可能性があると言うことですか?」
老婆はそれに対し、ゆっくりと頷いた。
「そもそもは日照りが続くと『しるし』が出るんじゃ――――祟りの『しるし』が」