2.祟りの前兆
一日目 午後3時05分
手紙の差出人――水無の家は村の最奥にあった。
おそらく村の有力者。地主や村長を代々務めている家系ではないのだろうかと思わせる立派な屋敷だ。
門の中まで車で入り、誘導された駐車スペースに車をとめる。
「ふわ―― ご立派なお屋敷ですねぇ」
「上を向いて口を開けるな。 いやでも本当に、歴史的にも価値があるんじゃないんですかこの家屋自体が」
「時々、木造建築物を研究されている方が来られることは確かですね。でも田舎だから土地だけは広いので立派に見えるだけですよ」
水無はそう言うが、四条には土地だけの問題でなないだろうことは容易に想像がついた。
なにしろ目の前に広がっているのは、ゆっくりと散策したくなるほど立派な日本庭園。5年や10年で作れるものではないだろうと言う見事なものだった。
「こちらにどうそ」
水無に案内されて、その日本庭園が見える応接間に入る。
庭の池にいは美しい鯉が泳いでいた。
「大変見事な庭ですね」
四条の言葉に、水無が相好を崩す。
「祖父が喜びます。庭師と一緒に丹精しているのは祖父なので」
「失礼しますね」
そう言って入って来たのは、水無よりも若い――しかし顔立ちは良く似た娘だった。
「冷たいお茶でよろしいでしょうか?」
「ああ、ありがとう澄水、四条先生、妹の澄水です」
「突然お邪魔して申し訳ありません。作家の四条です」
「七森です」
「お話はお聞きしています。わざわざありがとうございました」
澄水もまた、丁寧な礼をした。
きちんと躾られているのか、父母や祖父母もきちんとしている人なのか。
全員が据わって、一息つくと話しに入る。どうやら妹の澄水も話しに入るようだった。
「では、手紙の件を詳しく聞かせてもらっても良いでしょうか」
四条の声に、兄妹は表情を引き締める。緊張しているのか澄水の方は手が震えている。
「では改めて、手紙に書いた内容も含めて初めからお話しますね」
照冶の返答があって、七森がICレコーダーを出して録音を始める。
「すみません。一応取材なので録音させて下さいね」
「ええ構いません」
照冶はそう言うが、固い表情は崩れない。
「この村、赤水村にはあまり他では聞かない風習があるんです。それは、後でご案内しますが『アシノの様』を御祀りしている社を、この村の男たちで持ち回りでお守りして行く、というものなのです」
「…アシノ様?」
「はい。そう教えられました」
「その神社?を守っていくのが男だけ、と言うのも珍しいですよね」
「神社、ではないのかもしれません。御社があるだけですし、もちろん神主なども来た事がありません」
「神主の常中していない神社は多分全国じゃ相当数あると思うが」
「いえ、問題は神主ではなく… アシノ様を御祀りして行く理由の方だと思っています」
「理由?」
「はい。御祀りを怠ると祟りがあると言われています」
「……祟り神か?」
「それは分かりませんが… とにかく御祀りを怠ったり、神域に女性が入ったりすると祟りは起こるようです」
「神域まであるのか」
「はい。アシノ様の御社のある山一帯を、禁足地にしてあります。こんな何もない山奥ですので、一般の観光客などが来ないのが救いですが」
「まぁ、ここまで来るのは、ここを知っている人間じゃなきゃ無理そうだったな」
そう言って四条は、目の前に出された冷えた麦茶を一口飲む。
聞いたことのない祟り神。閉鎖された山奥の奇妙な風習。禁足地にせねばならない程の神域。
どれをとっても彼の得意とする小説のネタになりそうなものばかりだ。
四条は自分を落ちつけようと、もう一口御茶を飲む。
外は相変わらず強い日差しが濃い影を作り、うるさい程の蝉の声。
たまに聞こえる風鈴の音が、わずかな涼を感じさせる。
「……続けてくれ」
「はい。…澄水」
「はい。ここからは私に説明させて下さい。私の友人で雨音結菜と言う子がいるんですけど、ちょうど10日前から首に湿疹が出来てきたんです」
「湿疹?病院には?」
「行きました。ここからだと片道一時間半位かかるんですけど皮膚科に行って薬も貰って来たんです」
「その時、病院では何と?」
「何かにかぶれたんだろうとしか…… でもその湿疹はどんどん広がって言ったんです」
「その薬では効かなかった?」
「……薬の問題じゃ、無いんだと思ったんです。湿疹は首のまわりを一周するように広がって行って、最初に湿疹が出来始めた辺りはもう湿疹じゃなくて赤紫の痣のようになってきています」
「病院へ行ったのは、最初の一回だけ?」
「いえ、一週間後にもう一度来て下さいと言われたので、指定された日にも行ったんですが痣になっているのを『湿疹自体は治って来ている』とか言うんです!!」
澄水は、最後は叫ぶように四条に訴えた。
「澄水、落ち着け」
「その、雨音さんが心配なんですね。――――それでそこまで取り乱すのには何か理由が?」
湿疹の治癒段階で、皮膚がかさぶたのように黒ずむのは珍しい現象ではない。珍しいと言うなら澄水の反応の方がよっぽど珍しいだろう。首の周りの湿疹も、金属アレルギーの女性が、そうと気付かずにネックレスなどをした後に起こるよくある現象だ。
なのにどうしてここまで動揺する?四条は澄水の表情を見落とすまいとして観察した。
しかしそれに答えたのは澄水ではなかった。
「―――その、首の周りの痣と言うのが、祟りの前兆なのだと伝えられているからです」
来た。
四条はもう一度麦茶を飲んだ。
「首の周りに痣のできた女性は、ひと月たたないうちに神隠しにあうと言われています。―――もちろん私の知る限り女性に痣が出来たことなど無かったのですが」
「他の… もっと長く村に住んでいる人、例えば御爺様が庭を作っていらっしゃると言われましたね。御爺様に御伺いするとかされましたか?」
それに対し照冶は首を横に振った。
「何と言いますか…… 村の年寄りたちは祟りの事を殊の外恐れています。まるで…、まるで何かを必死で隠しているような―――」
「しかし、それでは… このままではその雨音さんは……」
「助けてください!四条先生!! 結菜は私の大事な親友なんです!小さい頃からずっと一緒に育った―――!!」
「澄水さん落ち着いて、落ち着いて下さい。祟りがあるまで一月は猶予があるんですよね」
「それは、『おおよそ』と言うことでした。明日何かあってもおかしくは無いと思っています」
「では、誰か。この村のお年寄りで事情を話してくれそうな人に心当たりは無いでしょうか?」
兄妹は顔を見合わせた。
「うちの祖父母はきっと話してくれません。あ、うちは代々この村の村長をしているんです。今は父が村長で、アシノ様の御祀りする当番を決めたりとかも父がしています。次は兄さんがすることになると思うんですが、多分今聞いても教えてはくれないと思います」
「それでは、その湿疹が出来た雨音さんの御両親や祖父母の方はどうでしょうか。娘が、または孫が祟りに遭うと分かっているのなら、話してくれたりはしないでしょうか」
「……確かに、一番確率は高いかもしれません――― 行ってみましょうか、澄水」
「はい。電話してみます!」
「他に、その、こう言う言い方は申し訳ないのだが、少し老人性痴呆のある方とかはいないでしょうか。そう言う方は意外に昔の事は覚えていたりするものです」
「―――それはさすがに、すぐには思いつきません… それも調べてみます」
「それと、……妹さんは、前例のない祟りに何故あそこまで怯えるのでしょうか。水無さんは首に痣のある人の話は聞いたことは無い。最近――少なくともこの数十年無かったんですよね。もちろん妹さんも祟りなんてあったことは無い。なのにあれだけ取り乱すと言うのは…?」
照冶はしばらく考えるように下を向いていた。組んだ手先が震えている。
まだ何かあることを四条は確信した。
照冶は、何か言いかけてはやめると言うことを二度繰り返した。
「――――――これは私がどこで聞いたのかも覚えていない言い伝えです。確証のないことを話すのは気がひけますが…」
そう前置きして照冶は話し始めた。
「この村は山の中腹と言う、中途半端な場所にあります。昔の水源は主に村の中央を流れる小さな川だったと思うんです。祟りがあると、その川の水が赤く染まったと言う言い伝えがあります。それで、ここは赤い水の村だと言うことで、赤水村とついたのだと…」
「川が赤く染まる---」
今度は四条が考え込む。
単純に考えるなら、神隠しの娘の血か―――
「水源近くに赤土の多い所があるとか……」
「いえ、普通の… この辺りはみんな同じ様な地層だと思います」
「赤く染まるのは祟りの後だけ?」
「他には聞いたことがありません」
「祟りで神隠しにあった娘が発見されたという記録は?」
「発見されたと言う話は聞いたことがないですし、そもそも記録なんて――― あ!」
「何か?」
「曾祖父が日記をつけていたんです。僕が小さい頃はまだ存命で。最後までしっかりした人でした。もしかしたら蔵をあされば出て来るかも」
「もし見つかれば何か分かるかもしれない」
「ですよね。四条さん達が雨音の所に行っている間に、自分が探します」
「そうしてくれると助かる」
「分かりました」
そこまで話していた時、今まで黙って聞いていた七森がおそるおそる聞いてきた。
「あのー。何で祟りは女性だけなんですか?」
「そう言えば…… 確かに男に湿疹が出来たと言う話も聞きません。おそらく禁足地に入れないのが女性だけなので、女性に祟りがあるのでは?」
「でも、御祭りを怠っても祟るんだったら、祭りを怠った男性に祟っても良いんじゃないのかなーと」
「言われてみれば… しかし男性が祟られたと言う話は聞いたことがないですね。そう言えば何故なんだろう」
「それともう一つ良いですか?『アシノ様』って全然聞いたことのない神様なんですけど御社が建った時の謂れとかって知ってますか?」
「いや、それも… そう言われてみれば知らないな。小さい頃から当たり前にあったのでそう言うものだとしか」
「郷土資料館とか、そう言った物は無いのか?」
「少なくとも村の中には無いですね」
「七森。社に電話して調べさせろ。『アシノ様』と『赤水村』だ」
「はいっ! 水無さん電話借りても良いですか?」
「どうぞ。こちらです」
バタバタと言う足音がして誰もいなくなる。
四条は大きく息を吐いた。
背筋に小さな震えが走る。
四条が、大事に出会った時のいつもの前兆だった。