第一章 第八葉 忍び寄る伝承
ごきげんよう。汚れを知らない純真な乙女にして情熱の紅い薔薇クラーネ・フォン・セレファイスです。
スカートのプリーツは乱さない様に歩くのが貴族の嗜み。
ええ、私には可愛い妹はおりますが、お姉様はいませんが何か?
今日もバルコニーにあるテーブルで金糸を風に遊ばせながら、
本を片手に使用人の容れた紅茶を嗜みながら優雅なひと時を過ごす麗しく美女ですの。
今私が手にしているこの金枝篇と言う本は昔、イースが置き忘れて行った本で、
返そうとしたところ、
「もう内容は全て記憶している。
時に歴史や伝承を学ぶことも貴族の教養だろう。」
と押し返してきたものです。
昔の落ち込みきったばかりの彼には珍しくかなり積極的に押しつけて来たのでよく覚えていますの。
私ももう何度も読んでいるのですが、大きく要約すると幾つもの伝承を纏めたものであり、
その中でも中心になるのが『寄生する神秘の樹を手に取ったものが王を殺し、新たな王となる。』という伝承です。
全く不敬な内容です。
その他にも世界各地の神話の共通性の中には普遍的な自然の摂理によるものや、
同一の起源を持つ派生伝承以外の可能性を論じ、
『共感魔法』や『感染魔法』の存在の可能性についての記述も存在していましたがそれは置いておきましょう。
『神秘の樹』自体はランテゴス王国に住んでいる以上心当たりが無い筈も無いのですが、
『寄生する』という点が気にかかります。
『寄生する』という言葉でまず最初に浮かんでくるのは国家に寄生する平民達です。
ですが、そう考えていても解釈が混乱しますので敢えて『寄生する』の点は敢えて保留する事にしましょう。
『神秘の樹』とは難しく考えなければ即ち神樹だとして、
では王を殺す新たな王とは?
その殺される王が現在の陛下?
それとも――――――――――――いえ、これ以上は不敬が過ぎますわね。この本自体が検閲によく触れなかったものです。
あくまで以前の王朝は国を退廃させようとしていたのでそれを止める為に、あくまで皇族の一員であった皇女の支援として戦い、
そしてその皇女の血を継ぐのが今の王家なのですから何も問題などあるはずはありませんわ。
そう言えば、昔イースが言ってましたわね。
「滅ぼされた皇族には『緑の力』があった。つまり『緑の力』には正当なる権力の継承権がある。
神樹の巫女は『緑の力』の体現者だ。だから王族は血族に迎え入れるか、庇護者となるか、討ち滅ぼさなくてはならない。」と。
『神秘の樹』は神樹その物でなく神樹の巫女を指している可能性も否定しきれません。
王国にとって間違いなく神樹は絶対不可欠の物。
では巫女はどうでしょう? 絶対不可欠な者?
いえ、現実に巫女が存在しない間でも一見問題があるようには見えなかったのです。
では身内に迎え入れて権威を更に正当なものにするか、それができないのなら庇護者となるか討ち滅ぼさなければならないのでしょう。
以前の王朝の生き残りなど存在されては困るのです。絶対にその存在を許してはなりません。
反乱の旗頭に正当性を与えてはなりません。
その可能性を0にする為にも前王朝の者は全て血族に取り組むか抹消せねばなりません。
そう、ビアス戦役の様に。
それよりそもそも『緑の力』を有していた皇族であるはずの皇女を血統に入れてある筈の現王朝において、
歴代一度たりとも『緑の力』の属性を有した発現者がいないと言うのは―――――、
それより前回の巫女を輩出した家系は――――――――――?
いえ、間違いなくあの家系は――――――――――――――――――、
ではその前の巫女を輩出した家系は―――――――――――――――――?
もし他の家系で傍流とはいえ定期的に『緑の力』を発現させる者を産みだす家系が存在するとして、
歴代に『緑の力』を一度も発現させぬ家系が『緑の力』=『皇族の血統』を名乗る事で正当性が保たれるのでしょうか?
そうなるとやはり、再び『緑の力』の取り込みが必須になる。
では、――――――――――――もし『緑の力』を持つ者に拒まれたら?
もし他に愛する者がいると拒絶されたのだとしたら――――――――――――。
いえ、その可能性は、そんな可能性は在りえません。
それが本当だとしたら、そうだったとしたら、ティトゥス家当主の婚約者であった亡きブレター・フォン・エルトダウン様は、
生贄になったのではなく、生贄にされ――――――――――――――――――――
「お姉様?」
「……コーザ。後ろから話しかけるなんて何処かの誰かさんみたいな真似はしないで頂戴。」
「はい、ごめんなさいお姉様。以後気を付けます。」
一瞬、不敬だと普段は考えないようにしていた深い思考の闇から私を連れ戻した声に返事をする為、
振り返るとそこには使用人に車輪の付いた椅子を押された私の可愛い妹がそこにいました。
「コーザ、部屋から出てきて大丈夫なの?
無理をしないで私を呼びに来るように使用人に言いつければ宜しいのですよ。」
「はい。お気持ちはありがたく思います。
ですが、偶には体を動かさないと益々身体が衰えていく様で、
お姉様の様に早朝からトレーニングをして体を引き締めたいとは思うのですが、
それができないのならせめてこの『車椅子』で散歩でも、と。」
「…コーザ、貴方にはもう引き締めるべき肉も付いていないでしょうに。
それより無理はしないで頂戴。皆心配しているではありませんか。」
「…お姉様。仮に私が細く短い蝋燭だとして、
火の公爵家に生まれた娘なのであればいっそ、
激しく燃え尽きた方が華なのではないかと思う時もあるのですが。」
「…。」
この子にはこの身体故に様々な不自由を敷いている。
私が金色の鬣を持つ獅子だとしたらまるで彼女は籠(加護)の中の金糸雀。
それが生きているのか、生かされているのか。
その境界線は酷く曖昧なもの。
「そうね。イースだって貴方の為に研究しているのだし、
無駄にするのは良くないのではなくて。もう少しすれば成果が出るかもしれないと言っていたわ。」
「…っ。イース様、が?」
先程の諦めた顔から一転。
何処か嬉しさを隠しきれない顔で妹が驚く。
彼女を喜ばせたいが為に私は嘘をついてしまいました。
それもコーザのイースへ対する憬れを利用した悪質な希望です。
―――――いえ、嘘で終わらせてしまってよいものですか。
事象に変えられるのなら。
彼には再びコーザの治療に赴いて頂けるよう、私にできる事があるのなら、
あの時の約束のままで幸せな結末になれるのであれば。
また今日も、彼にしつこく回復魔法への復帰を持ちかけてみましょうか。
丁度今夜彼に会う用事もある事ですし。