第一章 第四葉 貴族と平民
50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.4分っ!!
ふぅ、これで5セット。
今日も絶好調ですわね。
あら、皆さまごきげんよう。
流れる汗は朝露の雫。
咲き誇る美の体現者クラーネ・フォン・セレファイスです。
何をしていたかですか?
ちょっとしたトレーニングです。
まず、手を頭の前に真っ直ぐ伸ばしてアルファベットの大文字のIの様にするなった後、
なるべく身体を曲げて縮めることなく手と爪先だけで身体を支えるように浮かせます。
そのまま4分間維持するのを5セットするだけの簡単なトレーニングです。
身体の内側から引き締まります。
それに加えて体を捻るようにして側筋も鍛えましょう。
乙女の美しさは内面からと云われるように、内側の筋肉はさながら天然のコルセット。
細く括れた蜂腰は美の基本なのです。ウエストが65cmを越えたら貴族女性としては残念ですわね。
勿論プロフィール上では皆様65cmを超えられた方はそうはいないのですけれどね。
だからこそ、食生活とトレーニングは必要なのです。
美しい筋肉を鍛えることは、良い化粧水を施すことに同じ。花の美しさを保つ為に霧吹きを掛けてあげるでしょう?
王都の美しき薔薇としてはそれを行わない事は失礼に当たります。言っている意味は解りますわよね。
また、先程のトレーニングの変型としてアルファベットの大文字のTの容になるように腕を真横に伸ばしてあげれば胸筋を鍛えることも出来ます。
美しいバストはそれを支える筋肉から生まれる事をお忘れなく。
少々はしたないですが、
少しだけ前に向かって慎ましながらも密やかに自己主張する腹筋はスカートの中でその両端の腰回りとの隙間を作り、
その先に指し示す淫靡な妄想を掻き立てさせます。
此方から誘う様に見せる様には見せ付けず、覗かせる様に魅せる様に殿方を魅了する匙加減が女子力というものでしょう。
あからさまに割れた腹筋は殿方を引かせるだけですので、細く見せる為、ワルツの折に重心を崩さない為に鍛えるだけで十分ですの。
…世の中にはそれすらもできない衣服を着た豚の様な貴族にあるまじき方も多くいますけれど。
さあ今日の早朝の特訓は終わりましたので水を浴びた後は領地で採れたヤギのミルクを頂くことにしましょう。
この後の乙女の水浴びについて詳細を求めるのは不粋ですから省略させて頂きますね。
ああその前に私の可愛い宝箱ちゃんの様子を見て行かないと。
…では少しばかり席を外しますがごきげんよう。
はぁ、気持ち良かったですわ。
私の為だけに私用人、もとい使用人達には早起きさせてぬるま湯程度に温めたお湯を用意させています。
湯浴みを終えるころには着替え一式と、既に食事とそれらの着替えを食べ終えた私の可愛い宝箱ワナイートちゃん準備が終わっています。
私のワナイートちゃんは賢いので『芸』ができるのです。
呑み込んだ着替え一式を私に一瞬で着替えさせることができるのです。当家に相応しい凄い宝箱とは思いませんか?
流石、ダイヤモンドローズモデルの杖状宝箱です。
私の家の使用人同様躾の行き届いた優秀な宝箱ですわ。
昔はよく噛みつかれたものでしたが、今では当家の優秀などの使用人よりも躾のできた宝物です。
先程引き合いに出しましたが、私の家の使用人は其処らの者とは違います。
細部にまで細かい教育の行き届いたセレファイス家に相応しい浅ましくない者達です。
まあ当然ですわね。
この私の為に生まれてきた者達なのですから。
そして、水浴びの後は井戸水にて冷やされたヤギのミルクを飲んで朝を告げる雲雀の声を聞く。
その姿は正しく朝露に濡れた薔薇の様でしょう?
完璧なる主人に相応しい完璧なる従者が求められるのは当然の事なのです。
逆に言えば不出来な従者しか雇えない様な家は、その程度の者しか集められないか、その程度の者を切る冷静で合理的な判断も出来ないのかと言うことです。
稼ぎが出来るのならそれで家族が養えます。
平民達のレベル等上がろうと下がろうと貴族とは混じり合わない以上は関係ありませんし、平民に求めることもありませんが
平民なりに優秀な者が不遇に終わり、代わりに能力の低い者が稼ぎで家族を作るというのも領地の損失です。
報酬とは仕事をこなせるものに払われるべき対価であり、
こなせないものにお情けで配られるお恵みでは無いのです。
その様な理由で、我が家では無能な者は次々と更新させています。
勿論、怪我や病気で一時的に駄目になったからといって切り捨てるような非道ではありません。
その様な理由で切り捨てては我が家が人を見る目がないと吹聴するようなものですから。
私がワナイートちゃんに柄の短い専用の日傘を加えさせて歩いていると、
見覚えがあるような者が向こうから歩いてきましたが、此方から用事はありませんので無視することにしました。
なのですが…、
「ちょっと待てよ。」
……。
「ちょっと待てって言ってるだろっ!!」
「何ですか『平民』。」
目の前にはナギサ・ツー・フェラン改め只の平民が吠えていました。横に女を伴って。
「くっ…。
一体どれだけの人を不幸にすれば気が済む積もりだ。
ミリーは寝たきりの母親と弟達の為に仕事が必要だったんだ。」
ああ、そう言えばこのような下級小間使いがほんの少しの間ばかり屋敷に居たような気もしますわね。いつ暇を出したかも覚えてないのですが。
「で、私にどうしろと?」
平民が平民の事でこの私に何かを頼もうと?
何て烏滸がましい。
それに何か媚を売り、すり寄って庇護して貰わないと生きていけない卑屈さと開き直りの合わさった様な目は私、嫌いですの。
そしてあわよくば寵愛を請けて責任も資格も知らないにも関わらず、貴族の権利の恩恵に預かろうという浅ましい安唱婦の様な所も穢らわしいのです。
ですからーーーーー、
化けの皮を剥ぎたくなってくるのです。
「そこの女。
この男にはあなたを守る爵位も権力も資産も魔法も全て剥奪されて無いのですから、
この男を取り込んで私に一矢報いるだとか、職を失っても大丈夫な新しい寄生先を見つけたというレベルの低い自慢は止めておきなさい。
最早その男にはあなたを護る力は何もないのですよ。
そんな男が今あなたを理由にこの私、ひいてはセレファイス家に失礼な態度を取っている。
その結果の成すところは理解できますか?」
この男は女に何と自称していたのかは知りませんが、恐らく未だ民衆に理解のある貴族としてあると振る舞って居たのでしょう。
だからこそ女も調子付いて居たのでしょう。
他の貴族の持ち物ならば理由なく処罰は出来ませんからね。
ーーー私の家ならば理由なんて幾らでも創れるのですけれども。
「平民の女。交渉が失敗してもせめてそこの平民の男が怒りに任せて私の美しさに傷を負わせる程度の事にはなると思っていたのかしら?
残念ですわね。それは絶対にありえませんわ。
そしてナギサ、あなたも。魔法に見放されたあなたに貴族に傷を付ける力が未だあるとお思いで?
貴族で無くなれば神樹はマナを提供してくれなくなる。
そういう契約になっているのは知っているでしょう。
仮にも元々は貴族だったのですから。
…そして魔力が無くなれば、高位貴族には傷一つ負わせることは出来ない。」
彼の方にわざとらしく宝箱を見せつけるようにした後、
私は寧ろそれを女に理解しろと言わんばかりにそちらの方を向くことにしました。
そして平民の女は――――――――――――、
「っ役立たずっ!!」
女はナギサに媚を売るだけの価値が無いと判ると軽蔑したような目をして一人逃げていきました。
柵があるから安全だと猛獣同士の殺し合いを誘われて楽しみにやってきたら、
柵の外から猛獣を見ていたら、柵が紙細工だったことに気が付いた、と言うところでしょうか?
私が猛獣扱いな例えは気に食わないのですが。
「ミリー……。」
「これが平民の本質。
平民の生き方。
あなたも野垂れ死なぬ様に早く覚えていかれては?」
女の移り身の速さに固まる平民を残して私は元々歩いていた理由、
軍の魔法講師として講演会場へと向けて足を進めることにしました。
目的地に向かう途中で診療所を見掛けました。
ここ最近は何処の診療所もそうですが、
閑古鳥が鳴いています。
これもプリン家の放蕩息子のせいでしょう。
無料で大抵の病気や怪我をしっかり治してくれるのですから、
それは不確かで高額な診療所には行かなくなるでしょう。
彼の所には助けられた者達の数人の平民が助手として泊まり込んでいるそうです。
恐らく貴族の落とし胤を狙っているのでしょうね。
それと、プリン伯爵子の友人が訪ねに行った折に、
自分が彼の側に付いた後は掌を返して有料化を打診している助手の姿を見たそうです。
人伝過ぎて信憑性は落ちますが、人に親切を受けたらその親切にできる余裕を自分の楽の為に使いたいと言うのが如何にも平民らしい発想で説得力があります。
そうやってプリン家の周りにうじゃうじゃと汚らしい者達が集まれば、
その分医者に集まる患者と収入は反対に減っていきます。
医者達は平民の受けられる中では高度の勉学を積んで、人に刃物や薬を向けるリスクを冒して、
そしてその末路がこうなったのです。実に憐れです。
ですが、切ったり貼ったりする技術よりも身体を回復させる方が受ける側も行う側も楽で安心なのは火を見るまでも無いですからね。
「おい、ヤブ医者ァッ!!
とっとと金出せやゴラァッ!!」
借金取り…ですか。
昔は貴族の回復は水魔法遣い、庶民の回復は医者がするものと相場が決まっておりましたが、
プリン伯爵の所の肥満気味の息子がそれを崩したために、医者達の価値は暴落しました。
――より早くて、無料で、確実な手段があれば誰だって其処に行こうとしますし、
そうなると遅くて、高くて、不確実な手段の技術者は仕事を無くしますわよね。
あまり平民のいざこざに首を突っ込んで書き乱すつもりはありませんが医者です。
医者なのです。
医療の心得がある者は――――――――――――護らなくては。
「まだ朝だというのに騒がしく無くて?
雲雀ではなくあなたの汚い声で起こされる人達の事を考えた事はあって?」
「何だお前……あっ…。」
この私に、「何だお前」だとは良い度胸というよりは身の程知らずですね。
「特別にこの私が医師の代わりに消毒の真似事をしてあげても良くってよ。」
右手の上に、炎で造った雲雀を生み出します。
「この子ならあなたより美しい声で鳴いてくれるのではなくて?」
そう言って雲雀に私の回りを一周させます。
勿論、風にめくられる金糸の髪に焦げを作るような下手は打ちません。
「少しからかってあげなさい。」
私の元から飛び去った雲雀は目の前の男の周りをくるくると回っています。
実は全て私のコントロールの範囲で動いているので、からかっているのは私自身というのは内緒ですわ。
「あら、少し円が小さ過ぎたようですわね。」
男の服が少々焦げ臭い事になっているようですが、どうせ服も中身も安物ですから問題は無いですわね。
「しっ…死にたくない。…助けてくれぇぇっっっ!!」
殺すつもりは無かったのですが、
別に平民が一人死んだところで良くってよ。
「殺すつもりはありませんが、炎を消すつもりもありませんわ。」
それに少々火傷をさせても直ぐ近くに医療のエキスパートがいるでしょう。
早く、安価で、確実です…とは言いませんけどね。
「では、このようなことにいつまでも構って入れませんのでごきげんよう。」
そう言って後ろを振り向いた直後の私に男が何かを投げてきたようです。
でも問題はありません。
「ありがとう。流石ねワナイートちゃん。」
優秀な私の宝箱が反射的に動き、しっかりナイフを収納してくれました。
「でも汚い物をいつまでもワナイートちゃんのお腹の中に容れて置くのも良くないですわ。
さあ、先程の物を返してさしあげて。」
口を先程何かを投げた男の方に向けたままだったワナイートちゃんがその何かを吐き出したことを確認すると、
いつの間にか収納されていた日傘をワナイートちゃんが再び咥えていてくれたので、
私はそのまま目的の場所へ向かう事にしました。
…先程の火傷だけでしたら医者で済んだものを。
不衛生な刃物が突き刺さっては葬儀屋が必要かもしれませんわね。
※宝箱。
貴族なら大体所有している魔法のペット。
この世界では常識である。
最初に食べた持ち主の魔力を含んだ物の容になる。
それ以降持ち主以外の魔力の含まれているもの、生きているものは一切口にできない。
生物や魔力を含んでいないものであれば物理法則を無視して収納できる。
なお、躾が出来てないと走り回ったり吠えたり噛みついたりする。
※ダイヤモンドローズ
草と言うよりは木に近い薔薇。成長すると広がって増える。
地質の炭素を吸い上げてダイヤモンドで出来ている。
クラーネの持っているものは1m位の長さの物で杖の様になっている。
なお、言うまでもないが高級品。