第一章 第一葉 ものがたりのはじまり
異世界ヒュペルボリアに存在するランテゴス王国。
強壮なるランテゴス公爵が皇帝に反乱を起こし、
残りの家族を公爵に殺された皇帝の娘を有無も言わせず孕ませて娶り成立した王国である。
勿論、国内では圧政を敷く皇帝を見かねた皇女がランテゴス公爵に世直しを求めたという体裁になっているが、
皇帝の死を起点に独立を果たしたランテゴス公爵に有形無形の支援をした各地の王達には当然看過されており、
現在でもランテゴス公国と皮肉られる事も多々ある。
当然、当時は国民達にも末端の平民達は兎も角、上級貴族の当主達には内情は筒抜けであった。
新国王は自分が下剋上を行って主君から奪って国を作った負い目がある為に、
いつか自分も下剋上される可能性を恐れて、
極度の中央集権体制と、血統主義、それらを固める為の全平民に対する魔法の破棄契約の強制等を推し進めつつも、
自己の正当化の為に貴族足るものの心得について、あるべき姿についてはかなり厳しく規律を定めた。
真実を知る者達にとっては、
誰もがどの口が言うか、と思われていただろうが。
それでも、幾らその創立がクズ染みたものであってもその後の政策は成果をあげていた。
そんな割とマトモな政治が何代も続いたお蔭で第13代目の統治の時代においては、繁栄の極みに王国はあった。
そう、繁栄の極みと言うことは、後は落ちていくしか無いのである。
歴史は風化し、理念は無実となり、権力は堕落した。
物語は其処から始まる。
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此処は華やかなランテゴス王国の中でも更に華やかなランテゴスの庭園と呼ばれる王都オウゼイル。
私はランテゴス王国建設以前から存在する爵位を持つ四大貴族のセレファイス公爵家の長女クラーネ。
ランテゴスの薔薇、又は純炎のクラーネと呼ばれています。
自分でも控えめに見て当代の美女中の美女という自覚はあります。ええ、只の事実ですが何か?
更に言えば、四大公爵家が一つセレファイス家に伝わる純火属性と、公爵家に相応しいだけの高い魔法適性も兼ね備えています。
…一体何故この様な説明をしているのかも、誰に説明しているのかも解らないですが、まあ良いでしょう。
そんな私の不満の一つは我がセレファイス家が水属性ではなく、火属性の家系であること。
理由は追って説明いたします。
神話では、
『無に神が光と闇を与え、光と闇が火、水、風、土を生んだ。
全ては神の子たる神樹の為に。
神の子が生まれるとき、
水と風と土は神樹の贄として生まれ、火は神樹を焼く為に用意された。
そして神樹が光・闇・火・水・風・土に育てられ、
その果実が様々な物を産み出した』
と我が国では伝わっています。
曲解するのであればどこか古い歴史の王朝の中で、王と王妃の間に生まれた次代の王を、
四人の同年代の部下が支えた話が暗喩されている―――――――と私の知り合いなら言いそうです。
彼は神話は須らく歴史から生まれているというのが持論らしいですから…。
ああ、あの腹立たしい顔を思い浮かべるのも癪なので、元の話に戻りましょう。
火属性は土属性と共に変化を与える属性と云われています。
どちらも加工や攻撃に適した属性であり、
又、水属性と風属性は変化を行う属性と呼ばれ、移動や防御に適した属性であると云われています。
火属性の最大の欠点は何かを変化させる事はできても、何も産み出せないということであり、
剰りにも攻撃や工業に特化し過ぎています。
元々唯一神樹に危害を加える為に生まれた属性であるという神話は伊達ではないのでしょう。
勿論、職人や兵士には喉から手が出る程有益な属性ですが、
私は悲願である病弱な妹に自分の足で領内を歩き回れる様にする為にも、
搦め手、防御、移動、そして回復に適した水属性を手に入れたかったのです。
ですが、私が出来ないからといっても私が誰かに頼めば問題ありません。
その為の伝も権力も私の家には備わっています。
同じく四大貴族家の一つであり、
伝統と誇りある純水属性のエルトダウン公爵家にはその道のエキスパートが多くいます。
水神の異名を持つ当主クルール様と
その妻の聖母の異名を持つカソーザ様。
彼等に借りを作る事を解った上での当代の天才的水属性遣い達に依頼をして、
快く受諾して貰い治療を試まれましたが、妹の病状は一向に回復しませんでした。
二つ目の不満は、その嫡子である歴史オタク…、いえ研究馬鹿…、
もとい鬼才と評されるイース様は御両親を超えるとみられる圧倒的な純度と量の水属性の才覚を持っていながらも、
彼は回復に対する興味を一切持っていない事です。
あれで性格が良くて使い勝手も良ければ優良物件この上ないのですけれど。
「全く、回復を覚えようとしないなんて折角の水属性の持ち腐れですわよね。折角の可能性を台無しにしているわ。」
「全く、水属性は回復だけしていれば良いと言う者達が水属性の可能性を台無しにしているんだと思われるが。」
独り言に対して、しかも私の後ろから返答しよう者がいるなどとは…。
…あの御両親をから礼儀を学んでいないわけではいないのでしょうに。
ふと漏らした独り言に対する返答として、
この私に後ろから話し掛けてきた無礼な男、公爵子、『純水』のイース・フォン・エルトダウン。
業とらしく地味さをアピールするために伸ばした前髪と、伊達のメガネを掛けた長身の男の姿は振り返らずともイメージ出来ます。
貴族における婚姻の必要性を知らない訳でも無いにも関わらず、
敢えて女性を面倒だからとそんな野暮ったい格好をしているところからもその変人振りが良く判ります。
研究オタクをアピールした方が余計な女性(羽虫)に悩まされなくて良いのだとか。
クルール様をから受け継いだ艶やかな深みを湛えた黒髪と、カソーザ様譲りの蒼く澄んだ瞳。
良く見せる積もりが本人に欠片でもあればその見た目だけでも放っておかない女性は少なくないでしょうに。
ですが元が良いのに勿体無いとは思えない程の変人な上に、兎に角冴えない容姿に見せる為の偽装がそれなりには上手いので、
私を含めて女性陣の評判は少々アレです。
「ごきげんよう、エルトダウン公爵子。」
「そちらこそ本日もご機嫌麗しゅう、セレファイス公爵令嬢。」
振り向くと私の予想通りの姿が其処にありました。
礼の作法こそ美しいですが、後ろから独り言に対して話し掛けるという時点で大幅に減点で台無しです。
「イース様、出来れば次からは正面からお話しかけて下さればと。」
そう言った皮肉たっぷりの私の言に対して、
「御忠告痛み入る。
それの御礼に此方からも余計ではあるだろうが一言。
…クラーネ嬢も水属性遣いに対する偏見を周囲に水属性遣いが居るかも知れぬ場所で無闇に言わぬが花だろう。
言わぬが花をこれ程迄に体現できる女性もそうはいない。流石は王都の美しき薔薇だ。」
…ええ、実に余計な一言ですわね。
まさか貴方に口を閉じれば見た目は良いという主旨の事を言われるとは思いもよりませんでした。
よりによって貴方に。
「あら、ありがとうございます。イース様も口を閉じて代わりに見た目を正せば女性に困ることも無いと思われますよ。」
そろそろ面倒臭くなってきたので少々どころではなく品はないですが、
目の前の男の前髪を左手でかきあげて、右手で伊達メガネを外してやります。
…知っているけれど中々悪くはない。少々動悸がする程度には。
ええ、見た目だけは整えてあげれば高貴な血を継ぐ者に見えるでしょう。
「嫁ぎ遅れを気にするなら君こそだろう、クラーネ。」
本当にこの口が余計な囀りを奏でなければ、悪くない男性なのですけれどね。
「で、また何時もの話か?」
向こうも面倒になったのでしょう。茶番染みたやりとりを止めて素が出てきました。
「ええ、その通りよ。
単刀直入に言うわ。
水属性遣いに対する需要の一番は回復なの。
ならば求められる事を応えるのが最適解なのではなくて?」
「需要と供給の原理を問うのならば、需要から供給を判断するだけでなく、
新たなる需要を創ることも又、価値あることだと理解できないか?
後少し頭が良ければ理解されていたのかな?
学年次席のクラーネ様。」
ああ言えばこう言う。
全く、口が減らないですわね。
「…でしたら首席である貴方は当然、より価値ある正しき道を歩けているのでしょう?」
「当然だ。」
…だったら、…だったら私の妹を助けてみなさいよ。
もしそんなことが出来たら、
私がどう願っても出来ない事が出来るというのなら、何だってしてあげますから。
「…火属性の私には出来ない事が出来る貴方には、その義務があるのではなくて?
私にはその義務を果たしているようには見えませんわ。
では、ごきげんよう。」
そう言って去ろうとした私の背後から再び失礼な独り言が飛び込んできた。
「…火属性遣いだから治療に自分は力を貸す事は出来ない。
そういう類の諦めが不可能を不可能のままでいさせているのだというのに。
何故火属性が排斥されて黒歴史にならなかったかを考える事も無いのだな。
ああ、秀才の次席程度の美しいだけの薔薇にそれを求めるのは失礼だったか。
済まなかったな。」
……どうしろと?
炎を操ってどうやってあの子を、コーザを病から救えと?
どうして貴方は助けようとも思わないの?
昔皆で一緒に遊んでいたっていうのに。
其れほどまでに、歴史と研究が御好きなら…もう好きになさいっ。
そう腹立たしくさせる男の存在は3つ目の不満の、
最近この国で民を救い導く為にその視点を同じレベルにまで落とし込んで、
貴族にしかやれない事を蔑ろにしている駄目貴族達への不満を何処かへ弾き飛ばすほど不愉快でした。