ヴァルハラの鐘 6
「――いつまでそこにいるつもりなんだ?」
目が覚めるような夢。
目の前には赤い獅子。敵意はなく、ただ座っている。
私は寝転がっているのか、体が動かない。
いま襲われたら何の抵抗もできないまま死ぬだろう。
「――彼女の遊戯に構う必要はない。早く目の前の山を登れ」
淡々と獅子は話す。…いや、獅子ではない。
獅子の姿が、ゆっくりと人間に近づいていく。
「――僕が手伝えるのはここまでだ。
山に登り、彼女を助けてくれ」
か
彼女って
「メアさん!」
今度こそ、体を起こす。
キスククのほっとした顔に、フィヨルの心配そうな顔。
確認するように息を吸う。…夢の世界じゃ、ない。
「はー、びっくりしたわよ!
キスククくんが揺らしても全然起きないんだもの」
「眠るのはやめた方がいいっすね。
意識のとこまで攻撃が来るんじゃ、いくらメアさんでも戦えないですよ」
どうやらうなされていたようだ。
…でも、夢の内容ははっきり覚えている。
「ありがとう、助かったわ」
あの赤い獅子は最後、完全に人間の姿になった。
それは、記憶に新しいもの。
私を一度殺した、『東軍の神槍』だった。
「これから夜になるのかしら」
空を見上げると青紫に変わってきていた。
あれでカウントになるのか、それとも『彼』が気を利かせたのか…。
「寝ちゃダメですよ!
今日は俺が話しかけますから!」
「やだーん!今夜は寝かせない的なっ?
フィヨルさんは邪魔ってかい?」
なんだか夫婦漫才みたいになっている二人。
キスククもこんなに話す奴だったのか。
「大丈夫よ、夜のうちなら敵は来ないはずだから。
今回は私が起きてるから、二人は寝て」
私は夜空の下、眠るフィヨルの横顔を見ていた。
すやすやと眠る彼女…まるで無邪気な人間の女の子そのもの。だが、彼女は女神。
女神、なのだろうか?
私の夢に出てきた、神槍。
彼が指す『倒すべき彼女』というのはフィヨルのこと…なのか?
では山にいる『助けてほしい彼女』というのは?
というか、山に登れと言うなら、ここは山ではない?
「…でも、連れてきたのは」
物理的に山を登ってはいない。私たちはフィヨルがねじ曲げてくれている次元で山を登っている…はず。
フィヨルが秩序の女神であり、彼女の手助けをするために協力している…という、この大前提が崩れてしまうと…どうなる?
そこから導き出される真実があるとしたら…
「メアさん、考え事ですか?」
私の横で寝ていると思ったキスククが体を起こした。
「起きていたの」
「メアさんの顔が暗かったんで、気になってたんです」
心配そうな横目。彼は本当に優しい青年だ。
戦いの場に似つかわしくない。
彼はこのヴァルハラの前にどんな生活をしていたのだろう?
…いや、覚えているだろうか?
私はレド大将に忘れるなと言ってもらえていたからおぼろげにでも覚えていたけれど。
毎日生き残るだけで精一杯だった彼は、そんなゆとりはなかったかもしれない。
「…ありがとう、キスクク。
あなたには助けられてばかりね」
ヴァルハラから、この青年を早く解放しなければ。
私は強くそう思った。
この世界はこういう優しい人たちがいる所じゃない。
キスククは少し照れた風に肩をすくめた。
「そんなことないッスよ、俺の方こそもっと強くならなきゃなって毎日思ってるっす。
…メアさんを守れるくらい」
彼が戦いに参加すると決めたときの目より、光が強くなっている。
着実に成長できたのだ。うらやましい。
「強さっていうのは、力や戦いの場だけだけじゃない。
少なくとも、あなたの心の強さは、私の支えになってるわよ」
穏やかな時間だった。
人とこんな風に静かに話したのはひさしぶり。
私の日常も、きっとこんな感じだった。
…もう、思い出せなくなってきているけれど。
「…キスクク、この世界から出ましょう」
「え?」
「考えがあるの」
いつやったって同じだ。
私はそう思う。考えがあるなんて嘘だった。
考えなんてない。私はただ言うだけだ。
「……起きてるでしょ?」
横で寝ているはずの彼女に。
…いや、私たちの会話をにやにやしながら盗み聞いているだろう。
「フィヨル、貴方は嘘をついてない?」
私の問いかけに、彼女はむくりと体を起こす。
こちらは振り向かない。なので表情は分からない。
「あいつが、嘘…ですか…?」
キスククの言葉にも微動だにしない。
…さて、どうでるか。
もちろん、本当の事を言ってくれるかどうかは分からないけれど。